水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

『Black Alice Prelude』第五章公開

2008-08-20 08:41:11 | Weblog

銀様&薔薇&冬月「そういうわけで、ほとんど一年ぶりのマーキュリーチャンネルです!(無理やりスタート)」


薔薇「確か前回は、放送前のダブルオーガンダムをくさして終わったんでしたっけね」

銀様「あれって結局どんな感じだったのぉ?」

冬月「はい、結局全話観てしまった事を今でも後悔しています・・・」

銀様「観たんだ、あんなに嫌がってたのに(笑)」

冬月「トラウマになりました・・・・・・第二期やるそうですが絶対に観ません・・・・・・」

銀様「どうせまた観るくせに」


薔薇「それにしても、何だか懐かしい面子が揃いましたね」

銀様「お酒はぬるめの~燗が良い~
つまみはあぶった~イカで良い~」

冬月「お、懐かしい歌まで」

薔薇「今日は作詞家の阿久悠さんを偲ぶ会という事で・・・」

冬月「違うよ!(汗
確かに阿久悠さん死んじゃったけど!
つうかさすがの阿久悠さんもローゼンメイデンの曲は作ってないね」

銀様「あれ、阿久悠さんってアニソン関係あるのぉ?さっきの『舟唄』とか、『津軽海峡』とか、演歌作ってたイメージがあるけど」

冬月「宇宙戦艦ヤマトも、きんにくマンも、どこんじょガエルも、ドラゴンボールも、キャシャーンも、テーマ曲全部阿久悠さんの作詞ですよ」

銀様「え、嘘・・・そんなに?」

薔薇「最後のキャシャーン以外は私歌えるかも」

冬月「(無視)日本の戦後歌謡界を支えた人ですからね。
国民の心に残る名曲の半分以上はこの人が作詞したんじゃないかって言えるくらい、演歌もデュエットもアニメソングも、凄い量の名作を残した人です。
北京オリンピックのせいであんまり騒がれませんでしたが、本来なら国葬に値する人物ですよ。
本当に、惜しい方を亡くしました・・・」

銀様「そうね・・・じゃあ故人を偲んで次は『居酒屋』デュエットしましょうよ冬月」

冬月「良いですね~・・・じゃない、忘れるところでしたが、今日の本題はこちらでして」


 

Black Alice Prelude SCENE-5・・・龍は目覚める the pride as Rozen Maiden ついに公開!

 

銀様「ああ、この金糸雀がやたらカッコいい演技してるSSね。まだ続いてたんだ」

冬月「はい!SF軍事サスペンス風ローゼン二次小説『Black Alice Prelude』、ようやく第五章公開です!読者の方、第四章公開から更新に時間かかって本当に申し訳ありませんでした!」

薔薇「冬月が更新遅いのは小説に限った話じゃないでしょう。例えばこのブログとかこのブログとかこのブログとか」

銀様「そもそもこの小説ってぇ、サイトの1000HIT記念して書き始めたのよねぇ?今何万HITだっけぇ?」

冬月「うう・・・」

薔薇「掲示板に続き読みたいって書き込みがあるまで放置しとくとか、本当に最低ですよね」

冬月「し、仕方が無かったんだ!ゼミとか就活とか色々あって・・・」

薔薇「この人、コナンの犯人みたいに訊いてもいないのに自分語り始めましたよ」

冬月「・・・・・・申し訳ありませんでした・・・この通りです、許して下さい(カイジ風の土下座をしながら)」


銀様「ま、まあまあ、その辺にしといてあげてさ。今回はどんな内容なの?」

冬月「・・・そうですね、詳しくは読んで下さいとしか言えませんが、今回は私が書いているこの『Black Alice』という物語の核心に近付いた内容になっています。この話も次回いよいよ最終回になりますので・・」

薔薇「ああ、だから何かエヴァ臭いいかにも伏線ですという感じのシーンがあるんですね」

冬月「お前は黙ってろ。・・・後は、この物語の敵役・金糸雀の意外な過去が明かされる・・・」

銀様「ふんふん・・・私の翼からグレネード弾が発射されるって設定が面白いわねぇ」

冬月「ちょ、人の話を・・」

薔薇「ほほう、グレネードですか。威力どのぐらいなんでしょう?」

銀様「焼肉屋であぶり豚トロが網の下に落ちると火がぼーぼー燃えるでしょう?多分あれくらいの威力よぉ」

冬月「何故そんな卑近な例えに・・・」


薔薇「・・・このイタリア人の司令官はチョイ役なのに存在感がありますね」

銀様「イタ公はピザ食って寝てろって(笑)」

冬月「スカルポリーニ大佐は実在する人物です」

銀様「ええー!?じゃあ本当にこんなキャラなの?」

冬月「いえ、名前を借りただけでフィクションです」

銀様「駄目じゃん!」

冬月「モデルは『ひぐらしのなく頃に』の大石です」

薔薇「どうもぉ~、わたすぃ、興宮署の大石と申しますぅ」

冬月「ちょwww薔薇水晶声真似上手すぎwww」


冬月「では、そろそろ感想の総括を・・・」

銀様「読んでたら何だか焼肉が食べたくなったわぁ、というわけで焼肉屋にレッツゴー」

冬月「え?どこをどう読んだらそうなるんです?(汗)」

薔薇「冬月の奢りらしいですから叙々苑いきましょう叙々苑」

冬月「ええ??どこをどう縦に読んだらそういうオチになるんです!?せめて叙々苑じゃなくてジョナサンにしましょうよ!」

銀様「それジョジョ違い」

 

。おしまい


靖国とアーリントン

2008-08-15 23:53:39 | Weblog
今年も、終戦の日がやってきました。
伝統的に日本人が先祖を想うこの日が終戦の日でもある事は感慨深いです。

昨日、NHKでアメリカのアーリントン墓地の墓守をしている人や衛兵をしている人の仕事ぶりを紹介するドキュメンタリーをたまたま見ました。
ワシントンDC郊外に広がるアーリントンの森は、かつてはあの南北戦争で南軍を指揮したリー将軍の邸宅で、南北両軍の戦没者をここに埋葬したのが始まりだそうです。
日本の靖国神社も、戊辰戦争(明治維新の際の朝廷軍と幕府軍の内戦)で戦死した両軍の兵士を祀ったのが始まりで、二つの追悼施設が似た起源を持っている事は興味深い。
アーリントンも靖国も「戦争」というイメージが強いと思いますが、どちらも設立されたのは、国の歴史の節目に行われた内戦の後、戦死者を勝者と敗者のわけ隔てなく国家に功労のあった英霊として弔う事で、内戦で傷付いた国を結束しようという「調和」の思いです。
今日、靖国神社の事を右翼のアジトか何かだと勘違いしてただ一方的な論理で否定する一部の人々は、この「調和」の思いを忘れているのではないかと残念に思います。

それにしても、テレビで見たアーリントンは広かった。一日平均50人(!)の葬儀がここで行われているとナレーターが言っていましたから、アメリカが今も世界中で日々どれだけ血を流しているかがわかります。
靖国神社はあくまで「祀る」のであって、アーリントンのように埋葬はしていません。
番組の中で、新たに森を切り崩して造成中のエリアが出てきました。イラク戦争の戦死者のためのお墓だそうです。
ヴェトナム戦争で戦死した米兵はヴェトナム人にとっては憎い侵略者だったでしょうし、イラク戦争で戦死した米兵もイラク人にとっては憎い侵略者でしょう。アメリカ国民自身も、ヴェトナム戦争、イラク戦争は過ちだったとの歴史認識を持つ人が圧倒的に多い。
しかし、アメリカ国民はアーリントンに眠る兵士を語る時、そんな話はしない。
国家元首である大統領がアーリントンを必ず訪れるのは、国家のために戦って死んだ者を弔う事が国家の代表としての義務だからです。

私は毎年この日になると、靖国の桜で会おうと言って戦死されたご先祖の想いを無視した議論が繰り返される事を大変申し訳なく思います。

私の友人が、こんな悲しい冗談を言っていました。

「毒ギョーザも我慢して食べるよ。竹島もそんなに欲しいのならくれてやろう。だからせめて先祖に手を合わせる権利だけは返してくれ。」

冗談だとわかっていましたが、私は敢えて厳しく言いました。
返してもらうんじゃない、掴み取るんだ、と。

戊辰戦争の戦死者は無駄にはならなかった。
明治維新の結果、アジアの他の全ての国が欧米に植民地化されていく中で、日本だけが独立を守れました。
日本人さえ一丸となれば、何でもできるはずです。


数日前、広島の伯父から祖母の容態が思わしくないとのメールがありました。
月末に広島に帰ろうと思います。

北京の悲喜劇

2008-08-09 00:51:28 | Weblog
8という数字にこだわった開会日時もそうですが、中国は縁起を日本以上に大切にする国だという事を、今回のオリンピックで改めて感じました。

中国では赤という色は社会主義以前におめでたい色だそうですね。
黄色も昔は皇帝を表す色で、中国人にとっては権威や豪華さの象徴です。
赤と黄色の五星紅旗なんか、正に中国人民の心を鷲摑みにしてしまうデザインなわけです(笑。

さて、ついにやってきてしまいました2008年8月8日。
オリンピックの開会式を見るなら人生に一度は会場で・・・!と誰もが思うものですが、今年のオリンピックばかりは色々な意味(テロとか、食品とか、大気とか、犯罪とか)で危険なので現地で見るのが得策とは思えません。
自宅のお茶の間が一番安全な特等席です。
開会式前に、胡主席に招かれて各国元首が宮殿の豪華な一室に案内される場面が報道されていました。
結局、チベット問題であれだけ首脳の開会式不参加が取りざたされていた割には、オリンピック史上類を見ない顔ぶれです。過去最多の80人の国家元首がやってきたそうです。
それだけどこの国も、世界経済に大きな役割を占めるようになった中国を無視できなくなったという事なのでしょうね。
アメリカのブッシュ大統領、ロシアで事実上の院政を敷く最高実力者プーチン首相、フランスのサルコジ大統領。イギリスのブラウン首相を除く、P5(国連安保理常任理事国)の首脳が全員揃っている。大国外交ですね。
来なかった国も沢山ありますが、コードギアスのブリタニア帝国を現実世界でやってる感じのこの国にとっては、ヨーロッパの小国の首脳がいくら欠席しようと痛くも痒くもないでしょう。
ここでも乾杯は“赤”ワインです。
昨今は中国も外交を西洋化していて、賓客を招いた席に紹興酒でなくワインを出すようになりましたが、普通公式な場での乾杯はシャンパンです。中国人は赤ワインで乾杯するという噂はどうやら本当だったようです。
道理で、赤ワインの値段がどんどん上がるわけです。

いよいよ、開会式の始まりです。
NHKの司会者の男女と谷村信司さんの解説付きでスタート。

真っ赤な照明の会場。
まず最初に、デジタルなマスゲームが始まります。
光る太鼓の連打、2008人でやっているとか。
そして、開会式のカウントダウンは漢数字。
今回の開会式では、中国が世界に誇る発明を紹介していくそうです。
自慢にならない程度になら、素晴らしい事だと思いますが・・・

胡主席とジャック・ロゲIOC会長が開会の宣言。
直後に、会場に描かれるのは孔子の言葉。

「友あり、遠方よりきたり、また楽しからずや」

中華人民共和国初のオリンピックで孔子の言葉を使うなどと、毛沢東が聞いたらどんな顔をしたでしょう。自国の歴史を振り返って受け入れられるほど、共産中国も進歩したというべきなのでしょうか。

会場では沢山の青銅の打楽器が光る赤いばちで叩かれています。
同時に天安門広場から足跡の花火が会場に。
面白い演出ですね。
中国人の映画監督が監修しているそうなんですが(スティーヴン・スピルバーグに依頼したがチベット問題で断られた)映画監督らしい、特撮することが前提の花火です。

それにしても先ほどから、中国の開会式にしては普通で面白くないですね。
てっきり最初から戦車が出てきたり五星紅旗を持った人民解放軍の兵士が会場を走り回るものかと思ってましたが・・・

会場では今度は赤い服を着た9歳の少女が、小学校に入ると学ぶ祖国をたたえる歌をうたいます。
中国では小学校から愛国教育をしているのですか!我が国も見習いたいですな。

次に、中国国内の56ある少数民族の衣装を着た子どもたちが中国国旗を運びます。
やっと中国らしいパフォーマンスになってきました。
いや、他人事だから笑い話にもできますが、中国に征服された少数民族の事を思うと笑えません。
プロパガンダに子どもを使うは卑怯だ!なんて思うのは私が青いからでしょうか。

ポールの前で、国旗を子どもたちから人民解放軍の兵士にもちかえさせます。
この儀杖兵のいかにも人民解放軍らしい動きがまた最高です。
なお、演出している側に自覚は無いでしょうが、私はこの演出に非常にブラックなユーモアを感じました。
国旗掲揚、あの中国国歌が斉唱されます。
子どもたちが国旗に向かって何故かナチス式の敬礼をしています。

国旗掲揚が終わると、いよいよ本格的なショーの始まりです。
中国が世界に誇る発明を紹介、ということで、まずは紙、筆。
古代の衣装を着た孔子の弟子に扮した3000人が、論語を叫び竹筒を打ち鳴らします。

本当に、毛沢東が生きていたら驚くでしょうね。
中国共産党は、儒教を悪として徹底的に弾圧してきたのですから。
少数民族の民族衣装が解禁されたのも、つい10年くらい前です。
いつもニコニコお笑いの今の主席は、シュナイゼル殿下並みに寛大なお方のようですね(コードギアス知らない方ごめんなさい

漢字の活版印刷のデモンストレーションでは最後に「和」という字がつくられ活字に桃の花が咲きます。
次に古い中国の娯楽、人形劇の披露。これも共産党が長年禁じてきたものです。

鄭和の海の遠征、茶貿易、羅針盤、太極拳、中国人の宇宙飛行と、過去から現在に中国人の偉業がつながります。

先ほどの少数民族の子ども達に

「我等は永久に一つの家族」

と合唱させる場面も。おいおい、本当に汚い演出だな・・・


続いて、お待ち兼ねの各国選手団の入場です。
これも、アルファベット順ではなくて漢字の画数順という、前代未聞のルール。
東京オリンピックで日本はこういうことはしませんでしたからね、やはりお国柄ですね。
先頭には、アフリカの国の選手団が入ってきます。
近年、中国と資源貿易で関係が強化されている国だと解説が入ります。うわ、生々しい話だ・・・

さて今回、私が一番注目していたのが、中国がチャイニーズ・タイワン、つまり台湾の中華民国をどう扱うかです。
歴代オリンピックは当然ですが、台湾の選手団を独立国の選手団と同様に扱ってきました。
中国もオリンピックの主催者になるからには公正に振舞うべきなのですが、公正などという言葉は、およそあの国とは縁遠いものです。
台湾が入場してきた時、私は愕然としました。
前のシドニーオリンピックの時は中華民国の旗だったのに、今回はわけのわからない白い旗を持って台湾の選手団が入場してきたのです。
これは、親中の現台湾政権が配慮したのでしょうが・・・残念な事です。
今回限りである事を願います。

以下、選手団入場の中継で面白かった事、これは変だぞと思った事を。

①ロシアの選手団入場。
中国のカメラは、観客席から手を振るプーチン首相を長時間映しますが、NHKの司会者は何故かプーチン首相の存在を無視して言及しようとしません(笑)。
実はこの中継、映像は中国側が撮影して各国のTV局に配信しているものなのです。
中国にとってはロシアの実質的な最高権力者であるプーチン氏を長時間映すのは当然なのですが、NHKの立場としては、名前を紹介するのは大統領クラスだけなのです。
司会者は何故かその場にいもしないメトベージェフ大統領について話を始めますが、アップになったプーチン氏は存在感がありすぎです(笑)。多分視聴者のほとんどが、何故司会者はプーチンが出ているのに何も言わないのだろうと疑問に思ったと思います。
ちなみに、この時プーチンは選手団に手を降りながら、周囲の側近から頻繁に耳打ちを受け、険しい顔で何かを指示しています。
後で知ったのですが、この時ロシアはかねてより対立してきたグルジア北部の少数民族問題でグルジアと交戦状態に入り、グルジア領を空爆していたのでした。
まるで守られていない古代オリンピック精神を今更言うつもりはありませんが、せめて開会式の日ぐらいは自重できなかったのでしょうか。先に始めたのはグルジアだそうなので何ともいえませんが。

②アメリカの選手団入場。
観客席に、どこか見覚えのある黒縁眼鏡の太った老人の姿が。
例によって司会二名は沈黙していましたが、ゲストの谷村さんが呟きました。
そうです、キッシンジャーです。
中国は彼をVIPとして招待していたのですね。さすが「古い恩人」を忘れない中国です。

③ミャンマーの選手団入場と北朝鮮の選手団入場の紹介の格差
ミャンマーの選手団が入場してきます。
NHKの司会の解説に、「軍事政権」「民主化弾圧」等、およそ国の紹介というより糾弾に近い言葉が並びます。選手団がかわいそうになるほどです。
全ての独裁国家に平等に厳しいNHKなら良いのですが・・・
ミャンマーよりはるかに悲惨な独裁国家であるはずの北朝鮮の選手団が入場してくると、選手一人一人の経歴を紹介し能力を讃える、この紹介の格差はなんでしょう。
ミャンマーは日本人を拉致していません。日本の迷惑になるような事は何ひとつしていません。NHKは何かを間違えているように思えてなりません。


選手入場が終わりました。
懸念されていたテロも無く、拍子抜けするぐらいスムーズに、ここまで進みました。

中国のオリンピック委員長が、一つの世界、一つの夢、相互理解、異文化交流について演説し、「皆様ようこそ北京へ」で締めくくります。
第29回近代オリンピア大会が開会され、「漢民族100年の夢」がここに実現したのです。

これを聞きながら、ゲストの谷村さんはさすがに思うところがあったのでしょう、良いことを言っていました。
オリンピックを機会に中国が、(チベット問題などで)世界に違う考え方をもった人が大勢いることを知る、そこから歩み寄る、違いを認め合う、その第一歩になって欲しいと。

世界中を騒然とさせて中国に運ばれてきた聖火が点火されるのを見ながら、私も全く同感だなと、そう思った開会式でした。

追伸
同じ日に、ネパールのカトマンズでは亡命チベット人の大規模な抗議デモがあったそうです。
こうして独立国に住めて、北京オリンピックを対岸の火事として楽しめる私達は、何て恵まれているのでしょうか。

はだしのゲン

2008-08-07 22:18:51 | Weblog
冬月です。
全国的に暑くなってきておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
かくいう私も冷たい水にでも入ったら暑さを忘れられるかと、先日小学生の弟と近所のプールを泳いで33周しました。勿論33周したからといって、プールが自分達の物になるかといいますと全くそういう事はありませんでしたが(笑。

さて、8月6日は広島に原子爆弾が投下された“原爆の日”という事で、原爆と平和について考えようと、弟が学校推薦の漫画『はだしのゲン』を図書館から借りて参りました。
『はだしのゲン』といえば私が敬愛する麻生太郎先生(自民党幹事長復帰かなり危険な賭けだと思いますがおめでとうございます)が外務大臣時代に海外にPRなさっていた作品なので、私も読んでみました。

私は広島出生にも関わらず恥ずかしながら『はだしのゲン』を読むのはこれが初めてで、
「あんちゃん熱いよう」
「歌じゃ、歌を歌うんじゃ」
「悔しいのう」
「ギギギ」
「(米兵からもらったチョコレートが)旨過ぎてしょんべんちびりそうじゃ」
等等、ネット上で伝説として語り草になっている珍妙な名言を、初めて原文で目にする機会に恵まれたわけです。
感想としては、台詞も絵柄も独特で、漫画としては非常に面白かった。

しかし同時に、読む前に『はだしのゲン』について聞いていた悪い評判、いささか度の過ぎた日本批判の反戦漫画ではないかという評価も、読んでみてなるほどと思うしかありませんでした。

こんなラーメン二郎の豚ダブルニンニクカラメアブラマシマシ並みにコテコテな左翼漫画が麻生先生の信条と合うはずもないので、先生がこの漫画を薦めている理由は、恐らくはイデオロギーは抜きにして、独特の台詞回しと独特のキャラクターデザインが漫画として面白いからだと思われます(ちなみに本物の広島人はあそこまで変な言動もしないしあんな変な顔もしていません、あれは漫画の世界のフィクションです)。私もイデオロギー的には全く受け入れられない『美味しんぼ』を、親子の一大ツンデレ叙事詩として面白いから愛読しておりますので、麻生先生のお気持ちには我が意を得たりという感じです、はい。

ただし、戦前・戦後の日本の歩みの根本に関わる部分、ここの理解を間違えると日本という国家を何も理解していないのと同じだぞという部分がこの漫画は間違っておりまして、どんなギャグ漫画だろうと史実を舞台にしている以上こればかりは我慢できなかったのでこうして自分のブログでささやかながら文句を言おうというのが今回の趣旨であります。

この『はだしのゲン』にでてくる主人公の父親は、戦時中の日本で戦争に反対して警察に捕まっては拷問を受け、それでも持論を曲げない人物として描かれております。
戦争に反対するのは良いのですが、問題なのはその理由として書かれた台詞です。

お父さんの主張を要約すると、「日本は小さくて資源の少ない国だから他の国と仲良くして資源をもらい物作りをする貿易をして豊かになるしか道はないんじゃ。それなのに他の国を侵略したり戦争をするなんて間違っているんじゃ」

一見すると、「ん?これのどこがおかしいの?」と皆さんお思いになるでしょう。
このお父さんのおっしゃる事は、正に戦後の日本国が選択し今日の繁栄につながったいわゆる『吉田路線』そのもので、お父さんはとても先見の明がある立派な人のように感じられます。
私もこのお父さんの主張には、全くの同意見です。
ただし、このお父さんがこれを言っているのが、戦争が終わる前の世界でなければ、の話です。

説明しましょう。
この台詞は、我々現代の日本人が陥りがちな誤解、すなわち、戦前の日本に植民地支配に頼らず広く世界の国々と主体的な自由貿易を行う選択肢があったという誤解の典型例です。
この誤解は、歴史を表面的な結果としての戦争と平和の年表でだけ教えていて、何故それらの出来事が起こったのかという原因、特に経済的観点からそれを分析しようと一切しない学校の歴史教育が生んでいます。

そもそも何故、第二次世界大戦は起きなければならなかったのか。
戦前の世界は、列強と呼ばれるほんの一握りの欧米の大国、特に英仏植民地帝国が世界の大半を植民地支配し、支配する圏域を自国の独占的な市場としていました。
1929年の大恐慌の後はそれがさらに強化され、経済ブロックといって英仏は自国の産業を守るために、自前の勢力圏に排他的な関税ブロックをつくって他国の商品を排除し自国の商品だけが売れるようにしていたのです。

大恐慌の中で、植民地を多く持っていない日本やドイツのような国が苦しみ、植民地を沢山持っている英仏のような国が助かる。
『持つ国』と『持たざる国』といえば、中学の教科書に少なくとも名前ぐらいは載っていると思います。
ましてやドイツは恐慌でアメリカの援助が引き剥がされた状態でなお英仏から天文学的な金額の賠償金を搾り取られていたわけですから、ナチ党の台頭が経済学的な必然だというのも頷けます。少なくとも、「民主主義国で正義の味方の米英仏に、ファシストで悪者の日独が侵略戦争をしかけて成敗されました」というような勧善懲悪は程度の低いお笑いでしかない。

経済活動の形態そのものが、世界の大半が自由貿易の枠に入っている今日とは全く異なっている事が、おわかり頂けるでしょうか。
市場とは良い物を作って競争して獲得するものではなく、直接的に植民地支配して独占する仕組みだったわけですから、どれだけ頑張って良い物を作って売ろうとしても、フェアトレードしてくれる時代ではなかったのです。
ここに戦前と戦後の、経済システムの決定的な違いがあります。
だから日本は米英の利権と衝突しても市場を求めて中国大陸や東南アジアに進出するしかなかった。
満州事変の調査にやってきたリットン調査団に大阪の繊維業の組合が、日本の立場をわかってくれと窮状を訴えたという史実があります。
勿論、当然なされるべき外交努力による衝突の緩和に失敗し、勝てるはずのない戦争に突入した政府・軍部の過ちは糾弾されるべきですが、日本の満州進出と日米対立という流れ自体は、自由貿易が不可能だった当時の世界経済の仕組み、『持つ国』と『持たざる国』の文脈でとらえるべきものであって、当時存在もしていなかった自由貿易という選択肢を横に並べて日本を批判するのは、時代考証からして間違っているといわざるを得ない。
もし日本が開国し近代化した時に世界の仕組みが今のような自由経済だったら、日本は産業保護のために植民地を求める必要も無かったし、アメリカと戦争する理由も無かったのです。

戦後の日本は、確かに「他の国と仲良くして資源をもらい物作りをする貿易をして豊かに」なりました。
第二次世界大戦で日本とドイツは敗北しましたが、英仏植民地帝国もこの戦争の結果崩壊し、植民地というブロックが無くなって、世界はアメリカ主導の自由貿易システムに移行していきました。
冷戦が始まるとアメリカは日本と西ドイツを自らの陣営の経済セクターとして立て直そうと援助を行い、特に中国の共産化で市場を失った日本には、戦後賠償を名目にして東南アジア市場を与えてくれました。その後中国との交易も復活します。
吉田茂は、日本は戦術的には大敗したが、市場を確保するという戦前の大目標は、アジアの植民地支配の終焉によって達成したと述懐しています。
ですがこうした発想は『戦後リアリズム』と名付けられているように、あくまで戦後の情勢の中から出てきた考え方です。
戦前・戦時中には、世界が自由経済になるという保証も無く、欧米列強が作った帝国主義のゼロサムルールで日本人は物事を考え戦いました。
戦後、植民地無しで自由に貿易できる世界に変わり、日本がアメリカの庇護を受け経済大国になったのは喜ばしい事ですが、その選択肢は戦後になって初めて生まれたもので、戦前の日本の政策を同列において批判するのはおかしい。
イデオロギー的な立場から批判するのは結構ですが、最低限、歴史認識のマナーは守ってほしい。

誰が好き好んで、同じ人間を植民地支配したり、侵略戦争を仕掛けたりするでしょうか。
靖国に奉られている我々の先祖は悪魔だったのでしょうか。
否、彼等はただ日本人であろうとしただけだと、私は申し上げたい。


ちなみに、私の祖母は被爆の影響でかかった癌の治療がどんなに辛くても、日本に対する恨み言を家族の前で口にした事は一度もありません。
『はだしのゲン』は娯楽漫画としては愉快かもしれないが、この漫画のイデオロギーが被爆した広島の人間の総意だと思われるのは、不愉快としか言いようがない。
ヒロシマを、左翼のおもちゃにしないでほしい。