自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

チューリップの実生,二年目の挑戦(4)

2022-12-31 | 植物

12月30日(金)。出芽が続いています。今回の写真は育苗箱のものです。

 

この分だと,相当数に上るのではないでしょうか。

 

もっとも伸びた葉の長さは15mmはあります。

 

さて,今日は一年の締め括り日。なんとか健康を保ちつつ,ここまで来ることができました。感謝です。アクセスいただいた皆様はいかがでしたか。お元気でいらっしゃいますように……。

今年も好奇心を維持しながら,生きもののいのちに迫って充実したひとときを重ねることができました。刺激を求めつつ,日々新たな気持ちで過ごすって大事だなあと度々,感じました。いのちに感謝,です。

この一年アクセスいただきましたことに深く感謝申し上げ,2022年の締め括りといたします。ありがとうございました。

 


'22 昆虫の頭・顔 ~ハエヤドリアシブトコバチ~

2022-12-30 | 昆虫

室内のガラス戸に小さなハチがとまっていました。何だろうと思い捕獲。確かめると,ハエヤドリアシブトコバチでした。

体長5mm。太くて,大きく湾曲した後脚。そして脚の黒色と黄色の配色。特異な姿です。

 

じっとしているようでいて,触覚がしきりにピクピク動きます。それで,被写界深度をある程度カバーしながら撮影するのに苦労。

 

飼育容器に入れておいて,そっと蓋を取って写した後すぐ被せ,また取っては撮る,この繰り返しでした。

 

冬,マンサクの花で出会ったことを思い出します。今冬も出会えるでしょうか。

 


'22 昆虫の頭・顔 ~トノサマバッタ~

2022-12-29 | 昆虫

今年,これまでに撮った写真及び記事をご紹介できないままになっているものがたくさんあります。中断したままのシリーズもあります。主な理由は次々にネタが生まれてきたからです。冬になってようやく落ち着いてきました。時間を見つけながら,今後それらをすこしずつ記事アップしようと思います。季節に合っていない感じのものがいくつもあります。ご了解ください。

今日の記事はこのうちの一つです。


ふつうトノサマバッタは警戒心が強くて,近づくと敏感に察知して遠ざかります。よほどのことがない限り,こちらを寄せ付けないといった方がよいぐらいです。よほどのときとは,たとえば産卵真っ只中のようなときです。

ところが,そうでもないふつうのときに至近距離から顔写真を撮るチャンスに恵まれたのです。意外でもあり,幸運でもありました。なぜそんなふうになったのか,まったくわかりません。

それは公園の荒れ地で体験した話です。そこを歩いていると,ふいにトノサマバッタがびっくりしたように飛び立って脇のササ林に入り込みました。しばらくして同じ場所に戻ってみると,たぶん同じ個体と思われるトノサマバッタが足元でぴくっと動いたのです。荒れ地に生える草を食べようと思って戻って来たのでしょう。

 

それで,わたしは顔写真が撮れないかなあと思い,カメラを近づけていきました。そうしたら,まったく動きません。気がついていないのでしょうか。よく見ると,右眼が変形しています。それが関係しているのかもしれません。わたしの動きはそれこそわずかなもので,ちょっとちょっとの連続です。気づかれないように,気づかれないようにとの思いで撮影を続けます。

 

葉を食べ始めました。とてもふしぎな光景に見えました。

 

逃げる様子がないので,思い切って指に載せてみました。なんと載ったのです。

 

逃げる素振りはまったくなし。

 

真正面からも。ふしぎなふしぎなひととき。

 

トノサマバッタはやはり殿様,貫禄十分。

 


'22 昆虫の頭・顔(コンデジ版) ~アオクサカメムシ~

2022-12-28 | 昆虫

先日,ダイコンの葉でアオクサカメムシを見かけました。成虫越冬するものの,寒さで動きがすっかり鈍っています。

このカメムシには野菜の被害をずいぶん被って来ました。

 

とはいえ,昆虫写真としてはふつうの被写体。コンデジで顔写真を記録しておくことに。もちろん,以下写真はトリミングなし。

 

赤く見える線が吻。これの先を野菜に突き刺して汁を吸い取るのです。

 

最短距離に近寄って撮りました。ワーキングディスタンスは1cm。

 

両眼の個眼がわかります。

 

真正面から撮りました。

 

縦方向で,吻を入れて撮りました。

 

被写界深度の深い被写体は,コンデジではうまく撮れません。これがわたしには限界です。

 


"魚露目"で見たハクモクレン(蕾)

2022-12-27 | 

公園の駐車場脇にハクモクレンの木が二本。春を待つ蕾が綿毛をまとい,寒さに耐えています。というより,この寒さを体感することによりすこしずつ目を覚ましているのでしょうか。

 

ハクモクレンはわたしの好きな撮影対象です。でも,ここのハクモクレンは初めての出会い。枝にはたくさんの蕾が。春の開花時がとてもたのしみです。木のすぐ横には幹線道路があって,自動車がひっきりなしに走っています。だから,写真には蕾と自動車と雲が同居。

 

蕾の高さはわたしの目の高さと同じ。低い位置なのがとてもうれしい点。

 

いくつかのポイントから撮影しました。

 

これは二本目の木です。蕾はすくなめ。低いところはこの蕾だけ。春になったら脚立でも持ち込んで撮ろうと密かに思っています。

 

このすてきな被写体との出会いはわたしのこころをくすぐっています。

 


モミジバフウ(アメリカフウ)の紅葉高木

2022-12-26 | 植物

冬になった頃のこと。公園の駐車場で,大きく育ったモミジバフウ(アメリカフウ)の木が赤い葉をどっさり付けていました。堂々とした姿に見え,公園のシンボルだぞっていう風に立っているように感じられました。

 

紅葉の時期はすでに過ぎてしまっていましたが,これでも見事。もうすこし早く見たら色と姿に圧倒されたにちがいありません。

近づいて。

 

落ちた葉は風で隅に吹き寄せられています。

 

一年後,紅葉の真っ盛りのときにまた見たいなあと強く思いました。

 


アオサギの狩り

2022-12-25 | 野鳥

隣家の空き地では,大型の飼育槽(プラ舟)でコイの幼魚が飼われています。飼育槽はネットで覆われ,野鳥などの被害に遭わないように対策されています。ということは,これまで幼魚が被害に遭って来たことを物語っています。

この飼育槽は,我が家の台所のガラス戸を開けると見えます。

ある日の朝のこと。ネットの上にアオサギが立っていました。「ははーん,事が起こるかな」と直感。追い払うのが親切というものなのですが,そのときのわたしにはアオサギの行動を見届けたいという気持ちの方が強く働きました。。捕獲が成功するとすれば,どんなふうに獲るのでしょう。

 

それで,カメラを窓際に置き,捕獲の瞬間を待ちました。アオサギは簡単にはその行動に出ません。たぶん,水は濁っているでしょうし,中の幼魚が水面近くに浮いてくることが少ないはず。つまり,チャンスがすくないので,じっと待つほかないというわけです。

わたしもずいぶん待ちました。とある瞬間,嘴をネットの間に突っ込んだのです。あまりに急でした。嘴を上げたとき,幼魚が捕まっていました。さすがに野生に生きて,狩りに慣れた行動に見えました。

 

しかし,ネットの目より獲物が大きいので,引き出せません。

 

なんとか引っ張り出そうとしますが。

 

結局,どうなったのか,くわしくはわかりませんでした。ネットの上に獲物が出て来たところは確認できませんでした。捕獲に失敗したのかもしれません。そうすると,これは「残念!」と思っている姿なのかも。

 

ネットの目は,あとで測ると15mmでした。その間に嘴を入れて,さっと獲物を獲る技が光っていました。ここで,その行動を見たのは前にも後にもたったこれ一回だけ。よくもまあ,この飼育槽を見つけたこと! しかし目が小さ過ぎたので,再びここに来るのを諦めたのかもしれません。

 


公園で見た樹木の剪定

2022-12-24 | 随想

街路樹のことを書いていたら,公園の樹木の管理のことが浮かんできました。もちろん,具体例は身近な公園で,市の観光スポットといわれています。

久しぶりに訪ねたら,カツラ並木の下を彩って来ていたツツジがばっさり伐り込まれていました。

 

今はこんなふうに剪定をする時期ではないのに。

 

わたしが抱いた印象は,景観はすっきりしたものの,これだけばっさりやったのでは来年の景観はまったくダメだろうというものです。花芽がすっかりなくなってはどうしようもありません。もしかすると,再来年にも影響が及ぶかもしれません。そして,同じするなら,公園の入口なのだから根元付近もすこしはすっきりしておいてほしいなと思いました。わたしの知る里山の方がはるかにこころが行き届いた管理がなされています。

落ちた枝や枯れたままの草などで,雑然とした感じがしますが。

 

公園には樹木がつきものです。樹木の緑と花は,人の心に潤いを与え,癒しをもらたしてくれます。その点を踏まえて,計画的に剪定するのが筋でしょう。大きくなり過ぎないうちに剪定する,計画的に樹形を整えていく,それがとてもたいせつな点です。

数年前,同じ公園のドウダンツツジがばっさり切り込まれました。石階段に沿って植えられ,見事な景観を形成していました。結果,二年間紅葉は見られず,苦情が寄せられたのは当然です。剪定直後,これで果たして新芽が出て来るのか,景観が復活するのか,心配で,管理する担当課に直接聞くと,「委託外郭団体に任せている」。責任逃れですね。わたしの知る人たちも管理責任を問うたそうですが,時すでに遅しでした。

団体の話では剪定についてノウハウを持たない高齢者に作業をお願いしているとのこと。それは働く場を提供するにはよいことなのですが,一人でも剪定法を知る人が入ればこんな結果にはならなかったでしょう。もったいない。公園づくりの理念のなさが結果を招いたといえます。

それに続いて同じことがまた起こりました。昨年度のことです。公園の主要な樹木であるコブシの枝がスカッと伐り落とされました(下写真では,残った枝がハンガー代わりになっています)。花芽がたくさん付いていたときだったので,びっくり。これでは春先,花が見られないではないかと誰もが思うでしょう。そのとおり花はなく,そして緑陰をつくる葉もなく,寂しい姿で立ったままに終わりました。

 

当団体の責任者曰く,「高齢者が高木を剪定するのは危険です。それで高さ3mで伐り落としてもらいました」。公園に樹木を植える意味を考えたこともない答え方に聞こえました。剪定作業に携わる人の雇用がまずあって,公園利用者が快適に過ごせる空間を整えるという視点が欠けています。

行政事務は担当者が次々変わっていきます。まちづくりを柱にして各部署に事業を展開する理念があって,共有される体制が整っていない限り,市民本位・利用者本位の手腕が発揮されることなど望めません。あり方を先取りするほどでなくては信頼は醸成されないでしょう。似たことがこれからも繰り返されそうです。

 


街路樹ケヤキの微笑み(続)

2022-12-23 | 随想

街路樹のケヤキが,ヒトと共生して気持ちよさそうに育っているように見えた最近の例の二つ目です。

ついこの間,北九州の小倉を訪ねました。そこにわたしが大好きな故松本清張氏を記念する市立施設があります。そこを訪れたのでした。施設の最寄りの駅は西小倉駅。そこからは徒歩8分の道のりです。通りは清張通りと名付けられ,歩道にはケヤキが植わっています。

 

ケヤキは大木というほどの樹齢ではありませんが,じつにみごとな樹形を保ちながら,堂々と立っているのです。一目見て,一気にケヤキの呟きが聞こえて来そうな気持ちになりました。「いい気分」とでもいっているようでした。それはまた,ヒトの接し方に感謝を込めたことばに聞こえました。

 

広い道路,広い歩道,という点はわが市のケヤキ街路樹とは異なった環境なのですが,手入れの仕方はみごと。ケヤキのいのちを尊重する心遣いがあります。そこにはケヤキの権利を大事にするという発想が流れていると感じました。

ケヤキの樹形は大きくなるのが当然,大きくなる方向でいかにバランスよく整えて行くか,これをどう景観づくりなりまちづくりなりに生かすか,そんな理念が伝わって来ました。施工業者も担当部局も街路の維持管理という点で,長年にわたりノウハウを蓄積してきているということなのでしょう。たぶん多くのまちでも同じことがいえると思います。

この日は雨が時折降りました。しっとりとした通りを体感しました。清張記念館で過ごしたひとときは,おかげさまで一層感動的で,味わい深いものとなりました。ますます,清張氏にどっぷり浸って行くことになりそうです。

 


街路樹ケヤキの微笑み

2022-12-22 | 随想

「ケヤキの嘆き」の例と雲泥の差と思われる例をご紹介します。

一つは隣市。ここは幹線道路です。交通量はさすがに多め。枝ぶりを一目見て,本来の樹形が尊重されていることがわかります。

 

樹形がわかるかたちで枝が伸びています。よく見ると,かつて枝が大胆に伐採された痕跡が残っています。ただ,その後樹形を大切にした管理がなされているようです。感じからすると,これからの成長を考慮して街路樹としての景観を考え,すっきりした整枝が必要では?  幹から出る太枝は5,6本程度に抑えるのがよいと思います。  

 

 

必要以上の整枝はなされず(最低限度は手入れされています),なかには枯れかけた枝が目立つケヤキもあります。安全対策はもちろん大事ですが,木のいのちを守るという発想が流れているようです。

 

行政のあり方としていったいなにが違うのでしょう。公園や街路で樹木を育てる理念があるか,ないか,暮らしと自然がどれだけつながっているかを慮る素地が培われているかどうか。そうしたことを立ち止まって思う感性が育まれ共有されているか,どうか。ひとことでいえば,そんなことかなあと思います。

 

二つ目は県庁所在地のA市。市HPを見ると,担当部が街路樹の維持管理全般について詳細を解説しています。そして,ビルの谷間にあるケヤキ並木の写真が,これまたみごと! その説明にこうあります。「まちに『彩り』『風格』を与えてくれる街路樹の役割や魅力を紹介します」。風格とは降参です。わがまちづくりへの自負心といったものがずばり窺えます。

そのまちの高木街路樹では本数が第二位。その解説に「美しい緑のトンネルをつくる姿が人気の樹木です。夏にはさわやかな緑陰をつくります。新緑や紅葉も美しく、一年を通して楽しめる樹木です」とあります。写真をご紹介したいところですが,著作権の関係もあり控えておきます。こういうまちの好感度は相当なものでしょう。暮らしよさも一定水準以上のものがありそう。

これらのまちのケヤキはきっと微笑んでいるでしょう。