独り居の充実ライフを求めて!

川柳より「趣味講座学ぶことより友が増え」を楽しんで居ります

戦没者遺児による 「洋上慰霊1周年記念思い出の会」 開催される

2012-04-03 14:36:30 | 洋上慰霊

戦没者遺児による慰霊友好親善事業20周年(平成23年)記念洋上慰霊 「思い出の会」
       開  催  日  4月2日 (月)
      懇親会会場  東京湾停泊中 「ふじ丸」 2階ダイニングルーム 
           参  加  者    遺児 118名 他事務局職員及び役員総勢 142名

【日 程】
靖国神社 「参集殿」 集合 14:00〜14:30  → 昇殿参拝 14:40〜14:55 → 記念撮影 
15:00〜15:10 → 靖国神社 15:15発  
 
          靖国神社本殿                参加者の皆様と再会を果たした参集殿
                    
      標本木を撮影される参拝客の皆様                         標本木の枝先に咲いた
標本木 : 3月31日NHKニュースで、まだ蕾の、桜の花の映像が映り、「東京は桜の開花を観測して
いる靖国神社の標本木に5,6輪の花が咲くと開化宣言」 とアナウンスありました。
多くの  は蕾から花びらが顔を覗かせた程度でした。
昨年より3日、平年より5日遅いと言うことですが、満開の予想は8日頃と言われております。
(HPより)
靖国神社の桜は、明治2年の創立以来、明治・大正・昭和・平成の4代にわたり「九段の桜」として広く
国民に親しまれてきた。
戦歿者246万6千余柱の神霊を祀る靖国神社の神域にある為か 「ことのほか気高く美しい」 といわ
れる 「九段の桜」 には、尊い戦歿者の 「みたま」 が宿っているという。
靖国神社のシンボルともなっている桜はソメイヨシノをはじめ約600本を数える。
  
   御朱印を頂きました                「洋上慰霊1周年記念思い出の会」 参加者    

東京 (晴海埠頭)  港  16:00着  → 「ふじ丸」 へ順次乗船
懇親会 「思い出の会」 「ふじ丸」 2階ダイニングルーム 16:30 〜 19:00


  
 「洋上慰霊」 7474.7kmに及ぶ運行航路          お世話になりました 「ふじ丸」
         日  程 平成23年3月5日 〜 16日 (11泊12日)
         参加者 44都道府県から 363名 (内千葉県参加者14名)
戦没者遺児が亡き父の戦没地を慰霊訪問したいとの切なる思いから、平成3年に実施して後、
平成23年は20周年を迎えました。
これを記念して初めて 「洋上慰霊」 が実施され、千葉県の皆様と参加の機会を頂きました。
そして本年、1周年を迎えるにあたり、お世話になりました 「ふじ丸」 船上にて 「思い出の会」
開催の運びとなりました。
 
         お世話になりました増矢総括団長挨拶         洋上慰霊にご一緒した歌のお姉さんと楽しみました
 
            美味しかったフルーツコーナー                   千葉県よりの参加10名の皆様 (4名欠席)
 
                                    最後は歌のお姉さんと一緒に 「ふるさと」 を合唱 

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長崎の名菓 「九十九島せんぺい」 を頂きました

2012-01-05 21:13:37 | 洋上慰霊

        

 
パッケージの絵は 『じゃがたらお春』 がモチーフです。
                      画・中島 潔氏

             神様がつくってくれた美しい九十九島

九州の西。長崎県北部の海に浮かぶ、西海国立公園 ・ 九十九島の夕陽をご覧になったことがありますか?
それはまるで一枚の名画を見ているような感動の瞬間。
息をのむ美しさとは、まさにこの瞬間のためにある言葉のようです。
神様がおつくりになった、この美しい島々、九十九島をお手本に生まれたのが 「九十九島せんぺい」 です。
島と島をつなぐ虹のように、これからも皆様を結ぶ架け橋でありたいと願っています。

「九十九島せんぺい」 :  昭和26年に誕生して以来、パリッとした独特の食間と香ばしさで、たくさんの方に
愛され続けている長崎の名菓です。
六角形のデザインは縁起物の亀の甲羅をかたどって海を表現、ピーナッツは九十九島の島影を表しています。
名前の由来は当時、米から作られたものがせんべい、小麦粉で作ったものがせんぺいと呼ばれていた事から
名付けられました。
発売当時は手焼きだったせんぺいは、今では機械化されましたが、白い文字の部分は今でも、ひとつひとつ
熟練した職人が手作業で入れています。
(以上は説明書より転載)

以上のご紹介は洋上慰霊にて奇跡的に出会いました 「鳥海」 艦長様のご子息様から遠く長崎県かの  です。
12月も早い時期に頂いておりましたが、多忙に甘えご紹介が遅くなりました。
心から感謝を申し上げながら、家族揃って新年のお茶の友に頂きました。
誠に有り難うございました。
4月2日の 「洋上慰霊 ・ 思い出の会」 のお目もじを楽しみに致しております。
向寒の折にご夫妻さまのご健勝をお祈り申し上げます。

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第1回「千葉県洋上慰霊団」参加者の集い

2011-06-01 12:56:54 | 洋上慰霊

         2011年5月30日 (月) 時々小  気温         
        
            「波奈」 の女将さんからお誕生日  を頂いて
に見舞われたちょっと肌寒さを感じた午前11時JR千葉駅に集合。
遠くは松戸市、柏市から約2時間を要しましたこと等々に、駅構内での熱き握手の盛り上がり。
懇親会会場は千葉市中央区 海鮮料理 「波奈」 に於いて11時半開始。
名前入りの写真の準備でお互いの確認もスムーズに早速 「洋上慰霊」 の思い出話に。
「洋上慰霊」 は全国から遺児総勢363名が3月5日から16日まで豪華客船 「ふじ丸」 に乗船して
各海域で延べ13回の慰霊祭を行うとともに、途中上陸したフィリピンでは友好親善の一環として
小学校や病院などを訪問して、学用品 ・ 衣類や車椅子を寄贈しました。
遺児と申しましてもお互いに高齢の身、戦死の父へ最後で最高の供養の機会を頂きましたことに
関係各位の皆様に感謝を申し上げておりますところでございます。
千葉県参加者は14名。
この度の懇親会には勤務の都合で男性1名の欠席は残念でしたが、各市町村から13名の参加。
     千葉県より十四名の遺児われら面識無くも縁を思ふ
     「ふじ丸」の豪華な食事に酔ひしれて過去の悲劇を笑顔で語る


       柏市の S 様よりマニラ湾の美しい夕日のお写真を頂きました

      マニラ湾の夕日は美しくも哀しけれ海底の船らあまりに多く

写真の交換をしながら各慰霊祭で行われました父への想いに目頭を熱くしての語らいも、口許は
和らぎ、良きお仲間に恵まれて過去の悲しみを笑顔で語れる幸せなひとときに心から感謝を申し
上げました。
幹事の N さまから今後の歩み、会の名前などの提案があり、話し合いの結果、懇親会は 「ふじ丸」
から下船した3月16日の年1回とし、会の名前は 「洋上慰霊団 弥生会」と決定しました。
今後は遺族会行事に積極的に参加する事等も話し合いました。
この度の企画を執り行っていただきました市原市の N 様に御礼を申し上げます。
又 「波奈」 のご厚意で、お誕生日  のサプライズに恵まれ、3名の内の1人になりました。
ちなみにお誕生日は 6月1日 です。さて何歳に  ですが、今の幸せに感謝 

       の包装を手にして             可愛い  を頂きました 

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慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3−3)

2011-04-29 07:57:19 | 洋上慰霊

3月11日 (金) 「東日本大地震発生」 については 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が終了後に艦内放送により知る事となりました。
夕刻頃より船も大分揺れはじめ、廊下を歩くことがとても困難だったことが思い出されます。
海上では、    全て不可。
被災地の皆様には連絡方法などに特別の配慮があったようですが 
私たちは  から聞こえるアナウンサーの声に耳を傾け、事の重大さに誰もが被災地とされる皆様にただただお祈り申し上げておりました。
 
                 次々にボードにはられた記事の一部より
3月12日 (土)    9回目 マリアナ沖方面洋上慰霊祭
3月13日 (日)  10回目 マリアナ沖方面洋上慰霊祭
3月14日 (月)  11回目 小笠原諸島近海洋上慰霊

                      小笠原諸島と思いますが 
3月15日 (火)  12回目 伊豆諸島近海洋上慰霊祭
               13回目 合同慰霊祭を行いました。
以上大切な慰霊祭の日程を綴らせていただきました。
12日間の毎日のスケジュールは
06:00〜       健康チェック  各県世話人 (千葉県は私) が行う  に始まり、
06:30〜06:50  ラジオ体操 (第1及び第2) 気持ちの良い潮風の中で身体をほぐして一日のスタート開始
慰霊祭終了後は毎日楽しい 「歌の広場」  に参加して 〜 あの歌、この歌、思い出の歌 〜
                     
   歌のお姉さんと楽しい 「歌の広場」          最後の歌は 「螢の光」 を合唱
運動不足解消のために毎日 「ストレッチ体操」   昼間は 「サンデッキ」 で行い、お休み前は 「ラウンジ」 でインストラクターのお姉さんによる楽しいご指導を頂きました。

         15日最終日夜の 「ストレッチ体操」              会場案内板
最終日3月15日は夕刻より 「懇親会」 及び 「解団式」 を行いました。

   12日間涙を共にしました千葉県慰霊団             解 団 式            
被災地の皆様方には私たちには想像も出来ない程のご心配でお疲れもありました事と思いますが、参加された皆様全員が亡き父へ最高の供養が出来ました事に感謝の心に笑顔でグラスを傾けることが出来ました。
今年は戦後66年を迎え、戦後も遠くなりました。
しかし、事実は事実として悲惨な過ちを繰り返すことが無き事を祈り、御世話になりました皆様に心から御礼を申し上げ、大切な記録とさせていただきます。
お訪ねいただきました皆様に心から御礼を申し上げます。
多くのご英霊の皆様も喜んでおりますことと存じます。
有難うございました。

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慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3−2)

2011-04-28 07:47:18 | 洋上慰霊

12日間の慰霊の旅の最初は、枕崎沖、大和沈没地点を経由して冷たい雨の降る中行われました。
慰霊祭の進行は故郷から持参したお供物などが供えられた祭壇にむかい、拝礼 「君が代」 斉唱。
日本遺族会代表、関係遺族代表が父への 「追悼の辞」 を読み上げ、関係遺族全員が献花を行い、
最後は、参列者全員で 「海ゆかば」 他2曲を捧げました。
慰霊祭終了後は関係遺族及び参列者全員がデッキに移動して船の汽笛とともに白菊、父達の好物
を海へ手向けて戦没者の冥福をお祈りしました。
 3月 6日 (日)      1回目 東シナ海洋上慰霊祭  
 3月 7日 (月) 後 2回目 沖縄北方洋上慰霊祭 〜 沖縄 ・ 那覇入港 〜 上陸後 
                         各県の慰霊碑参拝 (気温 が非常に) 〜 深夜出港
 3月 8日 (火)        3回目 沖縄南方洋上慰霊祭
 3月 9日 (水)       4回目 バシー海峡洋上慰霊祭
                     5回目 ルソン沖洋上慰霊祭
 3月10日 (木)              6回目 マニラ湾付近洋上慰霊祭 〜 フィリピン ・ マニラ入港 
           〜 上陸後、マニラ周辺で小学校、病院などを訪問して友好親善を行いました。

                        マニラに入港して                     
 
             小学校を訪問して文房具 ・ Tシャツ ・ 帽子などを 

 校長先生(緑の洋服)を囲んで千葉県慰霊団        マニラ港にて乗船を前に

                          上陸中に訪問できなかった病院関係者他の皆様をお招きして 

    暮れゆくマニラ港に心を遺して出航        美しいはずのマニラ湾の夕日です
 3月11日 (金)    7回目 ルソン島南方 (シブヤン海) 洋上慰霊祭 (午前)
                 8回目 サマール島北方洋上慰霊祭         (午後)
 11日 (金) 午後、日本時間2時からは私を含む20名の遺児の慰霊祭を執り行って頂きました。
 個人情報関係から、参加者の住所、電話番号は参加者名簿に記載されず、父及び船の名前は
 慰霊祭の朝に公表されました。
 父が乗艦しておりました 「鳥海」 は960名全員が戦死とされておりますので、何方かにお会い
 できます事と名簿に目を移しますと、ただお一人長崎県から参加の男性の船名欄に 「鳥海」 と
 記入されておりました。
 すぐにお会いしてみたい  と思いながらも世話人としての仕事が先行しております所へ
 笑顔の紳士が訪ねて下さいました。
 「私は 「鳥海」 艦長の息子 T と申します」 と名刺を頂きました。
 瞬間、父に出会えたかのように感激、喜び、幸せ ・・・ 胸がいっぱいでどのようにご挨拶を申し
 上げましたか記憶にありません程に溢れる涙を止めることができませんでした。
 勿論、慰霊祭に同席させていただき、千葉県を代表して父への 「追悼のことば」 を奉読させて
 いただきましたことに、父への最後の大切な供養が出来ました幸せに感謝を申し上げました。

     T様と父の好物を斎場に供えて     「追悼のことば」 を奉読中に大地震発生を後に知る
 拙い 「追悼のことば」 ですが記録に納めたく存じます。
 謹んで追悼のことばを申し上げます。
 (前略)
 今ここに日本遺族会様を初め、関係各位多くの皆様のご尽力を頂き、長年の念願が叶い、
 「洋上慰霊」 に参加をさせていただきましたこと、千葉県14名の皆様と共に心から感謝を
 申し上げます。
 初めに海底に眠る多くのご英霊の皆様に哀悼の誠を捧げ、謹んでご冥福をお祈り申し上
 げます。
 お父さん私の声が聞こえますか。お側に参りました。
 お父さんは 「親孝行をしたい」 と海軍に志願したそうですね。
 しかし、戸籍には 「昭和19年10月27日午前10時45分比島方面に於いて戦死」と記さ
 れております。
 「鳥海」 乗艦960名の皆様と運命を共にされたお父さんはどんなにか無念だった事でしょう。
 お父さん今朝、感激の出会いを頂きました。
 「鳥海」 T艦長様のご子息様にお言葉を頂き、今ここに同席させていただいております。
 娘が喜んでおりますと艦長様にご挨拶をしてくださいね。
 (中略)
 お父さんの記憶は全くありませんが、遺された写真、私の名前の文字が遺る沢山の軍事郵便
 に励まされ、勇気づけられて参りました。
 (中略)
 過去には何事も無かったかのように沢山の趣味を楽しみ、幸せなおばあちゃんになることが
 出来ました。
 この幸せは、ここ遠く異郷の地に眠りますご英霊の皆様のご加護のおかげと感謝を申し上げ、
 追悼の歌を捧げたく存じます。
   海底に今なほ眠るみ霊らにわが生の限り祈り捧げむ
 ただ今は、厳粛なる慰霊祭に参列をさせて頂き、心ゆくまで父を偲ぶことが出来ました。
 改めて関係各位の皆様に心から御礼を申し上げまして 「追悼のことば」 と致します。
 「鳥海」 T艦長様をはじめご英霊の皆様、どうぞ安らかにお眠り下さい。 合掌
 ご参列を頂きました皆様有難うございました。
 最後に何時までも恋しいお父さんさようなら。
   2011年3月11日                       サマール島北方洋上慰霊祭にて

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慰霊友好親善事業20周年記念 「洋上慰霊」 に参加して (3−1)

2011-04-27 07:31:45 | 洋上慰霊

          日  程 平成23年3月5日 〜 16日 (11泊12日)
         参加者 44都道府県から 363名 (内千葉県参加者14名)
戦没者遺児が亡き父の戦没地を慰霊訪問したいとの切なる思いから、平成3年に実施して後、
本年は20周年を迎えました。
これを記念して初めて 「洋上慰霊」 が実施され、千葉県代表として参加の機会を頂きました。
3月5日神戸港に集合して 「ふじ丸」 に乗船、「結団式」 を行い、正午に出航しました。
各地域で延べ13回の慰霊祭を行い、途中上陸したフィリピンでは友好親善の一環として小学校
や病院を訪問して学用品や車イスを寄贈いたしました。
11日 「東日本大地震発生」 時は 「サマール島北方洋上慰霊祭」 が行われております時と終了
後に艦内放送で知ることとなりました。
艦内放送が頻繁にされるも、海上ではテレビ、電話すべてが不可、被災地の皆様は、不安を隠し
きれずに掲示物を真剣に見入っておりました。
15日には最後の 「伊豆諸島近海洋上慰霊祭」 を行い、夕刻からは解団式及び懇親会を行い
16日午前8時無事神戸港に帰港しました。
しかし、宮城県を初め、同乗された遺児の自宅が、家族が、被災されました事の情報に、新たな
悲しみの慰霊の旅になりました。
下船時に慰めの言葉も在りませんほどに被災された皆様に心が痛みます。
未曾有の大災害の事態に、この度の貴重な経験を綴ります事に少し時間を頂いて居りましたが、
日本遺族会を初め、多くの関係各位の皆様のご尽力に感謝を申し上げ私の大切な記録とさせて
いただきます。

  「洋上慰霊」 7474.7kmに及ぶ運行航路        お世話になりました 「ふじ丸」
 
     船内ホールにて結団式を行う             船上の洋上慰霊祭斎場   

       参列者による 国歌斉唱         バシー海峡にて洋上慰霊祭の遺児の皆様

          慰霊祭終了後、汽笛と共に白菊と父の好物を捧げる遺児の皆様 

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16日夕刻無事に帰宅致しました

2011-03-17 10:04:00 | 洋上慰霊

初めに、この度の大震災でお亡くなりになられました多くの皆様のご冥福をお祈り申し上げます。
被害にあわれた多くの皆様方に心からお見舞いを申し上げます。

私たち 「洋上慰霊団一同」 は、東北地方太平洋側を中心に3月11日に発生しました東日本大震災
において亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げ 「ふじ丸」 船上において汽笛の合図で黙祷を
捧げました。 合掌
又、最終日の解団式が行われました際には、一同、義捐金を添えさせていただきました。

私は3月5日から16日まで、12日間にわたり行われました 「戦没者遺児による慰霊友好親善事業
20周年記念洋上慰霊」 に全国344名、千葉県14名の一員として参加をさせて頂き今尚、海底に
眠る多くのご英霊の皆様、又レイテ沖に眠る父へ哀悼の誠を捧げることができました。 
この度の企画にご尽力をいただきました政府、日本遺族会、他関係各位多くの皆様に心から御礼を
申し上げます。
誠に有り難うございました。
ただ今は、各方面への報告連絡に多忙にしております故、後日 「洋上慰霊追悼式」 の様子を一部
ご報告申し上げたく思っております。
最後にこの度、感激の出逢いを頂きました各県の遺児の皆様方に心から感謝を申し上げますともに、
宮城、岩手、福島県及び被害に遭われた皆様方のご家族のご無事をお祈り申し上げます。

11日には千葉市も震度6の地震に恐ろしい時間を過ごしましたことを聞きましたが、我が家は幸にも
食器棚のコップや器などが壊れた程度にすみました。
帰る家を失ったお仲間には申し訳なく思いますが、ユックリ休ませていただいております事を報告申し
上げ、ご心配を頂きました皆様に帰国の報告とさせていただきます。

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洋上慰霊に参加して参ります

2011-03-04 08:02:58 | 洋上慰霊

お訪ねいただいております皆様へ
 「戦没者遺児による慰霊友好親善事業20周年記念洋上慰霊」 に参加して参ります。
寒い日が続いておりますが、皆様のご健勝をお祈り申し上げます。
それでは行って参ります。

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参加者決定のお知らせを頂きました

2010-12-29 13:08:00 | 洋上慰霊

戦没者遺児による慰霊友好親善事業20周年記念洋上慰霊参加者の決定 (通知)

この度の通知に祈りの日々でしたが、おかげさまで 「選考基準に基づき選考の結果、貴殿に
ご参加いただくことに決定いたしました」 と頂きました。
12月5日〆切、全国300名の参加者に予想以上の応募者が有りましたことに、選考に時間を
要しますと伺っておりました。
しかし、 参加不参加の 「決定通知は年内に有り」 に毎日ポストを確認して落ち着かない日々で
ございましたが、 12月28日 (火) 日本遺族会からの大きな封筒が投函されました。
開封するまで 「ドキドキ」でしたが、おかげさまで参加者の一員に加えて頂けますお知らせ
をいただきました。
ホット致しますと同時に関係各位の皆様に感謝を申し上げておりますところでございます。
昭和19年10月27日 海軍最後の激戦地レイテ沖海戦に 「鳥海」 乗員960名の戦友の皆様と
遠くレイテ島沖に眠っております父に様々な想いが蘇って参ります。
平成23年3月5日 (土) 〜 16日 (木) 11泊12日の長旅に備えて、先ず健康管理に努めたく
心を新たにいたしました感謝の日でございました。

           
               父が運命を共にしました 「鳥海」

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