指田文夫の「さすらい日乗」

さすらいはアントニオーニの映画『さすらい』で、日乗は永井荷風の『断腸亭日乗』です 日本でただ一人の大衆文化評論家です

40年前の「贅沢三昧」

2024年03月04日 | 横浜

東証の株価が4万円を越えて、40年前の水準を越えたと大騒ぎである。

懐かしのバブル時代だが、私もパシフィコ横浜の営業部にいたとき、1回だけ「贅沢三昧」があった。

         

それは、何かの医学界で本郷の東大医学部に営業に行った後のこと。

パシフィコ横浜の上司の課長の他、JTBの担当の方もいて、5人くらいで行き、そのまま上野のカラオケ店に行った。

そこでずっと飲んで歌ったのだが、すぐに時はすぎて、「帰ろう」となった。

店のマスターが、9時ごろからずっと電話をしていて、11時ごろにタクシーが捕まったので、皆タクシーで帰った。

私も会社発行のタクシー券で、横浜まで帰ったのだ。

この程度のことだったが、今考えれば信じがたいことだった。

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『高鳴る心の歌』 朝妻一郎

2024年03月04日 | 音楽

この本は、この数年に読んだ本で一番面白かった。

               

朝妻一郎と言えば、1960年代以降、日本のポピュラー音楽のLPを見ると必ず解説を書いていた方で、非常に年上の方だと思い込んでいた。

だが、この本を読んで、私より5歳上の方だと分かり驚いた。

朝妻さんは、高校時代にポール・アンカが好きになり、彼の後援会の代表になる。

その時、経済観念の鋭かったポール・アンカは、自分で権利を管理する会社を作り、レコード会社も変えてしまい、日本の発売元も代わった。

そこで、日本のレコード会社に頼れなくなったことから、渋谷のヤマハの紹介で、朝妻少年は、ニッポン放送の高崎一郎氏に紹介されて、アルバイトで助手をすることになる。

そして、歌曲の権利管理会社のフジパシフィック・ミュージックの社員となり、日本のポピュラーの音楽の発展に多大な貢献をされるようになる。

大滝詠一などの、ニューミュージックのアーチストへの貢献が大きかったが、それは大滝らが、朝妻氏と同様に、アメリカのポピュラー音楽に大きな影響を受けてきた同根性があったからだろうと思う。

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