「塞王の盾」 今村翔吾 集英社 2021.10.30
穴太衆石工最高の称号である「塞王」
鉄砲鍛冶国友随一の呼称「砲仙」
城攻めの盾・石垣と、矛・鉄砲ーー
P253
石垣を積む技とは、突き詰めれば人を守る技。さらに飛躍させれば泰平を築く技だ。長い泰平が訪れればその技を振るう機会も失われる。つまり穴太衆の職人とはーー自らがいらない世を、自らの手できずこうとする。
「泰平でも仕事はある。見せる石垣ってやつが流行るだろうよ」
P264 彦九郎は言う。
「技など必要ない。誰でもただ引き金を引くだけで、三十間先の敵を屠る……そんな武器を生み出す。それが団子を買うほど廉価になり、世に満ちればよい」
「子どもでも一騎当千の荒武者を容易く殺せる。そんな武器ぐ溢れているのに、野盗が村を襲おうとするか。男が女を手篭めにしようとするか。戦を起こそうとするか。人は己な命が最も愛おしいのだ」
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昔読んだ、ヴォークトの「イシャーの武器店」「武器製造業者」を思い出した。
P277
穴太衆は人を守る集団として民にありがたがられる。だが国友衆は人殺しの道具である鉄砲を扱うことで、時として恨みを買うこともあった。(略)
そのような誹謗の中、
ーー守るだけでは真の泰平は築けぬ。
三落はその信念のもと一心不乱に鉄砲を作り続けたのだ。
関ヶ原の直前、伏見城に鳥居元忠が籠城した。
善戦していた伏見城が崩れた最大のきっかけは、城内に籠っていた甲賀衆の寝返りによるものである。
とp303にあるが、これは史実なのか、フィクションなのか……
西軍にはつかないと決めた京極高次の大津城に、新しい塞王となった匡介が入る。
匡介の策が功を奏し、毛利を大将とする西軍は攻めあぐねるが、
西軍には杏葉紋の旗印の西国無双、立花侍従こと立花宗茂がいた。
宗茂は射程距離が長く雨でも使える鉄砲を造り出した彦九郎を従え、城に攻めかかる。
P434 (大砲を打つ彦九郎は思う)
己たちは時に死を作り、死を売るかのように言われてきた。だがそれは刀鍛冶もそうではないか。(略)ある仕事は芸術だと称えられ、ある仕事は戦以外に用いるのが本来だと嘯く。ただ砲だけが工芸、愛玩の域に達せず、戦がなければ無用の長物だと言われる。乱世の業の全てを背負わされてきたとさえ思える。
砲と対極にあるように思える石垣もそうである。元来、戦のためだけに存在していながら、美しさを称賛されるようになりつつある。だが飛田源斎は、その跡を継ぐ匡介は、あくまで美しさではなく本来の石垣を追い求めて来た。
己たちは何のために存在しているのか。
一つだと何の変哲もない石も、寄せ合い、噛み合って強固な石垣になる。人もまた同じではないか。