ま、いいか

日々の徒然を思いつくままに。

甲府の城

2018-06-30 12:58:22 | 旅行

 

例により、空模様を眺めながら行先決定ということで、

旅の二日目は甲府。

 

十数年ぶりだけど、サラッと回った前回の記憶は殆どなく、

今回は城にポイントをしぼった。

 

躑躅ヶ崎館(武田氏館)の詰城として築かれた要害山城は駅からだいぶ離れているが、

たまたま登り口である積翆寺入り口までのバスがあった。

ただ、戻りのバスは夕方までなく、バスがあるところまで3km以上の道を歩くか、タクシーしかないとのこと。

下り道なら歩けるだろうと、

迷った末に、とりあえず行ってみることにした。

 

バスの終点から急勾配の道を上って積翆寺に。

たかが1kmちょっとと思うが、慣れない暑さのなか20分くらいかかり、この段階でへばってしまった。

要害山城自体は、それほどきつくないとは言うものの、片道40分くらいはかかるらしい。

それだけならまだしも、その後さらに武田神社まで歩かなくてはならない。

しかも、前日、黒部ダムを歩いた疲れがまだとれてないし……


ここで無理は禁物だ。

城跡を断念した。

この辺の雰囲気がわかっただけでOKとしよう。


 

積翆寺の屋根に紋がついている。

境内は閑散として荒れている感じだった。

 

 

ひたすら下った。

甲府の街が見える。

 

 

 

棚田にも石垣があった。

 

 

途中、地元の方と話したり、40分ほどで武田神社(武田氏館)到着。

 

白鳥が草を食べていた。

 

  

 

横の方から神社に入る。

 

 

これは空堀かな。

 

 

前回は入らなかった宝物館を見学してから、躑躅ヶ崎館の遺構に。

 

 

かなり広々としている。

信玄は城を築かなかったという。

領民に負担をかけたくなかったということか……。

 

武田神社は1919年(大正8年)に武田信玄を祭神として創建されたとのこと。

その経緯はWikipediaなどに詳しく書かれている。

 

 

ここまでで、かなり、くたびれた (^^;

バスで駅前に。

まずはバス停側の甲府城。

いつものように歴史的詳細は割愛する。

 

 

 

  

 

サドヤワインに立ち寄ってみた。

 

 

あいにく貸切り予約が入ってるとのことで、中の見学はできず。

 

踏切を渡って、線路の反対側の甲府城に。

 

  

 

石垣が見事だ。

 

 

  

 

この復元櫓は見映えがいいが、ここに櫓があったという史料はないとのこと。

なかったモノを造るのは如何なものか。

 

 

駅近くに県庁があった。

この議員会館(議事堂かな?)、立派!

 

 

駅に、こんなのがあった。

 

  

 

武田信玄が躑躅ヶ崎に館を構えた1519(永正16)年から、ちょうど500年ということだ。

来年の甲府は賑わうかな。

 

 

 

 

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黒部ダム

2018-06-29 09:51:30 | 旅行

 

 

 

いつも、旅はアバウトだ。

梅雨時の大人の休日倶楽部は、特に。

 

ということで、朝イチの新幹線車中で天気予報とにらめっこ。

翌日以降、空模様が悪化しそうな黒部ダムに直行することにした。

 

電車を乗り継ぎ、バスに揺られ、トロリーバス。

 

 

トロリーバスは、今年限りという。

今回来て、良かった♪

 

220+α 段の階段を上る。

寝不足続きの身には、かなりキツかった (^^;

 

放水が目に飛び込んできた!

 

  

 

迫力が半端ない!

スゴい!!

 

下って行くにつれ、放水が迫ってくる。

近くにいた観光客の会話が聞こえた。

あれっ、放水が始まったのは今日(6月26日)かららしい。

GWあたりからは、放水しているのかと、

何となく思い込んでてて、調べもしなかったのだ。

 

何ともラッキー♪

 

真上から見てみる。

 

 

写真だとわけわかんないわ (笑)

 

逆サイドからだと

 

  

 

時間がおしていたけど大観峰まで行けそう。

トンネルのケーブルカーで黒部平、その先はロープウェー。

 

  

 

 

このロープウェーには途中の支柱がない。

雪がまだ残っていた。

黒部湖が眼下に見える。

 

6月末というのに、大観峰には雪の壁が残っていた。

 

 

 

来た経路を戻った。

 

 

ケーブルカーにこんなラベルがあった。

へえぇ、汽車會社かぁ、

 

  

 

黒部湖のエメラルドグリーン、、、

 

 

 

 

 

 

放水にかかる虹はみられなかったけど、

ときどき陽射しもあって、それほど暑くなくて、

この日の黒部は大正解♪

 

 

 

 

 

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「難民高校生」

2018-06-25 21:56:24 | 

 

「難民高校生」 仁藤夢乃 筑摩書房 2016.12.10

 

これは文庫本。

単行本は2013年3月に英治出版より刊行。

 

絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル、

とある。

 

著者は1989年生まれ。

家庭・学校のつながりを失い、中学生の頃から渋谷の路上をさまよう生活を送り、高校を2年で中退。

虐待、妊娠、中絶、DV、リストカット、自殺未遂……。

周りには、そんな子がたくさんいた。

ヤンキー、引きこもり、被災地で孤立する中高生。

彼らの声はかき消されてきた。

ある講師との出会いをきっかけにボランティア活動を始め、明治学院大学に進学。

東日本大震災後、居場所づくりを展開する「Colabo」を立ち上げる。

 

メディアなどで、

深夜の都市部に溢れかえっている中高生とおぼしき若者を見るたび、

彼らの心境や環境について思いを廻らせていた。

疑問だったことが、少しは理解できたように感じている。

 

ーー近くにいる大人でも、彼らの世界を知ることは難しい。理解できない子どもたちの言動に対して、ただ叱ったり、どうしたらよいのかわからなくなってしまう。そういうことが重なり「問題児扱い」され「ダメな子」というレッテルが貼られる。

そんな大人たちに子どもは反抗を続ける。すれ違いが続くと関係はさらに悪化し、大人たちの子どもたちに対する想いは、心配や苛立ちや怒りなどの葛藤を経て、諦めへと変わっていく。そして、子どもたちは、その諦めの気持ちを敏感に感じとり、「見放された」と感じる。

 

ーー「受け入れる」とか「向き合う」とかは、ただそのヒトの存在を許したり認めたりすることではない、と私は考えている。何かを「してあげる」というスタンスではなく、その人と個人として向き合い、一緒に考えたり一緒に過ごしたりすることが重要なのだ。誰かと向き合うためには、自分のことも解放して相手に向き合うことが大切で、そうして互いのことを理解していくステップの繰り返しが、相手を受け入れることにつながる。

 

ーー若者に対して、大人たちにしてほしいのは、

「個人として向き合」「可能性を信じる」「姿勢を見せる」こと。

 

ーー安全安心な街づくりのためには、さまよう子どもたちや、家のない人、帰るところのない人たちを排除するのではなく、手を差し伸べ、そういう人たちを狙う大人たちにこそ、注意や指導をするべき

 

ーー自立は「一人でなんでもできるようになること」ではない。自立は孤立とは違う。たった一人で立つことではなく、むしろ、人の力を借りたり、誰かに力を貸したりしながら生きられるようになることだと考えている。

一人で我慢したりするのではなく、人を頼ったり、コミュニケーションを通して解決する力や、「助けて」と言えることが、自立につながる。

 

以上、少し引用した。

著者はまだ20代後半。

今も、同じようにような現実があるのだと思う。

 

著者も言うように、彼らを狙っている大人こそが問題だ。

 

 

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「おやすみラスマニノフ」

2018-06-24 07:21:19 | 

 

「おやすみラスマニノフ」 中山七里 宝島社 2010.10.26

 

秋の演奏会を控え、第一ヴァイオリンの主席奏者である音大生の晶は初音とともに、プロへの切符をつかむために練習に励んでいた。

しかし完全密室で保管されていた、時価2億円のチェロ、ストラディバリウスが盗まれる。

脅迫状も届き、晶は心身ともに追い詰められていく。

さらに不可解なじけんが次々と起こり……。

 

晶はヴィルトゥオーソ科だ。

この言葉を初めて知った。

ヴィルトゥオーソというのは「音楽の名手」とか「芸術の技術に優れた人」を意味するイタリア語。

 

バイト先の店主が言う。

「失業率が高いのは必ずしも不景気のせいやない。給料の八割は我慢代だってことを知らん奴が増えたのもある」

 

晶に岬先生が言う。

「他人の罪を被ることは、本人に償う機会を失わせることだ。自己犠牲と言えば聞こえはいいけれど、自己陶酔になっている場合だってある。自己陶酔なんて前進できなくなった人間の逃げ道でしかない」

 

名声あるピアニスト、柘植は言う。

「モノを造り何事かを表現する者には頂点や終着点などない。あるのは通過点だけだ。しかし (略)」

 

ラスマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」、

パガニーニ「ヴァイオリン協奏曲第2番、第三楽章〈鐘のロンド〉」

パガニーニ〈二十四のカプリース〉

など、YouTubeで確認しながら読んだ。

いつも思うことだが、

作家さんは、音楽の表現力も素晴らしい。

 

 

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「おまじない」

2018-06-22 23:11:11 | 

 

「おまじない」 西加奈子 筑摩書房 2018.3.5

 

装丁とイラストがなかなか、と確認したら、

イラストは著者だった!

 

そうか、西加奈子さんには、そんな才能もあったんだ。

 

「自分の弱さを認めたら、逆に強くなれたんです」

ーー『ドブロブニク』

 

自由なふたり、奔放なふたり、おばあちゃんに心配をかけ続けたふたり。だけど、ふたりを見ていると、愛された人間特有の健やかさを感じることがあった。

ーー『ドラゴン・スープレックス』

 

 

おいおい!と声をかけたくなる主人公たち。

気持ちの拠り所って大切だよなぁ……。

 

 

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