水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

腰痛が再発

2012-01-22 18:02:39 | Weblog
昨日の明け方、ものすごい激痛で目を覚ましました。
腰から背中にかけて、動けない痛さです。
ここのところだいぶ痛みが引いてきていて、最近は杖無しで外出できるようになっていたのですが……。
痛み止めを飲んでなんとか生活しています(汗。

【JR西前社長に無罪】当然の判決、検察は重く受け止めるべき

2012-01-11 13:42:58 | Weblog

JR西前社長に無罪判決 傍聴席沈痛
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120111-00000016-mai-soci

予め申し上げておきますが、福知山線脱線事故の被害者の方々には同情を禁じ得ません。
事故を起こしたJR西日本には、公共インフラを預かる企業としての重い責任があり、被害者に対して一層の償いをしていくべきだと思います。
しかしそれとこれとは全く別、今日の無罪判決は、当然といわざるを得ません。

そもそも争点となっているATS(自動列車停止装置)がどういうものか詳しく知ろうともせずに、惨劇への怒りの持って行き場をJR西日本と前社長に求める感情ありきで糾弾する人やメディアが多過ぎる。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm14033801

かくいう私も知識の浅い一人でした。↑の動画は、ATSの仕組みと歴史について、我々鉄道の専門知識がない初心者にもわかり易く親切に作られていますので、どうかご覧になって下さい。

今日の判決で神戸地裁の裁判長は、「JR西日本の曲線でのATSの在り方などに問題があり、大規模事業者として期待される水準に及ばないところがあるといわざるを得ない」とJR西日本の責任に言及しつつ、被告個人の過失責任は認められないとして無罪判決を出したそうですが、この言及は事故の被害者遺族、世論、そして捜査立件した検察への政治的配慮でしょう。
この事故でATSの不存在をJR西日本の過失とすることが技術的には筋違いな検察のミスリードであることは、裁判の中で行われた双方の主張立証や、鉄道専門家の客観的な証言を丁寧に読み込めば、裁判官側も内心ではわかっているはずです。

動画の中で説明がありますが、ATSは基本的に同じ線路を走る前後の列車同士の衝突を防ぐために、線路に定期的に設置されている信号機を列車が見落として停止しない場合に警告や強制停止をさせる目的の装置で、福知山線の事故はそういった前後の列車の衝突や信号無視のケースではなく、いつもと同じカーブに運転手が不適切な速度で進入したために曲がりきれなくて脱線したものですから、ATSが無かったから事故が起きたというのは論理のすり替えです。

また、ATSの設置については前の日記でも書きましたが、政府の明確な基準も、法令上の規制も無かったのです。
過去にATSについて旧運輸省が設置基準の通達を出していますが、それはあくまで私鉄に対してのもので、当時の国鉄(現JR各社)は私鉄に比べ規模が大きいという政治的配慮から通達の対象外であり、厳しい通達が出された私鉄よりも旧国鉄は安全面で劣る状況が認められていたのです。しかも、国鉄が民営化されるにあたっては、通達は撤回されています。
国の制度上の不備にまで立ち返り、それこそ「東京裁判」のような魔女狩りをしたいのであれば、現JRだけでなく現国土交通省など政府の関係者も裁かなければならなくなってしまう。JR西日本の経営陣だけ刑事責任を問い立件するのはナンセンスです。

繰り返しになりますが、被害者の感情は理解できます。
事故を招いた直接の加害者である運転手とは別に、組織としてのJR西日本や当時の経営者を敵として憎みたい気持ちは、同じ人間として私もよくわかります。
しかし法廷は、誰かを悪者に仕立てて私怨を晴らす場所ではなく、客観的な事実認定を行う場所なのです。

また、国の機関である検察には、今回の判決を受けて改めて反省と、捜査姿勢の見直しを促したい。
このような悲惨な大事故においてこそ、嘆き悲しむ被害者と一線を画す第三者として冷静で客観的な事実関係の調査を行うべき検察が、世論に迎合して自分の株を上げようと、最初から立件ありきでJR西日本の前社長を悪に仕立て上げようとした、政治的な思惑があったのは本当に残念でなりません。

前社長によれば、検察の取り調べについて「検事から耐えられない言葉を言われ、起訴するぞとののしられた」そうですが、まだそんな暴力団まがいのことをやっているのか。時代錯誤も甚だしい。
選挙によって民主的に国民の負託を受けたわけでもない、一官僚に過ぎない検察が、歪んだエリート意識をもっていわゆる「国策捜査」や、世論に迎合あるいは誘導するような捜査を行うことは、戦前の陸軍の暴走と同様、問題視されるべきです。
旧日債銀の経営陣立件では、銀行への公的資金注入と引き換えに経営陣に罰を与えなければ気が済まないという当時の社会的要請のもとで検察は「国策捜査」を行いましたが、結果は最高裁までいって無罪だったではありませんか。
ライブドア・村上ファンドへの捜査も公正さに疑問が投げかけられていますし、田中角栄のロッキード事件から現在の小沢一郎問題に至る旧田中派への執拗な攻撃も、小沢氏に非が無いとは言いませんが、全体を通してみれば、もはや検察と旧田中派との仁義なき政争に等しいものです。

検察が起訴した事件の有罪率9割の今の日本で検察に起訴されれば、無実の人でも「被告」のレッテルを貼られ、その人と家族は長い間社会から迫害され苦しめられるのです。
日本に魔女狩りは要りません。
このまま誤った立件を重ねれば、従来の検察機構の見直し・権限の縮小が現実のものとなるでしょう。


【福知山線脱線事故】司法は冷静な判断を

2012-01-09 19:48:44 | Weblog
私が勤務先で法務部に異動になったばかりの一昨年12月16日、関西大学社会安全学科が主催する「企業のクライシスマネジメント」をテーマにしたシンポジウムが丸ノ内であり、上司の指示で出席しました。
当時、他大学に先んじて創設したばかりだった「社会安全学科」を東京でPRし、加えて将来起こり得る首都圏直下型地震と津波のリスクを声高に主張して関西圏への首都機能移転を訴えたい関西大学の政治的思惑が色濃いシンポジウムで(今思えば数ヶ月後の大震災を予言するようでしたが)、各企業から私と同じ法務部署の人間がまばらに出席していました。そして、後の九州電力やらせ問題調査で一躍有名になった郷原信郎氏が(既に複数の有名不祥事の調査委員長を歴任し有名でしたが)、福知山線脱線事故を例にとりあげ、企業のコンプライアンス・危機管理の考え方について講演されるのを間近で拝聴しました。

郷原氏の講演は、コンプライアンス=法令遵守という企業側の常識は誤りだという、私達を驚かせる印象的な言葉から始まりました。
コンプライアンスとは、法令よりむしろ社会的要請、「社会が求めているもの」への対応として理解すべきだとし、その具体例として福知山線脱線事故で、JR西日本の経営陣が刑事責任を問われ起訴したケースが挙げられました。
郷原氏によれば、「はっきり言ってJR西日本に法令違反は無く、経営陣の起訴は無理筋」だというのが、法曹界主流の見解だそうです。

検察側は、事故現場カーブの半径を半分にした96年当時、業界では自動列車停止装置(ATS)の必要性が認識されていたという前提に立ち、 その上で
①現場のATS設置を怠り、ダイヤ改正で高速で走る列車を増やした
②工事完了直前にJR函館線で起きた類似事故が報告された
とし、現場を急カーブに付け替えた当時の安全対策責任者(鉄道本部長)だった被告の判断に過失があるとして、業務上過失致死傷罪でJR西日本の前社長を立件しています。

ですが事故当時、ATS設置に関する国の明確な基準はありませんでした。
また、事故が起きたのと同様のカーブはJR西日本管内に限らず全国に数千カ所もあり、その全てにATSが設置されているわけでは当然無く、さらに検察が論拠としている函館線事故の原因は居眠り運転で本件とは異なり、当時の被告が必要性を認識できなかったのが業務上過失致死傷罪に値する過失とするのは、客観的に見れば甚だ乱暴な論理です。

にも関わらず検察が前社長を起訴したのは、106人という多くの犠牲者を出し社会的な影響の大きかった事件であり、JR西日本が悪という世論が形成されているために、はじめからJR西日本トップの立件ありきだったわけです。

事故に対するマスコミの反応は、事故発生からわずか2時間後のJR西日本の緊急記者会見で、その時点でまだ事故原因を回答できないJR西日本に対し読売新聞の記者が「人が死んでんねんで!」「遺族の前で泣いたようなフリをして、心の中でベロ出しとるんやろ!」と罵声を浴びせたことに象徴されます。
事故と因果関係は何も無く法令上も問題の無いJR西日本社員のボーリング大会を槍玉に挙げたのを手始めに、マスコミはスクラムを組んでJR西日本をリンチにし、刑事罰を求める世論を形成しました。
郷原氏によればこれが法令を超えたところにある「社会的要請」であり、検察も裁判所も配慮せざるを得ない。
行政や司法が、「法令」で厳格なジャッジをしてくれる機関だというのは、こと日本においては幻想だというわけです。
従ってコンプライアンス=法令遵守だという考えを持っていると、不祥事が起きた際に足元をすくわれる。法令違反が無いのにマスコミのリンチを受けた事例として他に、「殺人エレベーター」のレッテルを貼られたシンドラー、
湯沸かし器のパロマなどがシンポジウムでは挙げられていました。
最後に、出席者からの質問の中で、「社会的要請」は抽象的過ぎて納得がいかないとの声が多く、郷原氏も結果責任となってしまう現状の問題点を認めていました。

シンポジウムの後、私も個人的に関心をもって本件の裁判の行方を見守ってきました。
神戸地検は裁判の冒頭、法廷で犠牲者106名全員の名前を読み上げてみせました。厳罰を求める被害者感情と世論を背景にした、裁判官への心理的なプレッシャーであることは明らかでした。

誤解が無いよう強調させて頂きますが、私は何の咎も無く通勤通学中に突然命を奪われた106名の犠牲者の無念と、その遺族、さらに負傷者とその家族の今日までの想像を絶する苦しみは決して片時も忘れてはならないと思います。私の親しい友人やその知り合いにも、福知山線を利用していた人はおり、決して他人事ではありません。他人事として、面白おかしく事故を論じたくてこの文章を書いているのではありません。「自分がもし被害者の側だったら」というマインドを忘れてはいけません。被害者の感情を理解しようと努力しなければいけません。
当然ですが、JR西日本の道義的・社会的責任は大変重く、会社の総力で償っていかなければならないと思います。これは、昨年の福島原発事故を起こした東京電力にも同じことがいえるでしょう。

ですがその一方で、大学で法律を学んだ端くれとして、この国の世論が時として法治国家として未成熟な様相を呈することを、私はとても残念に思うのです。

道義的な責任と、法的な責任は全く別次元のものです。
数年前、飲酒運転による事故で子どもが死んだ裁判では、法令・判例上の量刑の限界を超えた加害者の刑罰を求める声が圧倒的でした。
今は脱原発の嵐が吹き荒れ、東京電力をはじめ電力会社が社会から袋叩きにされています。
その一方で、厚生省高官OBの連続殺傷事件では、情状酌量の余地が無い狂気に満ちた犯罪であったにも関わらず、殺されたのが元官僚だから犯人を「義賊」だと正当化する主張がネット上にあふれかえっています。

かつてこの国の民衆は、5.15事件というテロリズムを正当化し、ようやく根付きかけていた議会制民主主義を滅ぼし、陸軍の増長を止めるどころか煽り、この国を自殺行為に等しい戦争に追いやった前科があります。

そして戦後は、「東京裁判」というどう見ても公正ではない戦勝国のリンチを唯々諾々と受け入れましたが、逆に言えばあの戦争について自らで自らを裁いたり反省したりすることはせずに、今日に至ります。

福知山線脱線事故の裁判は、明後日に地裁の判決です。
犠牲者、ご遺族、被害にあわれた全ての方への配慮は決して忘れてはならないものですが、同時に司法には、後に残す判例として適切な判決を下すよう期待し、見守りたいと思います。


【予見可能性の判断焦点=JR西前社長、11日に判決―福知山線脱線事故・神戸地裁】
2012年1月9日 時事通信
http://www.asahi.com/national/jiji/JJT201201090034.html
兵庫県尼崎市で2005年、乗客106人が死亡した福知山線脱線事故で、業務上過失致死傷罪に問われたJR西日本前社長山崎正夫被告(68)の判決が11日、神戸地裁である。検察側は被告が唯一、事故の危険性を予見し対策を取れる立場にあったと主張。弁護側は実情から掛け離れた無理難題の押し付けで無罪と訴えた。JR史上最悪の事故に対する会社幹部の刑事責任を、判決がどう判断するか注目される。
 事故は運転士(死亡)がブレーキをかけず、制限時速を大幅に超えカーブに進入して起きた。主な争点は、カーブ半径を半分にする工事をした1996年から約1年半、鉄道本部長だった被告に▽危険性の認識と事故の予見可能性があったか▽脱線防止のため自動列車停止装置(ATS)を設置する義務があったか―の2点。 

初雪

2012-01-08 19:46:48 | Weblog
滞在先の清里で初雪を体験しました。
プールに入っていて天候の変化に気づいておらず(山なので天気予報もあてにならず)、夕方になって外に出たら吹雪のようになっていました。
雪で10m先も見えない中運転するのはかなり怖かったです。
私の運転するチェロキーは四輪駆動に切り替え可能なんですが、それでもノーマルタイヤだとスリップします。
翌日は一面の銀世界。

で、東京に帰ってきたら棚の上の物とかが倒れているんですが、このあいだの震度4の地震、結構揺れたみたいですね(汗。

初詣

2012-01-05 19:45:01 | Weblog
家族の提案で、今年は天照大御神を祭神とする禊神社に元旦初詣に行ったのですが、近所に諏訪神社を見つけたので、そちらにもお参りしてきました。
天照大御神は天津神、諏訪神社の祭神は国津神ですので、バランスに配慮して両方に参拝しました。神話の世界にも政治はあるんですね。
(学生時代、国譲りと天孫降臨をテーマにレポートを書いたときに調べたのと、友人に詳しい人がいて)
諏訪神社は、諏訪大社の分社で全国に25,000社あるんですが、ここにもきちんと御柱がありました。

※諏訪の御柱は、神道以前の土着信仰であるミシャクジの拠り代だった石や木を取り入れたもの。
他に、御柱が神殿を囲うように四本あるのは、タケミカヅチとの争いに敗れたタケミナカタが講和の際に、「もうここから出ません」という結界の意味で立てたという言い伝えもあります。

新年を迎えて

2012-01-01 23:35:32 | Weblog
平成23年が終わり、平成24年が始まりました。
友人や、仕事や趣味で御世話になっている方々から頂いた年賀状・年賀メールを一通一通、そこに記された温かい言葉を読みながら、これらの人々とのかけがえのない絆によって、私は生かされているのだなと改めて実感します。
昨年は腰痛や体調不良で会社も長く休み、趣味の活動も滞り、公私両面で沢山の方にご迷惑ご心配をおかけしました。
申し訳なく思うとともに、新年を迎え復調のため心機一転頑張りたいと思います。

また昨年は、震災をはじめ様々な困難な状況が押し寄せる中、仕事で、趣味の活動で、大勢の方が私を励まし支えて下さいました。
恩を返していかなければなりません。

悔いのないように、でも肩に力が入りすぎないように、自分も楽しく周囲も楽しませる生き方ができるように、自分のこれまでを冷静に見つめ直し、もう一度チャレンジします。

本年も、何卒宜しくお願い申し上げます。