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サグラダ・ファミリアを訪れて

2023年12月30日 | 楽しいお話し

 暖かい年の瀬、です。
新年への支度がはかどりますね、と書きたいところですが、私は26日から主人の風邪をもらい、55年ぶりで熱が出ました ちょこっと風邪を引いても、大抵が咳の風邪で済んだのですが、今回はかなり手こずりました 38,2℃から38,7℃までを行ったり来たり。思うように身体が動かず、鉛のように身体が重い(実際に重いのですが、はっはっは)。大抵は気力で何とか頑張る私ですが、今回はさすがに横になり、回復を待ちました。やっと29日には37℃前半となり、頭が時々キリキリと痛みますが、さすがに今年もあとわずか。ぼちぼち行動開始です
 しかし、何事も経験は必要ですね。熱だって出てみないと、その辛さはわからない 私はよくお腹の調子を壊しますが、頭痛の経験もないために、頭が痛いという人の辛さだって知りませんでした。熱が出たら、頭痛があったら、身体をゆっくりといたわり、休みましょうね

 さて。スペインから帰国し、半月。あらためて、いろいろなことを思い出しています。
今日は、バルセロナのサグラダ・ファミリアについて、私の感じたことをお話したいと思います。
 サグラダ・ファミリア。言わずと知れたアントニ・ガウディの未完成作品です。
           

 ガウディの没後100年ということで、2026年の完成を目指しています。その状況下、3年間のコロナの時期がありました。世の中すべてがストップし、来場者も激減。入場料と寄付によって進められている建設は、中断せざるを得なくなったのだそうです。しかし、関係者を努力のもと、当時、同時進行の形で進めていた6つの塔の建設を1つに絞り、2019年12月8日、無原罪のマリアの祝日に、「聖母マリアの塔」が完成。138mの尖塔の頂きの星は、夜になると光が灯ります。コロナ禍でこの星が灯った時には、バルセロナの人々の大きな希望の光となりました。
 この塔に関しては、つい先日、NHKのBSや4Kで番組が再放送されたので、ご覧になった方もおいでになるのではないでしょうか。私はたまたま、昨年にこの番組を見てたので、実際に青空にすっくと立つ塔の先端の「星」を見上げた時には、大変感激しました

          
 ガウディ自らが完成させた生誕のファサードを抜け、いざいざ、中へ中へ
「ん?…え?…」私は聖堂の中に入り、何と言うのでしょうか… 不思議な感覚を持ったのでした。「違和感」という言葉の響きにはマイナスのイメージがありますので、敢えて使いたくはありません。なので、そうです、不思議な感覚、です。
 でもね、すぐに気づいたのです。その不思議な感覚とは「私の不勉強によるもの」でした。私はどこかでローマのサンピエトロ大聖堂や、フィレンツェのドゥオモ(サンタマリア・デル・フィオーレ大聖堂)のようなシックな荘厳な内部を想像していたのですよね。けれど、この中は非常に明るく、斬新的でモダン。
    

 当たり前です。ガウディが亡くなったのは1926年。20世紀の人物なのですよね。それに対し、ローマのヴァチカンのサンピエトロ大聖堂の完成は、1626年。フィレンツェのドゥオモに至っては、1413年の完成ですからね、はっはっは。この聖堂の中が基本に忠実ながらも、モダンであっても当然のことでした。

『サグラダ・ファミリアは、アントニ・ガウディの未完成作品』そうなのですよね あらためて、ガウディの作品ではあっても、未完成に終わっているのです。
 ガウディが生前に完成させたのは「生誕のファサード」など全体の四分の一。そこからは、多くの人々の創造(想像…)と熱意によって受け継がれています。
 1978年からは、日本人の彫刻家、外尾悦郎氏が主任彫刻家として完成に向けて日々製作に携わっています。まさに2019年に完成した「聖母マリアの塔」も、南側の聖堂の屋根の部分に並んだお供物のような果物達も、外尾氏の作品です。
          
 写真では少し見づらいかもしれませんが、屋根のとんがった部分に乗っているのは「桃、びわ、すもも、さくらんぼ」など。それぞれが美しい色のヴェネチアングラスで彩られています。

 サグラダ・ファミリア教会… スペインの内戦然り、今までに何度も何度も苦境に見舞われながらもバルセロナの人々は、そのつど募金をしながら建設を続けてきたのだそうです。
 いったい、そのエネルギーはどこから湧いてくるのだろうか?

 今回、私がバルセロナに滞在したのはたった2日でしたが、その間、ずっとガイドの方から聞いてきたフレーズ「私達、カタルーニャ人は…」という言葉。「私達、スペイン人は~~です」というのはわかります。しかし、ガイドさんは、そうではなく、必ず自分のことを「カタルーニャ人」と呼び続けました。あらためてお聞きする…
 スペインには、17の州があります。私達に馴染みのあるのはフラメンコを連想するアンダルシア州や、オレンジの産地、バレンシア州でしょうか。カタルーニャは、その州の1つです。
 しかし、カタルーニャでは日頃はスペイン語ではなく、カタルーニャ語を話しているそうです。ちなみに、カタルーニャ語は、音として少し「フランス語に近い」言葉なのだそうです。たまたま、町で小さなコンビニのようなお店に入ろうとした時、入口のふさぐように立ち話をしていた若者達が私に気づき、「パルドン」と声をかけました。
 この「パルドン」の音の響きは、フランス語の「Pardon」そのもの、でした。すみません、ちょっと、ごめんなさい、失礼、というような時に使う「Pardon」。まさに、若者達は私に「おっと、失礼しました!」と言うシチュエーションだったので、なるほどねえ、確かにフランス語みたいだな、と思ったものでした。   

         

 町のあちこち、ベランダや窓には、このように「カタルーニャ州の州旗」が掲げられているところも多くあり、道路の標識などもカタルーニャ語とスペイン語2つの表記となっています。2017年には、一方的にカタルーニャ共和国として独立を宣言したほど。もちろん、それは認められてはいませんが…

 何度も何度も苦境に見舞われながらも、バルセロナの人々はそのつど苦難に立ち向かい、サグラダ・ファミリア教会の完成を目指すエネルギーの源は何か?
 私の勝手な解釈。それは、「カタルーニャ人としての尊厳、矜持」からくるもの。もっとラフに言えば、「カタルーニャ人として心意気」ではないか。そんな気がしています

 ガウディの死後、まもなく始まったスペイン内戦により、ガウディ本人や弟子達が残した設計図やそれにまつわる資料などは、ほぼすべてが無くなってしまい、ガウディの構想を完全な形で実現することは不可能になりました。そういう意味では、続けられている建設は、極々わずかな資料を頼りに人々の熱意と現代の技術により、続けられています
 2026年、これが完成した時に、今度は主人と一緒に行ってみよう、と思っています

 2023年もあと1日。
2024年には、もう新しい生徒ちゃんと出会うことも、一人一人を思い願書の添削をすることも、湯島天神におまいりすることもないのだなあ…と思うと、急に寂しくなってきましたが、年が明ければ66歳も目前。主人の風邪をしっかりもらってしまい、2日間も熱を出して使い物にならないようなヤワな身体になっては、もうマナーズは無理ですよね、はっはっは。
 どうぞ、みなさま良いお年をお迎えくださいね~


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