考察


D810 + SIGMA 35mm F1.4 DG HSM

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ポケモンGOの話題をいくつか書いたけれど、自分自身は、やはり本質的にこのゲームのことを理解できていない。
未だに、なぜあんなに世界中が熱狂しなければならないのか、疑問に感じている。
一種の集団ヒステリーみたいな現象にも思えてしまう。
自分ではゲームに参加する気にはなれず、横から冷めた目で観察している。

しかし行為としては、カブトブシやクワガタを集めることと、何ら変わらない・・ということに気付いた。
子供の頃は、毎晩のように父親と一緒に虫を採りに出かけた。
埼玉県の片田舎に住んでいた時期があり、虫を収集するには理想的な環境だったのだ。
あのワクワクした気持ちは今でも忘れられない。
夢中になって何匹も集めた。
一時は数百匹も飼っていた。

それはこの歳になっても変わらず、道端でカブトムシが落ちているのを見つけると、どうしても拾ってしまう。
夜、車を運転していても、虫の集まるタイプの街灯をみつけると、ついその周辺に目が行く。
飛んでいる虫の中に、大き目の甲虫が混ざっていないか確かめてしまう。
さすがに持ち帰って飼う気はないので、捕獲してもその場で逃がしてやるのだが・・・

魚釣りも似たところがある。
やはり子供の頃は、年中父親に連れられて釣りに出かけた。
家のすぐ裏に川が流れており、川釣りにはそれこそ毎日でも行くことが出来た。
東京に戻ってからは、父親と海釣りにも行った。
日曜日には逗子の海岸まで磯釣りに行ったし、都内の船宿から釣り船で東京湾に出ることもあった。
しかし一番好きだったのは、学校から帰ると延べ竿をかついで近くの川に行き、魚たちと直接対決することだった。
これはポケモンGOとよく似ている。

僕と同じように、ポケモンGOの流行を理解できないという人と話した。
会社でお世話になっている会計事務所の先生である。
その方もご自身が子供の頃は、父親に連れられて年中釣りに出かけたという。
それどころか、先日の日曜日は、海にカジキを釣りにトローリングに行ってきたという。
大人になって趣味が相当エスカレートしたといえる(笑)

二人で話していて、ポケモンGOって、釣りや虫捕りと基本的に変わらないという話になった。
先生も、そう考えると自分の子供がポケモンに夢中になるのも理解できるという。
これは人間の狩猟本能に訴えるゲームなのだ。
現実の虫や魚でないところが、我々にはどうしても抵抗があるのだが、今風にアレンジされた虫捕りだと解釈することは出来る。
自分たちも狩猟には夢中になっているわけであり、ポケモンGOを一概に否定することは出来ないだろう。

どうしても引っかかるのは、なぜ本物の虫や魚ではなく、機械の中の擬似生物を追いかけるのか、ということだ。
偽物より、やはり本物のほうが格段にいい。
さらにはスマホの画面だと、自然との触れ合いという、重要な要素が欠落することになる。
虫や魚との対決には、自然界の法則への挑戦という、他では得られない大きな感動と喜びが伴うのだ。

もしかすると、魚釣りや虫捕りをやったことが無い人が、ゲームに夢中になるのではないか・・と先生が言われた。
でもそういう人が、世界中にそんなにいるだろうか?
それとも本物の昆虫や魚が苦手で、手で触れられない人?
相手が画面の中のポケモンなら、噛み付きもしないし怖くは無いだろう。
その辺りは、現実にはどうなのか、興味あるところだ。
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