ピピのシネマな日々:吟遊旅人のつれづれ

歌って踊れる図書館司書の映画三昧の日々を綴ります。たまに読書日記も。2007年3月以前の映画日記はHPに掲載。

マスク

2008年10月01日 | 映画レビュー
 難病の息子と母親との愛情物語。とくれば思い出すのは「ロレンツォのオイル」。しかし、両作品はかなり雰囲気が違う。何より母親の愛情の注ぎかたと生き方が違う。本作の母親シェールは若く美しくファンキーで、ドラッグに耽り、家事もおろそか。一方、「ロレンツォのオイル」の母親は難病の息子の看病を必死に行い生活のすべてを息子のために費やし、すさまじい努力で新薬発見のための勉強を行った。マイペースで息子を放任する母親と、息子にかかりきりの母親。どっちがいいかとかいう問題ではないが、どうしてもドラッグ漬けのいいかげんな母親よりは勉学に励む母親のほうに好意を感じてしまう。

 シェール演じる母は息子ロッキーを信頼し、彼を突き放して、構わない。むしろロッキーのほうが母親の保護者のように振る舞う。ロッキーは4歳の時に顔の骨が変形する難病、通称「ライオン病」に冒された。16歳になったロッキーは頭脳優秀で心優しく明るい少年にすくすくと育っている。シングルマザーである母親に育てられているが、その母親はロッキーを一切特別視せず、同情もせず、普通の子どもと同じように扱い、自分はバイク仲間たちと毎晩のように遊び歩いている。ロッキーはその外観から、「マスクをとれよ」とか「マスクをかぶっているのか?!」と初対面の人からは異様な眼で見られたり苛めに遭ったりする。

 だが、ロッキー自身はいつも明るく前向きで、その上成績優秀なため、いつの間にかすっかり人気者となるのだ。とはいえ、年頃のロッキーにとって、憧れの少女はいつも遠くから眺めるだけ。そんなロッキーに恋人ができるときが来る。夏の間、視覚障害者のキャンプにボランティアとして参加したロッキーは一人の美しい少女に恋する。その少女を演じるのががローラ・ダーン。彼女が若い頃はこんなに愛らしく美しかったとは知らなかった。生まれたときから目の見えないローラ・ダーンにロッキーが「色」を教える場面など、生き生きとして感動的だ。

 ふつうの「難病もの」とは破格なこの映画、息子の難病を「障害」ととらえないファンキーな母親と、母親以上にしっかりした息子との一種逆転的な母子関係が興味深い。そして、初恋の少女との間を裂かれるロッキーの悲しさがまた胸を打つ。異形の少年と目の見えない少女との恋は、観客にとまどいをもたらす場面であると同時に観客の偏見を試す場面でもある。正直言うと、わたしはロッキーの顔面に対する違和感が最後まで消えなかった(特殊メイクの稚拙さも一因)。そしてなおかつロッキーの豊かな感性と優れた知性に対する畏敬の念もまた同時にわき起こってくるのだ。

この映画は、見終わった後、何日もわたしの心のなかに澱を残し、何度も反芻することを余儀なくした。それはいま、わたしの息子がアトピー性皮膚炎を患い、親の目にも言葉に詰まるほどのひどい症状を呈していることが母としてのわたしの胸に棘となってぐさぐさと突き刺さることとは無縁ではない。健康に生んでやれなかったことを親は悔いるし、子どもに申し訳ないという気持ちもわき起こる。と同時に、病気の子どもに手を焼き世話に疲れ困惑する日々を送るうち、我が子ではあってもやはり一人の他者にすぎないという厳然たる事実の前に呆然とする自分自身をももて余す。

 病気と闘い向き合う本人が一番苦しい。その苦しみを我が事として同じく苦しむことができないことを心苦しく思いながら、やはりどこかで冷めた部分を持ってしまう親というものの業を、疲労とともに味わう日々。しかしこの映画の母はそんな「業」など一切持たないかのように毎日ドラッグ漬けでラリっている。彼女もほんとうは苦しかったのだろう。しっかり者の息子を持ち、その息子の余命が幾ばくもないと医師から告げられてもなお希望をまったく失わないかのように見える母であっても、胸の内は誰にもわからないものだ。

 泣き、喚き、自由に生き、そして息子を精一杯愛した、そんな母と、精一杯短い命を生きた少年の物語。少年をとりまく人々は母だけではなく、母のバイク仲間という、血縁を越えた魂の共同体があった。明るく楽しく悲しい、そんな物語。(レンタルDVD)

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マスク
MASK
アメリカ、1984年、上映時間 120分
監督: ピーター・ボグダノヴィッチ、製作: マーティン・スターガー、脚本: アンナ・ハミルトン=フェラン、音楽: デニス・リコッタ
出演: シェール、エリック・ストルツ、サム・エリオット、ローラ・ダーン、ローレンス・モノソン、エステル・ゲティ

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