ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

大切な時間

2014-07-31 19:40:05 | 気持ち
母のことなど為すべきことに追われ、矢のように時が過ぎ去るなか、
それでも、殆ど毎日、彼と会っている。

前もって予定しづらい私の時間に、彼が合わせてくれる。
それくらいしか、できないからと。

それはそれとして、
私がアタフタしてる頃、彼には前々からの飲み会の予定があった。
飲み方が悪かったのか、イマイチの体調が続いていたからか、
お開きになって一人歩いている時に転んで、かなりの怪我をした。
いつもなら、飲み会の後は殆ど毎回迎えに行って、寄り道しながら送っていたのだが…。

まだ完治には程遠い怪我に気をとられるからか、
春先から患っていた腰痛が、きれいさっぱり消えた。
まさに、怪我の功名か(笑)

あまりに慌ただしくて、時には会わずにいようと思うこともあるけれど、
やはり一番のカンフルで、元気の源だ。
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一段落

2014-07-30 23:52:54 | 日記
母が旅立った。

苦しまず、亡くなる前々日まで時おり意識があって、
子供たちが見守る中で安らかに永遠の眠りについた。

身障者になって30年近く…何度も大病に向かい合った。
よくぞ、ここまで永らえてくれた。

死に際しては、涙が出なかった。
病室の片付けや会計などを粛々とこなした。

病院の霊安室に向かうとき、看護助手の方々が私に寄り添って下さり、
母を悼むと同時に私を労り、慰めてくれた。
そのとき、堰を切ったように涙が溢れ出た。

こちらは火葬の後で通夜、それからお葬式。
西日本や関東地方とは逆だ。
東北地方のどの辺りから順序がかわるのか、調べようと思いつつそのままになっている。

順序はともあれ、葬儀一通りが終わった。
忌明けが9月なので、新盆は来年とのこと。

施設には行かないと言い張る父が独り暮らしになる。
生きている人が気がかりだから、幸か不幸か、死を悼む余裕もない(^^;

これまで通り、自分の生活を最優先に、できる範囲でできるだけのことをしていくだけだ。
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元気の源(*^^*)

2014-07-21 23:00:00 | 戀(こい)
毎日のように会っている。

連日、長時間というわけにはいかない。

ちょっとだけ車で移動して、そこで散歩したり、お喋りしたり、
車の中で、ただボーッとしたり。

毎日なのに、
たいていはまだ明るい時間帯なのに、
毎度くっつきたくて…
人目のないところを探してしまう(*^^*)

郊外の色んな脇道に入り込み、新しい場所を発見した。
当然、他の誰かがやって来ないという保証はないけれど、
滅多に来ないだろうというところ。

一体になった充足感は筆舌に尽くしがたい。

脳内がα波で満たされる。
互いに元気になる。
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「母」「アコギなのかリッパなのか」

2014-07-17 23:05:35 | 日記
「母 -オモニ- 」 姜尚中 集英社 2010.6.9

姜尚中はよく見かける名前で、この「母」や「在日」の存在は知ってたが、
手に取ったのは はじめて。

カンサンジュンという読みも、はじめて確認した。

予想通り、としか言いようがない。
確かに素晴らしい母で、著者の思いは伝わるが
「なんとかなるばい」という風に、逞しく生きてきた女性は大勢いたわけで…

チョーセンと差別されない生粋の日本人でも、
辛酸をなめつくした女性たちは、枚挙にいとまがない。

尚中さんのお母さんも大変だったのね、
 という程度の感想しか覚えない私は鈍感かなぁ(^^;

「アコギなのかリッパなのか」 畠中恵 実業之日本社 2006.1.25

畠中さんの本も、はじめて。
「しゃばけ」も読んでない。

馴染みの図書館員に、肩の凝らない本を尋ねたら、畠中さんを紹介してくれた。

確かに肩は凝らないし、読みにくくはないが、
「しゃばけ」も読まなくていいかな、という感じ。
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「どこからも彼方にある国」「戌亥の追風」

2014-07-16 21:18:09 | 
「どこからも彼方にある国」 アーシュラ・K・ル=グィン あかね書房 2011.2

訳:中村浩美

ル=グィンは、こんな青春小説も書くんだ!

頭はいいけれど、周囲にうまくなじむことができないオーウェンと、
音楽を通してしか自分を表現することができないナタリー。
そんな二人がひょんなことから親しくなり、次第に心を通わせていく。
誰にもわかってもらえなかった自分をありのままに受け止めてくれる人がいる幸せ…

オーウェンが友達であるナタリーを一人の女性として急に意識しはじめて、
友情の歯車が噛み合わなくなる。

周囲から自分の望まないものを期待される息苦しさ、
この先、社会とうまくコミットしていけるのかという不安…

はじめの方の、オーウェンの言葉を引いておこう。

(子どもは)本音を隠すってことをまだ知らない。それができるようになるのはもっとあと、
一人前になって、人はみんなひとりなんだと気づいてからだ。
自分が本当はひとりぽっちだと気づいたとき、たいていの場合、まず感じるのはパニックだろう。
そのあげく極端から極端に走って、なんでもいいからクループの一員におさまろうとする。(略)
へまをすると、はみだしてしまう。とにかくはみださないことが大切なんだ。
平穏に過ごしたければ、多数派のなかにいることだ。ぼくはぼくしゃない。(略)
見えるのは「ぼくたち」という集団だけだ。「ぼくたち」のなかにいれば、なにも恐れることはない。
ひとりでいるところを「ぼくたち」に見つかった場合、シカトされるだけですめば
ラッキーだと思わなきゃいけない。運が悪けりゃ、石を投げつけられる。
そういうやつを見ると、本当はだれもがひとりぽっちで、だれひとり安心などできないことを
思い知らされるからだ。


「戌亥の追風」 山本一力 集英社 2014.6.10

 追風は「おいて」と読む。

船番所に留め置かれた娘を救うべく、
悪を許さない江戸の男達が動く。

「手も触れたことがなくても、惚れた女のためなら命がけになってこそ、男だ」

クサイけど(笑)、いいなぁ。

本能寺の変が伝えられて動いた家康が増水した川にでくわし、
 立ち往生したとき、助力を申し出た漁師が暮らしていたのが摂津国佃村。
江戸開府し、「江戸にて将軍家の御菜御用をつとめよ」との頼みを聞き入れて
出刃ってきた漁師に、家康は特権的漁業権を与えた。
さらに正保元(1644)年には大川を埋め立てて、島を築造。
漁師在所にちなみ、佃島と命名されて土地を与えられた。

奉行所や船番所で飼う犬のほとんどは、血統の確かな川上犬である。
狼の血をひく川上犬は、敵対する者には命を惜しまず飛びかかった。
すこぶる気は荒いが、飼い主には従順至極だ。
この気性を了として、公儀は役所番犬に川上犬を多用してきた。

この小説にも、座布団のシーンがあった。
幕末だから、目を瞑ろう(笑)
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