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ぽかぽか春庭「未来を花束にしてSuffragette」

2017-07-15 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170715
ぽかぽか春庭@アート散歩>未来への花束(2)未来を花束にしてSuffragette

 映画原題のサフラジェットSuffragetteとは、婦人参政権論者のことです。特に、20世紀初頭の英国での、過激な運動家を指します。以下、映画『未来を花束にして』のネタバレを含む感想です。

 
 19世紀末、ニュージーランド、オーストラリアなど、女性に参政権を認める国が出てきたにもかかわらず、イギリスでは女性の親権、参政権を認める法律は成立しませんでした。イギリスでは19世紀中頃から50年にわたって、静かで平和的な女性参政権運動が続けられてきましたが、男性社会は、「女性は、気まぐれで深く考えることができない存在で、父親や夫の庇護のもとのみ生きられる」と見なされていたのです。

 女性参政権を主張する団体のいくつかは、少しも進展しない「静かな運動」に飽き足らず、ハンガーストライキや女性参政権に否定的な男性が経営する店舗への器物損壊行動(店のショウウインドウガラスへの投石など)へと、過激な運動へ走る者たちが出てきました。
 映画「未来を花束にしてサフラジェット」は、そのころの実話をもとにした物語です。

 主人公モード・ワッツ(演:キャリー・マリガン)は、サフラジェットの活動した女性達のひとりとして造形されていますが、実在の多くの女性達の中に、モードのような女性がきっといたことでしょう。
 モードと行動をともにしたエミリー(Emily Wilding Davison1872–1913演:ナタリー・プレス)らは、実在の運動家です。サフラジェットのリーダー、エメリン・パンクハーストも実在の女性。(1858-1928 演:メリル・ストリープ)。エメリンは、「実働部隊」ではなく、陰で指導する方なので、映画の中で登場するシーンは少ないですが、メリルストリープの存在感、この人なら過激な運動もひっぱっていけるだろうと思わせました。

 エメリンの理論に励まされた過激派女性たちは、郵便ポスト襲撃(通信を国家が支配する事への抗議)や、建築中の政府要人別宅爆弾テロを実施します。
 「人を傷つけないこと」をモットーにしていたとはいえ、やはり過激な行動だったことには変わりはありません。
 エメリンたちの行動は、今後どのように評価されていくのかは、私にはわかりませんが、もし、現在の日本でエメリンたちが行った行動をとろうとしたら、たちまち共謀罪でしょっぴかれ、団体はつぶされることは確か。

 実在のエミリーは、イギリス女性史の有名人です。女性参政権の主張のために、ダービーにおいて国王ジョージ5世の持ち馬の前に身を投げ出すという過激な行動によって「女性参政権運動の殉教者」となったのです。

 エメリンが、爆弾テロに走るほどの過激な行動も辞さなかったこと、エミリーの自己犠牲による主張、これらが他の女性参政権運動と比較して、実際の女性参政権法案成立にどれほどの影響を与えたのかは、確実な研究があるのかどうか、私にはわかりません。

 しかし、歴史の記録では、数千人のサフラジェットがエミリーの棺に付き添って行進をし、それを数万人のロンドン市民が見守ったという事実は厳然として残っています。
 ダービーにおけるエミリーの事件以後、男性が女性参政権運動に加わるようになったのも、確かなことです。

 映画のストーリーは、劣悪な労働条件で7歳から働き続けた貧しくモードが、偶然にも女性政治社会連合 (WSPU=Women's Social and Political Union )に参加するようになった過程を描いています。活動によって、モードが人間として成長する物語でもあります。

 モードは、政治運動に関わったことで、近所の人々からは白い目で見られることになり、夫からは離婚され、最愛の息子は親権を持つ夫が勝手に養子に出してしまう。それでもモードは信念を貫くことになります。

 エミリーが、自らの命を投げ出すことによって女性参政権運動を認めさせようとしたという行動の是非は、今後も論じられていくでしょうが、人間が人間らしく生きようとした時、その人々が生み出した「人間としての尊厳」を、私たちは、必ず、花束として渡されているのだ、と映画は主張していると思いました。

 サフラジェットたちは、運動参加の意思を、帽子に花を飾ることで表現してます。また、映画のクライマックス、エミリーの葬列には、手に手に白いユリを掲げて行進します。

実際のエミリーの葬儀行進1913年6月に撮影された映像。


 サフラジェット活動家のまとめ役、薬剤師イーディスを演じたヘレナ・ボナム=カーターは、当時のイギリス首相で婦人参政権運動を弾圧していたハーバート・ヘンリー・アスキス伯爵のひ孫にあたるそうです。ヘレナにとっては、曾祖父が弾圧した女性達への贖罪にもなった演技だったでしょうか。

 映画は最後に、各国の女性参政権がいつ成立したかを年表にしていました。
 残念ながら、この年表に日本は載っていませんでした。

 日本でも、戦前から女性達は戦い続けてきたのです。しかし、実際に女性に参政権が与えられたのは、戦後、マッカーサー率いるGHQの意向を汲んだ幣原内閣によってでした。

 GHQ女性対策を担当した民間情報局婦人課長エセル・ウィード中尉(1906-1975)は、同じ女性として、たびたび戦前からの女性活動家市川房枝らと面談を重ね、女性参政権についての報告をまとめました。女性達が戦前から根強く「女性にも人間としての権利を」と活動してきたことを理解したのです。
 一部の男性がいうように、けっして「棚ぼた」の参政権ではなく、長く続けられてきた女性参政権運動の結果による参政権付与なのです。

 私たちは現在、既存の権利として投票権、参政権を行使しています。でも、それは天から落ちてきたように、偶然与えられた者ではありません。
 長年この権利が女性にも与えられるよう活動した人々からの「未来への花束」として受け取り、次世代にも手渡していくこと、それが、「女性が、人間として女性として輝きつつ自分らしく生きていく権利」を得た私たちの義務と思います。

 サラ・ガヴロン(Sarah Gavron 1970~)監督が目指した、自らの人生を自分の手で切り開く女性像の描出、よかったです。洗濯工場の劣悪な労働環境や、ダービー競馬場の上層階級との対比、女性達の過激な活動、活動家の妻を支えようとする夫と、妻を捨てる夫。きちんと描いていると思います。47歳のサラ、次回作、楽しみにしています。

<つづく>
コメント (2)
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