秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

太宰治記念館「斜陽館」

2022-07-01 | 旅・北海道&東北
旅の2日目、奥入瀬森のホテルから2時間用し五所川原市へ。

10:44斜陽館

明治40(1907)年、太宰治の父・津島源右衛門が建てた入母屋造家屋。
明治の大地主だったし、当時金木銀行や金木電燈株式会社を経営されてた。
営業中の金融店舗も兼ねて豪邸です。


階下11室、2階8室、蔵や庭園合わせた宅地680坪!
戦後、津島家が手放し、昭和25年から旅館「斜陽館」として全国からファンが訪れた。
平成8年旧金木町が買取り、10年記念館に、16年国の重要文化財に指定。


10:47 ガイドさんに説明受ける。

父の源右衛門さんは元貴族院議員の政治家でもありました。
明治42年この邸宅で、太宰治は六男の津島修治として誕生。
母が病身で、叔母のきゐが夜、昼は女中のタケが子守してたそう。
家を継ぐ長男ではないので日々の暮らしに身分差はあり、複雑系に育った。



土間から靴脱いで上に


板間もピッカピカ、お上でステッキ使えないから滑らぬように…


ガラス戸で守られた仏壇、めっちゃ金ピカ

座敷から見る庭園


和洋折衷で洋間も多く、建具も家具も重厚でお金かかってます。
先月訪問した池田市の小林一三記念館を思い出しました。




あおもり紀行パンフより、2階の洋間


蔵もいくつかあって、中の蔵は展示室に


小説『津軽」より
津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これという特徴もないが、
どこやら都会風にちょっと気取った町である。
善く言えば、底の浅い見栄坊の町ということになっているようである。

『苦悩の年鑑』より
この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。


太宰治が生前もっとも好んで口にしたといわれるヴェルレーヌの一節に
撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり

芦野公園登仙岬の太宰文学碑に刻まれているようです。


廊下に貼ってたポスター
「風は北へ吹く」
2016/3/26北海道新幹線開業



太宰家の菩提寺「雲祥寺」
「何事も成し遂げるまでは 
  いつも不可能に見える」
     N.マンデラ






2 コメント

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Unknown (TM)
2022-07-02 11:21:59
津軽の斜陽館は当地の観光の目玉ですね。今も太宰治は人気があるから、多少交通の便が悪くても行く人は多いでしょう。
地元の名家に生まれながら、一族の爪弾き者人生を送ったわけですが、時代が変わった現代では観光名所として大貢献、ご本人も親族も村人も天国でビックリしていることでしょう。
津軽と太宰は深いところで結ばれている気がします。
TMさんへ (ulala)
2022-07-02 12:46:03
太宰治は超富裕層に生まれ、兄弟差別体験し、屈折、複雑に育ったのでしょうね。
でも本人も自覚してたようで、
>撰ばれてあることの 恍惚と不安と 二つわれにあり

人生って、終わるまで分からんと言いますが、もっと先のあの世に行ってからかもしれません。
古今東西多くの画家も死んでから認められるというのが多いですよね。

五所川原のねぷたの勇壮さは目を見張るものがありました。
越の国の縄文文化や、北前船がもたらした名残に通じるものがあるような。

次の記事でみてくださいね。

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