「介護笑説 山姥は、夜走る」 湯川博士 朝日新聞出版 2010.4.30
介護を笑いでのりきるエッセイ。
「親孝行 したくなくても 親はいる」
そう、きたかーー(笑)
年寄りは機能が少しずつ下がっていくので、戸惑うことが多くなる。
あまり出歩かなくなり、精神状態も不安定になり、
自分に磁針が持てなくなるので頑固になりわが間まになる。
足腰が立たない分、口やかましくなり人を平気でこき使うようになる。
今までになかった状況に、介護する者がうまく対応できなくなるとそれがストレスになり、溜まってくると口論や虐待、最悪の場合は殺人にまで発展する。
男には母親に孝行しなくてはという、強迫観念に近いものがある。
と、著者はいう。
生活を支えているのは父だが、毎日の世話は母になる。いわば、国家と市町村の違いかもしれない。母は身近な、切り離せない存在。
と。
なるほど、たいていの男性にマザコンの要素はあるってことか。
さて著者は、親を在宅介護することになったのだが、
主に介護をしていた妻がダウンし、
実の息子たる著者が殆どすべてを担うことに。
食事、昼夜逆転、下の世話など、よく見聞きする介護の難儀に
持ち前のユーモアで対処する。
施設の活用、妻や兄弟など周囲を巻き込み、その理解や協力もあってこそだ。
一人で抱え込まず、自分なりの生活ペースを保たないと長期の介護は続かない。
人を看病したり思いやるには、大いなる余力がいる。
先回りする過介護や、医療にも疑問を呈している。
標準値の人もいるし、高い人も低い人もいて、それぞれそれなりに生活を営んでいる。そういう個人差をよく見ようとしない医療。
なんでも標準値に当てはめ、高いといっては薬、低いといっては輸血、機械的に不要な手術や処置を施すのが、今の病院の主流を成している。
と。
この著者は将棋も落語もやっている。
面倒なことは、先手先手。
「後で楽をするから楽後人生」
座布団、一枚 (^_^)
「年寄りは病院と美容院が好きだけど、その違いが分かるかい」
「病院は病気を治す、美容院は頭をきれいにする所だろ」
「大きな違いは、よという字だよ。大きいのと小さいのと」
「よというのは、余、つまり自分のことだ」
「病院では自分を殺して医者の言うなりだろ、だから余が小さくなっている。美容院は自分が主役のお姫さま、だから余が大きいんだよ」
「美容院と病院がくっついたことばが美容整形外科で、患者にが主役に見えるが実は医者が主役で、お金も成形してたいてい大金持ち……」
おあとが よろしいようで (笑)