まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

聞こえないのか、聴いていないのか  再

2019-09-13 05:49:02 | Weblog

拙稿は行きつ戻りつで恐縮ですが、この手の内容はどうも共通した関連性があるようだ。

役人は、「法律に書かれていないと」冷酷にも感じる面前拒否をする。後出しの「特例」もあるが、法が成立すればタレ流すかのように支出する。すると、「あなたも貰える」「おれも貰えるのかな」と、密かな騒ぎがはじまる。要はカネのことだ。そして、"みんなで渡れば怖くない" が始まる。

 

        
         

      我れ先に・・・・

 

北海道で内部障害の問題がクローズアップされている。
内部とは、心臓ペースメーカー、透析、聴覚など、外見では認められない身体に障りがある状態である。

障害認定によって年金免除、税金減免などによって特定援助が得られることを悪用した詐欺的行為が行なわれている。

某市では異様に聴覚障害者が多かった。もちろん医師の認定と書類さえ整っていれば認定する官吏がおこなう既成事実ではあるが、そこにブローカーと心無い邪で悪戯好きが市民の税を喰う姿である。

どうもオカシイということでマスコミが取り上げてからの顛末だが、それまでは市民の苦情、何よりも窓口然り他の市町村を比較しても異様な多い聴覚障害者の調査もせず、税金を垂れ流し、自浄能力のない不作為官吏が世論を盾に動き出して始めて発覚したことである。

余談だが、聴覚でこんなこともあった。千葉大原の小学校で先生が怒ったら聴覚障害との診断書が出て裁判になり、教師が敗訴した。もちろん教育委員会、校長、教師は慰謝料と診察費用を出しているが、その裁判に膨張していた多くの母親の中でこんなひそひそ話が伝わった。「うちも貰える」
ちなみにこの学校では怒ったら登校拒否、これも裁判だという。

なかには示談金を持って訪問した先生の話だが、母親は父親に内緒で示談金をせしめようとした。玄関で受け取ろうとしたところ、ことの事情を知った夫はいきなり「バカヤロウ! ヤクザみたいな真似をして・・」と妻を殴ったという。
モンスターペアレントといわれる母親も公園デビューからPTA、町内自治会、御上御用の社会活動と転化していくが、その種は言うまでもなく「吾が子」である。
出世に差しさわりがあると、隠蔽して金(これも税金)で示談とする金額も馬鹿にはならない。

どうも都(みやこ)から離れると威が届かないのか、全国津々浦々に棲み寄生する人々と食い扶持官吏の醜態はこのところ甚だしい。
たとえば、生活保護所帯の増大、それを斡旋し強引に認定に導く議員、とくにアノ政党は有名であるが、障害者政策をを食い物にする非国民の増殖は止め処もない状態である。

その聴覚障害だが、役人が調査したところ、約八百人強いた認定患者のうち、マスコミが騒ぎ詐欺に問われると恐れおののいたもの、約七百数十名、驚くなかれ本当の聴覚障害者は一割にも満たなかった。

車を運転するもの、音楽を聴いているかのような者、市民の通報は数多あったが、調査してみたらこの結果である。

しかも、お節介なブローカーが暗躍して、一度に数人を連れて医師の診断を貰っている。果してこの連中にどれだけの税金が支払われたのだろうか。


           

                オトナも倣うべきこと。   (私立城北高校)



景気も悪くなり、国も悪くなるはず、誰でもその原因は日本人そのものにあると理解するはずだ。その種の不良国民がウヨウヨしている社会は、国家といえるだろうか・・・

ちなみに数年前の試算だが、子供二人の家族で大黒柱が亡くなると、平均500万の扶助費が必要とのこと。税金、保険、授業料の免除、まだ色々ある。

身近にある一片の例だが、50歳の放蕩旦那で無類の選挙好き(政治は解らない)。小学生の児童が二人、妻はアルバイト、本人は定職なし、それでいて小まめに女性交友。この男が生活に窮してある野党議員に懇願したところ、間もなくして認定が下り現在は悠々自適の生活で女性通いが頻繁になった。似たように偽装離婚をして、まんまとせしめている人たちもいる。この男はお礼に選挙カーの運転手で汗をながし、ビラは隠れて大量廃棄するようなこともする。


その城北のある区では200億以上の扶助費が支出され、それは止め処もなく膨らんでいる。果たして議員と共謀した税金の詐欺行為はどれくらいあるのだろうか。
時折、ホドを超えてタクシー代に数十万を支給して摘発されるが、早朝パチンコに並んで、数十万スッタと飲み屋で騒いでいる主婦の姿は日本人の社会現象として全我国のみならず海外でも評判をとっている。「日本は元気」?だと。

 

        

             貧しくても・・・.  当時はみな子守ッ子に行った

 

上下、交々利を獲れば国危うし」とは栄枯盛衰にみる人間の倣いのようだが、このことは幾ら政治家が大声を上げても、教師が理屈で教えても、直るものではない。かと言って筆者の如くキーボードを叩いたところで解くべき淵にも届かない。

秦の宰相、商映は「殺を以って殺を制す」と命じている
人殺しを殺せば、人殺しは無くなる、矛盾しているようだが、それは大いなる忠恕のようであり、不特定の良心を活かす人間歴史への洞察である。共産党の朱ヨウ基前常務委員も目に余る官吏の汚職腐敗に「殺せ・!」と叫んでいる。要は緊張感による道徳喚起だ.

人より早く知って、人より多く財を蓄えて・・・
ただそれだけに生きる時代は、己さえ殺してしまうのだろうか。
田園まさに荒れなんとす・・・」から始まる陶淵明は,糜爛した中央に見切りをつけて地方に辞した。屈原はベキ羅の淵に身を投げた。

それを眺める人々は悠々として、それを思い時の過ぎ去る人生を愉しんでいる。
そろそろ、そんな諦観を歴史に尋ねることも必要ではなかろうか。

それさえも、聴いているのか、聞こえないのか、陽明門の猿殿もきっと困った世の中と観ているはずだ。

相身互い、口びる寒し、いろいろあるが、その機会が、舞い降りたら私もそうする。だから批判iも起きない、まさに他人任せ、いいんじゃない、の時世のようだ。

コメント
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