秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

文殊仙寺の護摩修行参列で見た焔と太鼓の振動すごかった

2018-05-31 | 旅・九州


旅の2日目、国東半島真ん中の両子山1時の方向、文殊山(614m)中腹にある文殊仙寺へ。
別府のホテル出発が8:30だったので、この画像撮影10:17まで1時間半は要してます。





出発前の予習で参道階段330段と知ったので覚悟してたけど、やっぱりね。



やっと到着。



本堂左手に役行者が祀られていて、まずこちらでご挨拶してからお参りくださいとのこと。

648年に役行者開基と伝わる、日本三大文殊の一つの古刹です。
大化4年にあたり、大和で揉めてるややこしい時期、役行者は九州にいたんですね。

★6/1追記
役 小角 舒明天皇6年(634年)伝 – 大宝元年6月7日( 701年7月16日)伝)は、飛鳥時代の呪術者である。
648年に国東半島へ来て文殊仙寺建立は、14歳になってしまう。
けれども、国東半島の行者遺跡はじめあちこちに伝承残り役行者石像もあるそうです。
http://www.city.kunisaki.oita.jp/soshiki/bunkazai/bunkazaiitoharu.html



3人寄れば文殊の知恵、のことわざの元ともなった文殊寺院だとどこかで見たけど今記事にするときに見つからず。




いよいよ護摩修行参列です。
檜の護摩木に祈願依頼されたい人は一本千円。
24枚がお焚き上げされましたが、もちろんそれ以外にも燃やす木は十分用意されてました。



神仏習合ですから、護摩台正面に神社みたいな鏡置かれてます。





火の粉が飛んでます。





先の記事の真木大堂で見た不動明王の火焔迦楼羅みたいに、焔は自由自在。





この時護摩焚きされてた僧は、右手大太鼓へ移動し太鼓を叩きながら、参列者皆で般若心経を唱えました。

勝尾寺を思い出します。
太鼓の振動波動が体に浸透していく感じです。


山を下る時に



立派な千年ケヤキ



かなり上まで大型バスも通行できるような立派な車道が整備されてて、帰りは階段をすべて降りることなく助かりました。
この参詣した5/22、その駐車場に工事など建設車両がたくさん駐車してました。
夜間のライトなどを設置するようで、近いうちになんかイベントあるんだなと思えました。


Wikiページによれば、
毎月25日は文殊菩薩の縁日であり、本殿文殊堂にて護摩焚き祈願が行われ、参拝者には昼食のお接待が用意される。


護摩祈祷とか大がかりに行われるのでしょうか。

一般的にお寺も神社も中での撮影は禁止されてますが、この文殊仙寺はどうぞということで、以上の通りです。

ホームページも副住職さんのファイスブックもガンガン発信されてて、新しい形の寺社経営されてるのでしょう。

古い伝統を大事にしながら、現代のSNS投稿などで拡散してもらい参詣客を増やす工夫。

お金のこというたらなんですけど、団体の護摩祈願は3万円だそうで、各個人からの護摩木24本で2.4万円。
ということはあの一連の護摩祈願祈祷1時間ほどで5.4万円。
さらに拝観料や、納経帖とかで…

HPご覧になればわかるように、護摩祈願申し込みとか、写経体験とか申し込みと費用が真っ先にわかるページ作りですね^^

批難しているのではありません。

本物は収納庫で保管し公開はレプリカとかなのに、撮影禁止とかワケワカランとこいっぱいありますから。
そちらの方が今の時代に合致してませんし、それでは次の時代に継承できるか心配です。

今回のツアーで先達を務めてくださったお寺の住職さんは経営厳しく、先達としてアルバイトされてるのかもしれません。


11:40ごろ出発し次の富貴寺へ向かいます。





六郷満山最大級の本尊が今に残る真木大堂

2018-05-30 | 旅・九州


旅の初日最後にお参りして拝謁できたのが
大威徳明王像、神の使いである水牛に跨ったお姿で6つの顔は六道、6本の手で法を守護する武器を持ち、6本の足で六波羅蜜を表してるそうです。

中央に阿弥陀如来座像は四天王立像に守護されておられます。

ともに大きすぎてここから動かせない。
六郷満山開山1300年記念に非公開文化財が特別公開されるにあたり、九州国立博物館に搬出できなくてこの地に来ないと拝顔できません。



3つ並んだ国重要文化財の右端が、
二童子立像を脇に不動明王の三尊形式。



火炎が勇壮で迦楼羅火焔、初めて見ました。
木製不動として日本最大、勇壮で威厳あり心奪われます。

今はガラス張りのお部屋で普段は中に入れませんが、今回は特別公開でお像近くまで行けて周りをぐるっと、後ろ姿もじっくりと。
昔は水牛の上に乗ったりしてたそうです。






真近で拝ませていただいてからお堂の周りを巡ります。
多くの石像文化財が残されています。







真木大堂の隣に古代文化公園がありましたが、時間がなくて遠景で眺めただけ。



熊野摩崖仏からすぐ近くで、到着したのは16時前だったかな。






六郷満山65ケ寺のうち本山本寺として36坊の霊場を有した幻の寺院であった馬城山伝乗寺。
奈良時代、元正天皇の時代に建立されたと伝わるが、仏像の作風から見てみて平安時代と思われるらしいです。
往時は広大な境内の中に七堂伽藍を備えて隆盛を誇った大寺院でした。

旧本堂の扉に菊花紋がありました。
これは、元寇のおり、鎌倉幕府は六郷満山の寺院に異国降伏の祈祷を行うよう施行状を発した。
その恩賞として将軍家を経て朝廷より菊花の紋章が下賜されました。



現代の真木大堂は、伝乗寺の各寺坊が衰退したので本尊を一堂に集めガラスの収蔵庫におさまっています。
実に圧巻です。
また機会があれば足を運びたいと思いました。






二礼四拍手一礼の宇佐神宮でみたあれこれ

2018-05-29 | 古代史のミステリー


宇佐神宮の境内図です。
団体での限りある時間で先達さんの後をついて歩きながら、目に留まったものを撮影したあれこれ画像を貼り付けておきます。

このブログ内の検索で、「二礼四拍手一礼」で見ていただくといくつかの記事がヒットしますが、弥彦神社参拝記録で以下のように書いてます。

「あとその他に、弥彦神社がちょっと違ってることは、
二礼四拍手一礼
出雲や宇佐と一緒ですね。
私の大好きな、富田林の美具久留御魂神社もそうです。」

なんかご縁があるのでしょう。

八幡神については、ご参考までに数あるサイトの中から一つだけでもお知らせしておきますので、そちらなどでご覧くださいね。

八幡神の謎




大きな鳥居くぐって参道を進むと池の手前で左手に道を挟んで、左立て札:大尾神社・護皇神社(神さまと仏さまが最初に出会った宇佐の記事で画像あり)、右にこの立て札ありました。
地図見たら、その境内社はのってないのです。
調べたら頓宮と書かれたところにあるようです。

でも頓宮とは、頓宮(とんぐう)は仮の宮、一時的な宮のこと。「頓」の語は休息して留まる、仮の宮の意。
石清水八幡宮にも鳥居入ってすぐに頓宮あり、秋の重要な儀式が行われる場所です。

いろいろ深い意味がありそうです。

宇佐神宮のそれぞれの説明は→ こちらで





黒男神社は、大鳥居の手前にあります
武内宿禰が祭神なので、堺市の開口神社のご縁もあるのでちゃんとご挨拶してきました。



八坂神社、弥勒寺跡の前にありました。








御祭神 一の御殿 八幡大神(応神天皇)
    二の御殿 比賣大神(ひめおおかみ)
    三の御殿 神功皇后(じんぐうこうごう)

神代に三神の比賣大神がご降臨になったこの宇佐の地に 約千四百年前の欽明天皇三十二年 応神天皇の御神霊がはじめて八幡大神としてあらわれになり 各地を巡幸後この亀山にお鎮まりになりました のち弘仁十四年 応神天皇の御母君であられる神功皇后をお祀りし三殿の後鎮座となりました。






祭神は、
応神天皇の子にあたる大鷦鷯命(おおささぎのみこと:仁徳天皇)大葉枝皇子(おおばえのみこ)、小葉枝皇子(こばえのみこ)、隼別皇子(はやぶさわけのみこ)、雌鳥皇女(めとりのみこ)

六郷満山開山1300年にあたり、国重要文化財である若宮御神像5躰が初公開されてたそうです。
4/25-5/7で終了し、またもや人の目にはふれることのないとこにおられます。






神さまと仏さまが日本で最初に出会った宇佐

2018-05-26 | 旅・九州


今年は1300年だそうでパンフにも看板にも



全国に4万社余りある八幡社の総本宮、宇佐神宮。
今住んでる氏神さんも応神天皇が祭神で地車に八幡って掲げてる、けど総本宮の話出たことない。
実家の産土神である余部(あまべ)神社も応神天皇と比売大神と素戔嗚命を祀る。

今まで宇佐神宮が大元だという話したことも聞いたこともない。
けど、巡り合わせで初参拝が正式参拝で嬉しい。





5/21(月)13時に先達さんに案内されて鳥居くぐる。


八幡大神の御顕現は571年(欽明天皇32年)とされ、725年に現在の地に一ノ御殿が建立されました。
本殿3棟は国宝に指定されています。



楼門中に入らせていただきましたが撮影禁止、画像はありません。

上宮本殿前の板廊下に整列。
五月晴れで気持ちの良い風が吹いていて清々しい参拝日和でした。
神仏習合そのままの地ですから、二礼四拍一礼して、高台寺住職さんの先達のもと般若心経を唱えました。

かつて四国88箇所の本堂と大師堂の各2箇所で唱えた般若心経、うろ覚えながら一緒に。
ツアー28名の多くの方がちゃんと暗記されてて唱えられるのが驚きでした。




大元神社が鎮座する山が見えます。



左の看板には
「左手奥に見える山が、宇佐嶋とも呼ばれる御許山(馬越峰)です。宇佐神宮発祥の聖地として摂社大元神社が鎮座し、現在でも毎月の祭祀が厳修されています。」



こちら宇佐でも上宮・下宮があり、ご祭神は同じ。
下宮は古くは御炊殿(みけでん)といわれ神へ捧げる食事を調理する場でもあったそうです。




大鳥居くぐってすぐ左手に大尾山参道が伸びてます。
どれぐらいの距離があるのかもわからず参拝しませんでしたが、大尾神社は和気清麻呂が道鏡事件で神託を受けた時、八幡大神はここに鎮座されていました。






西参道からずっと先に呉橋が見えますが、時間がぎりぎりでそこまでいけなかった。

呉橋を渡ってすぐに弥勒寺跡。


738年に建立された宇佐の神宮寺である弥勒寺は、明治の神仏分離により廃寺となり、今は跡形だけ残ります。

八幡神と仏の融合する神仏習合は宇佐神宮が発祥です。

六郷満山開山1300年の、718年は宇佐八幡神の化身ともいわれる仁聞菩薩が六郷満山を開いた年です。
この後に訪れた、真木大堂や富貴寺等の開山に718年と書かれてありました。

神仏習合発祥の地 宇佐・国東半島の行ったとこ

2018-05-25 | 旅・九州






国東半島の中央、両子山(ふたごさん)から海岸へ向かって放射線状に谷筋伸びてます。
6つの郷があり、奈良から平安時代にかけて、宇佐神宮をはじめとする八幡神への信仰に、山岳信仰、天台宗が結びついて生まれた神仏習合。
この独自の仏教文化が六郷満山文化。

養老2年(718)仁聞(にんもん)菩薩は、国東半島に28の寺院を開基、6万9千体もの仏像を作ったことから始まります。
今年2018年は開山1300年。

これだけの偉業を成し遂げるのは神業だということで仁聞菩薩とよばれ、宇佐の八幡神が姿を変えて人格化したともいわれるのだそうです。

火山が噴火して堆積した岩石は彫りやすいので、古代中世の古仏や独自の国東塔や磨崖仏が現存し、石造文化の宝庫となっています。
全国の約8割の石像仁王像が国東半島にあるそうです。


ちなみに開山1300年、去年は白山だったし、今年は大山で、六郷満山も1300年。
718(養老2)年ってどんな時代だったか

710 元明天皇により平城京遷都・藤原不比等により飛鳥の厩坂寺を興福寺として平城京内に移転
712 太安萬侶(おおのやすまろ)が古事記を編纂
713 各国の『風土記』編纂を指示
715 元正天皇(女帝)即位
718 薬師寺・飛鳥の法興寺を元興寺としてが平城京内に移転
720 日本書紀が完成


奇跡の一枚★USAのご神託や如何に

2018-05-25 | 旅・九州


昨日デジカメ画像を確認していて見つけた。。
旅の初日午後、宇佐神宮参拝後熊野摩崖仏へ向かう車窓より撮影したものです。

動くバスの中から、山腹に見え隠れするUSAの看板を激写(^^)V
アメリカ西海岸の HOLLYWOOD みたいなのが見えるのに気づいてシャッター押そうにも、建物影になったり、バスの窓枠から外れたり・・・
おまけに私の座った席は見えるのと反対の左側列で、
やむを得ず適当に、いや念を込めてシャッター押した。

まさか、右横のトラック荷台隙間に写ってるなんて‼

USAのご神託は、まさにUSA
おりしも、昨日米朝会談中止の報道に、やっぱりキーワードだと実感した次第です。

宇佐神宮は昔から神託を授かるところ、和気清麻呂が出向いて道鏡の宇佐八幡宮神託事件筆頭に。



ずっと前から、宇佐へは個人で行くつもりだったので、新幹線から小倉で乗り継いでJR宇佐駅、ここの看板が気になる。



けれども今回はツアーで観光バスで移動してるのでJR駅行かない、残念と思ってました。

駅ホームに立つ看板画像をネットで探して頂戴してきましたが、なんと画像右端に「USA看板」写りこんでますよ。



こんな風に山腹に立つ看板です。
旅立つ前にUSA看板あるのは知らなかった。
見つけたときは超うれしかっただけに、まさかの奇跡の一枚にびっくりでした。


正式参拝させてもらった宇佐神宮の話は次に続きます。



神様と仏様が日本で最初に出会った地、宇佐。





鳥居の先に、昼間に出て深夜に沈む上弦の月が見えてました。

人間の目って遠くも近くも何でもみえるけど、カメラで切り取るのは難しい。
心のシャッター押しても自分だけの思い出、共有はできない。
画像なくて稚拙な文章のみでは拙ブログは成立しないもの。


★見たままを次に書く前に、宇佐のややこしいいきさつは以下で。
昨年末には富岡八幡宮の事件もありましたね~

宇佐神宮宮司らの罷免を求め市民が署名活動 市民団体「信頼関係壊した」 神宮「批判は一部の人」
[大分県]西日本新聞 2018年01月30日 06時00分

神職についてのいざこざは Wikiページとかで



国東半島の熊野磨崖仏、すごかった

2018-05-23 | 旅・九州


超マニアックなツアー行ってきました。
「個人では行きにくい国東半島をじっくり巡る 非公開文化財特別公開へご案内 僧侶と巡る開山1300年六郷満山と高千穂峡3日間」

宇佐神宮はずいぶん前からいつか行きたいと思ってました。
その宇佐神宮で正式参拝して六郷満山巡るって絶好のチャ〜ンス!

初日、新大阪8:18発ののぞみ99号で小倉着10:30。
そこから観光バスで宇佐神宮へ。

ツアー参加者28名中14名が一人参加って、やっぱりマニアック。

お天気にも恵まれ充実した3日間の旅終えて、今晩10:10頃無事に家に戻りました。

一番最初にどこからご紹介しようか、とりあえずスマホ画像見て、熊野磨崖仏にしました。
3月下旬に紀州の熊野の那智原始林歩いて三山参拝した流れもあるし。




8mはある不動明王が圧巻です。

先月BS11の番組で見た画像は



TVで見た時もすごいなぁと思ったけど実物はもっとよかった。

山腹の磨崖仏までの坂道が想像以上にハードでした。








鬼が一夜で築いたと伝えらえる石段は、自然石の乱積みですから十分注意して登らないとね。
あの熊野の神倉神社石段と同じ雰囲気でした。

やっと到着して左手の巨岩壁に日本一雄大な大日如来と不動明王







阿蘇山の噴火で堆積した岩石なので彫りやすい代わりに風化も進む。
不動明王左脇侍像の外側に、高さ1.5mほどの方形に、巾子冠を付けた男神像の姿がある。
この時はじっくり観察しなかったけれど、先ほどデジカメ画像確認してパンフレット読んだら書かれてました。

この地が熊野神社境内であることを思えば、この二軀は家津御子、速玉の二神と想像され 右方の崩れた処にも夫須美神が刻まれていたものではなかろうか。




皆が揃うのを待って、山伏の装束の先達の高山寺住職さんと一緒に般若心経唱えた。
錫杖で邪を祓ってくださってさらに有り難み増した。



さらに登ったところに、熊野神社お社があり、その左奥の岩がパワーあると聞いたので、皆さん疲れをものともせずまた昇った。











この岸壁には何にも見えず感じず。
大きな不動明王と大日如来像は、ちゃんと目に見える造形で凡人にもとても印象に残る熊野摩崖仏だった。
お天気に恵まれて99段の階段上がれてよかったと、つくづく感謝です。





鬼の築いた石段
紀州熊野から田染に、お移りになった権現さまは霊験あらたかで、近郷の人々はお参りするようになってからは家は栄え、健康になりよく肥えていた。その時、何処からか一匹の鬼がやってきて住みつきました。鬼はこのよく肥えた人間の肉が食べたくてしかたないが権現さまが怖くてできなかった。
然しどうしても食べたくなってある日、権現さまにお願いしたら、「日が暮れてから翌朝鶏が鳴くまでの間に下の鳥居から神殿の前まで百段の石段を造れ、そうしたらお前の願いを許してやる。然しできなかったらお前を食い殺すぞ」 と云われた。権現さまは一夜で築くことはできまいと思って無理難題を申しつけたのですが鬼は人間が食べたい一心で西叡山に夕日が落ちるて暗くなると山から石探して運び石段を築きはじめました。
真夜中頃になると神殿の近くで鬼が石を運んで築く音が聞こえるので権現さまは不審に思い神殿の扉を開いて石段を数えてみるともう九十九段を築いて、下の方から鬼が最後の百段目の石をかついで登って来る。権現さまはこれは大変と、かわいい里の人間が食われてしまう、何とかしなければと、お考えになり声高らかに、コケコウーロと鶏の声をまねられたら、これを聞いた鬼はおわてて「夜明けの鶏が鳴いた、もう夜明けか、わしはこのままでは権現さまに食われてしまう、逃げよう」と最後の石をかついだまま夢中で山の中を走り、一里半(6キロ)ほど走ってやっと平地に出ましたが、息がきれて苦しいので、かついだ石を放ったら石が立ったまま倒れないので、そこを立石(速見郡山香町)と呼ぶようになった。
鬼はそのまま倒れて息絶えた。これを聞いた里人たちは、これで安心して日暮らが出来る。これも権現さまのおかげと、岩に彫んだ大日さまのお加護であると朝夕感謝するようになった。


チケット制太極拳教室で只今88式

2018-05-20 | 太極拳


2年前2016年7月17日が一枚目の一番最初の稽古日でした。
1回90分の稽古が1000円で12枚綴りのチケット制の教室です。
貧乏性のおばちゃんにはぴったり( ◠‿◠ )

1週間に一度を目安に通って7枚目に突入。

10式、16式、24式、五ほ拳、終えて、
ほぼ体に順番が沈み込んだように思えます。
今は88式のどこらへんか分からんとこ練習中。
頭こんがらがります。
ボーっとやってたらまぎらわしくて間違えます。
体操のような順番なぞりながらも、太極拳は武術なのでそれを忘れちゃダメ。


それぞれの型に中国語の名前ついてるけど、覚えたのは雲手と書いてユイショウだけ。
このパターンが足も手も体重の移動も私には難しい。

もうすぐ2年になる頃になって、初めて太極拳で検索してみた。


太極拳には大きく分けると2つあり、昔から伝わってきた伝統拳と、
中国の体育機関が健康増進を目的に広く世界に広める為に作りあげた制定拳です。

伝統拳は大きく5つの流派があり、それぞれ陳式、楊式、呉式、孫式、武式、と興した人の名前に由来しています。
最初に1600年頃河南省陳家溝にて陳王庭とその一族により編み出されたのが陳式太極拳で、太極拳の始まりとされています。

この陳さんは河南省の少林拳を学んでたが飽き足らなくて、自分であらたに始めたそう。
そうなんや、少林寺に満足できなかったのか…


その後、楊露禅によって楊式太極拳が作られ、そこから呉式と武式が生まれ、孫緑堂が武式と他の中国武術を組合わせて作ったのが孫式太極拳となった。

中華人民共和国が誕生して、過去の義和団事件のような武術集団をのさばらせないよう、太極拳を武術からスポーツというか体操にして牙を抜いたんだって。
1956年、ゆったりと大きな動作が特徴的な楊式太極拳をベースに、国家体育委員会が健康増進を目的に作られた制定拳は、簡化24式、48式、88式太極拳などがあります。

88式は、楊式太極拳の動きが多分に含まれた太極拳だそうで、今んとこ実に興味深く学んでて楽しいです。

スロートレーニングのことは以前書きましたが、ゆっくりする、のではなくて、ゆっくりになる、これがまだ体得できてません。
学んで回数を重ねてなくて体に染み込んでない型パターンほど早くなってしまいます。
ゆっくりとできるということ、これには深い意味がありそうです。
早くできるからスゴイんではなくて。

初めてのアブサン@呂仁

2018-05-19 | 日々是好日


チェコのアブサンだそうです。
ブルーがきれいですが怪しげな色でもあります。
昔からアブサンって怖いと聞いてたから飲んだことなかった。



ロジンバーのカウンターに座ったので、オーナーがいて



自家栽培してるというミントの葉っぱでモヒート作ってもらった。

カウンター席の左右が常連のオッチャン達でアブサンの話になった。
味見でショットグラスにちょっといただいた、後で撮影したからグラス空っぽです。


わぁ好きな味やん。
なにこのミントみたいな、普通と違う味はと言うと、薬草なんだって。
ルーマニアやウズベキスタンで買ったリキュールに似てるかも。


家に帰ってから調べてみた。



これはピカソの「アブサンをのむ女」

あの時代、ヨーロッパではアブサンに溺れる芸術家とか作家とかうじゃうじゃいたんですね。
ゴッホは耳を自分でそぎ落とすほど病んでたんだ。


で、そのアブサンに入ってた薬草とは、ニガヨモギでした。



ヨモギ属の多年草でキク科の植物で、苦艾(くがい)という名前で生薬でもあります。
西洋ではワームウッドという名前のハーブでも流通してます。
モロッコではミントティーに使われたりもするそうで、モロッコでミントティーにはまったからもともと好きな味なんでしょう。

リキュールとしてはアブサンだけでなく、チンザノ、ベルモットは白ワインにニガヨモギを漬けたリキュールです。
アブサンというリキュールはツヨンという中毒性の物質があるとされ世界中で禁止になっていた時代があり、それで怖いと思ってたのでしょう。

その毒性に否定的な意見、アルコールの飲みすぎが根本の原因との見解があり、現在では販売されています。



ニガヨモギってどこかで聞いたと思ったら、

ヨハネ黙示録8-10
第三の天使がラッパを吹いた、すると松明のように燃えている大きな星が天から落ちてきて川という川の三分の一とその水源の上に落ちた。この星の名は「苦がよもぎ」といい、水の三分の一が苦がよもぎのように苦くなってそのために多くの人が死んだ。

ここに書かれてるニガヨモギがウクライナではチェルノブイリ、
あの原発事故を予言してたと言われてた。
でもこれは都市伝説だったみたいです☞こちら

牡牛座天王星の時代に突入

2018-05-17 | 世情雑感
星座表の美しい画像をシェアしま す。
www.starchart.info

今は昼の2時台ですから太陽が出てて星空は見えません。

今朝未明、ちょうど12時間ほど前、架空請求詐欺メールの着信音で目が覚めてしまい、夜が明けるまで起きてました。
5/15が新月なのは知ってましたが、なんか頭がざわざわして眠れなった。

先ほど星のめぐりを調べてたら、
今月15日に牡牛座の新月を迎え、翌日16日には7年かけて動く天王星が牡牛座に移行します。
5月は全ての人にとって、今年最大の転換期とも言えるタイミング。
また、大きなサイクルでみれば84年に一度の転換期。
15、16日を境に明らかに、時代のテーマが書き換わるような流れに入ります。

引用元 こちら


それで、星座表アプリを立ち上げて、牡牛座と天王星の位置を確認したのが最初の画像です。


先のブログは、さらにこう続きます。
牡牛座天王星の7年間は、「物質世界」つまり既存の社会や世界が、目に見えて変革していくようになります。

天王星は言わずと知れた、破壊力抜群のパワーを持っています。
不要なものを全て容赦無く壊す。
そして必要なものだけを残し、そこに新たな種を芽吹かせ純粋な世界を再生する力を持っています。

それが牡牛座の象徴する、物質世界、暮らし、お金などに起こるわけですから世界がひっくり返る感覚がイメージできるのではないかと思います。

古いシステムややり方にこだわり続ける人は、目に見える形で崩壊していくのではないかと思います。


続きは ☞ こちら



表面的に取り繕われたものがボロボロと崩壊していく時代。
おそろしくもあり楽しみであり…

84年前、昭和9年(1934年)の出来事



天王星は
公転周期が84年、人間の平均寿命ほどの長い時間をかけて太陽系を一周し、その間一つの星座には7年ほど滞在。
天王星は夜空を探しても肉眼ではほとんど見えず、望遠鏡の発達にともない発見されたのが18世紀の終わり頃。ギリシャ神話の天の神ウラヌスの名が付けられた。
それ以前の古典占星術では、肉眼で観測できる土星が最遠の惑星とされていたので、天王星が発見されたこと自体が衝撃的だった。
そのころアメリカ独立戦争やフランス革命、産業革命の時代であったため、天王星は「革命の星」と定義づけられた。
天王星自体も、自転軸がほぼ横倒しになっているという太陽系の中でも個性的な天体である。

前回の天王星の移動は、2010年5月28日~2011年3月12日の間に起きた。
引用元:あちら

地形が変わる天変地異も起こりやすいのが牡牛座天王星の時代でもあるようです。
ご自分でググってみてください。



追記:あちらのブログの後編で、天王星が牡牛座に入って予想されること、太陽星座別が載ってます。

天秤座の場合
天王星はあなたに何か意外なものを授けようとしているようです。それは物質ではないかもしれません。何かの能力とか、役割とか、任務のようなものでしょう。あなたはそれを受け入れるために、今まで持っていたある物を手放す必要が出てくるでしょう。もし今までのものに執着があるなら、その手放しは痛みを伴いそうですが、気持ち良く軽やかに手放すことができれば、明らかにステージが変わります。その変化は表立って見えるものではありませんが、周囲の人にも恩恵をもたらすのです。

こわいよ~


アザミ★架空請求にあざむ

2018-05-17 | 世情雑感


アザミ 漢字だと 薊 と書くようです。

トゲトゲ葉っぱを触ると痛くて、
驚きあきれ興ざめする「あざむ」という古語が語源という説も。




昨日届いたハガキは表に宛名だけ、裏にはシール貼られてて剥がす仕様。
どうみてもおかしい。



やっぱり架空請求詐欺だった。

昨夜は携帯アドレスに架空請求詐欺メール届いてた。
開封してないのでスクリーンショット撮れないけど。

なんかいっときにやってきて、ウンザリ。
夜中に着信音で起こされて目が覚めてしまったわ。


ジョエル・ロブションのシャーベット、まずはバジルとライムから

2018-05-15 | 日々是好日


先週、姪からお祝い返しにクール宅急便が届きました。

セレブなアイスクリームとシャーベットのセット(o^^o)

こんな高級品いつ食べよと妹と電話してたら、仕事頑張った時とか?
リセットしたい時もいいかなと、まずはバジルとライムから



ジンやウォッカ飲む時はライムが好みだし、チューハイならレモンです。
チョコレートも最近はカカオ86%のビターが好きなので、このシャーベットも美味しく頂けました。


なおちゃん、ありがとう。
ネットで見たら自分ではとても買えないわ。




すでに覗かれてた <`~´>!!

2018-05-14 | 日々是好日


5/11 に 2018 年間ビジターアンケートというフィッシングサイト の記事コメントで
Gメールがいいらしいですよと書きました。
そのリンク貼った先で、二段階認証にした方がいいとアドバイスされてます。

2010年6月からGメール使ってますが、自分のパスワードを忘れてしまってた。
セキュリティチェックのためアカウントを確認してみたら、
なんと、びっくりの結果でした。

最近使用した端末の一覧がずらずら~っと、
一番上が今使っているデスクトップです。
にもかかわらず、Ipad 6分前、とか
ありえへん!
おまけに門真市で5/11、大阪市で5/8にアクセス?

きもちわる~



この投稿記事のカテゴリー、とても「日々是好日」ではないけれど、
まぁわかってよかった、という意味で。

気分転換に土曜夕方の画像をアップしときます。







日曜午前中に稽古行ってる太極拳、
昨日はだんじり祭で行けないのがわかってたので振替てもらったのでした。
いつもは自転車ですけど、少しでも歩くために、心入れ替えたので。





綺麗な薔薇も見れてよかった。






雨にぬれても だんじり祭

2018-05-13 | 日々是好日


朝8:30に大枝神社集合の時点でぽつぽつ降り出してた。



雨天決行なので( ; ; )
準備重ねてきた方々のガッカリお察しします。

10:30からの式典終わって、テント内で配られた牛丼食べてたら



天乃神社の太鼓台が始まった。
雨で中止にならなかったんだ。



半被に橋の絵柄って珍しい、
菅原道真公を祀る天神さんのはずやのに何でかな〜


関係者の方で知ってそうな人と目星つけて尋ねたら、

直原玉青さんが橋波住まわれてた南画の大家で名誉市民、でその橋波に鎮座する天乃神社のモチーフとして描かれたんだって。
たまたまお尋ねした右の男性が、直原さんのご子息で左がお孫さんだった。
やっぱりオーラ立ってたのかな。

だんだん本降りになっても




太鼓集団「独楽」の演奏は中止にならなかった。

簡易ビニールカッパだけで傘もささず、足元からびしょ濡れ。

老兵は去りゆくのみ^ ^
(もともと地車にシニア女性は枯れ木も山の賑わいでしかないし、ビニールカッパ着てたらまず不要な存在なんです、言い訳しときます)


コソッとフェードアウト。

三日坊主にしないために

2018-05-11 | 日々是好日


今日は晩御飯作ってから夕方6:10スタート。
2週目には落日が美しい。



公園内の芝生でサッカーチーム2組いた。
隣のコートではラグビーしてる学生チームも。
テニスコートは柵に加えてネット貼られてて音はすれども。

柵外では、小学生が個人的にかな。


わずか25分ほどで2,683歩、距離にして約2km。

昨日は朝6:05分からやはり25分ほど歩いた。

今度は日が暮れてナイター照明を見に行ってみよう。