水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

ローゼンメイデンファン総員に告ぐ

2007-06-29 23:14:14 | Weblog

 

こんな不正が

 

許されていいのか

 

 

以下、ウィキペディア編集者のノートより抜粋


リバートされたんですか?意味が分かりませんね。
ローゼンファンたちは分割には反対ということでしょうか?彼らにとっては、この今の無駄に長くて冗長な説明文のままでいいということなんでしょうかね?俺的には、「ここはローゼンファンの解説ページじゃない。ファンの自己都合で書いていい所じゃない。あくまで『百科辞典』だ。履き違えないでほしい」と言ってやりたいですね。百科辞典として、一般の人々にも分かりやすくページを読んでもらうためにも、分割ってのは良い手段だと思います!
一度「この項目はノートにて議論されています」のテロップを出した方がいいんじゃないでしょうか?ローゼンファンは何を考えてるのかを聞きたいですしね。
ま、テロップ出したところで来ないでしょうけど。--セクレタリアト 2006年12月9日 (土) 19:51 (UTC)


「テレビアニメ」の欄見たんですが、異常に長くないですか? あそこは、そこまで説明を加えるものでもないと思いますし、何よりも冗長です。「ここは余分だな」と思うところは省き、そして冗長についての注意テロップも貼ろうかと思うのですがいかがでしょうか?
ローゼンファンは、放っておいたらとことん書きますからね。自分のおもむくままに…--セクレタリアト 2006年11月23日 (木) 07:28 (UTC)


まぁいきなりの削除は失礼だったと思いますが、ローゼンファンの方はノート見ないでしょ?たとえ見たとしても、大量書き込みは直らないと思いますけどね。

だから、こちらも削除しました。 ただやはりいきなり削除は悪かったと思います。謝ります。コメントアウトにすべきでしたね。--セクレタリアト 2006年11月24日 (金) 06:02 (UTC)


アニメと漫画に分けることは賛成です。だいたい、このローゼンメイデンという作品は、熱狂信者が多いですからね。記事なんか、キャラの詳細からネタバレ情報まで、もうメチャクチャ書きますから。一つのページに全部書くのは無理があるってもんです。ここは「分割」した方が見やすくなっていいでしょう。信者さんたちだけでなく、普通の人たちも見れるようにしたいですしね。え?じゃあお前が分割しろって?スンマセン。分割の仕方、わからないんです……--セクレタリアト 2006年12月3日 (日) 23:01 (UTC)


このローゼンメイデンのページは、熱狂的な信者がたくさんいるようで、アニメ第何話からの抜粋や、漫画の細部からの抜粋など、そこまで記述しなくてもいい程のネタバレがとても目立ちます。事典としても、少し控えめにして欲しいところですね。--セクレタリアト 2006年3月4日 (土) 08:02 (UTC)


いや、たしかにああいうコメントの埋め込みは良くないとは分かっていたんですが、
ローゼンファンの方たちは、ここ(ノート)を見てくれなくて議論すらできず…。おそらくここの存在すら知らないんだと思うのですが。--セクレタリアト 2006年7月21日 (金) 04:18 (UTC)


それは自分も感じてたんですけどね。服飾の描写はいらないかと。水銀燈の項目は、あれでもマシになった方なんですけどね…以前は凄かったですよ(^^;) 

とりあえず、勝手に削除してもいいと思いますよ。ファンの方々はそれでも、勝手に書き足しますので。--セクレタリアト 2006年7月28日 (金) 10:04 (UTC)


まだ分割はしないんですか?それだと絶対、冗長になりますよ。このノートを見ないローゼンファンの方々が、バンバン書いていくでしょうから。まぁ、とりあえず様子見で、長くなってきたら即分割しましょう。--セクレタリアト 2006年8月16日 (水) 01:13 (UTC)








これは、2ちゃんねるのログではありません。






いわゆる“荒らし”の書き込みでもありません。






『客観的』『中立』であることを目指しているはずの

あのウィキペディア

それを守るべき編集者たちが編集ノート内で、一般利用者の多くに見られていないのをいい事に一年間にわたって繰り広げた陰湿で卑劣な誹謗中傷の一部をそのまま抜粋したものです。




オンライン百科事典として有名で多くの人に利用されているウィキペディアの『ローゼンメイデン』項目において、昨年2006年のほぼ一年間にわたって、同項目の編集ノート(ウィキペディアの編集者たちが編集のための協議をするページ)の中で、編集のための適切な議論からはあまりにもかけ離れた、ローゼンメイデンファンの人々を見下し侮蔑する内容の暴言が公然と行われていた事が、
水銀党本部の調査によって明らかになりました。




それだけではありません。




こうした暴言を繰り返す編集者が、その歪んだ私情から削除権の行使を含めた編集作業を独断で行うという公正さを著しく欠いた管理運営が公然とまかり通っていたのです。



皆さんが一生懸命に書いた記事は、
侮蔑と嘲笑と共に一人の不公正な編集者の私情によって削除されていたのです。




しかし、真に問題なのは彼一人の行為ではありません。

当時編集ノートには他にも編集者たちが大勢いたにも関わらず、この編集者を誰も止めようとしなかったことです。


もう一度ノートをよく読んでみて下さい。

システム的な問題に関する議論は見られますが、冒頭に抜粋した彼の暴言に対して注意をした人は誰もいませんでした。

いわゆる「荒らしはスルー」として放置したのではなく、彼を議論の参加者として認めつつ、その暴言を黙認したのです。

ご存知の通りウィキペディアは、客観的で中立である事を非常に重視しています。

だからこそ多くの人々が、その情報を信頼してきました。
ウィキペディアの編集者たちにはその信頼を裏切らない社会的責任があるはずです。

しかし、

このようなローゼンメイデンファンへの個人的な悪意を持った人間が削除権の行使を含めた編集作業を行った事典が、
中立だといえるでしょうか?
客観的だといえるでしょうか?


実際にこの編集者の独断によって多くの記事が削除されました。
これは、中立でも客観的でもない卑劣な暴力です。
中立で客観的であるはずの場所で、不当な差別によってローゼンメイデンファンが不利益を蒙ったのです。

それにも関わらず、他の編集者たちは誰も止めようとしなかった。

明らかに公正さを欠いているこの事態を黙認した上で、出来上がった事典を公正で中立で客観的だと標榜していた。

これは利用者と

 

ウィキペディアに対する

 

背任以外の

 

にものでもありません。






暴言の中には何度も
「ローゼンファンはこのノートを見ない」という嘲りがあります。
これは逆にいうと「ローゼンメイデンファンは頭が悪いからこのノートの存在に気付かずに入ってこないだろう」という、ローゼンメイデンファンを馬鹿にしているがゆえの、まるでここは自分達の聖域だというような歪んだエリート主義さえ感じられます。
これほど幼稚で卑劣、一方的な言葉の暴力を正当化する人たちがウィキペディアの編集を司っているのです。



この不正を、わたしたち水銀党本部は決して許しません。

ローゼンメイデンファンの名誉と尊厳を著しく傷付け、一般利用者のウィキペディアの中立と客観性に対する信頼を裏切った道義的責任は極めて重く、わたしたち水銀党本部は、
この問題を徹底的に追及します。


ウィキペディア『ローゼンメイデン』項目の編集者たちに強く抗議すると共に、
セクレタリアトが編集権を行使した全ての箇所における即時かつ無条件の原状回復、


全てのウィキペディア閲覧者及びローゼンメイデンファンに対する謝罪、


そして、

当時の編集者全員が説明責任を果すと共に、
こういった不適切な編集が二度と繰り返されないための検証可能で持続的な対策を行う事を明記した反省文の公開を要求していきます。


この問題の解決のため、一人でも多くの方のご支援とご協力をお願いします。




2007年 6月29日

水銀党本部代表 冬月


原作ローゼンメイデン継続なるか

2007-06-26 23:29:11 | Weblog

6月24日にPEACH-PITの公式ブログにおいて発表された千道万里先生の声明に関する水銀党本部の見解

まず、原作者の先生からこの問題で初めて公式の場で声明があった事を、事態の大きな前進と考えて喜びたいと思います。
その上で、声明を読ませて頂いた上での、私の感想を申し上げます。

まず、今回の声明でプラスに評価できる点。
何よりこの一連の連載終了劇で公式なコメントを一切してこなかった作者が、初めて本件に言及しました。

「一つだけ言い訳させて頂くとしたら~」の箇所からは、今までこの問題について何らかの制約があって公にコメントしたくてもできない状況にあった事が言外に訴えられています。

次に「皆さんの多くに望まれる形に至っていないという現状」という箇所、つまり現状に問題がある事を認めています。これは大きいです。
そして、今回皆さんが喜んでいらっしゃる部分だと思うのですが、最後の


「色々なご意見あると思うのですが、皆さんのお気持ちは私達なりにしっかりと受け止めさせて頂いているつもりです。
そして、受け止めたものは必ず、何かの形にしてお返ししていきたいと思っています。」


ここでいう「皆さん」が、大多数である事を認めている点からも先ほど挙げた「皆さんの多く」と同じだと解釈するならば、「何かの形にしてお返ししていきたいと思っています」は極めて前向きなメッセージだと受け取れます。

ただ、喜んでらっしゃる皆さんに水を差すようで申し訳ないのですが、私にはこの声明を読んで二つほど気になった点があります。
第一に、

「色んな捉え方があると思いますが、これまで応援してくださったのにがっかりさせてしまった方には、本当に申し訳ないです。
ごめんなさい。
受け止めて下さった方には、心から感謝しています。
本当に本当に、ありがとうございます。」

という箇所です。ここを若干うがった見方で見ると(連載終了で)がっかりした人に謝罪しています。
そして(連載終了を)受け止めてくれた、つまり仕方ないねと思って諦めてくれた人に「ありがとう」と言っているわけです。
個人的な話で恐縮ですが私は女性から「ごめんなさい」と言われた時は決まって別れ話だというのを経験で知っているので(笑
ここをどう解釈するかでこの声明自体の方向性が全然違ってきます。

第二に、これは声明文の中に具体的な理由があるわけじゃなくもっと漠然としたものなのですが、もし我々が願ってきたような他誌への移籍の予告だったら、こんなもってまわったような言い方をするでしょうか。

「何かの形にしてお返ししていきたいと思っています。」

が、画集の販売だったり、サイン会のようなイベントだったりしたらどうでしょう。
私達は作家先生を勿論尊敬していますが、第一に願っているのは、元気に動き回るローゼンメイデンを見たい、物語の適切な結末が見たいということです。
今回の連載終了がその適切な結末ではなく、読者の多くをがっかりさせており、また作者自身がもう終わりにしたいと思っているなら仕方が無いが、自分としてもこの作品への意欲が衰えていないことを、作者自身が認めています。
私はこれからも、私達が声を一層強くして物語を結末まで継続させる事を求めていくべきだと思います。
今回私が一番嬉しかったのは、先生のこの言葉です。

「ローゼンメイデンは読者の皆さんの大きな愛を至る所で感じる、何よりも読者の皆さんの力で育てて頂いた、幸せな作品です。」

私達の声が、原作者に届いた。これに勝る喜びはないでしょう。
我々の望むローゼンメイデンの復活への道は、まだようやくスタートラインに辿り着いたばかりなのです。


水銀党本部10000HIT達成記念代表演説

2007-06-02 13:16:22 | Weblog

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~次代に向け、水銀党は『アンチ』から『帝国』への脱皮を~

 

かつて、水銀党員を名乗る事は“異端”であった。

まだRozen Maidenと呼ばれる作品が漫画のそれしか意味しなかった時代、多くの読者にとって水銀燈とは単に不気味な敵役でしかなく、その支持を唱える者はRozen Maidenファンの主流とは到底言えない少数の異端派だった。
アニメ版Rozen Maiden第一期が公開されてその知名度がにわかに上昇し『水銀党』という集団がどこからともなく生まれ台頭するようになった後になってもまだ、世間一般に認知されていたいわゆる『水銀党員』とは、アニメ版になって新たに加えられた水銀燈の女王様然とした味付けに心酔するM属性の人々か、もしくは製作スタッフが「一番力を入れた」と自負したその群を抜いて華麗な服装と容姿を愛でるゴシックロリータの愛好家達、あるいは田中理恵の彼女の従来のレパートリーにない斬新な演技に感動する声優信者が大半を占め、そうした悪く言えば表面的・記号的な志向の中で、水銀燈の魅力のより内面的な側面を見抜いていた者は極めて少なかった。

そして、これは今回私が主題にしたい事だが、これら水銀燈人気と水銀党の躍進が、メインヒロインである真紅へのアンチテーゼによって多分に鼓舞され推し進められてきたという厳然とした事実から、我々は目を背けるべきではない。

この時代の他のいくつかの作品にも見られる傾向であるが、メインヒロインが感情移入する上での欠陥の多い不人気キャラである事から、第二第三のポジションにつけるヒロインは必然的にアンチファンの受け皿となっていた。
Rozen Maidenにおいてその恩恵をもっとも受けたのは真紅陣営に属しながらもその極めてわかり易いツンデレな性格で独自の魅力と存在感を発揮する事に成功していた翠星石であり、アンチ真紅ファンの中でも穏健派に属したファンのほとんどがこの翠星石に流れた。
だが同時にこれら桜田ファミリーそのものを敬遠する過激派の人々が水銀燈支持に走ったのも事実であり、結果的に真紅の不人気が水銀党の勢力拡大の一助となった事は否定できない。
こうした真紅及び桜田ファミリーを疎ましく思う人々の受け皿という成り立ちの要請から、水銀党は組織の求心力を維持するためにその主張を先鋭化させるを得なかった。
あたかも9・11事件と北朝鮮が小泉・安倍政権による日本保守時代を実現させたのと同じように、真紅の不人気、真紅の言動が内包する欺瞞への反感が水銀燈支持者の戦意に燃料を投下してきた。
これは水銀党が今日も内部に抱える深刻な構造問題である。
水銀燈を支持する事は真紅や主人公達へのアンチテーゼとしばしば同一視され、時として一方的な感情論に火をつけてネット上での一部の水銀党員の行動を過激化させた。
水銀燈を愛するがあまりとはいえ、他のドールとそのファンへの誹謗中傷や、ネット投票所への大規模な不正投票など、「荒らし」と批判されても仕方の無い行為がある時は個人によりそして遺憾であるがある時は組織化されて実行され、一時期ウィキペディアには水銀党員について「マナーに欠けている」という水銀党にとって極めて屈辱的な論評さえ為された。

一水銀党員として敢えて言うが、何かの進歩や発展が常に社会にきしみをもたらすように、この時期の水銀党の急速な勢力拡大の過程にこうしたアンチテーゼという非紳士的な負の側面も存在していた事から我々は目を背けるべきではないし、今現在も消えずに我々の内部に残存している問題としてこうした過去の悲しい部分に反省し自戒しなければならない。
勿論一般的に爆発的な流行や革命とは、強烈なエネルギーによる情熱の火山の噴火であり、それは必然的に暴力的側面ももっているから、そのような自然の論理でアンチテーゼを正当化する事も不可能ではないだろう。
だが、独立戦争や体制への革命が一定の勝利によって終結するのと同じように、その現状のパワーを無視して永続するアンチテーゼもまた存在しないし、してはならない。
これまで自分達を『主流派に虐げられる少数派』だという一種の被害者意識で真紅や他のキャラクターへの攻撃的あるいは非友好的なアンチを展開してきた水銀党員は、意識を変える必要があるという事だ。

今、我々のおかれた立場を顧みて欲しい。
当初は予定されなかったアニメ第二期Rozen Maiden träumendでの水銀燈の奇跡の復活がファンである我々水銀党員の声によって製作側を動かして実現させた事は、我々にとって『一定の勝利』以上の戦果ではなかったのか。
しかも、製作側の水銀燈への優遇はそれだけでは済まなかった。
ネットラジオやドラマCD等など数々の水銀燈が主役のイベント、そして何より決定的だったのが、水銀燈を事実上の主役とする特別編、ouvertüreの放送だった。
決して、水銀党員が他のドールのファンに数で勝っているわけではない。確かに水銀党は組織力に秀でてはいるが、逆に言えばそれは少数派ゆえの必要に迫られての事だ。
ネット上で普段から組織的な活動を展開する『常備軍』を整備し、大きな声を上げている水銀党は目立つので一見数が多いように見えるが、実際の数はよりポピュラーな翠星石ファンに比べて劣勢である事はこれまでのネット投票から明らかである。
そしてネット上で意思表示しない「声無き声」とも言える潜在的な真紅ファンの数は、これをはるかに上回るだろう。それをわからぬ製作側ではない。
にも関わらず製作された水銀燈のための特別編は、勧善懲悪的な第一期で煮え湯を飲まされた多くの水銀党員にとって、正に最高のクリスマスプレゼントだっただろう。
水銀燈が真紅と同等かあるいは真紅以上に重要なキャラクターとしての地位を占めている事が、オフィシャルに認められたのだ。

ここで水銀党員にとって忘れてはならないのは、この絶頂と同時に訪れる問題である。
もはや水銀党員は反体制、『虐げられる少数派』ではなくなってしまった。製作側から配慮され優遇される、いってみれば体制の側になってしまったのだ。
これだけ強大な影響力を持つようになった水銀党が、アニメの筋書きを左右する巨大な圧力団体として大きくなり過ぎた自らの力を自覚する事無く少数派としての被害者意識をもってレジスタンスをしていた時と同様の攻撃的行為を周囲にとり続ければ、それは他のドールのファンの目には勝者の横暴としか映らない。
逆に他のドールのファン達を水銀党への反感や脅威意識によって団結、組織化させる結果となり、水銀党員はRozen Maidenファンの中で忌み嫌われ孤立する。
それは確実に、水銀燈というキャラクターへのイメージダウンにつながっていく。既にその兆候がネット上の各所に見られ始めている事を憂慮している良識的な水銀党員も多いはずだ。
「水銀党員にあらずは人にあらず」などというような傲慢な考えで掲示板やニコニコ動画に書き込んでいれば、人々の心は水銀燈から離れていき、真紅大隊や蒼星会は、かつて水銀党員が感じていたのと同じ反感で勢力を増していくことになる。
アニメ第二期の放送でこれまで水銀燈を敬遠してきた穏健派の人々が数多く水銀党員に加わったのは歓迎すべき事だ。
彼等彼女等の水銀党内での台頭は、水銀党の過激さを薄め、少数派のコンプレックスからくる一種の選民思想ともいうべき排他的で攻撃的な従来の水銀党の性質を、より普遍的で万人に共感される開かれたものに変貌させる効果がある。
今後の水銀党の最大の課題は、これまでのようにただ水銀燈だけをレスペクトする視野の狭い集団から、広くRozen Maidenそのもののメディア界における人気のためにファンの中で指導的役割を発揮していく組織への変質だ。
Rozen Maidenの原点であるコミックが、作者と編集の不和によって連載が打ち切られる事は多くのファンに衝撃を与えた。
どんなにRozen Maidenの中での水銀燈の地位が向上しようと、Rozen Maidenそのものが衰退し消えてしまうのでは全てが無に帰する。
今こそ無意味な内戦を終わらせ、Rozen Maidenファンが結束して声を上げるべき時だ。水銀党にはその組織力を、水銀燈のためだけでなくRozen Maidenという作品のためにフルに活かす事が期待されている。
水銀燈人気の高まりは水銀党員に限らず、Rozen Maidenファン全体の利益となり得ると皆に理解させるためにも、我々はアンチからの変わり身が必要だ。
かつて真紅ファンが担って来た作品自体を牽引する役割を水銀党が肩代わりする事で新しい秩序を打ち立て、もはや堂々とした主流派として紳士的な協調で全体を包容し、もって水銀燈とRozen Maidenの魅力を世界に発信する。
これは国家に例えるなら覇権を得た大国が自国の国益ばかり追求して他国の世論を敵に回し不安定な世界にしてしまうか、それとも本当の意味での『帝国』を築いて安定し繁栄し続ける世界を生み出すかという事だ。
『帝国』とは一般的にその物理的側面から道義的に悪とされているが、『帝国』の精神的な側面を重視するならば決して物理的な力のみに頼る存在ではない。極論すればバチカン市国は『帝国』である。
それは、単に自国の国益のみに心を砕く地方国家と、広く世界の安寧のために普遍的正義を掲げる世界大国の違いだ。
Rozen Maidenに話を戻せば、これは水銀党員が所詮は既存のキャラオタ集団の模倣に過ぎない現状に満足し、そしていつかは避けられない作品自体の没落に身を任せるか、あるいは、我々の子孫が高いところまで上り、Rozen Maidenファンの中で評価されるだけでなく、広くメディア界全体の普遍的な畏怖と敬愛を勝ち取る事ができる偉大な水銀燈のための集い、すなわち、本当の『帝国』を望むか否かの問題である。
水銀燈への真の愛があるなら、広範な視野でこの崇高な使命のために邁進する責務が水銀党員にある事が理解できるはずである。
製作が切望されているアニメ第三期もそうだ。
次のアニメが水銀党員にどんなリップサービスをしてくれるかではなく、第三期実現のために水銀党員が何ができるかを真剣に考えよう。

Rozen Maidenの明日のために、水銀党員の力が求められているのだ。