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東日本大震災五周年追悼式(TV報道より)

2016年03月15日 23時37分55秒 | 日々の出来事

                   東日本大震災五周年追悼式 2時46分鎮魂

                  日  時  平成28年3月11日
                  会  場  国立劇場(東京都千代田区)


                   式 典 会 場                          黙祷を捧げられる天皇・皇后両陛下

東日本大震災から平成28年3月11日で5年を迎えました。
国立劇場で行われました追悼式では、震災が発生した時刻の2時46分に天皇・皇后陛下が黙祷を捧げられました。
また、被災者が普通の生活を取り戻すために「国民が心を一つにして寄り添っていくことが大切」とお言葉を述べられました。
尚、震災による死者・行方不明者は、震災関連死を含めて2万1000人を超える。と報道されました。合掌


町民に避難を呼びかけた女子職員 遠藤 未希さん のご冥福をお祈り申し上げます 合掌




         遠藤 未希さんが町民に呼びかけた拡声器                    職務を全うされた遠藤 未希さん 合掌

 

5年前の平成23年3月11日の私の出来事
慰霊友好親善事業20周年記念「洋上慰霊」に参加し、ふじ丸船上にて
サマール島北方洋上慰霊祭が行われておりました。
平成23年3月11日(金)「東日本大震災発生」 については 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が終了後に、緊急放送により知る事となりました。
夕刻頃より船が大分揺れはじめ、廊下を歩くことがとても困難だったことが思い出されます。
船内では、TV    全て不可。
被災地の皆様には連絡方法などに特別の配慮があったようですが、私たちはラジオから聞こえるアナウンサーの声に耳を傾け、事の重大さに誰もが
被災地とされる皆様にただただご家族皆様のご無事をお祈り申し上げておりました。


 
                           船内のボードに次々にはられた記事の一部より

翌12日の追悼式の折りに参列者一同は黙祷を捧げました。
その折りの私の歌です。

        戦死者と新たな死者への鎮魂に黙祷を捧ぐ汽笛とともに

帰国後に詠みました歌です。

        帰国後の久々のテレビに絶句する被災地に雪非情に降れる

        洋上慰霊に同乗したる東北の遺児ら被災にいづこにをるや

        一〇〇余名の震災遺児らの未来いかん戦争遺児のわれ身につまさるる

        苦しくも震災遺児らよこの後は挫折おそれず逞しくあれ

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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
あれから5年 (徳さん)
2016-03-16 08:04:37
「洋上慰霊」無事にご帰還されご苦労様でした。あの時は船の上だったのですね。まだまだ復興には程遠いですがあの思いを風化させることなく進んでいきましょう。
徳さんさま (oko)
2016-03-16 15:12:19
お言葉を有り難うございます。
「あの日から5年」大震災後の復興もまだまだ大変に、仮設住宅は寒いのではと現在の幸せに申し訳なくも思っております。

個人的には、5年前の涙の慰霊の旅を思い出しました。
3.11日本時間2時46分は父への追悼文を奉読中(後に知る)でしたので父への慰霊の日と重なり忘れられない追悼の日となりました。
悲しみ新たに (tanaka kyoko)
2016-03-16 21:04:10
五年前と時同じくしての洋上慰霊の旅でしたね。
天災ゆえ気持ちをぶっつけるところがないと申しますか震災被害者の方々には言葉もございません。数々のお歌は亡くなられた方への鎮魂そして遺された方への励みとなることと存じます。
戦争という憎しむ対象があるだけでもまだいいのかもしれませんね私たちは。
きょう遺族通信拝読-ー叔母様97年の人生ご立派でした。お兄様でいらっしゃるoko様のお父様のこと97年間お気にかけてくださって。合掌
父に届きました (tanaka kyoko)
2016-03-16 21:33:51
お礼申し遅れておりました。パラオ沖通過のおりには私の父のためにご持参の貴重なお米など手向けていただきましてありがとうございました。面と向かってお伝えできない悔しさに見上げますと軍服姿の父の写真と目が合いました。「わかったありがとう」の眼差しでした。
tanaka kyokoさま (oko)
2016-03-17 20:48:58
お言葉を有り難うございます。
遺族通信の到着を心待ちにしておりました。
お互いに九段短歌に掲載嬉しゅうございましたね。

船に集合しましたらすぐに、遺族会の土棚さんに「憶えて居ますよ」と声をかけて頂き、田中さんと交流頂いておりますと御礼を申し上げました。
・・・大震災・・・ (hana)
2016-03-17 21:36:16
oko様
大震災からもう5年、報道を見聞きするたびに胸が
痛みますね~一日も早い再建を祈ります。
何時かまた来る災害のために備えをしなければと
焦りを感じます。
「洋上慰霊」無事お帰りなさい、お疲れ様でした。
Unknown (matsubara)
2016-03-18 08:10:27
震災は5年前洋上で迎えられましたね。

震災のお歌はむつかしいのにたくさん
詠まれてさすがです。

今回の慰霊の旅も5年前のことか蘇り
思いを新たにされたことと存じます。

hanaさま (oko)
2016-03-18 12:08:00
お言葉を有り難うございます。
再びの洋上慰霊参加に有り難く思っております。
洋上慰霊=東日本大震災発生に忘れられない重い記憶になりました。
時節柄どうぞご自愛くださいませ。
matsubaraさま (oko)
2016-03-18 12:15:44
お言葉を有り難うございます。
先の洋上慰霊後は入退院を繰り返しておりましたので、
知人の皆さんが「大丈夫なの~」に心配をかけましたが、
御一緒の皆さんから「一番元気でした」と言われましたほどに最高齢者はホット致しました。
Unknown (y.kon)
2016-03-18 13:27:57
南三陸町は昔、野蒜と言われていませんか。
野蒜海岸に泳ぎに行った記憶があります。
震災の写真を拝見して、恐ろしさで立ち尽くす思いが
します。あの美しい海岸を取り戻すべく一日も早い復興を祈念しています。

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