水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

40000HITを反省する

2008-11-29 23:46:25 | Weblog
「気付けば40000HIT・・・ちょっと変なはかり方ですけど、10000HITが4回分ですよね。実感するのが難しいほど大きな数字です、ましてやその数字が、一回一回訪れた方がつけて下さったのだと思うと、感無量です(涙)。
ここまでこられたのは、サイトを愛して下さった皆様のおかげです。本当に感謝感激です。
この水銀党本部も、冬月が開設して間もない頃は、100HIT、200HITと少しずつ伸びるたびに私達は嬉しくてわくわくして・・・(今思えばその大半は自分達で踏んだものだったのですが)
1000HITを迎えた時は、信じられなくてスタッフ一同お祭り騒ぎでした(笑)。
今では、100や1000はあっという間に過ぎてしまって、お祝いも中々できなくて残念なのですが、それでも、気持ちはあの頃のままに、1HIT1HITのお客様との出会いを大切にし、訪れて下さった事に感謝してより良いサイトになるよう精一杯頑張って参りたいと、改めて強くそう思います」

これは、水銀党本部HPのアクセスカウンタが40000HITに達した日、掲示板で副代表の赤木君がしてくれたスピーチです。

これを読んだ時、正直私は赤木君に叱られたような気がしました。
いや、正確には、赤木君の飾らない真っ直ぐな一言一言が胸にしみこんで、このHPができたばかりの頃の自分を思い出した時、今の自分に、あの頃の情熱が色褪せずに残っていると自信をもって断言できなかったからです。

こういうキリ番とか、あるいは何周年とか、節目のたびに私は掲示板やこのブログで偉そうに、「初心にかえって~」と申し上げて参りました。
でも、私は本当に初心にかえっていたのでしょうか。
赤木君のこの澄みきった喜びと感謝の言葉に較べれば、私の「初心にかえる」はあたかも独立記念日に、とっくに退役した戦艦を引っ張り出してきて礼砲を撃たせるが如き、その一文を取り繕う陳腐なレトリックに過ぎなかった。

確かに、この数年で色々な事があって、みんな変わりました。
敢えて「変わってしまいました」と書かないのは、必要な変化も多くあったからです。
無名な一HPだった頃と、利用者が増え、また検索すると最上位にこのHPが出てくる事の功罪に対応しなければならない現状とでは、活動の中身も同じではいられません。
何より、あの時はみんな学生でしたが、今はほとんどが社会人です。

しかし、大きくなろうと小さくなろうと時間が経とうと増えようと、そんな事は言い訳にならない。忘れてはならない原点があるはずです。

小学生の時、スポーツも楽器も苦手だった私は、自分で小説を書くのがほとんど唯一の趣味でした。読むのも好きでした。でも、私は小学校に友達がほとんどいなくて、自分の書いたものを誰かに読んでもらえる機会が無いまま趣味を続けていました。
その頃から、私には漠然とした、空想に求める一つのイメージがありました。
清涼な世界。
空への願望。
漆黒のイメージ。

初めて水銀燈をこの目で見た時、私は自分の個人的なイメージを具現化したその存在に強い衝撃を受けました。
多分、私は後何十年かしても、鉄腕アトムが好きな人が中年になって白髪が生えても鉄腕アトムを好きでいるように、水銀燈というキャラクターを飽きずに好きでい続けているだろうと思います。

水銀燈を二次小説にしようという試みは、最初は周囲の理解を得られませんでした。
今とは違ってローゼンメイデンの二次小説自体がマイナーなジャンルで、ましてや水銀燈となると、わかってくれる人が少なかった。
初めて掲示板で・・・確かあれは会員になったばかりの水銀燈同盟の掲示板だったと思いますが・・・投稿した拙作に誰かが真剣な感想を寄せてくれた時、私は嬉しくて一晩眠れなかったものです。

創作活動の目指すところは「洗練された自己満足」だと、私はよく人に話します。
小説というのは、基本的に自分の頭の中で空想を膨らませてつくるのですから、読者受けしようとする工夫も含めて発表前の段階でしている作業は全部、極論すれば「自己満足」です。
そうやって自分の頭の中で空想した事を活字にして、自分以外の他人に読んでもらえた時、初めて空想だったものが自分の頭の中から外に出る。
そこで他人に面白がってもらえれば、自分の自己満足が評価されるレベルに達した、「洗練された」というわけです。

だから、自分の書いたものを自在に発表できる場所、一人でもいい、誰かに読んでもらえて、また誰かの作品を読めて、相互に評価できる場所が、私は欲しかったのです。
逆に言えば、水銀党本部において私が存在する意味は、小説を書いて出す、これしかありません。

その原点に、今の私は一番の重きをおいているでしょうか。
HPとは中身を詰めるための箱だと思います。
なんだか私は今、箱についた埃を気にしたり箱の置き場所を気にすることにばかり時間を使っていて、小説を書く楽しさ、何より読んでもらう喜びを軽んじているように思えてなりません。

抽象的な表現に終始してしまいました。
もしこの記事を開いて下さった方がいたら謝りたいのですが、私は恐らく今この文章を、自分に言い聞かせるために書いているのだと思います。

自分が「水銀党」になった純粋な動機と、心が弾むあのみずみずしい気持ちを忘れていた自分に、赤木君の言葉は本当の意味で「初心にかえる」チャンスをくれました。
猛省しています。
赤木君、ありがとう。

そして本来は最初に書くべきでした、皆さんのご愛顧のおかげで、水銀党本部もこのたび40000HITを迎える事ができました。
ありがとうございます。
素晴らしい仲間と、ご支援下さる多くの方々に恵まれて、私はこれまで本当に幸せでした。

至らないところが多いと思いますが、今後とも何卒、よろしくお願い申し上げます。

国民の敵

2008-11-23 12:53:49 | Weblog
今から、76年も昔の事です。
1932年5月15日に、過激派の青年将校数名が首相官邸を襲撃し、時の首相犬養毅を暗殺する事件がありました。
いわゆる5・15事件と呼ばれる暗殺テロです。

近代日本史の専門家の多くはこの後に起こった2・26事件と合わせて、軍部が近代日本の政党政治を衰退させ軍国主義化させたというストーリーを作って論じますが、実際には5・15事件は軍人がやったといってもあくまで個人の立場で起こした犯罪であり、クーデターを目的に大部隊を動員して行われた2・26事件とは性格の異なるものです。5・15事件という犯罪が日本の政党政治を衰退させたとすれば、その原因は事件そのものよりもむしろ事件後の世論の反応にあったといえるでしょう。

5・15事件に対しては、政財界も、軍の上層部も、ほとんどの知識人も、これを許すべからざる犯罪として糾弾しています。
ところが当時の一般大衆の世論は、犯行に及んだ青年将校を愛国的英雄として支持・賞賛し、大規模な助命嘆願運動まで起こります。
圧倒的な世論の圧力におされる形で軍法会議の判決は犯人達に極めて軽いものとなり、後の2・26事件の遠因になったといわれています。

当時、1929年の世界恐慌と、欧米列強及びその植民地が関税障壁を設けた「ブロック経済」で日本の産業は大きな打撃を受けており、日本経済の疲弊、国民生活の困窮は今日とは比較にならないほどでした。
いうまでもなく全世界規模の不況ですから、日本政府がどれだけ経済対策を頑張っても抜本的な解決にはなりません。しかし、それが理解できない大衆は、事態を打開できない議会政治への不満と将来への閉塞感を高め、逆に満州事変に代表される軍部の大陸進出策に期待していました。
満州国への軍の増派に反対し軍縮を唱えていた犬養首相は、大衆にとって「国賊」であり、その「国賊」を殺した犯人は英雄だというのが、助命嘆願運動まで起こした世論の背景だったのです。


さて先日、元厚生次官の自宅が相次いで襲撃され、元次官とその妻が殺傷されるという痛ましい事件がありました。
犠牲者に心からご冥福をお祈りし、怪我をされた方の一日も早い回復を願ってやみません。
昨夜犯人を名乗る男が警察に出頭したそうですが、この男が本当に犯人なのか、何故このような凶行に及んだのかその動機も含め、事件の全貌は未だ明らかになっておりません。
新聞やテレビは、この事件を昨今騒がれている年金問題等、厚生労働省の不祥事とあたかも関連があるかのように報じ、麻生総理はじめ政府に特殊な対応を声高に要求して、いたずらに社会不安を煽っています。
先述したように事件の全貌が未だ明らかになっていない現状で、この犯罪を犯罪以上の性格を有するものとしてマスコミが報じていることは不適切であると私は思います。
それと同時に、被害者の退職前の職業を理由に、ネット上で殺人という犯罪を肯定・擁護する低俗かつ無責任な主張がこれほど多く飛び交っている現状に、「かつて来た道」を思い出し、民主主義国家の危機を覚えずにはいられない。
Yahooニュースの時事通信やロイターといった記事のコメント欄を見ると、「殺人は悪いことだがこの被害者には同情できない」といった客観的な意見を装ったものから、「ざまあみろ」「犯人は英雄」「官僚は死んで当然」「夫人も同罪」といった、臓腑を抉るような許し難い暴言に多い場合で何千人もの支持票が与えられています。
ネット上では、以前から匿名性により深刻な誹謗中傷が問題視されている2ちゃんねるが有名ですが、Yahooニュースは2ちゃんねると違って一般市民が普通に閲覧しているページです。その場所で、閲覧者の大多数がこのような、法の支配・民主主義に背を向けた野蛮なコメントに支持を与えている。
私は、事件そのものも痛ましく思いますが、ネット上で現在起きているこの事態にむしろ戦慄を覚えました。

当たり前の事ですが、年金問題や厚生労働省の不祥事と、殺人という犯罪は、全く別の次元で論議されるべき問題です。
参政権も言論の自由もあるこの国で、卑劣な暴力に正当性など一切ありません。
これでは、5・15事件を起こした青年将校を擁護した当時の世論と、民度が一切変わっていないか、それどころかより野蛮になっているのではないですか?
警察の発表を読む限り、この犯人の行為は卑劣さの極みです。
二回の犯行とも宅配便を装い、出てきた奥さんをまず刺しています。それも何度も何度も、足元が血の海になるまで。
年金などの恨みからのテロなら、どうして民間人の妻を明らかに故意に殺傷するのか。
犯人を擁護・肯定する人間は恥を知るべきだ。

先進国とは、単にGDPが高い国をいうのではありません。富だけでいうのなら、中国・ロシアもとっくに先進国です。
先進国とは、国民が民主主義的な価値観を共有し、民主主義の枠組みの中で定められたルールを守る近代的公民としての意識が成熟した国家をいうのです。

戦前日本で議会政治の死亡診断書を書いたのは軍部ではなく、民主主義の価値に無関心で野蛮な暴力を肯定し熱狂した愚かな大衆とそれを助長した朝日新聞を筆頭とする言論でした。
今また同じ過ちを繰り返さないために、この国の秩序を守るために、私はネットユーザーのもしかしたら9割以上が今回の事件を賛美している中で、勇気を出して主張します。
これは間違っていると。
犯人は、暴力によって目的を達せられると思ったのでしょう。
警察と司法にお願いします。
一刻も早く事件の全容を解明し白日の下にさらす事で、犯人が英雄でも義賊でもない、薄汚い犯罪者、憎むべき国民の敵であることを知らしめて下さい。

共同運営3周年を迎えて

2008-11-03 23:48:13 | Weblog
冬月です。
11月で代表・冬月のLemon slice(旧称・異邦人達の終着駅)におけるオリジナル小説連載等の共同運営は3周年を迎えます。

神鏡・冬月の協力関係は、平成17年11月に神鏡学斗のサイト・異邦人達の終着駅(当時)で冬月の小説を公開するスペースを提供した事から始まり、以後今日までの三年間、冬月の創作活動のみならず、この水銀党本部の立ち上げ・運営においても支援を惜しまず、それによって冬月と水銀党本部は創作活動・サイト運営等において多くの技術と知見を培う事ができました。

三周年を迎えるにあたり、この場を借りて神鏡に対して深い感謝の念を表すると共に、今後も創作・運営の両面で神鏡及びLemon sliceとの相互協力を積極的に拡大させ、とりわけ創作サイトとしての価値観を共有する両サイトが、現在及び将来における様々な共通の課題を解決するために結束して取り組み、互いの発展への貢献に強い意思をもって臨む事を表明します。