水銀党本部執務室

冬月のブログです。水銀党本部の活動や、政治社会問題、日常の中で感じた事など様々なテーマで不定期に更新されております。

昭和の日

2007-04-29 03:54:58 | Weblog

こんばんは、冬月です。

新年のご挨拶から長らくご無沙汰してしまいました。新年の挨拶の次が、新年度の挨拶になってしまいましたね(苦笑。
皆様に心配をおかけしてしまい、お詫び申し上げます。

更新が滞った理由としましては前回の停滞のように憂鬱になったからではなくて・・・といっても色々とあったのですが(苦笑)・・・良い意味でも毎日が忙しかったもので中々時間が作れなかったということがあります。
両立が難しい不器用な人間なので、趣味のために捻出した少ない時間は小説執筆に力を入れたいと思い、こちらの更新がおろそかになってしまいましたがおかげさまでBlackAliceの外伝を書き進める事ができました。

これからもよりクオリティの高い作品を目指して創作活動を続けて参りますので、どうか水銀党本部をよろしくお願いします。

早いもので、もう四月ですね。
まだ少々肌寒さを覚える日もありますが、晴れた日はぽかぽかと暖かくツツジの花も咲いて、春の訪れを感じます。
最近では温暖化の影響で冬と夏の間の中庸な季節が無くなってしまう年が多いのですが、幸い今年は今のところ、いきなり暑くはならず過ごし易い日が多いですね。外出しても心地よいですし、ありがたい事です。

さて、4月29日は、今年から『昭和の日』となりました。

長かったですね、ここまで辿り着くのに、本当に長い時間がかかりました。
私はこれでようやく4月29日が、あるべき姿になったのではないかなと思います。

元々は昭和天皇の天皇誕生日だったこの日は、平成になって『みどりの日』になりました。
理由としては、我が国の国土はその七割が山林で豊かな自然に守られ支えられて我が国は文化と伝統を育んできた、昭和天皇は常々この事を強調しておられて、特に植樹などに熱意がおありだったから・・・と聞いたことがあります。

まあ、よくできた官僚の作文ですよね(苦笑。
とてももっともらしい理屈ではあるんですが、昭和天皇が崩御される前に「私が死んだら私の誕生日はみどりの日にしてくれ」と遺言されたのでもない限りこれはおかしいでしょう。
昭和天皇が自然を愛しておられたというのはわかりますが・・・でもそれは、昭和天皇の一面に過ぎないですし、ましてや昭和天皇の治世である昭和という時代を要約する言葉としてはあまりに不十分過ぎるのではないでしょうか?

例えば明治天皇の誕生日は今は『文化の日』になっていて、これは明治天皇が近代日本の文明の礎を築かれたからだそうなんですが、これと比較しますと、昭和天皇の生涯、あるいは昭和天皇の治世を一言で要約すると、『みどり』という事になる。
これは昭和天皇に対しても失礼ですし、昭和の時代に活躍された多くの日本人にも失礼です。
勿論これを決めた政府の人の気持ちはわかります。
昭和はその前半が『戦争』と『戦後処理』という、政治的に非常に厄介なテーマがあって真面目に議論を始めるとそこを避けて通れないのでだったらいっそ無難に『みどり』でお茶を濁そうということですよね。

確かに、何でも無難に厄介事は避けて通ろうというのが日本人の習性です。
でも私は嫌でしたね。

私を例にするのも不敬な話なんですが、仮に私が死んだとして
「日本は四方を海に囲まれ海産資源に支えられており、故冬月氏も生前とても魚が好きで、特に晩年は家で自ら金魚を飼っていた(←海の魚じゃないし!)」
とかいわれて私の誕生日が『魚の日』になったら、私はあの世で切れますよ(爆

私の人生はまだとても短いですが、それでもとても一言ではまとめられない、沢山の事があって、それが私をつくっています。
甘いものも酸っぱいものも苦いものも色々つまっている。

昭和はとても長い時代でした。
確かに前半は戦争でしたが、それだってネガティブにしか捉えられないのは今がまだ戦争から六十年しか経っていなくて感情論が絶えないからで、後一世紀もすれば、必ずあの戦争も歴史の一ページとして、歴史上の他の戦争と同じように冷静に評価できる時代がやってきます。

私は今大学で国際政治学を安全保障のパースペクティブから研究しているんですが、日本というのは凄い国ですよ。
何しろ、日本は機動部隊を運用してアメリカと空母対空母戦闘をやってのけた唯一の国ですから(笑。
そのわずか半世紀ちょっと前はちょんまげ結って江戸時代やっていた国がですよ。
まさかアメリカも、捕鯨基地にしてやろうと思ってペリー艦隊で脅したらその国がこんなになるとは予想してなかったでしょう。
日本は本気になればここまで凄い事ができるのかというような、歴史上他にちょっと例が無いぐらい、凄いエネルギーを持った国家だと思いますね。
銃をもったスペイン人に攻め込まれたインカやアステカが、機関銃を開発してスペイン人に対抗するぐらい画期的な事ですから。

日本が負けた後、アメリカと互角に戦えるような機動部隊を持つ国は海から姿を消しました。
だから今でもアメリカの空母対空母戦闘の教本は、日本との戦いで得た記録です。正しいとか間違っているとかそういう感情的な議論は後百年続かないでしょうが、この記録は永久に残ります。これも、昭和の時代に日本人が努力して得た成果の一つです。

そして戦後の昭和史はこれよりもっと凄い。
国が焦土となりゼロからの再出発だったのに、世界屈指の経済大国としてカムバックした。
私の学校は三田にあるのですが、駅に向かう帰り道必ず目にするのが東京タワーです。
今でこそ日常の風景として慣れましたが、初めて見た時は思わず涙が出ました。

あの塔は、単なる電波塔としてあそこにたっているのではありません。
大日本帝国の下での日本人の努力の一つの結実があの戦艦大和だったとするならば、戦後日本の結晶はこの東京タワーだと思います。

容赦ない空襲で都市は焼け戦後のGHQ統治と東京裁判で主権ばかりか国としての尊厳まで何もかもを否定されて剥奪されて、敗戦国としてみじめな辛い思いをしながら、それでも未来に希望を託して諦めなかった日本人の、血と汗と不屈の精神の象徴ではないのですか、あの東京タワーは。

レインボーマンの死ね死ね団のテーマじゃないですが、欧米の一部からは未だに「黄色い猿どもめ」と嘲笑が聞こえているようです、私は必ずしもそうとは思いませんが(苦笑。
確かにこの世界の権力やお金に関わる主要な支配者層が白人なのは事実ですし、白人の文化がとても魅力的なのも事実ですし、それを肯定するのはリアリスティックでかっこいいかもしれません。その現実に逆らってあがくのは、非常に理想主義的で感情的でかっこ悪く見えるんでしょうね。
ですが、では日本人に生まれた私達はどうしたらいいんでしょう?
私達は日本人なんです。
それを否定して「名誉白人」などという屈辱的な現実逃避に走ればいいのでしょうか?
そしてこれだけは言いたいのですが、地球は白人だけが住んでいるのではありません。
存在している以上私達にだって彼等と同様の生存権があり、誇りを持つ自由があるはずです。
巨万の富を持つ欧米からすれば日本人が築いた東京タワーなんてとてもちっぽけな存在でしょうけれど、私達にとってはとても大切なものです。

大切なものは、他にももっと沢山あります。
とても何かで代弁できるようなものではない。
ですから、皆で昭和という時代を振り返る日なら、『昭和の日』で一番しっくりきます。

この前ニュースを見たら、昭和生まれの日本人の数が一億人を切ったと言っていました。
時代を感じますね。
私は昭和60年生まれですから一応この昭和の世代に入りますが、その三年後には陛下は崩御されているので、実質的には平成の世代に入るのかもしれません。
ですが、この中に私と同い年の方がいたら、どうか幼い頃を思い出して欲しいのです。

私達が幼い頃無かったものが今あるのと同じように、私達が幼かった頃は当たり前だったのに、今は無くなってしまったもの、ありませんか。
大袈裟かもしれませんが、私が小さかった頃、日本にはまだ、昭和の匂いとでも言うべきものが残っていたような気がします。

田舎から大きな風呂敷を背負って野菜を売りにくるおばあさんを覚えていないでしょうか?
都営バスの床はまだ木張りではなかったですか?
みんな電話は煙草屋さんから公衆電話をかけてましたよね?
パソコンは90年代から普及し始めましたが、まだほとんどの人がモニターの方をコンピュータの本体だと勘違いしていませんでしたか?
駅の改札や銀行は、いつから全部無人の機械に変わったんでしょうか?

こんな思い出があります。
小学校一年生の時、地下鉄に乗るために親から定期を買ってもらって初めて改札を通ったんです。
改札を通る時自慢げに定期を出したら、改札にいた駅員さんが何故だか笑っていたんですね。
後で電車に乗ってから気付いたんですが、私定期を出すつもりがハンカチを出していたんです(苦笑。
私はズボンの左のポケットに定期を入れ、右のポケットにはハンカチを入れていました。
駅員さんは右側に立っていたので、間違えてしまったんですね。

ハンカチなんか出したのに笑って通してくれた駅員さんの優しさに、子ども心に感謝したのを覚えています。

その後、私が三年生ぐらいの頃から私が使う地下鉄にも自動改札機が導入されるようになったのを覚えています。
最初は実験的に一台だけでした。
私達はみんなこのハイテク機械に大喜びでした。私達が当時思い描いていた21世紀に一歩近付いた気がしました。透明感のあるガラスでできた高層ビルが無数にそびえたっていて、手につけたブレスレットで自由に通信できて、労働は何でもロボットがやってくれる、近くて遠い『21世紀』に。

しかし、試験的に一台だけだった自動改札機がやがて全部それになって、切符ばかりか定期券も改札を通す規則になって初めて、私はもう駅員さんと出会う機会が無くなった事に気付きました。

全てにおいて同じ事が言えます。
私達は常に何かを手に入れるのと同時に、何かを喪失しているんです。
今はもう本物の21世紀です。昔のSF作品の年代設定がどんどん過去になっていきます。私が好きなエヴァンゲリオンの2015年もそろそろ行く手に見えてきましたよね。
街も、あの頃の私達が夢見ていたものに非常に近いです。しかし。
六本木ヒルズにジオサイトに新丸ビルに今度はミッドタウンと、新しいビル群が林立していますが、今のビルはどれも総ガラス張りで、はっきり言って無個性でつまらない。

私は何も、この手の述懐にありがちな懐古主義を唱えたくてこんな話をしているのではありません。こんなMADもありますけど(笑・・・
携帯が悪いとかパソコンがいけないとか言うつもりもないです。私もしっかりそういう文明の利器を使ってますし。
古代ギリシャ時代にも、「昔が懐かしい」という記述があるそうです。
人は何かを捨てなければ前進することができないのですし、それを否定しても始まりません。
自動改札になって駅員さんがいなくなった事を嘆くなら、そもそも日本が鉄道を導入して人力車が廃業した事までさかのぼって述べなければ公平ではないでしょう。
より便利さを求めて技術や生活水準が革新され、副作用として情緒的な欠陥が生じるのは人類の歴史の常です。

ですが、社会から人の温もりが失われたままでいいわけではありません。
はっきりしているのは情緒的欠陥は、何かで代替されなければならないという事。温もりを失った社会は自壊します。
私達が便利さと引き換えに多くの優しさを捨てたなら、その分どこか別のところで取り戻さなければいけない。

安倍総理が『美しい国』という言葉を使った時、この人は本当に難しい問題を持ち出したなと思いました。

失われているものとは大体が、私達がその存在を忘れてしまっているものです。
多数派の人間に覚えられ必要とされているなら、失われるわけが無い。
現に5月に鯉のぼりを飾る家は減っていますが、クリスマスには誰も強制していないのにみんな何かしらするじゃないですか。
未来とは少年時代の私達が思い描いた『21世紀』のような遠いシンボルではなく、当たり前の日常の膨大な繰り返しの蓄積でしかありません。
日々の忙しさで次第に忘れていくもの、優先順位から消えていく事に気付かないもの、そういったものは失われていきます。

東京タワーも、私の通学路でいちいち立ち止まって見上げる人はもうあまりいません。展望室に昇ってみたいとも思わないでしょう。
昔家の近所の道がまだアスファルトでなかった頃の足の感触も、そこにビルが建つ前の風景も、携帯電話が流行る前に何で電話していたかも、都心の霊柩車が和風の飾りがついたものが減って洋風のリムジンばかりになってきたことも、みんな記憶の中で風化して忘れられていきます。私もいつまで覚えていられるか・・・

忙しい毎日が続きますが、せっかくの祝日はできればちょっと立ち止まって、私達が失ったものを思い出せたら良いですね。
そしてその次に、失った分だけどこかで補えているか考えて、もしできていなかったら一人一人が改善できるようにすればもっと良いです。この『昭和の日』を、そういう思いで大切にしていきたいものです。

 

なんだか教訓めいた話を長々とすいませんでした。次回はもう少し笑える内容にします(汗。ではまた♪