ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

天皇という言葉

2019-03-31 23:55:42 | 考えたこと

 

平成が終わろうとしている今、元号に関するニュースも多い。

元号や天皇を利用した詐欺も多発しているとか。

 

元号と天皇制は密接に関連するが、一世一元は明治からだから歴史的には新しい。

個人的には西暦だけの方が世界的に分かりやすいし、面倒がないと思うのだが、

文化としてなら、あってもいいかという程度。

 

で、天皇という名称(言葉)について。

 

この言葉は、中国から輸入したもので、

最初に使われたのは「壬申の乱」で勝利し、『日本書記』の編纂を命じた天武。

ここから○○天皇という呼称が始まったいう事実はかなり知られている。

 

では、その後はそのまま今日まで続いたのかというと、

平安時代前期の村上天皇までだったという。

つまり、300年にも満たない短期間だったのだ。

その後は、天皇という名称(言葉)は用いられなくなり、「○○院」に変わったという。

 「天皇が、かつての権力を喪失して、せいぜい京都周辺に君臨する都市王権の首長になってしまった以上、その呼び名も対外的に通用するグローバルなものである必要はなくなり、天皇にゆかりの京都とその周辺の地名でいったローカルなもので十分」となったことを反映して、「○○天皇」から「○○院」へとのこと。

 

口語での呼び方は、みかど(御門)、おかみ(御上)、しゅじょう(主上)、こんじょう(今上)、とうぎん(当今)などだった。

 

「天皇」という言葉が復活するのは、平安時代から800年以上経って、

徳川幕府の力が衰えてきた江戸時代後半、光格天皇(1779年即位)からとのことで、

その後今日までの240年間は「○○天皇」と呼ばれる人物がいたわけだ。

明治になり、神話上の人物を含めて時間を引き伸ばし、

しかも、すべて天皇という呼び名に変えて、

「紀元は2600年」と宣伝した明治-昭和前期政府が、

日本を「天皇(現人神)を中心とした神の国」としたのだった。

 

さて、

現在、世界で「エンペラー(emperor・皇帝)」と呼ばれる人物はたった一人だけで、

それは日本の天皇。

世界に王はいるものの、皇帝は天皇を除いて、残っていない。

国際社会において、天皇のみが「キング(king・王)」よりも格上とされる「エンペラー」と見なされる。

 

「天皇」は中国の「皇帝」と対等の称号なので、

「キング」ではなく、「エンペラー」であるのは当然だと思われるかもしれない。

これは日本人にとって当然かもしれないが、

欧米人もこうしたことを理解して、「エンペラー」と呼んでいたのか。

一般的な誤解として、

天皇がかつての大日本帝国 (the Japanese Empire)の君主であったことから、

「エンペラー」と呼ばれたと思われているが、そうではないらしい。

1889(明治22)年の大日本帝国憲法発布時よりも、ずっと前に、

天皇は欧米人によって、「エンペラー」と呼ばれていたとのこと。

 

17世紀、すでに天皇は「エンペラー」だった。

シーボルトよりも約130年前、1690年から2年間、日本滞在した

ドイツ人医師のエンゲルベルト・ケンペルが、帰国後、『日本誌』を著した。

この『日本誌』の中で、ケンペルは「日本には2人の皇帝がおり、

その2人とは聖職的皇帝の天皇と世俗的皇帝の将軍である」と書いていて、

天皇とともに、将軍も「皇帝」とされているのだ。

1693年ごろに書かれたケンペルのこの『日本誌』が、

天皇を「皇帝」とする最初の欧米文献史料と考えられている。

 

ケンペルは日本の事情に精通しており、

「天皇」の称号が中国皇帝に匹敵するものであるということ、

さらにその歴史的な経緯をよく理解したうえで、天皇を「皇帝」とした。

1716年にケンペルが死去した後、『日本誌』の遺稿はイギリスの収集家に売られ、

1727年、その価値が認められて、

『The History of Japan』というタイトルで英語訳で出版された。

この本は話題となり、フランス語、オランダ語にも翻訳出版され、

ヨーロッパ中で大ヒット・ベストセラーとなった。

18世紀後半、ドゥニ・ディドロが『百科全書』を編纂した際、

日本関連の情報のほとんどを『日本誌』に典拠し、

ケンペルの『日本誌』が普及したことで、日本の天皇および将軍が

「皇帝」と呼ばれることがヨーロッパで完全に定着したのだった。

こうした背景から、1853年、ペリーが黒船を率いてやって来たとき、

天皇と将軍をともに「emperor(皇帝)」と呼んだのだ。

ペリーのみならず、日本にやって来た欧米各国の学者や外交官たちも

天皇と将軍を「皇帝」と呼び、日本には「2人の皇帝が存在する」などと記録している。

 

また、ケンペルは『日本誌』の中で、

天皇は紀元前660年に始まり、当時の1693年まで続いていることに触れ、

「同じ一族の114人の長男の直系子孫たちが皇帝位を継承しており、この一族は日本国の創建者である天照大神の一族とされ、人々に深く敬われている」と説明している。

ケンペルは、皇統の「万世一系」が日本で重んじられていることに言及したのだ。

 

では、戦国時代の16世紀にやって来たイエズス会の宣教師たちは

天皇をどのように呼んでいたのか。

フランシスコ・ザビエルとともに日本にやって来て、

18年間、日本で宣教したコスメ・デ・トーレスは

「日本には、聖権的な絶対指導者が存在する」と記録し、

その存在を三人称的な「彼」と表記している。

トーレスが「彼」としたのは天皇のことであると考えられている。

織田信長と親交のあったルイス・フロイスは

天皇を「Dairi」(ポルトガル語原文)と表現している。

Dairi」とは 「内裏(だいり)」のことで天皇を指し示す。

 

「天皇」という呼び名は、明治時代以降、一般化した。

「天皇」は中国などの対外向けに制定された漢語表現で、また、法的な称号でもあり、

日本国内では、普段から使われていた呼び名ではなかったのだ。

明治政府が天皇を中心とする新国家体制を整備する段階で

対外向けの「天皇」を一般化させていく。 

 

繰り返しになるが、

それ以前、天皇は御所を表す「内裏(だいり)」と呼ばれたり、

御所の門を表す「御門(みかど)」と呼ばれていた。「みかど」に「帝」の漢字を当てるのもやはり、

中国を意識した対外向けの表現であったと考えられる。

こうした状況で、ルイス・フロイスは天皇を「Dairi」と表記した。

いずれにしても、16世紀の段階で、天皇を「エンペラー」とする表記はなかった。

 

天皇は本来、「キング」に近い存在。

皇帝は一般的に、広大な領域を支配する君主で、

複数の地域や国、民族の王を配下に持つ。

つまり、王の中の王が皇帝。

その意味では、天皇は明治時代以前、日本一国の君主でしかないので、

皇帝よりも王に近いと思われる。

 

「王」を意味する英語の「king(キング)」やドイツ語の「König(ケーニヒ)」は、

古ゲルマン語の「kuni(クーニ)」が変化したもの。

「kuni」は「血族・血縁」を意味し、英語やドイツ語などの「王」には

「血族・血縁」という意味が表裏一体のものとして内在されている。

王は「血族長」として、1つの部族をまとめ、さらに1つの民族をまとめ、

一定の領土を支配領域とすることで、最終的に一国の君主となる。

 

一方、皇帝は血縁に関係なく、実力者がなるという前例が数多くある。

ヨーロッパでは、ローマ帝国時代から優秀な者を養子に迎え、帝位を引き継がせ、

実力者が武力闘争やクーデターによって皇帝となることもあった。

しかし、王は違う。

王になるためには必ず、血統の正統性が要求される。

例えば、ナポレオンなどは皇帝になれても、王になることはできなかった。

皇帝は王よりも格上の存在だ。

ナポレオンが格上の皇帝になることができて、格下の王になれなかったというのは一見、矛盾した話のように聞こえるが、こうした背景がある。

ただし、神聖ローマ皇帝位をハプスブルク家が世襲しはじめる15世紀には、

皇帝位にも、血統の継承性が重んじられるようになり、

各国の王位の継承性とバランスを取ることが慣習的に定着する。

そのため、ナポレオンが19世紀初頭に突如、皇帝になったことは

ヨーロッパの保守派の間では到底、認められるものでないばかりか、

ほとんど嘲笑の的だつた。

諸説あるものの「万世一系」の皇統を持つ天皇は、

血統による正統な君主という意味でも、「キング」の訳を当てたほうが適切かもしれない。

しかし、天皇という「キング」とは異なる言葉の意味や、

天皇が中国皇帝に対抗したという歴史的経緯もあり、

前述のケンペルをはじめとする欧米人たちは天皇を「エンペラー」と見なし、

そのような称号で扱うことを一般化し、国際儀礼としたのだった。

 

 

以上、いくつかの資料を引用した。

江戸時代までは、元号もちょくちょく変わっていたのだが、

庶民の生活にどれほど関わっていたのだろうか。

 

今でこそ、承久の乱とか、元禄文化とか、享保の改革とか、言ってるけど、

その時代の一般の人々は、自分の生きている「いま」を

そんな風に意識していたはずがない。

 

一般庶民にとって、時の権力は総じて「おかみ」という感じだったと思うし、

年代も十干十二支を組み合わせた程度だったんじゃないかなぁ。

一世一元になったのは、たかだか明治以降だし、ね。

 

さて、明日発表される新元号はどんなのかしら。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

むち打ち症、その後

2019-03-30 23:26:50 | 老い・病気・社会保障

 

事故から1ヶ月後くらい経ったあたりで、テニスしてみたのだった。

左腕以外は何ともないし、当然、医師の許可を得た上で。

 

最初のときは、ラケットに左手を添え続けることすら容易でなかった。

2度目、ラケットを両手で構えることができた。

3度目あたりから、少しは左手でバランスを取ることができるようになったが、

サービストスを上げることは、まだできなかった。

このころにはもう、日常的な動作に不具合がなかったので、テニスしてなければ完治したと思ったかもしれない。

 

先週ようやくサービストスを上げられるようになった♪

もう、左腕の違和感がない。

今月を以て治療完了にしようと思ったけど、念には念を入れ、あと半月くらい様子をみることにした。

 

事故から2ヶ月以上……

そんなに重い症状ではなかったけど、完治にはけっこう時間がかかるもんだ!

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「想い人ーーあくじゃれ瓢六」

2019-03-28 23:17:59 | 

 

「想い人ーーあくじゃれ瓢六」 諸田玲子 文藝春秋 2018.9.20

 

八年前の天保九年の大火で、恋女房のお袖とお腹の子が、行方知れずにーー。

少しずつ、気力を取り戻していた瓢六のもとに、

「梅の木を眺めている女がお袖にそっくりだった」という話が届く。

瓢六の心は、お袖と、武家の女性・奈緒の間で揺れ動く。

島流しから江戸に戻り、妻との再会を願う武士など、

魅かれあえども結ばれない男女もいる。

 

「人を想う」ことの哀しみと歓び、と。

 

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす」

2019-03-27 16:42:01 | 

 

「「家事のしすぎ」が日本を滅ぼす」 佐光紀子 光文社 2017.11.20

 

2018.3.30に、4刷を重ねている。

なるほどと思いながら読んだ。

 

多くの日本人が、丁寧な暮らしや、家事をきちんとこなすこと、配慮の行き届いた子育てをすることを理想としている。

しかし、日本人の「完璧家事」や「手づくり」礼賛の傾向、さらに昨今のシンプルな暮らし(「断捨離」「ミニマリズム」など)の流行は、母親への目に見えない圧力となると同時に、家族との分業を阻んだり、葛藤の原因ともなっている。

日本の家事の「あたりまえ」は海外の人の目にはどう映るのか。

なぜ日本では男性の家事参加が進まないのか。

国や学校により「よい母、よって家庭」てあるよう仕向けられてきた歴史とは。

翻訳家として他国の友人も多く、家事や掃除術の専門家でもある著者が、多くの聞き取りや国際比較などを参照しながら、気楽で苦しくない家事とのつきあい方を提案する。

 

「なぜ女性だけが、新卒の就活のときから結婚や育児について考えなくてはいけないの?」

そう、なぜだろうね……。

 

著者の聞き取りの際、

殆ど誰もが「ちゃんと」した食事を「家で」作ることや、自分たちで家事を「きちんと」することは大事だという価値観を共有していて

「家事なんて適当にやればいいし、誰かがやってくれるならぜひお願いしたい」などという答えはなかった。

 

家事分担についてのアメリカの論文では、まずは「バーゲニング」理論。

「家事はできればやりたくないものだが、家庭生活を維持するためにある程度はやらざるを得ない。その配分は、家庭に提供する資源の割合に準じることが多い」というのが基本的な考え方。

「自分がやりたくなければ、持てる資源を活用して外注化を図る。お金がなければ、外注はできない。手持ちの資金をベースにすることで、家庭内で担当する家事の量が決まっていく」という理論。

しかし、日本人は、家事を外注するどころか、手を抜いたりすることも、常態となるのは認められないという雰囲気だ。

 

この「家事はきちんとしなければならない」という刷り込みはどこからきたのか。

一つ考えられるのは、政府の情報発信。

 

朝ご飯が温かいというのはごく最近の日本で起きたことだと言う。

ご飯は昼か夜に炊くので、朝は冷たかったのだ。

だからお茶漬けや卵かけご飯が定番だった。

「早寝早起き朝ごはん」を提唱する国民運動では、「主菜、副菜を取り入れたバランスのとれた食事」を推奨しているそうだが、

確かに、国にそこまで手間暇を指定されたくはない。

ヨーロッパやアメリカの朝食は簡単なものだし、東南アジアでは、そもそも家で朝食をとらないケースも多い。

 

あたかも「昔からそうだった」と信じられている生活習慣は、実は前後数十年の間に生まれたものも多い。

戦後、急速に便利になって生活の中で、男女の分業を進行させ、女性を家庭にひきとめておくには「ちゃんとした家事」「きちんとした家事」を行う主婦を賞賛することで、「主婦としての役割」を美化し、正当化していく必要があったのかもしれない。

 

外食は体に悪いとは言うものの、たとえば

外食化が常態化しているといわれるシンガポールの平均寿命は、日本と大差ない。

外食やコンビニ食であっても、"野菜が不足する"とか"動物性脂肪に偏る"などの問題点に注意してうまくカバーすれば、ちゃんと栄養バランスを取ることができる、という。

 

それにもかかわらず、外食より家庭での手づくり食の方が健康的で、よいものだと考えられる傾向にある理由の一つに、政府・行政の、外食に対する厳しい視線があげられるのではないか。

昭和30年代以降、政府が繰り返し指摘しているのが、「女性の社会進出等」に起因する「食の簡素化」であり、それが「孤食」「個食」「欠食」につながり、ひいては「家族のコミュニケーションの場」という食卓の機能を低下させるという点である。食が簡素化し、外食が増えることを、なぜ政府はこれほど非難するのか……いや、おそらく彼らが非難したいのは、女性の社会進出そのものなのだろうという気さえしてくる。女性が社会進出しなければ、戦前のように課程にいれば、食は豊かで、食卓は家族のコミュニケーションの要であり続けたのだろうか。

実際のところ、戦前の食事は、一種の義務的な様相を帯び、素早く済ませることが勧められていた。

「話をせずに早く腹一杯食え」と、どこの家でも注意されたのだった。つまり、日本の一般論課程の食卓は、もともとコミュニケーションの要でなどなかったのだ。

 

外食を敵視するのではなく、うまく外食を使いこなして時間的なゆとりを生み出しつつ、栄養のバランスをとって、イママデなかった食卓でのコミュニケーションを作り出す。

そろそろ、そういう方向に頭を切り換えるべき時期にきているのではないだろうか。

 

学校のあり方にも疑問を呈している。

 

忘れ物をする、授業をサボる、など、ワルいことではあるけれど、それは、親が学校から指摘され、「申し訳ありません」と頭を下げるようなことなのだろうか。つまり、問題行動を親の責任にする前に、学校から子どもへの働きかけがもう少しあってもよいのではないか。

そして、なぜ、両親ではなく、母親に連絡が来るのか?まるで、学校での問題行動や成績不振は、母親の監督不行き届きだといわんばかりだ。

 

平成17年に食育基本法が制定され、その翌年「早寝早起き朝ごはん全国協議会」が立ち上がり、さらに翌19年には、国民生活白書を通じて「食を通じた家族のコミュニケーションの機会の減少は、子どもの健康的な心身を育み、豊かな人格を形成する場としての家庭機能が低下していることを意味している」ことが指摘されている。

これを読む限り厚労省を中心とした政府は、「戦前の家制度は家庭機能がフルパワー全開のすばらしいものだったが、戦後、どんどん低下してきている」と考え、長らく危機感を持ってきたのだろう。

煎じ詰めると、女性が外に出ることで家庭機能は弱体化する、女は基本的には家庭で子どもを多く産み、家事育児を担い、老人・子どもの面倒をしっかり見て、「優秀な労働力を生み出す」ことに注力せよという戦争直後の発想は、戦後70年経った今も大きく変わっているとは思えない。

共働き家庭が片働き家庭の数を上回って20年になる。そろそろ、「子どもの学校での問題行動はお母さん」という先生の意識も変わっていいころだろう。

 

「産めよ増やせよ」というのは、1941年に政府が閣議決定したスローガンだ。

命令口調のスローガンからは、「女は産む機械だ」という認識が透けて見えるようだが、この認識は

2001年の石原都知事(当時)の「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪だ」発言、

2007年1月、柳沢伯夫厚労大臣(当時)の「15歳から50歳の女性の数は決まっている。産む機械、装置の数は決まっている」といった発言からすると、今も、少なくとも大臣含む男性政治家の頭の中には、しっかりと刷り込まれている発想に違いない。いや、残念ながら、国の実務を司る文科省などの役人も、基本的には同じ発想で国のポリシーを決めていると思われる。

2015年には文科省が、高校の保健の副教材に「女性の卵子は劣化するため、22歳がもっとも妊娠しやすい」として、改竄したデータを記載したり。

 

先の大臣の「女は産む機械」という発言は、「女の基本的な存在意義は出産にある」という発想を端的に言い表した言葉だろう。女は基本的に、産み育てることが仕事で、キャリアを通しての自己表現だの社会への貢献なんていうものは求められていない。そういうことは男の仕事だ、という男女分業の発想が根底にある。当然、産んで育て、それに付随する子どもの食事、身のまわりの清潔の維持は、女性の手に落ちてくる。

 

国が行う出生動向基本調査の「希望するライフコース」についての選択肢が女性にだけある。

男性のライフコースは変更する必要がなく、女性が変更するものだという国の思い込みが現れた一つの例ではないだろうか。

因みにこのライフコースは

専業主婦コース、再就職コース、両立コース、DINKSコース、非婚就業コース。

あなたはどれがいいですか、と女性に聞くだけでなく、男性には、本人がどのコースを選びたいかではなく、「妻のなる人にはどのコースを望むか」を尋ねているのだ。

大前提が、子育ては基本的に妻が、などという、男女同権にまったくそぐわない設定の設問を5年に1回やっているのだ。

こんな時代錯誤の設問がまかり通り、出産に伴うライフコースの変化は、基本的に女性が受け止めるものという前提で物事が動く中で、おいそれとライフコースの変更には乗れないと考える女性が増えてきているのは当然ではなかろうか。

 

片付けに関しても色々述べられていたが、掃除や片付けの責任が主婦や母にあるというのが問題だ。

そもそも家族の個々でやるべきことなのに。

これも、「きちんと」が最優先ではない。

自分なりの居心地の良さ、に集約されると思う。

 

 

昭和30年以降、女性の社会進出に伴う食文化の崩壊や核家族化の進行を、国が様々な白書を通じて批判し続けている。

政府がやっきになって女性の社会進出を食い止め、女性という家事労働者を家庭にキープすることで、仕事に集中する男性労働者を確保し、高度成長を目指してきたのだ。

高度成長期ははるか昔になったのに、日本文化の名のもとに形成されてきた「家事は女性が」「育児はやっぱりお母さん中心で」といった価値観は、今でもなかなか崩れない。

そろそろ、女は家事がてきて当たり前という呪縛から、男も女も離れてもいいのではなかろうか。

女が家事ができないことは恥ずかしいことでもなんでもない。

てきません、と言って誰かに手伝ってもらえれば、気持ちも体もずいぶん楽になるのではないだろうか。

と締めくくっている。

 

「女は~」という時代錯誤的な考えから抜け出すどころか、より差別的な考えになっているような政治家の発言を、改めて思い出す。

男女同権の実質なんて考えたくもないのだろうな……。

 

わりと最近見たデータによると、「女は家に」と考える女性も、依然として多いようだ。

それも、若い女性に特に多かった。

社会の意識を変えるのは、つくづく難しい。

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ここにも春が

2019-03-26 23:20:43 | 日記

 

 

住む人がいなくなった実家だけど、

草木は季節を告げている。

 

ヘエ~、

こんなところにクロッカスがあったんだ。

 

  

 

父の趣味とは合わない。

誰かに貰って、適当に植えたんだろうな……。

 

フッと、父母を思い出した。

 

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする