サクラ


D3 + AF-S NIKKOR 24mm f/1.4G ED

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学生時代のこと、通学の途中、秋葉原駅で電車を乗り換えていた。
地下鉄の階段を上がっていくと、地上に出る少し手前で、通路の隅に露天商が座り、足元に地味な色の反物を並べて売っていた。
茶色とかねずみ色とか、妙に田舎臭い色合いの生地で、もちろんそんなものに興味のない僕は、ちらりと目をやる程度で、その横を足早に通過して行った。

露天商の前に、20歳くらいのパンチパーマをかけた若者が、ひとり立って商品の生地を見ていた。
その若者が、いつ行ってもそこにいる。
毎日その若者とその場所ですれ違う。

そもそもが、かなり無理のある話だ。
どう考えても、パンチパーマの青年が、田舎臭い色の反物に興味を示すとは思えない。
あまりに不自然である。
しかも演技が非常に下手で、そのぎこちなくおどおどした素振りから、言われて仕方なく立っているのが伝わってくる。

そのためかえって目立ってしまい、通行人はサクラであるとすぐに気付く。
商品の方を見ていながら、目が商品を見ていないのがわかってしまうのだ。
その特異な髪型や周りから浮いた黒っぽいジャンパー姿からも、露天商と同じグループの人種であることは一目瞭然であった。

皮肉なことに、そこを通るたびに、その若者の方に注目するようになった。
幼稚な仕組みではあったが、カラクリを見破ったという可笑しさもあった。

あれでは役に立たないだろうと、つい悲壮な思いとともに、若者のことを見てしまう。
売り上げが上がらず、若者がどやされる場面を、勝手に思い浮かべたりした。
時折困ったように、商品に手を伸ばして触ってみせる若者の不器用な姿は、痛々しささえ感じさせた。

それでも、数人のお客が露天商の周りに集まっていることもあった。
どういう人が、あれに引っかかるのだろうと、お客の顔を覗き込んでしまった。
お客はほとんどすべて、田舎から出てきたであろうおばさんたちであった。

今日は珍しく成功しているじゃないかと、思わず若者の方を見た。
相変わらず困ったような表情であったが、商品に群がる背の低いおばさん達の中から、顔を上気させた長身の若者が、ひとり飛び出して見えた。

サクラというのはおとりのことである。
本来は芝居の見せ場で掛け声をかけて、盛り上げる役目の人のことをそう呼んだのだという。
それがいつの間にか商売上の手段として、売り手側と結託して、偽の客を装う役の呼び名になった。

20年も前のことだが、若者の横顔ははっきりと覚えている。
商売に結びついたかどうかは疑問であるが、印象が飛びきり強かったのは確かだ。
アルバイトを使って、サクラ行為をさせる商法は今でもあるという。
案外私たちも、普段もっと巧妙な手段で騙されているのかもしれない。
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