母が旅立った。
苦しまず、亡くなる前々日まで時おり意識があって、
子供たちが見守る中で安らかに永遠の眠りについた。
身障者になって30年近く…何度も大病に向かい合った。
よくぞ、ここまで永らえてくれた。
死に際しては、涙が出なかった。
病室の片付けや会計などを粛々とこなした。
病院の霊安室に向かうとき、看護助手の方々が私に寄り添って下さり、
母を悼むと同時に私を労り、慰めてくれた。
そのとき、堰を切ったように涙が溢れ出た。
こちらは火葬の後で通夜、それからお葬式。
西日本や関東地方とは逆だ。
東北地方のどの辺りから順序がかわるのか、調べようと思いつつそのままになっている。
順序はともあれ、葬儀一通りが終わった。
忌明けが9月なので、新盆は来年とのこと。
施設には行かないと言い張る父が独り暮らしになる。
生きている人が気がかりだから、幸か不幸か、死を悼む余裕もない(^^;
これまで通り、自分の生活を最優先に、できる範囲でできるだけのことをしていくだけだ。
苦しまず、亡くなる前々日まで時おり意識があって、
子供たちが見守る中で安らかに永遠の眠りについた。
身障者になって30年近く…何度も大病に向かい合った。
よくぞ、ここまで永らえてくれた。
死に際しては、涙が出なかった。
病室の片付けや会計などを粛々とこなした。
病院の霊安室に向かうとき、看護助手の方々が私に寄り添って下さり、
母を悼むと同時に私を労り、慰めてくれた。
そのとき、堰を切ったように涙が溢れ出た。
こちらは火葬の後で通夜、それからお葬式。
西日本や関東地方とは逆だ。
東北地方のどの辺りから順序がかわるのか、調べようと思いつつそのままになっている。
順序はともあれ、葬儀一通りが終わった。
忌明けが9月なので、新盆は来年とのこと。
施設には行かないと言い張る父が独り暮らしになる。
生きている人が気がかりだから、幸か不幸か、死を悼む余裕もない(^^;
これまで通り、自分の生活を最優先に、できる範囲でできるだけのことをしていくだけだ。