独り居の充実ライフを求めて!

ご訪問を頂きまして有り難うございます

感激の一日でした

2007年10月27日 19時03分47秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

                     友人から戴きました絵手紙                       
                  
                       「追悼のことば」 の私

10月27日 (土) 大台風に見舞われました。
午前中は静かなでしたが、午後になりましたら、激しい台風に見舞われ、とても恐ろしく外にも出られない状態でした。
そんな中、郵便屋さんのバイクの音が我が家の前に止まり、「ボトーン」と言う沢山の郵便物が投函された音がしました。
久々に分厚いお手紙の束に胸がドキドキ感激の瞬間を戴きました 
先ず、この度の追悼式で終始お側に居て下さり、御世話になりました大切な友人からのご丁寧なお手紙に沢山の記念のお写真、
又、写真をCD保存までして下ったもの。

全国戦没者追悼式で初めて武道館でお会いして以来、この度の追悼式で5年振りに再会しました九十九里町の素敵な先輩のお手紙、
又、初めて参列下さった短歌の先輩からは記念の写真の
1枚を大きくして下さり、もう少し若かったら  お見合い写真にしたいほどに 
沢山の思い出を戴きました。
これらの分厚い封筒の間から、素敵な葉書が一枚  
沖縄の追悼式で初めてお目にかかりましてから、この追悼式には初めて参列されたとおっしゃる懐かしい4年振りの再会のお方から
嬉しい 絵手紙 の  を戴きました。

毎年戴きます絵手紙のお年賀状に感激いたしておりましたが、この度の追悼式の思い出を素敵に描いてくださり本当に嬉しく繰り返し
拝見させていただきました。

四街道市の S さま有り難うございました。  
そして四街道市戦没者追悼式に於いて 遺族代表 「思い出のことば」 を奉読されますことに心よりお祈り申し上げております。  

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平成19年度 千葉県戦没者追悼式

2007年10月25日 16時20分17秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)

                   平成19年度 千葉県戦没者追悼式
               日 時 10月24日(水) 11時                    
               会 場 千葉県文化会館                
             
                           式 典 斎 場
                       
この度の追悼式にあたりまして県のご担当の方から下記のようにご回答を頂きました。
    (報道発表の数字として)

  ●日清戦争以後の千葉県の戦没者   57,248名
   (日中戦争以後ですと、約52,000名です。)
  ●一般戦災死没者 1,320名

19年度の千葉県戦没者追悼式の参列者数
  ●遺   族      約1,000名
  ●来   賓      約  100名
  ●市町村職員等   約  100名   合計 約1,200名

犠牲になられました尊い多くの御霊に心からご冥福をお祈り申し上げます。 合掌

千葉県内各市町村遺族代表の皆様が参列され、千葉県警察音楽隊の演奏が流れる中、厳かに執り行われました。
午前11時、千葉県健康福祉部長の開式のことばに始まりました。
続きまして千葉県知事 堂本暁子様 による 礼拝、黙祷、式辞 を戴きました。

追悼のことば
    千葉県議会議長
   千葉県市長会代表
   千葉県町村会代表
   遺 族 代 表
   
献     花
千葉県知事様を初め、来賓、各市町村代表の遺族代表により行われました。
   
この度の式典において、遺族代表 「追悼のことば」 を述べさせていただく機会を戴きました。

 
                          遺族代表 「追悼のことば」                                                                                    
この重責に身の引き締まる思いでございましたが、関係各位の皆様のご指導をいただき、何とか無事にお役を果たすことが出来ました。
先の大戦から早くも62年の歳月が流れましたことに思いを致し

    哀悼の「靖國の家」の標識も語るも今や知る人少なし

と詠みましたが、私たち遺族にとりましてはあの悲惨な、辛く、悲しかった多くの出来事は決して忘れることが出来ません。と申し上げました。
かすかな記憶の父は、昭和19年10月27日海軍最後の舞台となりましたレイテ島の東方沖にて重巡「鳥海」と運命を共にいたしました。

     父らしき人の背にゐしわが記憶ただ一度の夢かはかなし
    
そして、遺児によります慰霊友好親善事業訪問団によります戦跡巡拝に、私は2000年12月に全国遺児125名の一員として参加の機会を
戴きました。

12月のレイテ湾の水に手を触れましたときの温かさ、この温かい海底に眠るならばと、私なりに気持ちの整理が出来ました慰霊の旅でした。
と関係各位の皆様に心から御礼を申し上げました。

そして

    海底に今なほ眠るみ霊らにわが生の限り祈り捧げむ

と、詠ませていただきました。
戦後62年、今日の平和と繁栄に感謝しながらも、過去には多くの尊い犠牲が、ありました事の悲しみを風化させることのないよう恒久平和の築かれます事を心より願っております。
と結ばせていただきました。 

この度の追悼式を執り行ってくださいました関係各位の皆様に心より御礼を申し上げます。
有り難うございました。

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友人の庭のお花の紹介 

2007年10月20日 23時15分40秒 | 友人の庭のお花のご紹介
ここ千葉も朝晩は大分寒くなりましたが、皆様にはお変わりもなく充実した日々をお過ごしの事
と存じます。
いつも楽しみにしております大切な友人からの花便り  が届きましたので早速ご紹介させて
いただきます。
「毎年、この季節に美しく個性的な花を咲かせる多年草 「紅葉白熊」 (もみじはぐま)
 の
名の由来がやっとわかりました。
 白熊とは仏具の払子(ほっす)に使うヤクの毛の事で、白い花びらの形状からの
 花名との事です。」

といただきました。

 
            秋明菊                          さくらだて
                    
            吾亦紅                     紅葉白熊(もみじはぐま)
 
           かりがね草                        霜  柱
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千葉市戦没者追悼式

2007年10月16日 12時53分44秒 | 遺族会(各追悼式・戦争証言などを含む)
             
              平成19年10月12日(金) 於 千葉市民会館

千葉市長 式  辞
本日ここに、ご遺族並びにご来賓多数のご臨席を賜り4200余柱の千葉市戦没者追悼式を
挙行するにあたり、謹んで追悼のことばを捧げます。
         (中 略)
戦後すでに62年、わが国は、焦土の中から立ち上がり、幾多の困難を乗り越え、めざましい
成長を遂げて参りましたが、・・・
         (中 略)
あの悲惨な大戦において、ひたすら祖国の勝利を信じ、一身をも顧みず、危地におもむき、
遂に、酷寒炎暑の戦陣に倒れ、いたましくも散華された戦没者の方々、度重なる空襲による
戦禍の犠牲となられた戦災死没者の方々など、尊い多くの犠牲のあったことを決して忘れて
はならないのであります。
         (中 略)
私たちは、過去の悲しみを記憶し、戦争の悲惨さと戦没者・戦災死没者の尊い犠牲を風化
させることのないよう、恒久平和の確立に心を新たにいたすとともに、郷土千葉市の繁栄と
市民福祉の一層の向上を図るため、最善を尽くして参ることをご霊前に固くお誓い申しあげ
るものであります。・・・続く

この後、多くの来賓の皆様から追悼のお言葉を戴きました。
   
「思い出のことば」
           
                「思い出のことば」を述べる H 様
    
遺族を代表して、千葉市若葉区にお住まいの H様がお母様の手一つで5人の兄妹を苦労
しながら育ててくださった事などを語り、沖縄で戦死されたお父様を偲んで時折、言葉を詰ま
らせながらも、最後は 「世界の平和を祈ると共に、子どもたちを守っていく事が
私たちの
大切な使命です。」 とガールスカウトの重責を担っていらっしゃるお方らしい
お言葉で結ばれました。 合掌 
会の終わりは千葉市役所吟詠会の皆様の献詠を有り難く拝聴いたしました。
     
             献     詠

          弔 慰 式 (寺岡弥三郎)

        庵然夢の如く  幽明を隔つ
        定めなき人生  限りなきの情
        骨肉親朋  皆席に列し
        拈香三拝して  泣いて声を呑む

        亡き人を 終いの別れと弔えど
        心は消えず ありし面影

          金州城外作 (谷口廻瀾)

        父は明君に奉じ  子は親に奉ず 
        我来って憑弔し  涙痕新なり
        金州城外  秋深き処
        坐に憶う  斜陽馬を立つるの人を

遺族の皆様も高齢化が進み会場の空席が目立ち、一抹の寂しさを感じましたが、翌日の
新聞には 「遺族ら関係者500人が参列した。」 と報じられました。
幸いにもお天気に恵まれ、無事に会が終了しましたこと、千葉市関係者の皆様に御礼を
申し上げます。 
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未歩ちゃんのお宮参り

2007年10月14日 21時50分08秒 | 未歩ちゃん

             平成19年 (2007年) 10月14日 (土)
             
                             千葉神社
未歩ちゃんの成長を願って千葉神社にお参りに参りました。
ご祈祷中の太鼓の音、祝詞の声にも  
無事にお参りが出来ました事にホットいたしました 

記念写真の時間になっても気持ち良さそうに  
流石プロ  あれやこれや   で目を覚まさせての  未歩ちゃんが可愛く写っておりますように。 
未歩ちゃんのお顔が見えませんが最初の晴れ姿を囲んで佳き日の思い出に致しました。 
 
            

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小林 幸子ショー♪ 

2007年10月06日 05時45分03秒 | カラオケ
             

年々巨大化していく素晴らしい衣装で大晦日を楽しませてくれております演歌歌手小林幸子ショー 
昼夜2回の公演でしたが、 教室の皆さんとお昼の部を楽しみました。
最初から黄金の巨大スペクタル「ペガサス」の豪華衣装の登場に満席の会場のお客様から
沢山の  に迎えられ、小林幸子さんの素晴らしい歌声や巧みなトークに魅了されました。
最後の歌は新曲 「恋桜」 を昨年の「火の鳥」の衣装で歌って下さり、スケールの大きい
素敵なステージを楽しみました。
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伊勢原・大山阿夫利神社、町田・武相荘の旅 

2007年10月02日 13時56分12秒 | 千葉実年歴史倶楽部(友の会含む)

        千葉実年大学校 歴史倶楽部 平成19年 9月度定例会     
          1.開催日 : 平成19年9月28日(金) 
          2.参加者 : 57名 
          3.集  合 : 千葉NTT前7時15分
日 程 
 千葉駅7:30発 大型  満席1台 → 木更津・アクアライン経由・川崎 → 大山・追分(ケーブル)下社 → (ケーブル)下社 → 大山寺 → (ケーブル) 
 下社 → 昼食(美味しい中華料理) → 武相荘 → 千葉NTT前到着19:00    

57名の会員を乗せた満席の  は一路有名な  なアクアラインへ到着。
に恵まれ、窓外の景色に皆さん大満足  久し振りにお会いした方、初めて隣のお席になられた方もパンフレットを手に早くも親しくうち解けられ、役員の
皆様の
素晴らしい企画に感謝のお言葉があちらこちらから聞こえて参りました。
先ず  下車後384段の石段 を登り      下車 
1.大山阿夫利神社(あふりじんじゃ) <祈雨・祈晴の神>
       
        御朱印           本社登山口 途中まで挑戦した会員


下社拝殿(678m)。下社には「大天狗の碑」、「とうふ塚」があります。                                
本社(海抜1253m)は、往復2時間半を要しますので今回は登りませんでしたが下から見上げる急な階段に時間がありましてもとてもとても登れそうに
ありませんでした。

大山名水「神泉」を戴きましたり、境内の散策に爽やかな秋の風情を堪能いたしました。

2.雨降山 「大 山 寺」
   

        
「歴 史」 (大山寺パンフレットより)
 大山寺は、奈良の東大寺を開いた良弁僧正が天平勝宝 7年(755年) に開山したのに始まります。
 行基菩薩の高弟である光増和尚は開山良弁僧正を継いで大山寺二世となり、大山全域を開き、山の中腹に諸堂を建立。
 その後、徳一菩薩の招きにより、大山寺第三世として弘法大師が当山に入り、数々の霊所が開かれました。
 明治初年の廃仏棄釈により、現阿夫利神社下社のある場所から現在の場所に移りました。
「国宝大山不動尊五檀護摩法要」 (大山寺パンフレットより)
 五檀護摩供は古来天皇家の大事にのみ行われた修法でありましたが、今や日本国中当山だけに残る大祈祷会です。との事です。
 この度は、役員さんのご配慮にて住職さんに説明をしていただく機会に恵まれました。
 国宝大日大聖鉄(くろがね)不動明王を拝顔することも出来ました。

3.町田・武相荘(ぶあいそう)<旧白州邸・昭和18年から以来60年住む>
 
      入場券              素敵な門構えの入り口             レストランの灯りの見える園内

(パンフレットより転載)
白次郎氏は、総理大臣吉田茂に請われGHQとの折衝に従事。
日本憲法の成立に深くかかわる。GHQ側の印象は「従順ならざる唯一の日本人」と言われた人。
正子さんは、樺山伯爵の二女。幼児より能に親しみ、14歳で女性として初めて能の舞台に立つ。
戦後小林秀雄、青山二郎らと親交を結び、文学・骨董の世界に踏み込む。
銀座に染織工芸の店「こうげい」を営む。
出版物も多数あります。
「武相荘」とは 武蔵と相模の境にあるこの地に因んでまた、彼独特の一捻りしたい気持ちから無愛想をかけて名づけたようです。
娘・牧山桂子さん が管理。桂子さんは主婦ですが、料理の達人で料理の本を出しておられます。

 として、囲炉裏風景には
お料理の達人、桂子さんの秋の味覚満載のお料理が又、正子様の素敵な秋の和服が所狭しと
展示、更には愛用の書斎がそのまま残されており、ご主人様から  の素敵な 膝掛け に皆さんから 「まあ~素敵  の感想が聞かれました。
茅葺き屋根も見事に改修され、昔懐かしい風情に心和む思いでございました。
    
      
訪問先希望アンケートに沢山のお方がこの「武相荘」をお書きになられた事を伺いましたが、私も「是非行きたい」希望者の一人でした。
お陰様で待ちに待った「武相荘」のお庭での記念撮影と、記念にご夫妻をご紹介されている一冊の本を求めることが出来ました。

     
爽やかな秋の一日、皆様と親しく有意義な見学が出来ましたこと、役員の皆様に感謝を申し上げながら未熟な記録ですがまとめてみました。
役員の皆様に改めて御礼を申し上げます。ありがとうございました。   

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