豊前善三のつれづれ日記 2011年12月31日 ブログをはじめました

日頃、感ずることについて考える。人間らしさを さまざまな人間模様。

豊前善三つれづれ日記

2018年02月01日 12時00分29秒 | 日記



 ( Vol 2165 ) 権力者は  善悪の基準を 大義名分の下で判断している


個人を尊重する という 人間の生存ということに 焦点を合わせると 曲げられ 軽視されてきた

殺人は どこの国の法律も 悪と決めている

それなのに 戦争という 大義名分では 性善としてあつかう

どこかがおかしい


人間の歴史は 権力者によって つくられてきた といっても過言ではない


大義名分の下 善が 歪められてきた といえる


今も 世界中で 権力者によって 善悪について 矛盾した判断がなされている

大義名分の下 正しいことを 無視してよいのか

大義名分の下 悪を 善と置き換えていいのか

非常に 人間社会は 矛盾している

ご都合主義の社会になっている


権力者の 行動 弁明 答弁 は 矛盾に満ちている


その矛盾を 正すことができない そこが権力


この構図を 止めることによって 自由平等が保証されることによって 差別のない 世界が作られることになるのではないか


戦争においては 勝者にも 敗者にも 裁かれる 問題がある


裁かれるのは 敗者だけではない


差別批判していながら 自分は差別をしている その矛盾に気がつくべきではないだろうか


迫害された民族が 力を持つと 迫害していた民族に対して 同じように迫害

世界の紛争は この繰り返しである

やられて 嫌だと感じることは 自分もやらないこと 

その精神が 必要なのではないか







  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊前善三つれづれ日記

2018年02月01日 10時52分33秒 | 日記
  ( Vol 2164 ) 日本社会は 言いたいことを言えない 表現の自由が脅かされているのではないか

いま 日本では 力のあるものに対して Noと言えば 干される 状態が生じている

これは 表現の自由を尊重していない

言いたいことを言える 社会こそ 民主主義ではないか


日本では 民主主義の根本が 軽視されている


芸能人が 政治的活動をするとき 権力者にとって 不満になる言動をすれば 干される

報道機関においても 同じようなことが起きている

普段の生活においても 同調しなければ 批難 

その批難を 恐れて はじめから 自分の意見を殺している

おかしな 状況である


日本人は 自らに意見を言わず 力のあるものに同意することが 自分を守る 手段と考えるようになっている

このような 状態は正常な状態ではない


自分の意見を言える 社会にする必要があるのではないか


また 日本人も変わらなければならない

自分の意見に対して 責任を持つ という意識をもることではないか。

一人一人が 自分の意見を言える 社会 を構築する必要がある


人はそれぞれ 自分なりの 考えをもっている

その考えを 発表することが 日本社会をよい方向へ 導くことができるのではないか 



  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする