秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

ふたりの女王 エリザベスとメアリー

2022-09-13 | 旅 イギリス
エリザベス女王の訃報聞いて9日の朝ブログ書きました。


ロンドン橋落ちた - 秋麗(あきうらら)

今朝知った1番のビッグニュースは英エリザベス女王、死去英王室発表-BBCニュース英王室は8日夕、エリザベス女王が滞在中のスコットランド・バルモラル城で亡くなったと発表...

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スコットランドのバルモラル城、初めて聞いた場所で、
エリザベス2世はどんなご縁でスコットランドで最後を迎えられたんだろうと思いました。




そのバルモラル城から棺が後部ガラス張りのベンツで運び出される映像も観ました。
その町に長く親しまれたそうで、多くの市民が街道筋で見送る姿が印象的で、
ただ単に避暑地だけ以上の思いと繋がりを感じました。


Wikipediaでは、第二次世界大戦さなかの疎開地としてバルモラルが上がってました。


棺は11日午前10時ごろにバルモラル城を出発。
アバディーンやダンディー、そのほかの村や町を経由し、
6時間かけてエディンバラに到着したという報道。







棺はセント・ジャイルズ大聖堂に24時間安置されるそうで、スコットランドと深いご縁がおありなのかなと。
12日にアン王女と共にエディンバラ空港からロンドン北西部ノースホルト空軍基地を経由してバッキンガム宮殿に戻る。
国葬は19日ウェストミンスター寺院で執り行われるそうで、TVでは次々とさまざまな情報提供しています。





調べてて気づいたのはエリザベス2世のお名前が、
エリザベス・アレクサンドラ・メアリー








母がエリザベスで、
父ジョージ6世の母がメアリー
祖父ジョージ5世の母がアレクサンドラ

でも、このお名前知った時、真っ先に思い出したのが、
エリザベス1世時代にスコットランド女王だったメアリーでした。
時は16世紀、日本でいえば戦国時代の話です。


マーマレードとスコットランド女王メアリー - 秋麗(あきうらら)

マーマレードとスコットランド女王メアリー - 秋麗(あきうらら)

マーマレードはスコットランド発祥で、その名の由来はいろいろあるけれど、フランス語のMariemaladeマリ・マラード(病気のマリー)に綴りが近いからといういう民間伝承があ...

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2014年夏ロンドン行った時の記録です。
その続き、というか最終章みたいで、カテゴリーを「旅イギリス」にしました。






メアリー・ステュアート Mary Stuart(1542-1587)
1587年2月8日 断頭台で波乱万丈の悲劇的な生涯を閉じました。

その命を下したのが、メアリー・ステュアートと同時代を生きた

エリザベス1世(1533-1603)在位は1558年



エリザベス1世とのライバル関係は、英国国教会とカトリックとの軋轢などもありドロドロの展開。
最後はメアリーは斬首されます。
その時まとっていたドレスに隠された刺繍があったとか。

メアリーは死の数年前に、ラテン語で
《 Virescit Vulnere Virtus 》 我が終わりに我が始まりあり
という文言と、火の中で甦る鳥フェニックスを刺繍に残していた。


スコットランド王家で、メアリーの子はジェームス6世となってました。
1603年エリザベス1世崩御後、跡継ぎのいないイングランドはジェームスが王となり二つの王家は統合され、王名はジェームス1世に。

メアリーの息子ジェームズがイングランド王としても即位すると、
母親の棺を歴代君主が眠るウェストミンスター寺院へ移送。エリザベスより少し高い位置につくられた墓所で、メアリーはやっと安らかな眠りについている。


エリザベス1世とメアリー女王が共に眠るウェストミンスター寺院で、
9月19日エリザベス2世の国葬。
全てを終わらせたかのごとくです。







スプーンおばさんを思いだした あきこさんちの庭

2014-10-25 | 旅 イギリス
うちの子達が生まれて間もないころ夕方に「スプーンおばさん」というアニメが放映されていました。
放映期間を確認してみると1983年4月4日から1984年3月9日まで。
長男が1981年7月生まれ、長女が1983年10月なので夕食の支度をする間TVに子守してもらってました。
ときどき手を留めて見入ることもしばしば。



公式サイトによりますと
ペンダント代わりに、スプーンをいつも首にかけている「スプーンおばさん」。
小さな村でペンキ屋のご亭主と暮らしている。
おばさんは元気で無邪気で働き者で、村のみんなの人気者。
スプーンおばさんがふつうと違うところは、突然体が縮んで首にかけたスプーンと同じくらいの大きさになってしまうこと。
小さくなれば動物たちと話ができて、小さいからこそ出会えるステキなできことや冒険もいっぱい!
時間がたつとちゃんと元に戻るので、このことを知っている人はほとんどいない。
 



スプーンおばさんの体が縮んで冒険するという設定は忘却のかなたでした^^
木苺をつんだり、台所で鍋をかき回していたり、ジャムを作ったりしてたシーンが印象に残っています。

原作はどこの地方の森や村を思い描いてたんだろうと検索してみると
ノルウェーの児童作家アルフ・プリョイセン(Alf Prøysen, 1914年7月23日-1970年11月23日)
童話『胡椒瓶おばさん』をアニメ化したもの

ノルウェーとイギリスでは少し緯度に違いはありますが、
欧州の北のほうの森や小さな村では同じ景色が見られたのかもしれません。

9月はじめロンドンのあきこさんちで4晩も泊めていただきました。

庭にわんこがいます。




芝が植わっていてかなり奥行きがあります。
右隣のおうちの林檎の木や葡萄の木が塀を乗り越えて侵入してくるので、
こちらの庭で収穫するりんごやぶどうはありがたく頂戴してるんだって。


ぶどうにはちゃんとビニール被され大事に見守れていました。





夏には木苺が美味しくて朝食前に庭に出て自分が食べる分を摘むんだそうです。

うっかり歩いていると

めっちゃデッカイなめくじが、ごろごろあちこちに。

一番おもしろかったのは右奥の大きな木の切り株?


ひとつの枝には洗濯ロープが巻きつけられていました。
ちゃんとわんこが登りやすいように背面には板が留められてあったり。
あきこさんもこの木の上に登って空を眺めておいでだったとか。
郷愁にかられたこともおありだったかもしれません。
きっと異国の地で暮らしていくことの困難さは想像以上のものがあるやも。

元気で無邪気で働き者で村のみんなの人気者「スプーンおばさん」みたいなあきこさん。
この木の上でリセットされ笑顔を取りもどされていたことでしょう。



ほんとにお世話になりました。
あたたかくおもてなしいただきありがとうございました。


最後に、マーロウの橋のたもとにあった教会の庭。

風光明媚なテムズ川湖畔のお墓は素敵でした。


イギリスのゴールドポスト

2014-10-14 | 旅 イギリス
確か、ヘンリーオンテムズの町で見かけたゴールドポスト
ふつうは赤いポストなので、何でかなと検索してみると



円柱型のポストは、1874年以来ずっと赤と決まってました。
が、2012年のロンドンオリンピックで、
金メダルを獲得した選手の偉業を称え選手の実家に一番近いポストを金色に塗り替えたらしい。

で、このポストはどの選手の家が近いのかは不明です。

ロンドンに滞在したのは9月のはじめなので、かなり忘れてますが、
画像を見ながら珍しいなと思ったものを記録しておきます。


とあるショップの道路側壁には犬をつなぐワッカがありました。


ザクロやんか、こんな風にして売ってるのね。


この動物風船は、今夏ロサンゼルスでも人気だったらしいです。


ウェストミンスター橋の上で、どこに入ってるか当てるゲーム
自分なら当てれるとお金をかけると、ちゃっかりお金出してる間にすりかえられる。


屋根に鳩がわんさかとまってるのは、この家のインド人が屋根に餌をまいているかららしい。


ロンドンのごみ収集は日本よりダイナミック。
ゴミ袋ではなく、ゴミを入れる収納器を持ち上げて収集車に。







イギリスの国立サッカースタジアムWembley Stadium
サッカー誕生の地です。

テムズ河畔の町 ヘンリー・オン・テムズ

2014-09-27 | 旅 イギリス
ヘンリー・オン・テムズはロイヤル・レガッタというボートレースで有名な町。
ヨーロッパ最古のボートレースとして毎年7月上旬に開催され大賑わいらしい。

先の記事のマーローから、ヘンリー・オン・テムズの間をボートが運航されてるようです。
4月中旬から9月中旬のみ1日1便、所要時間は2時間15分。


18世紀末建造のヘンリー橋


橋のたもとのパブ The Angel (エンジェル)にて



地ビールを飲みました。







ロンドンから西へ55 km、十分に通勤圏です。
テムズ川上流一帯イギリスの貴族やロンドンで成功した商人が進んでカントリーハウスを建てたので
今も大きなカントリーハウスや邸宅が建ち並びます。
ウィリアム王子と 結婚したキャサリン王妃のご実家もこの辺りにあるそうです。
ビートルズのメンバーだったジョージハリスンのお城のような大豪邸もあり今なお家族が住んでるとか。

町中きれいな花が飾られてて、さすがイングリッシュガーデンというだけあるなと思いました。










St.Mary's Church




小さな町なので散策にもってこいです。












ヘンリーネックって、この町発祥らしいです。



マーロウ★BEST KEPT VILLAGE

2014-09-27 | 旅 イギリス
テムズ河畔のマーロウという町に案内してもらいました。
イギリスの古くて美しい村賞に輝く町らしいです。
最も古い町並みが保存されてるコンテストには、いろんな基準が設けられてるようです。→こちら










車2台に分かれて町に到着するも、もう1台のメンバーがどこにいるか探すのに手間取りました。

角のカフェといわれてもね、やっと合流できてランチ済ませる。


マッシュルームスープとパンが5ポンドで紅茶は2.3ポンドぐらい。
高い割には…。

そのカフェから少し歩いた所にマーロウ橋がありました。






テムズ川沿いに建つ古いホテル、コンプリートアングラー(The Complete Angler)
めっちゃ有名らしいですが、帰国後検索して知りました。

ホテルの名前は「釣魚大全(Complete Angler)」という古い本から取られ
ここのティールームでいただくアフタヌーンティーが素敵らしい。

きっとお値段もハンパないことでしょうが、
もう二度と行くことないかもしれないと思うと残念です。




マーロウブリッジは1829年から1832年にかけて建設された吊り橋です。
ホテルの対岸には教会があります。


リバーボート、とてものどかでゆったりと時間が流れてます。


マーロウはロンドンパディントン駅から電車で約1時間。
車でもヒースロー空港からもそれほど遠くないようです。

マーマレードとスコットランド女王メアリー

2014-09-22 | 旅 イギリス
マーマレードはスコットランド発祥で、その名の由来はいろいろあるけれど、
フランス語の Marie malade マリ・マラード (病気のマリー)に綴りが近いからといういう民間伝承があるそうです。

スコットランドのメアリー女王が腹痛の時に食べたから、あるいは仮病を使ってでも食べたかったから。

メアリー女王ってどんな方だったんだろうと興味を持ちました。

その波乱万丈で悲劇的な生涯が、数多くの文学作品や映画などで描かれていますが
私はどれも見たことも読んだこともありません。


『メアリー・オブ・スコットランド』1936年
『クィン・メアリー 愛と悲しみの生涯』1971年公開イギリス映画
『エリザベス:ゴールデンエイジ』2007年のイギリス映画




メアリー・ステュアート Mary Stuart
1542年12月8日 年生まれ  1587年2月8日 断頭台で没
スコットランド女王としての在位は
1542年12月14日 - 1567年7月24日


16世紀半ば、スコットランドは隣国イングランドの侵略に脅かされていました。
イングランドとの戦いに大敗した父の急死によって、
メアリーは生後6日目にしてスコットランド女王に!

5歳のとき、フランスのフランソワ王子の婚約者としてフランスに渡り、フランス宮廷で少女時代を過ごす。
彼女は17歳になって、フランソワ王子はフランス国王に即位した翌年、病弱だった夫フランソワはあっけなく病死。
メアリーは、故国スコットランドに帰らざるをえなくなりました。



イングランドのエリザベス1世(1533-1603)在位は1558年
メアリー・ステュアートと同時代を生きたライバルでした。


スコットランドのメアリー女王は紆余曲折を経て、19年間もの長きに渡り獄中で過ごし、
1587年2月8日、44歳にして処刑されました。

女王メアリーが処刑に追い込まれた背景には
16世紀後半の新旧両教徒の対立、イングランドにのしかかってきたスペインの影といった時代の状況が横たわっていました。

メアリーは死の数年前に「わが終わりにわが始まりあり」
との謎の言葉を手のこんだ刺繍細工の中に縫いこんでいたそうです。

そうした晩年の長い幽閉に耐えるなかで食した、マーマレード。
ほろ苦くもあり、オレンジのかんきつ類独特のさわやかな風味はきっと心癒す味だったのでしょう。


詳しい歴史は以下でご覧ください

悲劇の女王メアリー・スチュアート

エリザベス1世 ~大英帝国の基礎を築いた栄光と繁栄の女王~

エリザベスもまた稀有な人生を送っています。
ロンドン塔から生還した数少ない一人ですし、あのスペインの無敵艦隊を破った女王でもあります。


1603年エリザベスの死とともにエリザベスの遺言によって、
メアリーの息子ジェームス6世がジェームス1世として王位を継ぎ、
イングランドとスコットランドを一つに連合王国が出現しました。

メアリー・スチュアートの血筋は現代のイギリス王家に引き継がれ
あの刺繍に縫いこんだ予言は実現されたのです。
連合王国は子を遺さずして世を去ったエリザベス1世の国民への贈り物でした。

現在ロンドンのウエストミンスター寺院の地下墓地に
メアリー・スチュアートとエリザベス一世は眠っています。

ヴィンテージ オックスフォード マーマレード と スコットランド

2014-09-19 | 旅 イギリス
ロンドン郊外のあきこさんちに泊めてもらって、毎朝焼き立ての手作りパンをいただきました。



用意された数種類のジャムの中で、この真っ黒なマーマレードがいたく気に入りました。

どうやら、マーマレードの元祖らしい。
シヴィルオレンジという苦くて種の多いオレンジは生食には向かない。
これをスペインからの船一艘分引き受けたマダムが、ジャムにしたのがマーマレードの始まりだと教えてもらいました。

帰ってから調べてみると、Wikiには

由来が4つ載ってました。
・1700年頃にスペインで誤って船一杯にビターオレンジを買ってしまったイギリスの商人が悲嘆していたところ、奥方がこれを砂糖漬けのジャムにしたところ大変好評となった。その際に、庭で遊んでいた一人息子のメアーをMair Ma lad!(メアー、私の息子よ!) と手伝いに呼んだ事が由来とされた説。

・ポルトガル語由来で、もとはマルメラーダ (ポルトガル語: marmalade)と言うマルメロの砂糖漬けのような食品を指すものが由来とされた説。

・マリ・マラード (仏: Marie malade, 病気のマリ) に綴りが近いことから、スコットランドのメアリー女王が腹痛の時に食べたから、あるいは、仮病を使ってでも食べたがったから、という民間語源がある。

スコットランドのダンディーで、現在の形のマーマレードが初めてつくられたとされている。




スーパーに案内してもらって、3種のマーマレードを購入しました。

真ん中はフランク・クーパー ヴィンテージ オックスフォード マーマレード

イギリスのマーマレードといえば“フランク・クーパー"といわれる逸品として今日まで愛され続けています。
エリザベス女王が愛する英国王室御用達のマーマレードです。
焦がしたキャラメルの甘みと苦みがチーズにぴったりのヴィンテージマーマレード。
「オックスフォード・マーマレード (Oxford Marmalade)」は、フランク・クーパーズによって有名になった。


右端は、買うときは知らずに買ったけど、「マッカイ」(Mackays)のマーマレードのようです。

スコットランド地方のダンディーマーマレード→こちら

このブログからそのまま引用させてもらいますと

現在、私たちが食べているマーマレードの起源は、英国・スコットランドの街 ダンディー(Dundee)の海岸沿いで、お菓子(キャンディ)を売る小さなお店を経営していたケイラー一家が1700年代に作り出したといわれています。
スコットランドでは、オレンジは栽培されていません。
由来は、ダンディーの海岸に大量のセヴィル・オレンジを積んだスペインの船が冬の嵐で遭難。売り物にならなくなったオレンジを、ジェイムズ・ケイラーが、二束三文で全部買い取ります。

しかし、このセヴィル産のオレンジ、予想に反して、渋みと苦味があり、売り物にならないことに気づいた彼は消沈。そんな夫を救ったのが妻のジャネット。
彼女は、それまでのオレンジを煮て作るジャム(実と汁を煮詰めるだけ)でなく、皮を捨てるのがもったいない、というスコットランド人特有の無駄を好まない性格から、皮を厚切りにして刻んで使いました。
これが、オレンジ独特の香りと甘さと苦味のバランスの取れた「マーマレード」の誕生の瞬間です。



ということは、あきこさんから聞いたエピソードも、Wikiに載ってたことも同じ話ですね。
シヴィルオレンジは、スペインのセヴィル・オレンジ(seville orange)
日本語になると、セビリアだったのですね。

そういえば、スペインの街角ではオレンジの街路樹よく見かけました。


どうやらスコットランドの独立の住民投票は NO 反対で決まりのようです。


このマーマレードの起源を調べてると、
スコットランドのメアリー女王やイングランドのエリザベス1世が登場します。
現在はエリザベス2世です。

1603年、エリザベス1世の死とともに彼女の遺言によって、
イングランドとスコットランド連合王国が出現したのでした。
あれから400年!

二人の女王の数奇な運命は、とても興味深かったので、項を改めます。
次に続く


ロンドンの地下鉄はサブウェイではなくてアンダーグラウンド

2014-09-17 | 旅 イギリス
今イギリスは大きな曲がり角にきてます。
明日スコットランドの住民投票で独立か否かが決まります。



テムズ川のリバークルーズをウォータールーで下船して、ウェストミンスター橋を渡る。
地下鉄どこやろうと探したら



Subway ではなくて、Underground だった。
後で調べたら、Tube(チューブ)とも呼ばれるようです。
イギリスでサブウェイは地下道かサンドイッチ屋さんとなるらしい。


ピカデリー線のこの駅で1日券(8.9ポンド)を購入。






日本の車両より低くて、中も狭かった。
車内ではちょっと恥ずかしくてシャッター押せなかった。

郊外の駅だったので地上をしばらく走り、途中から地下に入りました。



地下鉄は11路線あり300ぐらいの駅があるそうです。
途中で二股に分かれたりもするので、常に路線図みて駅名確認を怠らなかった。

駅での乗り換えも案内がしっかりしているのでわかりやすい。
しかしピカデリー線はとても深いところを走っているようで、
何度もエスカレーターを乗り継いで深い地下へ、これがちょっと怖かった。



地下鉄1日券でバスも乗れたので、お試し乗車。


思ってたよりも地下鉄は初心者でも安心して乗れました。


イギリスの地下鉄について書こうと検索してたら、
日本地下鉄協会の説明がわかりやすい。

イギリス
「正式名称ではグレートブリテン(イングランド、スコットランド、ウェールズ)及び北アイルランド連合王国という。日本語でのイギリスはイングランドの転訛したものであり、イングランドとはケルト人が侵入者のノルマン系のアングロ人をイングとなまったことに始まる。鉄道発祥の地であり、軌間統一法により採用された1435mmの軌間は、その後世界の標準軌となった。

ロンドン London
英国の首都で人口768万人。イングランド南東部、テムズ川河口から約60km上流に発展した英国の政治、経済、文化の中心地である。ローマ時代のロンディアムに遡る歴史と伝統が生き続ける街で、銀行や商社が集中しているシティと呼ばれる区域が市の中心的存在となっている。国会議事堂、バッキンガム宮殿、ウエストミンスター寺院、ロンドン塔、大英博物館など歴史的な観光名所も多い。



ロンドン地下鉄は、1863年にPaddington(Bishop's Road)~Farringdon Street間6駅6kmで、世界初の地下鉄(メトロポリタン鉄道)として開業した。「通勤者」ということばが使われ始めたこの時代、郊外から乗り入れる鉄道が都心の建物密集地帯にターミナルを設けられないために、都心部の地下を走行する鉄道として計画され、開削工法により建設された。
動力として電気が使われ始める前の地下鉄は、蒸気機関車によって牽引されていたため排煙対策が大きな課題であった。しかし、1890年には、現在のノーザン線で電気機関車牽引による運行が世界で初めて開始されたのに続き、1898年開業のウォータールー&シティ線では電車による運行を開始、以来路線延伸が着実に進められてきた。

続きは→日本地下鉄協会

テムズ川シティクルーズでみたロンドンの建造物

2014-09-15 | 旅 イギリス
ロンドンを移動しながら観光する一つの方法にテムズ川の水運による遊覧もあります。
リバークルーズがあるのは事前にネット検索で確認していたけれど
片道だけのれるかどうか行き当たりばあったりで、ロンドン塔の船着場を訪れてみました。
無理ならウェストミンスターまで地下鉄もあるし最悪歩くこともできるし。



シティ・クルーズは、グリニッジ~ロンドン塔~ロンドン・アイ~ウェストミンスター間を運行していました。

地下鉄の一日券(8.9ポンドー約1600円程度)を購入してたので、
テムズ川ではそれが適用され2ポンドほど安くなりました。
Waterloo-London Eye 間は 4.5ポンドで買えました。



イギリス人の歴史に深く関わっているテムズ川は、食料の供給源、水資源、交通路そして境界線など大きな役割を果たして来ました。
見どころ満載です。


シーザーがこの地に遠征してきて記録を残したのが紀元前54年。
その後西暦46年にはローマ人が今のロンドン橋付近に最初の橋である木製の橋を架けました。
最初の画像の橋はロンドン塔すぐそばにあり塔内からも見えていました。
この橋をロンドン橋と間違う人が多いらしいけれど、タワーブリッジです。



♪London Bridge is falling down 
で有名な英国童謡に出てくるロンドンブリッジは


おそらく歩いて渡っている人が見える橋の奥に写っている橋↑

洪水に流されたり、大火に焼かれたりと何度も何度も橋は落ちました。
そのつど橋が架けられてその回数の多さから『ロンドン橋落ちた』という民謡が生まれてます。
1750年にウェストミンスター・ブリッジが架けられるまで、
ロンドン市内でテムズ川に架かる橋としては唯一のものであったそうです。







地図から判断すると、ダ・ヴィンチ・コード出てきたテンプル教会がこのあたりに。
こんな大きな建物ではなさそう。


ビッグベンが見えてきました!






その対岸のロンドンアイ側に接岸されここで下船しました。



橋を渡って、ロンドンアイを撮影





Wikipediaによりますと
ロンドン市内よりさらに上流、河口から90kmの距離まで、北海の潮汐の影響を受ける。
ロンドンはローマ帝国支配下の紀元前43年に満潮時に潮が達した地点に築かれたという逸話があるが、2000年ほどの時間の間にさらに上流まで遡るようになってしまっている。
ロンドン市内では、水は海水と混ざり少し黒い色をしている。


テムズ川は346kmの長さである。
コッツウォルズの丘の近くのケンブル村に源泉がある。
オックスフォード市の中を流れ、ウォーリングフォード、レディング、ヘンリー・オン・テムズマーロウ、メイデンヘッド、イートン、ウィンザー、そしてロンドンの順に流れていく。
オックスフォード市の中では、テムズ川のラテン語名Thamesisを短くしたイシス (Isis) と呼ばれている。




イギリス観光で有名な、コッツウォルズやオックスフォードもテムズ川流域にあったのですね。
私はイギリス初めてでどちらも行ってませんが、
ロンドン滞在最終日、ヘンリー・オン・テムズ、マーロウに案内してもらえました。

続く

ロンドン塔のカラスとシロクマと

2014-09-12 | 旅 イギリス
ロンドン塔で大事にされてるカラス、公式サイトから画像いただいてきました。
ふつう3-4時間は見学に要するのを、クラウンジュエルズだけみてすぐ外に出たのでであえなかったから。
このワタリガラスには言い伝えがあります→こちら



どうやらこの古びた塔が、有名な《ブラディ・タワー》のようです。
入場するための行列ができてます。
「ロンドン塔の二王子」少年王エドワード5世とその弟ヨーク公が幽閉された場所です。
1483年を最後に消息を絶ち、シェイクスピア史劇の影響もあり、
二王子はリチャード3世によって暗殺されたものと信じられてきました。
真実は今も闇の中。

ブラディ・タワーはサー・ウォルター・ローリーが13年間に渡って監禁されていた場所でもあります。

ヘンリー3世の時代、この塔はテムズから場内に出入りするための水門だったようです。

隣接する《ウェイクフィールド・タワー》
1220年から1240年の間にヘンリー3世の居城として建てられた塔。
薔薇戦争中に幽閉されていたヘンリー6世が殺害された場所であるともいわれています。
中は拷問器具が展示されているらしいが見てません。





このシロクマは作り物です。
画像はありませんが他にサルのオブジェも見かけました。

13世紀の初め(日本では鎌倉時代)、時の王様ジョン王はロンドン塔内でライオンを飼っていました。
後継者のヘンリー3世が、ヨーロッパの君主たちからヒョウ3匹,ホッキョクグマとゾウ1頭ずつを贈られました。

シロクマは魚を捕るのにロープにつながれてテムズ川を泳いだ時にはロンドンの全市民がその見せ物を楽しむことができたそうです。
後年さらに外来の動物が加えられ、動物園はエリザベス朝時代から一般公開されました。
1830年代に市内のリージェント・パークの新しい動物園に動物が移され、王室の動物園は閉じられました。








テムズ川からみたロンドン塔。



自分の国の歴史ですらちゃんと把握してないのに、よその国の歴史ならなおさら。
学生時代の世界史で断片的に聞いたことある事象や人名が出て来て、
へぇ~そうだったのかと興味は尽きませんでした。

興味おありの方は→波乱の歴史を物語る建造物 ロンドン塔


ロンドン塔のThe Crown Jewels

2014-09-08 | 旅 イギリス


ロンドン塔のプライスレス・トレジャーであるクラウンジュエリーを見るために約20分並びました。





並んでいる途中で、ガイドブックも販売されてます。
建物内は撮影禁止ですから。

運よく、衛兵の交代式も見れました。







ロンドン塔は約 1千年にわたってさまざまな機能を果たしてきました。
王宮、要塞、監獄、刑場、兵器庫、造幣局、動物園など。
歴史的価値が高いThe Crown Jewels は見所のひとつです。
テレビや絵などでしか見たことのない王や女王の身につける金糸のマント
戴冠式などで実際に使われた職杖なども見れます →公式サイト

かつてこのブログでエントリーしたダイヤモンド記事で歴史をかいつまんで
カリナン・ダイヤモンド

世界最古のダイヤ コイ・ヌール(光の山


1666年9月1日、ロンドンは大火事に見舞われました。
↑画像は、並んでいるときに撮影した説明プレートです。


パン屋のかまどから燃え広がった火は4日間にわたって燃え続け、
ロンドン市内の家屋のおよそ85%(1万3200戸)が焼失したそうです。

当時ロンドンでペストが流行していたが、
この大火によって多くの菌が死滅し感染者低減の一因になったとする説も。

またペストによりケンブリッジ大学が閉鎖されたため、
ニュートンは故郷に戻り微積分法・万有引力の法則などの研究を進めたとか。

さらにこの大火より15年後1681年、世界初の火災保険がロンドンで誕生する。

ヨーマン・ウォーダー・ツアー@Tower of London

2014-09-06 | 旅 イギリス
ロンドン塔を訪問する前に下調べしてたら、ヨーマン・ウォーダー・ツアーがとてもおもしろそう。

入場してすぐブラッククロックが目印の集合場所。
ここから30分ごとにスタートして約1時間で塔内を案内してくれます。

ヨーマン・ウォーダーとは14世紀からロンドン塔を守ってきた人たちのこと。
夜警、見学者の安全確認などの任務がメインですが、
各自が工夫を凝らした「パフォーマンス」で見学者を歴史の中にいざなってくれるのが、ヨーマン・ウォーダー・ツアーです。

もちろん無料です。
しかし日本語ガイドを借りるのは別途必要。



ここまでで、もう私のヒヤリング能力では無理なのが判明。
やっぱり日本語ガイドないと、皆爆笑してても何でおもしろいのかわからんし。
お愛想笑いも疲れて離脱し、勝手にお宝ダイヤを見に行くことにしました。

遠めで集団がいるなと思うと


30分ごとに出発するヨーマン・ウォーダー・ツアーです。





詳しくはロンドンナビでどうぞ→こちら




ロンドン塔の入場料はちと高い。
口コミなどによれば、歴史など全く知識なく見学すると、高い割にはイマイチとなる。
事前調査でだいたい20ポンドだと思ってたけど、
実際足を運んでみると、大人は22ポンドに値上がりしてました。
今回の旅の為替は、1ポンド181.14円ですから、¥3985 は高いね~

公式サイトみてたら、オンラインで購入すると 20.8ポンド と少し安くなるのを今日知りました。

For visits 1 March 2014 - 28 February 2015
Gate price / Online rate
Aduit £22.0 / £20.90
Concession £18.70 / £17.60
Full-time student (16 years and over), disabled visitor, over 60 with ID

しかし、あの日、当日券売場で、ちゃっかりと
パスポート見せてシニアで購入できたので、18.7ポンドでした (^_-)-☆


昔からみたかった ジュエリー館へ向かいました。





ブックベンチでチャリティーオークション

2014-09-06 | 旅 イギリス
地下鉄のタワーヒル駅で降りると迷うまでもなく、すぐに





堀の赤いレッドポピーを見ながら多くの人混みをかき分けて入場券を買うまでに



絵本のようなカラフルに描かれたベンチが目にとまりました。

きっと何かあると匂ったので検索してみると、

「Books about Town」というプロジェクトの一環で、
ロンドンの街のあちこちに50箇所、本をモチーフにデザインされたベンチが設置され地図も公開されています。




Katie in London「ケイティ、ロンドンへ」 James Mayhew

おばあちゃんに連れられて、弟のジャックと一緒にロンドンへ。何もすることがないと思っていたら、トラファルガー広場で話をする石のライオンと出会って友達に。ライオンに案内されて、ロンドン塔やバッキンガム宮殿を回っていく。ジェームズ・メイヒューが文とイラストを手掛けるこのシリーズには、ほかにもケイティがスコットランドを訪ねたり、名画の中に入り込む話などがある。



BookBenchとは?

現在、ロンドン各所に鎮座している、開いた本の形をしたインスタレーション。英国における読み書き能力向上に努めるチャリティー団体の「The National Literacy Trust」と、パブリック・アートのイベント・プロデュース団体「Wild in Art」によるプロジェクト「Books about Town」で、ロンドンと何らかの関連がある本50冊が選定され、プロのイラストレーターや地元アーティストによって物語のイラストが描かれている。インスタレーションは9月15日まで展示された後、10月にオークションが行われる予定。収益はThe National Literacy Trustの活動のために使われる。


ロンドン塔のレッドポピーは888246本に

2014-09-04 | 旅 イギリス
ロンドン塔の堀を埋め尽くさんばかりの赤いセラミック・ポピーにびっくり。

アフリカの星やコイノールといった英国王室のお宝ダイヤモンドを見たいと行ったのでした。

以前、くるみのママさんがロンドン塔見学後高熱出して云々というエピソード聞いてました。
王位継承争いや外国との戦争で数々の血なまぐさい戦いの舞台となった場所。
牢獄とかいろんなものから暗いおどろおどろしいイメージ持ってました。

ところが、この日は上天気の青空と真っ赤なポピー。
想像以上のエライ人出でした。









最初は、何のお祭りかと思いました。
赤いポピーは英国で戦死者追悼の象徴だそうです。

Blood Swept Lands and Seas of Red(流れる血に覆われた陸地と赤い海)

第1次世界大戦(World War I)開戦100年を記念して、888246本の赤いポピーを使った追悼式は
セラミックアーティストのポール・カミンズさんと舞台デザイナーのトム・パイパーさんによるもの。




カメラの撮影設定を間違えてアスペクト比がいつもと違ってた。
ブログ投稿用に軽くするのにサイズ変更とまどいました。

続く