こんばんは、白黒茶々です。
私・箔・波による越前訪問記は、今回が最後となります。じんぱちママさんたちとのご対面&お城散策のあとは、私たちは単独行動に戻り、翌日の予定に備えて、福井市にある一乗谷あさくら水の駅という道の駅で車中泊をしました。 その翌朝は、カフェでちょっとお洒落なモーニングといきたかったのですけど………
そのようなお店はその周辺には全くないので、近くのコンビニで朝一番に調達してきたサンドイッチに味付きゆで玉子、それと淹れたてコーヒーの3点セットをいただきます そのあと、ワンコたちの身支度も整えたら………
その日最初の目的地となる、一乗滝に向かいました。 こちらの滝は、越前一乗谷からさらに奥まったところにあります。約17mの高さから流れ落ちる滝からは、マイナスイオンが出まくっているようですね。
またこのあたりは、剣豪・宮本武蔵のライバルとして有名な、巌流・佐々木小次郎の出身地でもあります。 彼はこの一乗滝で、必殺技の「燕返し」を編み出したと云われています。
そんな彼の像と、箔と波も一緒に写りなさい。 そういえば、大河ドラマの「武蔵 MUSASHI」では、松岡昌宏さんが小次郎の役をやっていましたね。 しかし、こちらの像の顔はどちらかというと………
TOKIOのメンバーでも、城島茂君のほうに似ているような気がします。
その次には、いよいよ一乗谷の朝倉氏遺跡に向かいますよ 戦国大名として有名な朝倉氏は、文明3年(1471年)に初代孝景がこちらに居城を移し、五代義景の時代に至るまで、その統治は103年間続きました。こちらの朝倉義景館跡には、その周辺を囲む土塁やお堀がよく残っています。
それから、入口にそびえ立っている唐門は、義景の菩提を弔うためにその館跡に建てられた松雲院の山門だったもので、江戸時代中期に建てられたとされています。 そのあたりのお堀には、お腹を空かせた大量の鯉が口を開けて待っているので、もしよろしかったら有料エサをお与えくださいませ。
一乗谷は朝倉氏の館を中心として武家屋敷や寺院、商人や職人たちの町屋、それらを結ぶ道路などが整備され、最盛期には1万人もの人口を抱える一大都市として賑わっていました。 しかし、朝倉義景の代に織田信長と戦いを続け、天正元年(1573年)の刀根坂の戦いで大敗し、一気にその勢力は衰退。最後は一族の朝倉景鏡(かげあきら)の裏切りに遭い、大野で自害してしまいました。
一乗谷はその後、攻め入ってきた織田軍に火を放たれ、栄華を極めたその都市は灰塵に帰してしまいました。 その後はその一帯の住民は遠くに移り住んだこともあって、一乗谷の朝倉氏の遺跡群はほぼ手付かずの状態で地中に眠り、近年になって良好な状態で発掘・発見されました。
こちらの朝倉義景館の建物跡も発掘後に整備され、その規模を実感することができます。ちなみにこちらは、特別史跡であります。
義景館跡を見下ろす高台には、湯殿跡庭園があります。 古くから伝わる石組には、力強さがありますね。そこからさらに尾根伝いに中の御殿跡をまたぎ、南に行ったところには………
こちらの諏訪館跡庭園があります。 老木や巨石を中心にして、いい感じで石組が配置されておりますね。 それらを水面に写している池の中をのぞいてみたら………
なんと、イモリがいましたよ その生物は両生類でカエルの仲間なのですけど、きれいな水の中でしか生息できないのですよ。オオサンショウウオやウーパールーパーと同じ部類といったほうがわかりやすいかも知れませんね。私が小さい頃、叔母の田舎の川がまだ護岸される前にそこで見て以来なので、かなり久しぶりで懐かしいです。 しかし、どうしてもスルーすることができなくて………
つい失礼して、手に取ってしまいました。ほぉら波ちゃ、イモリさんですよ 表面は黒いのですけど、ひっくり返すとお腹が赤いまだら模様で……… 私は両生類の中では、このイモリが一番好きです。
感慨に浸ったあとはもちろんお礼を言って、もといたところに返しましたよ。井森さん……… じゃなくて、イモリさん、どうかお元気で ちなみに湯殿跡庭園や諏訪館跡庭園、それと今回行きそびれた南陽寺跡庭園は、国の特別名勝に指定されています。
それらを見終わったら、今度は復原町並に入りますよ こちらもワンコと一緒に入ることができるという、嬉しい施設でもあります。
そういえばソフトバンクのお父さん(名前は白戸次郎)の故郷は福井市の一乗谷ということもあって、そのCMのロケがこちらでもおこなわれたみたいですね。
近年の発掘調査によって計画的に町割りされた町並の跡が確認されました。それに基づいて、武家屋敷や職人等の町屋からなる町並を復原したのが、こちらであります。
主に塀や門によってその景観がつくられているのですけど、その内側に入ってみると………
ほとんどのところは、かつて建物があったところを平面表示してあります。
そのような中でも、かつての住まいや生活の様子を忠実に再現しているところもあるのですよ。 箔と波がお邪魔しているこちらのお店は、陶器屋でしょうか?
中御殿跡からもよく見えていた、武家屋敷の中では………
お侍さんたちが、将棋に興じていました。
さらに、昔の衣装を着付けできるところもありましたよ 以前から私は、烏帽子や裃(かみしも)を身に付けてみたかったのですよ えっ、男用のものは鎧しかないのですか……… ま、まあいいでしょう せっかくなので、その重装備で町並を歩くことにします。
あ、この人は私ではないですよ。 さすがに、箔と波のリードを持ったまま着付けをするワケにはいかないので、犬を飼っていてその扱いに馴れているというこちらのスタッフの方に、彼らのリードを預けさせてもらました。 それにしても、その姿は鵜匠ならぬ犬匠みたいですね。
そうしているうちに、私の装備は整いました。
「はくぅ、なみぃ~、お待た………」 ガコッ!
カッコよく出ようとしたところで、私の頭に衝撃が走りました。 どうやら、冑の高さを考慮していなくて、そいつを出入り口の鴨居に強打してしまったみたいです。それだけではなく脇に指した刀も、その出入り口に引っかかってしまいましたし。それでも、なんとかして外に出れたので………
箔と波を従えて、昔の町並を闊歩しました。
「白黒茶々さ~ん、こっち向いてくださいな 」
「御意 じゃなくて、はいな 」
まだ早い時刻ということもあって、私以外にワンコ連れは見かけなかったのですけど、道行く人たちに「その犬って、本物のソフトバンクのお父さん?」と聞かれたりしました。
越前一乗谷は、戦国大名朝倉氏の城下町がタイムカプセルのように出土したこともあって、昔の面影を偲ぶことができます。また、その一体が市街地化されなかったおかげで、より戦国ロマンを感じます。 あとは、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館を見学して、今回の一乗谷訪問を締めることにしましょう。 こちらには、同地区から発見され、重要文化財にも指定されている装飾金具の金獅子(目貫)、朝倉将棋の酔象の駒などの遺物の他にも、復原模型や古文書など、朝倉氏関連の資料が展示されています。さらに、それらの濃度がより深められた特別展が11月8日までおこなわれているので、行くとしたらまさに今ですよ
一乗谷をあとにした私たちは、来た道を引き返したのですけど、通り道ということもあって、またしても越前大野に寄っていきました。 そこでは美味しい名水の御清水(おしょうず)のおかわりを汲んだり、越前おおの結ステーションの前にある………
こちらの藩主隠居所に立ち寄ったりしました。 この建物は、幕末の大野藩主で前の日記の銅像の人でもある土井利忠公が、文久2年(1862年)に家督 を三男利恒に譲り、隠居の住まいとして建てました。明治元年(1868年)12月に死去するまでの間、彼はそこで生活しました。その隠居所を平成24年(2012年)に結ステーション内に 移築・復元したのが、こちらの施設にございます。 休憩所としてご利用することができるので、ごゆるりとお休み……… といきたいところなのですけど、箔と波を外に待たせているので、おおよそ見学できたら撤収致します。
さらにそのあたりを散策していたら、前日にも逢った(遭った?)白猫さんがいました。波は最初は堪えていたのですけど………
猫をかぶる必要がないと認識したからでしょうか?情け容赦なく吠えまくっていました。 これこれ、一歩ちゃんのためにもこの地方でこれ以上白ふわ犬のイメージダウンになるようなことをしてはいけませんよ。
あとは、じんぱちママさんのお店に再び立ち寄って、職場のぶんのお土産を買っていくだけです。やはりその日もたくさんの客で賑わっていて、今が旬のいもきんつばが飛ぶように売れていました。そうしたら、私にもおひとつお願いします。
帰りの道は、美濃サービスエリアに続く下の道が混んでいた以外は順調で、21時過ぎには無事に自宅に戻ることができました。あとは、家族でいもきんつばパーティーを楽しむだけだったのですけど………
箱だけで申し訳ございません。あまりの美味しさに、つい写真に残しておくのを忘れて、みんなして中身を全部食べてしまいました。外の皮がパリッとしているのですけど、中身はしっとりとしていて素朴な味わいで、甘いのにくどくなく、後味さっぱりで……… とにかく、また食べたいです
今回の旅は、ワンコの出逢いや触れ合いに加えて、初めて訪れた遺跡も期待以上で、さらに銭湯やお土産、天然イモリなどでも楽しむことができて、とても充実したものとなりました。 越前大野とその近辺は、いいところですね。また機会があったら、訪れたいです。
すっかりいもきんつばに心を奪われてしまった方は、こちらに投票してやってください。
私・箔・波による越前訪問記は、今回が最後となります。じんぱちママさんたちとのご対面&お城散策のあとは、私たちは単独行動に戻り、翌日の予定に備えて、福井市にある一乗谷あさくら水の駅という道の駅で車中泊をしました。 その翌朝は、カフェでちょっとお洒落なモーニングといきたかったのですけど………
そのようなお店はその周辺には全くないので、近くのコンビニで朝一番に調達してきたサンドイッチに味付きゆで玉子、それと淹れたてコーヒーの3点セットをいただきます そのあと、ワンコたちの身支度も整えたら………
その日最初の目的地となる、一乗滝に向かいました。 こちらの滝は、越前一乗谷からさらに奥まったところにあります。約17mの高さから流れ落ちる滝からは、マイナスイオンが出まくっているようですね。
またこのあたりは、剣豪・宮本武蔵のライバルとして有名な、巌流・佐々木小次郎の出身地でもあります。 彼はこの一乗滝で、必殺技の「燕返し」を編み出したと云われています。
そんな彼の像と、箔と波も一緒に写りなさい。 そういえば、大河ドラマの「武蔵 MUSASHI」では、松岡昌宏さんが小次郎の役をやっていましたね。 しかし、こちらの像の顔はどちらかというと………
TOKIOのメンバーでも、城島茂君のほうに似ているような気がします。
その次には、いよいよ一乗谷の朝倉氏遺跡に向かいますよ 戦国大名として有名な朝倉氏は、文明3年(1471年)に初代孝景がこちらに居城を移し、五代義景の時代に至るまで、その統治は103年間続きました。こちらの朝倉義景館跡には、その周辺を囲む土塁やお堀がよく残っています。
それから、入口にそびえ立っている唐門は、義景の菩提を弔うためにその館跡に建てられた松雲院の山門だったもので、江戸時代中期に建てられたとされています。 そのあたりのお堀には、お腹を空かせた大量の鯉が口を開けて待っているので、もしよろしかったら有料エサをお与えくださいませ。
一乗谷は朝倉氏の館を中心として武家屋敷や寺院、商人や職人たちの町屋、それらを結ぶ道路などが整備され、最盛期には1万人もの人口を抱える一大都市として賑わっていました。 しかし、朝倉義景の代に織田信長と戦いを続け、天正元年(1573年)の刀根坂の戦いで大敗し、一気にその勢力は衰退。最後は一族の朝倉景鏡(かげあきら)の裏切りに遭い、大野で自害してしまいました。
一乗谷はその後、攻め入ってきた織田軍に火を放たれ、栄華を極めたその都市は灰塵に帰してしまいました。 その後はその一帯の住民は遠くに移り住んだこともあって、一乗谷の朝倉氏の遺跡群はほぼ手付かずの状態で地中に眠り、近年になって良好な状態で発掘・発見されました。
こちらの朝倉義景館の建物跡も発掘後に整備され、その規模を実感することができます。ちなみにこちらは、特別史跡であります。
義景館跡を見下ろす高台には、湯殿跡庭園があります。 古くから伝わる石組には、力強さがありますね。そこからさらに尾根伝いに中の御殿跡をまたぎ、南に行ったところには………
こちらの諏訪館跡庭園があります。 老木や巨石を中心にして、いい感じで石組が配置されておりますね。 それらを水面に写している池の中をのぞいてみたら………
なんと、イモリがいましたよ その生物は両生類でカエルの仲間なのですけど、きれいな水の中でしか生息できないのですよ。オオサンショウウオやウーパールーパーと同じ部類といったほうがわかりやすいかも知れませんね。私が小さい頃、叔母の田舎の川がまだ護岸される前にそこで見て以来なので、かなり久しぶりで懐かしいです。 しかし、どうしてもスルーすることができなくて………
つい失礼して、手に取ってしまいました。ほぉら波ちゃ、イモリさんですよ 表面は黒いのですけど、ひっくり返すとお腹が赤いまだら模様で……… 私は両生類の中では、このイモリが一番好きです。
感慨に浸ったあとはもちろんお礼を言って、もといたところに返しましたよ。井森さん……… じゃなくて、イモリさん、どうかお元気で ちなみに湯殿跡庭園や諏訪館跡庭園、それと今回行きそびれた南陽寺跡庭園は、国の特別名勝に指定されています。
それらを見終わったら、今度は復原町並に入りますよ こちらもワンコと一緒に入ることができるという、嬉しい施設でもあります。
そういえばソフトバンクのお父さん(名前は白戸次郎)の故郷は福井市の一乗谷ということもあって、そのCMのロケがこちらでもおこなわれたみたいですね。
近年の発掘調査によって計画的に町割りされた町並の跡が確認されました。それに基づいて、武家屋敷や職人等の町屋からなる町並を復原したのが、こちらであります。
主に塀や門によってその景観がつくられているのですけど、その内側に入ってみると………
ほとんどのところは、かつて建物があったところを平面表示してあります。
そのような中でも、かつての住まいや生活の様子を忠実に再現しているところもあるのですよ。 箔と波がお邪魔しているこちらのお店は、陶器屋でしょうか?
中御殿跡からもよく見えていた、武家屋敷の中では………
お侍さんたちが、将棋に興じていました。
さらに、昔の衣装を着付けできるところもありましたよ 以前から私は、烏帽子や裃(かみしも)を身に付けてみたかったのですよ えっ、男用のものは鎧しかないのですか……… ま、まあいいでしょう せっかくなので、その重装備で町並を歩くことにします。
あ、この人は私ではないですよ。 さすがに、箔と波のリードを持ったまま着付けをするワケにはいかないので、犬を飼っていてその扱いに馴れているというこちらのスタッフの方に、彼らのリードを預けさせてもらました。 それにしても、その姿は鵜匠ならぬ犬匠みたいですね。
そうしているうちに、私の装備は整いました。
「はくぅ、なみぃ~、お待た………」 ガコッ!
カッコよく出ようとしたところで、私の頭に衝撃が走りました。 どうやら、冑の高さを考慮していなくて、そいつを出入り口の鴨居に強打してしまったみたいです。それだけではなく脇に指した刀も、その出入り口に引っかかってしまいましたし。それでも、なんとかして外に出れたので………
箔と波を従えて、昔の町並を闊歩しました。
「白黒茶々さ~ん、こっち向いてくださいな 」
「御意 じゃなくて、はいな 」
まだ早い時刻ということもあって、私以外にワンコ連れは見かけなかったのですけど、道行く人たちに「その犬って、本物のソフトバンクのお父さん?」と聞かれたりしました。
越前一乗谷は、戦国大名朝倉氏の城下町がタイムカプセルのように出土したこともあって、昔の面影を偲ぶことができます。また、その一体が市街地化されなかったおかげで、より戦国ロマンを感じます。 あとは、福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館を見学して、今回の一乗谷訪問を締めることにしましょう。 こちらには、同地区から発見され、重要文化財にも指定されている装飾金具の金獅子(目貫)、朝倉将棋の酔象の駒などの遺物の他にも、復原模型や古文書など、朝倉氏関連の資料が展示されています。さらに、それらの濃度がより深められた特別展が11月8日までおこなわれているので、行くとしたらまさに今ですよ
一乗谷をあとにした私たちは、来た道を引き返したのですけど、通り道ということもあって、またしても越前大野に寄っていきました。 そこでは美味しい名水の御清水(おしょうず)のおかわりを汲んだり、越前おおの結ステーションの前にある………
こちらの藩主隠居所に立ち寄ったりしました。 この建物は、幕末の大野藩主で前の日記の銅像の人でもある土井利忠公が、文久2年(1862年)に家督 を三男利恒に譲り、隠居の住まいとして建てました。明治元年(1868年)12月に死去するまでの間、彼はそこで生活しました。その隠居所を平成24年(2012年)に結ステーション内に 移築・復元したのが、こちらの施設にございます。 休憩所としてご利用することができるので、ごゆるりとお休み……… といきたいところなのですけど、箔と波を外に待たせているので、おおよそ見学できたら撤収致します。
さらにそのあたりを散策していたら、前日にも逢った(遭った?)白猫さんがいました。波は最初は堪えていたのですけど………
猫をかぶる必要がないと認識したからでしょうか?情け容赦なく吠えまくっていました。 これこれ、一歩ちゃんのためにもこの地方でこれ以上白ふわ犬のイメージダウンになるようなことをしてはいけませんよ。
あとは、じんぱちママさんのお店に再び立ち寄って、職場のぶんのお土産を買っていくだけです。やはりその日もたくさんの客で賑わっていて、今が旬のいもきんつばが飛ぶように売れていました。そうしたら、私にもおひとつお願いします。
帰りの道は、美濃サービスエリアに続く下の道が混んでいた以外は順調で、21時過ぎには無事に自宅に戻ることができました。あとは、家族でいもきんつばパーティーを楽しむだけだったのですけど………
箱だけで申し訳ございません。あまりの美味しさに、つい写真に残しておくのを忘れて、みんなして中身を全部食べてしまいました。外の皮がパリッとしているのですけど、中身はしっとりとしていて素朴な味わいで、甘いのにくどくなく、後味さっぱりで……… とにかく、また食べたいです
今回の旅は、ワンコの出逢いや触れ合いに加えて、初めて訪れた遺跡も期待以上で、さらに銭湯やお土産、天然イモリなどでも楽しむことができて、とても充実したものとなりました。 越前大野とその近辺は、いいところですね。また機会があったら、訪れたいです。
すっかりいもきんつばに心を奪われてしまった方は、こちらに投票してやってください。
しかもぎっしりと詰まった”すごい旅”だったんですね~~!!
地元っち以上のロコぶりですよ!!
『キューピー湯』(←私は行った事がない)に、『8番ラーメン』?(←地元民に人気あります)
いや~、白黒茶々さんの情報収集力には頭が下がります。
朝倉氏遺跡に行かれたんですね!
前回、伺った時にはまだ行った事がないっておっしゃってたので、泊まりと聞いて(もしかしたら・・)と推測してました~。
しかも、コスプレ(?)!! やるな~~(笑)
地味なハチ地方を満喫していただけたでしょうか?
また、ぜひにもお越しくださいね~~
P・S 佐々木小次郎像は”みのもんた”説を信じてるハチ母でござる
「キューピー湯」は、名前からのイメージとは違っていて、味のあるレトロな銭湯でしたよ。 それから、8番らーめんのほうは、地元民と思われる方たちでお店の席が埋まっていました。
前回福井を訪れたときは時間がなかったのですけど、今回は前夜からスタンバイしていたこともあって、ゆっくりと気が済むまで朝倉氏遺跡を堪能することができました。 鎧は他のところでもやったことがあるので、お断りしようと思いつつも、つい………
あと、大野市の歴史博物館や武家屋敷には行ってないので、いつかまた訪れたいと思っています。
佐々木小次郎像、言われてみると確かにみのもんたさんにも似ていますね。