水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

戦争はまだ終わっていない

2006-08-16 15:45:00 | Weblog
何故、この日なのでしょうか。
今日8月16日、北方領土の海域において日本の漁船がロシア軍の襲撃を受け、そして不幸なことに一人の日本人漁師が死亡したとのニュースが入ってきました。
昨日8月15日は、全ての日本人にとって特別な意味を持つ日でした。
過去の悲惨な戦争と、それによって失われた尊い犠牲に、皆が祈りを捧げたその翌日に、私達の哀悼の心をあざ笑い踏み躙るかのように、彼等は再び侵略者の斧を我々の同胞に振り下ろしたのです。
そう、まるで戦争から六十数年を経た今も、自分達が征服者だと勝ち誇り、我々が敗北し、そして今も敗北し続けているという現実を突きつけるかのように。

昨日のブログでも申し上げた通り、あの戦争でロシア、当時のソ連の取った行動は、日本やナチスドイツの行った、戦後非道だと糾弾されたいかなる行為よりも非道で卑劣なものでした。
彼らは中立条約を破り、大陸で無数の罪の無い日本人を虫けらのように殺戮しました。
赤子をかばい泣き叫びながら助けを求めた母親に笑いながらトリガーを引き、子どもや老人を戦車で踏み潰し、避難民の列車や船を砲撃し、捕虜にした日本軍兵士を騙して極寒のシベリアで強制労働させ、7万を飢えと寒さで殺し、残りを洗脳して共産主義者にした。

そして、我が国の領土だった南樺太・千島、現在『北方領土』と呼ばれる島々を、島民の死体を積み上げて侵略していったのです。
本土では終戦で国民が安堵していた8月15日の後に行われていた許すべからざる侵略戦争。
彼らが今自国の領土だと悪びれず主張している北方四島とは、そうやってロシアが自分達の都合と欲望のためだけに日本から力でむしりとった土地なのです。
今ここで数々の国際条約とその国際法的正統性を列挙してお茶を濁すまでもなく、彼の地が我が国日本の固有の領土であることは明らかであり、不法に占拠していることは厳然たる事実です。
それでも今本に、ロシアと戦いたがる者などおりません。
平和に、穏やかに、幸せに暮らしたい。我等の願いはそれだけでした。
ロシアに対しても交渉に交渉を重ね、お互いに平和に共存できるよう知恵をしぼって数々の妥協をしてきました。
でも、その願いを無残にも打ち砕いたのは誰です?
共存を拒絶し、我々に牙を剥いたのは?

かつて高校二年生の時、北方領土問題研究チームのリーダーだった私は校内誌で、ロシア人は悪魔だと書いて左翼の教師から激怒されました。
ロシア人は悪魔ではないと彼らは言うのです。
日本人と同じように、平和を愛していると。

ロシア人が平和を愛している?
聞くところによれば、犠牲者は頭を撃ち抜かれて殺されたそうです。
平和を愛している人たちが、たかがウニやカニのために人間を撃ち殺すのですか?
殺されたのですよ、私達の同胞が。同じ日本人が。
侵略者の銃で。
わかりますか、この意味が。
強い憤りを禁じえません。同時に昨日のブログで、北方領土問題は大したことではないと書いた自分を強く恥じています。

かつてあの校内誌で、私はこう書いたものです。

我々が今日の戦いに生命をかけるのは、後に続く者がいると信ずるからである、と。


我々は、我々を守らなければなりません。
戦わねば守れないのならば、戦うしかないのです。

政府には、現在進行形で侵略されている国としての、国家防衛のための断固とした対応を期待します。

終戦の日を迎えるにあたって

2006-08-14 11:02:14 | Weblog
日本経済新聞『私の履歴書』より

『昭和二十年(1945年)になっても関東軍(満州を守備していた日本軍)の士気は衰えを知らなかった。
勇猛果敢といわれた関東軍の気概は、ひとつには豊富な備蓄物資にも支えられていた。
軍の兵と馬の糧食を保管する糧秣庫や、被服庫、弾薬庫などそれぞれに備蓄品がうずたかつ積まれ、物資不足など感じさせなかった。
糧秣庫には、昭和二年以来の糧秣が、手付かずのまま保存されているといわれ、五年や十年は充分、耐えうると考えられていた。
たとえ内地がどうあろうと、関東軍だけは最後まで戦い抜く、などという血気盛んな話が、決して虚勢とは思えなかった。

昭和二十年九月、敗戦の玉音放送から二週間も過ぎた頃、トラックに乗ったソ連軍が大挙して国境を越え、(筆者の部隊が駐留していた)チチハルに侵攻してきた。
部隊は全て武装解除を済ませソ連軍の捕虜となった。
戦争をしていない相手国から捕虜にされるというのは、考えてみればおかしなことだが、当時はそんな客観的な判断が働く状態ではなかった。
捕虜になるというのがどんなことなのか、私たちには見当も付かなかった。
最初に命じられた仕事は、豊富な備蓄を誇った倉庫から物資を全て運び出すことだった。満タン状態の弾薬庫からは砲弾や弾薬、糧秣庫からはコーリャン(中国のトウモロコシ)や麦、米。被服庫からは軍服や軍靴などなど、蓄えられていたものをすべて運び出させられた。
物資はチチハルの駅に日に何度もやってくる、十数量編成の貨車に積み込まれ国境のかなたへと運び去られた。
対独戦などで疲弊していたであろうソ連軍にとって、それらはかなりな助けになったはずである。
あっという間に巨大な体育館のような倉庫は空っぽになった。代わりに私達がそこに詰め込まれた。
息を殺すような陰鬱な倉庫生活。
支給されたのは、生まれて初めての黒パンだった。コーリャンなどを原料にしたベタベタした食感の水っぽい粗悪な代物で、とても食べられたものではなかった。
(中略)
ある日、貨車がチチハル駅に入ってきた。「全員、あれに乗れ」という。ソ連軍の将校が言うには、「日本軍はソ連の大きな橋を数箇所破壊した。その責任を取って修理しろ。三ヶ月ぐらいで終わるだろうから、そうしたら日本に帰してやる」
戦争に負けて捕虜になったのだから、三ヶ月ぐらいの労働奉仕は仕方が無い。ちょっと我慢してひと働きすれば、来年の正月は日本で迎えられるだろう・・・・・。私達は、ソ連兵の言葉を真に受け、信じきっていた。
しかしこの後、何度も何度も我々は約束を裏切られ続けた。これはソ連の策略だった。
「日本へダモイ(帰還)だぞ。東京へダモイだぞ」という甘言を弄し、素直に従う日本人を拉致し、大量にシベリアの地へ、奴隷のような労働力として送り込んだのである』


こんばんは、冬月です。今朝は首都圏で大規模な停電が発生しましたが、東京千葉にお住まいの皆さんのご家庭の冷蔵庫、ビデオデッキ、異常ございませんでしょうか。
お盆ということでビデオに予約録画をされて帰省されている方も多いと思いますので心配です。
さて、二回連続で重い話題で恐縮ですが、鎮魂と慰霊の夏、という事で、本日も、もう61年以上も前となったあの戦争について、取り上げさせて頂きます。

上で紹介しましたのは、日本経済新聞で連載中の『私の履歴書』で、遠州茶道宗家の小堀宗慶さんが戦時中満州で通信部隊の将校をしていた頃の体験を綴られたものです。
第二次大戦中日本と日ソ中立条約を結ぶ中立国だったソ連が、米国とのヤルタ秘密会談に基づき終戦直前に突如日本人居留民が数多く住む満州に侵攻、ソ連からの攻撃を警戒していなかった日本軍守備隊が大打撃を受け、そして大勢の日本人居留民が惨殺されたり、捕えられてシベリアに抑留されました。
この小堀さんの『私の履歴書』では、連合国軍のポツダム宣言を受諾し8月15日に無条件降伏した日本軍に対して、その無抵抗をいいことにソ連軍が一方的な侵攻と略奪行為を行っていた事実が、克明に証言されています。
連合国側が突きつけた『ポツダム宣言』という契約書を日本は受け入れたというのに、その契約に連合国側であるソ連が違反して降伏後の日本に対して軍事行動を行い、米国もこれを黙認しました。
私が代表だったグループは、高校一年の北海道修学旅行の際に学校より命じられて北方領土問題の研究を行い、その時私は関連資料にあったソ連による戦後のシベリア抑留の詳細な記録を読み愕然となったのを、今でも覚えております。
ソ連が終戦間際で疲弊していた我が国に対して行った非道は、まず突如宣戦布告を行い、しかも宣戦を布告したモスクワの日本大使館の無線を妨害して、モスクワの日本大使館が日本本国へソ連の宣戦布告を知らせることができないようにしたことに始まります。
職員の不注意で意図せずして『だまし討ち』となってしまった日米開戦のパールハーバーと比べてみて下さい。国際法には触れないのかもしれないが、悪意をもって宣戦布告を知らせないようにした行為は、日本のパールハーバーと比べ全く知名度が無いにもかかわらずはるかに卑劣といえるでしょう。
そしてかつてのナチスドイツのブリッツクリーク(電撃作戦)を髣髴とさせる航空爆撃と重戦車を横一列に並べた大機甲部隊によって、あまたの無抵抗の日本軍兵士と日本人居留民を惨殺したこと。
ソ連軍は圧倒的な火力で日本軍の防衛線を突破し、村や町を焼き避難民を戦車で踏み潰し殺しました。赤子をおぶって逃げる母親にマシンガンで機銃掃射して殺したり、避難民や傷病兵が乗っている列車に爆弾を落とし・・・・・ある村では避難していた数千人の無辜の女性や子どもが一夜で虐殺されたといいます。
新宿住友ビルの戦争体験資料館では、満州で起きた地獄のような光景が記録されていました。
ソ連は、日本本国の領土である千島列島にも侵攻しました。ここでも多くの守備隊や島民が殺されています。千島列島を制圧したソ連軍は、千島列島に属さないことが日露間の千島樺太交換条約によって確認されていた択捉・国後・色丹・歯舞の四島をも占領しました。これが、『北方領土』です。
そして、最大の被害を出したのが、シベリア抑留です。極寒のシベリアで強制労働に従事させられ飢えと寒さで死んだ日本人の数は最低でも7万、最近の研究では数十万に上るとする学者もいます。
これまで日経新聞の『私の履歴書』に登場された多くの著名人が、シベリアでの抑留経験をお持ちです。あの東京オリンピックで選手村の総料理長を務められた村上信夫さんは、抑留中寒さで凍ったジャガイモを熱湯に入れて食べる方法を思いつき、それが東京オリンピックに使用する食材の冷凍保存のアイデアへと結びついたといわれています。
これほどまでに我が国にとって大きな出来事であったこのシベリア抑留。
第二次大戦についてどれだけ日本が悪い、日本は悪だといわれても、この問題だけは我が国には一点の非もありはしない。ソ連の行為は、本来であれば国際的に非難されるべきでした。
しかし実際にはどうなったでしょうか。
明日は8月15日です。ロシアでは戦勝記念日、モスクワのクレムリン前の赤の広場では、退役軍人による日本への戦勝を祝う大規模な祝賀行事が行われるでしょう。
ロシアの人々は、中立条約を破った日本への攻撃も、シベリア抑留も、北方領土の不法占拠も、少しも悪いことだとは思っていません。また世界で誰もロシアの過去の罪を追及する者もいない。ここでおわかり頂きたいのは、何もソ連軍の行為がいかに道義的に卑劣だったかではありません。はっきりいって似たようなことはアメリカもイギリスもドイツも日本も中国も世界中でやっています。モンゴルだってフビライ・ハンの時代にはやったでしょう。
注目して頂きたいのは、同じ侵略者であった日本とロシアのこの扱いの格差には、今日日本のマスコミや知識人によって論じられている奇麗事は1パーセントとして作用していないということです。
『良い』『悪い』という道義的善悪の観念と、国際秩序とは、全くもって無関係。
『勝てば官軍』とまで言うつもりはないが、私は今日ここで、61年も前のことについていまさら現在のロシア人を憎めとか、責めろというつもりは全くありません。
私自身ロシアにも旅行しましたし、信じて頂けないかもしれませんがロシア人の家族と友達でさえあります。非常に愛すべき人達ですよ、一般のロシア人は。

確かに北方領土は今なお占拠され続けています。
皆さんはたかが小さな島ぐらい無くても誰も困らないと思うかもしれません。
島根県が『竹島の日』をつくった時も、県のサイトに左翼の人達からの心無い攻撃がありましたし、多分たかが小さな島ぐらいどうでもいいと思っておられる方は多いんでしょう。私もその気持ちはわかります。確かに、島自体にあまり利用価値はありませんよ。
でも、皆さんもお魚を食べますよね。魚は日本人の主食の一つです。そして、島というのは周辺海域の漁業権を伴います。だから、『たかが小さな島』が大切なのです。
戦後韓国が1952年に突如宣言したいわゆる『李承晩ライン』で竹島が韓国領にされた後、竹島周辺で日本の漁船が韓国軍に砲撃され、何の罪もない大勢の漁師さんが殺されました。
戦争が終わった後の平和なはずの海で、漁師さんたちが殺されたのです。何故か日本のマスコミはあまり報道しないので、知らない人は多いでしょうが・・・
一家の大黒柱である大切な夫や父親を韓国に殺され、韓国を夫の仇、親の仇と恨んでいる遺族は島根には大勢いらっしゃいます。そういうことを何も知らずに竹島問題を論じるのは本当に頼むから止めて欲しいと昔から悲しく思ってきました。つい最近になってこそ大騒ぎになった北朝鮮拉致問題も、私が中学一年の時はまだ全然知られていなくて、学校の集会などで話すと「そんな話はでたらめだ、誰かあの右翼を演壇から引き摺り下ろせ」とさえぎられたものです(苦笑。

北方領土の周辺海域に関して言えば、日本の漁船が頻繁に拿捕されてロシア海軍の小遣い稼ぎにされているばかりか、ロシアの原潜に魚網を引っ張られて漁船が転覆したり、ロシアマフィアの日本への銃器や麻薬の密輸ルートに使われたりと、そう、かなり問題はありますね(苦笑。おまけに樺太にはロシア極東軍の一個師団が駐留し、我が国に睨みを効かせていますから軍事的にも脅威です。樺太のロシア軍の上陸に備えるために、陸上自衛隊は北海道に常に大量の戦車部隊を展開させていなければならず、予算的にも負担になっています。
私も高校の時つくったレポートでは「即時返還を」と締めくくりました。
ただし、現在の情勢では、北方領土の返還は、あまり現実的とはいえませんし、ロシアと敵対することは我が国の戦略的国益を損ないます。
だから日本政府も、本気でロシアから北方領土を取り返そうとは実は考えていない。

これが重要なのです。
国際情勢とは、各国の国益に基づいた政策によってしか推移しないものです。悲しいことですが、道義的な善悪は口実に使われるだけで、それが問題の本質であったことは歴史上一度もありません。
今61年前のあの戦争を振り返る私達のパースペクティブにも、同じものが求められているのではないでしょうか。
戦争を反省する・・・これは、61年間ずっと言われ続けてきたのに、実際には全く行われていないと、私は思うのです。
私達日本人は、あの戦争を私達の失敗として、反省し、失敗から学ぼうとしてきたでしょうか。
マスコミや左寄りの知識人はひたすら日本がアジアの人々に対していかに重い罪を犯したかを繰り返し強調して『一億総懺悔』を我々に要求します。ですが、私に言わせればそれは日本の侵略を受けた国の人にとっては気持ちいいかもしれませんが、肝心の我々日本人に役立つ反省では少しもありません。
頭を下げるだけでは、進歩が無いからです。
謝罪では無くて『反省』をして下さいと、私はいつも願っています。
憲法9条を守ろうという護憲派の方々の主張は、現実主義者の私には、現実逃避にしか見えない。
もう二度と『過ち』は繰り返さない、もう二度と戦争はしない・・・そのためには、戦争と関わるもの一切から目を背ける?
国防は放棄する。敵が攻めてくることさえ想定すると、右傾化だと非難されます。
有事法制の一環として国民保護法が施行され、各都道府県自治体が『国民保護計画』を策定しました。大阪府などは、核攻撃があった時に風下には逃げないようにとか、結構過激なシナリオをつくってマスコミから注目されましたね。各自治体、それぞれ国民を守るための計画を真剣に出してきた。ところがこういった計画に、「戦争の準備だ」とアレルギーを起こす人達がいる。
あまりにナイーブです。これではただ猫アレルギーや犬アレルギーのように、国防アレルギーという生理現象を引き起こしているようにしか見えません。ロジックでもなんでもない。
例え自分達の国が戦争を望まなくとも、戦争を望む国がいて、それが攻めてくれば、戦争になるのです。私達は、私達を守らなければなりません。勿論、最後の最後まで外交努力によって戦争の回避はするべきです。しかし、相手が戦いを挑んできた時に、それを防ぐためには戦うしかないのです。
ましてや、敵の攻撃があった時に市民を避難させるための計画すら作ってはいけないとは、国民をなぶり殺しにさせろといっているようなものです。政府には、国民を守る責務があります。有事法制が無かったら、自衛隊は戦争になっても駐屯地の外で作戦行動をとる事すらできなかったんです。
戦前の物は全て悪いものだと切って捨てる。これも極端すぎます。そして自分達に反対する人間は、私のような現実主義的な人間にでさえ『右翼』というレッテルを貼って愚か者だと嘲笑する。憲法前文には、「日本は世界を信頼する」、とある。
北朝鮮やロシアや中国を信頼して、それが安全保障だということになってしまいますよね。
前提が理想論になってしまっています。
本当にもうあのような悲劇を繰り返したくないなら、目を背けることをやめるべきだ。

一方でいわゆる右翼といわれる人々はどうでしょうか。
私自身が、よくその一員だといわれることがあります。
私が靖国神社の青年団に所属しており、高校時代も有志で若者に靖国神社に行ってもらう活動をしていたことも大きいでしょう。
ところで靖国神社の境内には、遊就館という戦争資料博物館がありましてね。
人間魚雷や南洋の島々で発掘された日本軍の戦車や戦闘機など、貴重な展示品が数多くある我が国唯一の本格的な戦争博物館で、思想信条に関係なく行く価値のある場所です。

ただ、私はこれまでに何度も友人を連れてここを訪れているのですが、そのたびに苦々しい気分になるものがひとつあります。
そこで上映されている、『私達は忘れない!』という映画です。
小泉総理の大好きな歌がオープニングで始まるこの映画は、欧米列強のアジアへの植民地支配がいかに陰惨で過酷だったか、日本がどれだけ侵略の脅威に晒されていたか、中国の革命家たちがいかに野蛮だったか、とにかく日本の戦争は正しかった、正義の戦争だったのだと、徹底的に美化しています。
右翼だといわれる私が見て、正直あのコテコテな戦争美化には吐き気がするほどですから、一般人には到底受け入れがたいでしょうね。
私の尊敬する故山本五十六元帥も、あの映画を見たら悲しまれるでしょう。

正しいか正しくないかなど、どうでもいいのです。あの戦争は、日本にとって失敗でした。政治的・軍事的な致命的な判断ミスです。
戦争に敗れ、国際的な大国としての地位を失って今のようなアメリカの属国になり、おまけにアジアの一部の国々からは今日に至るまで恨まれ、そして営々と築いてきた我が国の資産の大半が灰燼に帰したではありませんか。
これは、決してドイツのように一部の指導者の責任ではない。日本という国家全体の責任です。
中国大陸で目先の利益や面子ばかり大切にしてストラテジーのない軍事行動をした陸軍の過失、ドイツ・イタリアという負け組について国際的に日本を孤立させた外務省の過失、手遅れになるまで軍部を抑えられなかった政治家の過失、そして何より、今でこそ戦争を「一部の軍国主義者」のせいにして被害者面していますが、実際には戦争に勝っているうちは陸軍の戦果に狂喜して提灯行列で街を練り歩き戦争を煽った国民・政府の弱腰を批判して世論を煽った朝日新聞を筆頭にしたマスコミの過失。
これら全ての相乗効果が、日本を破滅させたのです。
このことに目を背け、戦争を正当化・美化するなど言語道断です。
中国韓国のために言っているのではなく、日本のために、我々は失敗を認め、そこから学び、建設的にこの国の明日に生かすべきです。
そうでなければ、300万人の犠牲者にどうして顔向けできるでしょうか。国を大切にしないで、何のための愛国でしょうか。
私は、真の愛国者とは自分の国が失敗した時はそれを批判し正せる人間だと思っています。失敗を覆い隠し美化して結果国益を損なうようなことをする人間は、愛国者のふりをしているだけで実際には国のためになっていません。
日本は私達の国です。他人事ではなく、もう二度とあのような『ミス』をせずに国を繁栄させるか、真剣に考えなければならないのです。
その点で、この国は右翼も左翼も、あの戦争を正面から見つめようとする努力を全くしていません。

戦争について適切な認識を持つこと、そしてそれを日本の将来に資する政策に昇華していくことが、真に戦没者が望んでいることだと思います。

私は総理の靖国参拝に賛成していますが、それは靖国の歴史認識が正しいと思っているからではなく、総理の靖国参拝に反対する国内外の勢力の考え方、A級戦犯が全て悪いという考え方が許せないからです。
特に、中国韓国の人間ならいざ知らず、日本人でA級戦犯を糾弾する人間は厚顔無恥にも程があるでしょう。
そもそも、東京裁判とは何か。
裁判の格好さえしていますが、実態は国際法的に何の正統性も無い、勝った者が負けた者を一方的に裁き殺して優越感に浸るためのリンチ(私刑)です。
アメリカが戦後になってつくった「平和に対する罪」によってその前の日本の犯罪を罰した、罪刑法定主義の原則を無視した「事後法」による一方的な暴力、それに裁判と名づけたことは、法学部生として、「勝てば官軍」を象徴する、国際司法を冒涜した歴史の汚点だと思います。
東京裁判は、東京大空襲も、原爆も、ソ連の条約違反も、中国の便衣兵も裁かなかった。弁護側が戦勝国側の戦争責任に言及したとき、米軍は裁判の日本語同時通訳を止めたといわれています。そして裁判は、始まる前から既に誰にどのような刑を課すかが決まっていました。
もはや、裁判というより裁判を模したショーというべきでしょう。
一方で「731部隊」のように真に非道な者達が、アメリカに協力して告発を免れました。これのどこが正当な裁判なのか、私を納得させられる人がいたらお願いですから誰か話してみて下さい。
中国や韓国の人々と靖国問題について話すとき、よく日本のA級戦犯をドイツのヒトラーと同一視している人がいます。私はこういう誤解をしている人を見つけると必ずこう説明しています。
同じ枢軸国でも、ドイツはヒトラーによるワンマン式のオーナー経営の会社、対して日本はオーナーのいないサラリーマン経営の会社だと。
天皇という決定権の無いオーナーがいて、実際の経営はサラリーマンが皆で話し合ってやっているのが日本という国です。このシステムは今も変わっていません。
日本のA級戦犯になった人達の中には、誰もヒトラーのように自分の意思で国を動かし戦争を計画したワンマンリーダーはいません。ほとんどが年功序列の軍人や官僚で、たまたま戦争の時の日本という会社の経営陣だっただけの話なのです。
東条英機をヒトラーと同一視して語るのは、例えば西武グループ総帥だった堤義明さんと、元々国鉄のお役人で順番がまわってきて社長になったようなJR東日本の社長さんとを一緒にするくらいとんちんかんな論理です。
ですからもし日本人で戦争責任をこの東京裁判で戦勝国に罰せられたA級戦犯に押し付けようとしている勢力がいるなら、とても危険なことです。たまたま戦争の時トップだった人達を悪魔のように仕立て上げて、国としてのシステムの弊害、国としての責任を考えようとしないわけですから、少しも建設的なことではありません。
また、A級戦犯がどんな人達だったか、知らない人が多すぎます。だから日本人でも、A級戦犯をヒトラーみたいな人達だったと本気で信じている人がいるのです。
犯罪者扱いされているこれらの人々が、どんな人だったか知っている人はとても少ないです。

例えば東京裁判で絞首刑になった板垣征四郎陸軍大将は、岩手生まれで実直な性格が取り得の寡黙な軍人でした。現場で指揮をとる隊付将校からのたたき上げで、参謀会議でも自分は黙って部下に任せることが多く、満州事変にも加わっていますが首謀者ではありません。ですが、陸軍の暴走の全責任を取らされ処刑されました。
確かに戦争を止められなかったトップとしての監督責任はあるでしょうが、処刑された上今日に至るまで国際社会、果ては日本人の子孫達から槍玉に挙げられ続けなければいけないほどの人なのか、私は甚だ疑問です。
彼の性格は、あの西郷隆盛とよく似ています。西郷は部下達の声を止められず「おいどんの命はおぬしらに預けた」と西南戦争を起こし、最後は自害しました。彼の話は美談となり、今も多くの日本人が西郷を尊敬しています。少なくとも、西郷隆盛を批判する日本人を、私はみたことがありません。小泉総理が西郷の墓を参拝したとして、「反乱軍の指導者の墓を参拝するのはおかしい」とたたくマスコミがどれだけいるでしょうか。一方で板垣征四郎は「A級戦犯」です。彼の遺族が遺族会にいらっしゃいますが、このマスコミの猛烈な靖国たたきの嵐で肩身の狭い思いをされています。マスコミというのは、公正な報道をするものではないのでしょうか。とても不条理なものを感じてしまいます。
また元総理で終身刑になった平沼騏一郎は、ソ連の脅威から日本を守るための牽制としてドイツとの同盟を考えた政治家でした。
そのためドイツがソ連と不可侵条約を結んでポーランドに侵攻すると、「欧州の天地は奇怪な新情勢を生じたため・・・」と有名な戸惑いの言葉を残して総辞職します。極めて常識的な政治家だったために、ヒトラーの奇抜な外交についていけなかった、ある意味同情すべき人間です。私達は、今の時代にヒトラーのような人間が外交をする大国が無かったことを感謝しなければなりません。
小磯国昭は戦争末期米内光政と連立政権をつくって戦争終結に尽力した功労者なのに、やはり終身刑です。
東郷茂徳外務大臣にいたっては、彼は高潔な理想を持った人でした。大東亜共栄圏の理念の実現に尽力し、日本軍がアジアを欧米の植民地支配から解放するとうたって南方に進出しておきながら実態は占領になってしまっていることについて、陸軍を厳しく非難し改善を訴えています。外交官としてのプライドがとても高い人物だったと思います。
彼も東京裁判でA級戦犯として裁かれ、気の毒なことに裁判中に病死しました。彼は家族をとても愛していて、子ども達にこんな言葉を残しています。
「こどもたちよ、絶対に戦争はしてはいけない。でももしするのなら、絶対に勝たねばならない。もし負けたら、あらぬ罪まできせられるから」
彼の悔しさが伝わってきて、胸が痛くなる言葉です。この東郷茂徳氏は近年NHKの『その時歴史が動いた』でその信念が紹介され、名誉を挽回しています。

誰かをスケープゴートにするのでもなく、美化もせず、戦争を真正面から直視して考える事が、英霊の望みではないでしょうか。





私達の8月

2006-08-09 23:36:03 | Weblog
こんにちは、冬月です。
猛暑か台風かと、本当に日本の夏というのは近頃は過ごし辛いですよね(笑。
しかしそれでも夏は楽しまなければ損です。心と身体をリフレッシュしたい季節。
皆さんはどんな夏をお過ごしですか?
私は家族が滞在している清里で、先日弟を車に乗せてドライブしました。
ちょっと前に父と乗っていた車のタイヤがパンクする事故が起きたので、今回は慎重に・・・。
工事現場の近くを通る時はドライバーさんは注意しましょう。大きな釘が落ちていることがよくあります。

第一目的地は清泉寮という、ポール・ラッシュ氏の開拓の拠点として有名な観光地。八ヶ岳連峰の一望できる牧草地に腰を下ろして、二人でソフトクリームを食べました。
背後には富士山。うーん、東京での蒸し暑さが嘘のような爽快な風です。やっぱり高地は良いですね。
山の緑も、空の青も、とても透明感があるといいますか。たたずんでいると、ああ自分は生きているんだ、どこまでも行けるんだって思えるんですよ。

清泉寮を出て向かった第二目的地は打って変わってきな臭いところ。町のプールです★
いや、きな臭いってほら、今年の夏はプールでの事故が騒がれていますよね。
この日行ったプールは私達兄弟が以前からよく遊びに行っていたところなのですが、実は数日前に6歳の子どもがおぼれて意識不明の重体になったそうで・・・テレビではただ『北杜市のプール』とだけ報道して実名は出していなかったので「まさかな~」と思ってたんですが、地元の新聞を読んでみたら思いっきりここの名前が書いてあったんですよ。

私はよくレストランやホテルが不祥事を起こすと値下げもするしいつもは予約でいっぱいなのがすいたりするから、ここも風評被害でがらがらなのではと不謹慎な事を期待して行ってみたのですが・・・他のプールと変わらず大混雑。
プール側は監視員を増やしてぴりぴりしてましたが、客は事故の噂すらしていません。
混んでるプールではとても泳げないので期待していたのですが・・・どうしたのでしょうか。みんな私と同じことを考えたのでしょうか(マテ。
確かに論理的に考えれば一度事故を経験して警戒を厳にしているプールの方が「世の中騒いでいるけどうちは大丈夫だろ」と慢心している無事故プールより安全なのですが、誰もがそんな理詰めでものを考えられたら群衆心理の研究家は失業してしまいます。
・・・多分、みんな新聞を読んでないんでしょうね。普通別荘族や日帰りレジャー組が地元の新聞にまで目を通すことは無いですから。

混んでるプール・・・皆さん、ATフィールドってわかりますよね?

いや、エヴァの話じゃなくて(汗。
見ず知らずの他人がある一定以上の距離に接近すると不快になる、自分の周囲に無意識に張っている領域があるじゃないですか。しかも泳ぐとなるとそれ以前にぶつからないための安全距離ってもんがあります。
結局、自分が泳ぐのは諦めて、浮輪でばしゃばしゃやってる弟の横に浮かんでプールの様子を眺めていました。
行き交う人々の観察・・・シャンゼリゼのベンチに座ってる老人みたいに(笑。
プールって、いろんな人がいますよね。
若いカップル、家族、老人。
じっとしていると、意識していなくても人々の会話が聞こえてきます。
言葉の断片と、声の温度。
私、声からは温度が感じ取れると思うんです。こちらの方が、言葉より重要なことが多いです。言葉そのものが聞き取れなくても、感情の方向さえわかれば大体は把握できてしまうんですね。
しばらくそうやって無為に時間を過ごして、流れていく人々を無意識に観察しているうちに、私は昔からこうやっていつも、人間のことばかり考えてきたことに気がつきました。
周りの人がどんな人で、何を考えていて、それは自分の知る世界にどんな影響があるのか。
時にはそのせいで自分が踊らされて失敗することもありますが、それでも一番大切なのは、一人一人の人間について知ること、考えることなんです。
来る前に安易に考えていたような『プールを利用する群衆』なんてひとくくりにできるものではなかったんですね。



今年、西暦2006年、平成18年、この国の皇暦なら2666年の夏。
私達は、プールで子どもがおぼれ死なないかどうかに最大の神経を使ってこの8月を過ごしています。
テレビでは遠いレバノンで起きている戦争について、アナウンサーが同情混じりの心配げな声で解説しています。

この夏が私達の日常だとするならば、今から61年前の8月のこの国は、地獄だったのでしょう。
連日の空襲で焦土と化した都市。劫火に焼き殺された幾千幾万もの人々。
6日には私の生まれた広島に、そして今日9日には長崎に、原子爆弾が投下されたわけです。
今日は政治の話をする気はありません。
強いて言うなら、私個人として、この国の8月について思う率直な感想を。

幼い頃、私はアメリカを憎んでいました。
まあ今もあの国の大味の料理は口に合いませんが(笑。
私が幼少期を過ごした広島は、61年前に原爆に焼かれ一度消滅した都市です。親戚には被爆した人間もいます。
原爆の投下時刻は子ども達が登校し、大人も出勤を始める8時が選ばれたそうです。
ペンタゴンの見解によれば日本人の子どもは軍需工場で働いてボルトやナットをつくっていたので全員非戦闘員とはいえず、また広島市は都市ではなく一つの巨大な軍事基地だったということで(苦笑。同じ論理で今殺されているイラクの人々が気の毒ですな。
広島も、長崎も、20万近くの市民と共に消滅しました。
広島生まれの私だから言える謙遜ですが、勿論ヒロシマが特別だというつもりはありません。高校野球の広島の監督が甲子園で8月6日に黙祷しようという話になった時、「原爆投下は広島だけの事だから」と言って失言だとたたかれてましたが、誤解しないでほしい、真意はですね、日本中の都市が空襲にあって大勢の人が死んだのに、『ヒロシマ』だけが特別扱いされるのは申しわけないということです。
東京大空襲では30万が亡くなりました。死は等しいものでしょう。それがピカであれ焼夷弾であれ、極論すれば変質者に刺されてもプールでおぼれても、死んだら同じです。
ですが、問題なのは原爆という兵器の性格です。どの国も守っていないとはいえ、国際法では一応非戦闘員の殺傷を禁じています。
ですが原爆は、一度に広大な範囲を破壊する性質上、非戦闘地域・非戦闘員を巻き込まないことは不可能。つまり存在する時点から非戦闘員を殺すことを前提としています。

戦後の東京裁判はアメリカが『戦争犯罪』という国際法には無い言葉を新しくこしらえて戦勝国が敗戦国である日本の指導者をA級戦犯としました。まあ今その人達をどこに祀るかで揉めているわけですが、不公正な扱いを受けてるのは何もこのA級戦犯になった7名だけじゃない。

アウシュビッツで殺されたユダヤ人を悼んでくれる人は世界中に大勢いますよね。
でも私達の親は空から降ってきた焼夷弾や原爆で街もろとも焼き殺されたというのに、この世界の誰も哀れんではくれませんね。

非戦闘員である一般市民を標的にした無差別爆撃をテロリズムだとするならば、どうして誰もアメリカの戦争犯罪について議論しないのでしょう。靖国がどうのこうのと騒いでいる暇は無いと思うんですが。


とまあこのように昔の私は、この不条理な世界に対して青白いエクトプラズマを放ち続ける危ない少年だったのです。

しかしある時、日本への原爆投下を決断したトルーマン大統領というのがどんな男だったのか知りたいと思いましてね。
丸焼けになった広島の航空写真を見せられて、それでも次の長崎への投下を指示したといわれてますから、相当なサディストなんだと思っていました。年功序列でたまたま戦争の時国のトップだっただけの、実は皆さんのお父さんと同じサラリーマンの日本のA級戦犯なんて1ダースいてもお釣りがきそうな。

ところが、調べてみるとこのトルーマンさんというのは笑ってしまうような気の毒なお方だったんですよ。
少年時代は本を持ち歩く色白の寡黙な文学青年で「喋り方が女の子みたいだ」とからかわれて学校でひどいいじめの対象になっていたそうです。
極度の近眼で眼鏡が無ければほとんど何も見えなかったとか。
高校を卒業して事務員として働き、従軍もしていません。
政界に入ったのも副大統領に選ばれたのも偶然の要素が強く、ルーズベルト大統領の急死が無ければ絶対に大統領にはなれなかったと言われています。
そして彼は原爆という兵器の開発計画を、大統領になって初めて軍から教えられました。それまで秘密にされてたんですね。

強いリーダーシップを持っていたカリスマ的前任者に比べ、トルーマンは国民にはとても弱弱しく見えたでしょう。本人も、『強くて男らしい大統領』に自分を見せたいと、そればかり悩んだと思います。過去のコンプレックスもあるでしょう。
そこで彼は軍部から原爆を見せられる。巨額の税金を投入して、既につくってしまった原爆。しかしドイツは降伏し日本も降伏寸前、戦争は終わろうとしていました。
このまま原爆を使用せずに戦争を終えれば、巨額の税金を無駄に使ったと議会と国民から非難されるのは目に見えています。何より軍部がけしかけたでしょう。
そして何より、トルーマンは強いリーダーシップを発揮したかったのです。男らしい、決断力のある大統領になりたい。
もう、弱弱しいなんて馬鹿にされたくない・・・
もう僕は、「女の子みたい」だなんて笑われたくない・・・・!!


えー失礼、ちょっとトルーマンの幼少期のトラウマまで再現してしまいました(笑。


さて皆さん。彼を責められますか。
あなたが同じ立場に立っていたら、違うことができたと言えますか。

勿論、原爆を投下したアメリカの罪は重い。
しかし私達は人間です。
私達は原爆を落としたエノラ・ゲイやボックスカーの乗組員についてどれだけ知っているでしょうか?
ヒトラーが初恋の女性にどのようにふられたか知っていますか?
処刑が決まったA級戦犯が家族に当てて送った手紙を読んだことはありますか?

彼らを憎んだり軽蔑したりするには、私は彼らを知ろうとしすぎました。
みんな神でも悪魔でもない、私達と同じ普通の人間です。

それを忘れて国単位でひとくくりに考えて歴史をわかったつもりになるから、永遠に行き違ったままになってしまうのです。
理想論かもしれないが、私は人間と人間の相互理解が完璧に、つまりお互いの情報を正確に把握していれば、争いは起きない、あるいは争いをお互いの意思で制御することができると考えています。

今憎んでいる敵が皆さんの目の前にあれば、頭を柔軟にしてその人をよく観察してみて下さい。
そして今が慰霊と鎮魂の夏ならば、戦死した人の人数でものを考えるよりも、一人でもいいですから61年前を生きた人間について詳しく調べてみることをお勧めします。敵でも味方でも構いません。

私達がよく知っていると思っている歴史上の人物なんて、実はプールで私の前を通り過ぎていった人達を私がよく知らないように実は知らないものなんですよ。

ひとくくりに考えること、枠にはめて考えることを止めて、『人間』という単位にほぐしてみれば、視界が広がりますよ。
これは大切なことです。

今清里の父として尊敬されている人物・・・日本を愛し、立教大の経済学教授をつとめ、戦後はアメリカ各地で寄付を募って清里に酪農を伝えたポール・ラッシュ中佐は、GHQで働くダグラス・マッカーサーの部下だったのですから。
そういう人もいるから、『人間』という単位が大切なんです。
では、有意義な8月を♪

8月ですね~★

2006-08-03 21:35:05 | Weblog
どうもこんばんわ~♪
2週間くらいブログ更新停滞してました(汗
冬月さんごめんなさい~(TдT;
花火とか~かなり夏らしくなりましたね♪
haruも先日、なぜか早朝の土手で花火してきました★

今回はlemon-sliceの管理人・神鏡学斗さまよりバトンをいただきましたので、バトンバトンしようと思います♪


1.あなたのデスクトップを晒して、一言どうぞ。
個人的には気に入ってます♪

2.OSは何?
WindowsXP・・それ以上はよく分からないんで聞かないでください(笑

3.これはあなた個人のパソコン?職場や家族共有のパソコン?
個人ですね~

4.この壁紙は何?どこで手に入れた?
4年前に描いた2002年(前回)ワールドカップサッカーの絵・・らしいです??
描いたのはharuの実兄です~(笑
黒板に絵を描くようなお絵かきツールを自作したらしいです。
本来見本の絵として公開していたもので配布はしていないのですが、家族の特権で許可していただきました(笑
しかし妹ながら、兄が何してるのかよく分かりませんね~(゜Д゜;

5.壁紙は頻繁に変える?
最初は元々PCに入っていたものでしたが、これにしてからは全然です。

6.デスクトップのアイコンの数はいくつ?
3個ですね~

7.ファイルやショートカットがゴチャゴチャしているデスクトップ、許せる?
あんまり気にしてないです。

8.何かこだわりはある?
こだわり・・特にないかも(汗
PC本体は可愛いのを選んだのですが(´∀`*

9.今回、このバトンが回ってきてからこっそりデスクトップを整理した?
特にはしてないです★

10.最後に『この人のデスクトップを覗きたい』という5人。
うーん・・
haruも神鏡さんと同じく冬月さんのは見た事ありますね~★
じゃあ最近ガチャピンに追いかけられたというcloudendの霧式ソラさんにお願いします♪
って前回もでしたね(笑
ごめんなさい・・(T□T)でも、ぜひ知りたいかもです~♪
よろしくお願いします♪♪