クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

来年度の募集に関して

2020年08月30日 | みなさまにお願い

 8月も終わりますねえ・・・
今年は、「春」を外で十分に感じたり楽しんだりすることもなく、「夏」はマスク着用で、水分補給!水分補給!と言い聞かせ、気づけば9月が目前です
 でもね、文句を言って過ごす、というのは私の好みではないので、ここひと月は「涼しいマスク」を探し、装いに応じてそのマスクの色などを使い分ける、ということを楽しみにしました 
 そうそう、私が眼鏡を楽しむのと同じ理屈、ですね。40歳そこそこで老眼の始まった私は、かなり早い時期から老眼鏡の必要がありました。若い頃、非常に視力が良かったために、そのうちに強い遠視も加わり、50歳の半ばには、遠近両用メガネをかけていなければ、近いところも遠いところも見えないという状況になり・・・そうなってからは、いろんなフレームを楽しむことに徹したのです。
 5,6年前からは、生徒さん達が私の絵を描いてくれる時にはいつも、赤や青、緑などのメガネをかけている私、です

 9月になる・・・ということは、いよいよ、今年の考査も間近になってきたことを意味します。今年はこのコロナ禍にあり、各校ともいろいろ厳しい条件の中で募集をされることになります。またその時期が来ましたら、みなさまに「どうぞエールを送ってください」とお願いをすることになりますので、どうぞその時には、よろしくお願いします

 考査が終了する頃には、少しずつ気候も変わり、気温が下がってくるのと並行して、今とは違う新型コロナウイルスの影響も出てくるのではないか?という懸念があります。
 春は、春のおさらい会を中止したり、4月5月を休講にしたり・・・と、厳しい状況となりました。こんな状況下では、なかなか先のことは決めきれない状態ではありますが、現時点で考えられる最善のこと、を常に粛々と進め、お知らせすべきことはしっかりとお伝えしたいと考えています
 来年度生の募集に関しても、ホームページ上に掲載をすることにいたしました。是非ぜひご確認ください。

 年中児クラス 2016年4月2日 生まれ ~ 2017年4月1日 生まれ まで
 年長児クラス 2015年4月2日 生まれ ~ 2016年4月1日 生まれ まで

 このような状況ではありますが、みなさまの身近なところで、小学校受験について考えてみたい、相談したい、というご家庭がおありであれば、ホームページをご紹介いただければ、と思います。
 どうぞよろしくお願いします

 幼児教室マナーズ https://www.madoka-manners.com/
 働くママ・ワーキングマザーの小学校受験 https://www.hataraku-mama.com/
 0歳からの小学校受験 https://www.madoka-smile.com/

 

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私も子育て、してましたよ!

2020年08月20日 | 楽しいお話し

 「暑いですねえ」これが毎日のあいさつの言葉です。このフレーズしか言わない自分が情けなく、何とかもっと気の利いたことを言おうとするのに、口をついて出てくる言葉は、「おはようございます。今日も暑くなるようですねえ」や、「こんにちは。毎日暑いですねえ」ばかり。クラスでは、豊かで美しい日本語を話しましょうと啓蒙しながら、こんなことでは困りますね、大反省です

 先日、年中児クラスの保護者の方々に宛てたメールの中に、私が「子育て中」に書いた日記?覚書?のようなものの一文をご紹介しました。すると、みなさまからすぐにお返事を頂戴しました。全員がお書きになっていたことが「先生にも、こんなことが(こんな時期が)あったのですねえ・・・なんだか、急に先生が身近に感じました。」ということでした。
 なるほどなあ、と唸ってしまいました。
 私の二人の子ども達が大学を卒業し、それぞれが独立して暮らすようになってから7年が過ぎました。それ以来、すっかり私は「自由なオバサン」の暮らしを謳歌するようになっており、クラスでみなさま方と接している私は「頼りになるまどか先生」でしかなく(いえいえ、そう思っていただけていることに、深く深く感謝をしています)、みなさまと同様の「子育てで泣き笑いをする母親の同志」ではなくなっていたのだなあ、とあらためて気づきました。
 私もね、子育てに孤軍奮闘していたのですよ、本当に そして、ティーンエイジャーになった息子や娘との間には確執があったり、気持ちの行き違いがあったり、まさに泣いたり笑ったりの毎日を過ごす母親でした。

 今日、歩いていると、公園の日陰の花壇で「アゲハ蝶」を見つけました。急にフラッシュバックしました アゲハ蝶のブログを書いたことがあったような気がする・・・
 ありました 2006年8月18日「母親の空回り?」というブログです。
今からちょうど14年前。私が48歳、娘が18歳、大学1年生の夏のこと、です。「携帯電話をパタンと閉める」なんて、時代を感じさせる一文もあります

 ママ おかあちゃま お母さん と、無条件にくっついてきてくれて、あれこれ話してくれる時期は、本当に短い。そんなこととは知らず「這えば立て、立てば歩め」の心境で、次々と注文をつけたり、展望ありきで期待をしたりして、尊い「今」をなおざりにしているのは愚の骨頂です
 どうぞ、今を大事にしてくださいね

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懐かしい思い出、過去の栄光?!

2020年08月10日 | 楽しいお話し

 私が子どもの頃に見ていたテレビアニメ「鉄腕アトム」や、アメリカの子ども向けSFテレビドラマ等、そんな世界の中には、電話のように線がつながっていないのに、遠く離れた人と瞬時に話せたり、どこでも誰かと連絡が取れあえたり・・・
 そういう場面を観るたびに「すごい」と思いながらも「そんな訳、ないじゃない、はっはっは」のような感覚が、幼いながらに持っていたことをよく思い出します。
 でも、実際にはどうでしょう?インターネットが完全に地球上に普及をして以降、「そんな訳ない」ということがどんどん実現されていきますよね 急激にそういう技術が進歩し、人々に定着した現代。発展途上国と言われる国であっても、スマホの普及率は思いのほか高いということを知って、心底驚きます。

 そんな中、スマホを持ち歩いていると、ご親切にも毎日「〇年前の今日の画像」と、知らせてきてくれます 「んっ?2008年の今日?なになに?」なんて興味津々で開いてみると、思い出でも何でもない、引っ越しのために「テレビの配線」を映した写真だったりすることもあるのですが、「おーうんうん、へー、もう〇年も前かあ・・・」などと、笑顔で懐かしむ画像も少なくありません。
 昨日の朝のこと。
やってきました、受信しました 「2009年、8月9日の画像」とありました。当然、私はすぐには思い出せません。2009年ってことは、11年前ってことね・・・
 画像を見てみると、はっはっは 輝かしい思い出。過去の栄光
このブログに、画像をアップするのは初めてなのですが、ちょっとやってみますね。
 1枚目。

 誰だかわからない、ですか?
ふふふ、でも、わざわざアップしているのですから、これは「私」です。
 2009年8月9日、私は北海道の大雪山系「忠別湖」というダム湖で開催された「大雪山忠別湖トライアスロンinひがしかわ」に参戦しました。同じ年の春、石垣島トライアスロンに初参戦し、完走を果たした私は、興奮冷めやらぬうちに2戦目の忠別湖にエントリー。
 「50歳になった記念に」という思いと、もう一つの思い、それはこの年の2年前の夏、沖縄の伊江島でトライアスロンの練習中に落車事故を起こし、骨盤骨折、恥骨骨折、肋骨骨折、気胸・・・と、普通の暮らしへの復帰が危ぶまれた主人が、幸いにも半年間で完全復帰 「スポーツの神様」への感謝を込めて、無理と思えることに挑戦しよう、という思い。
 私は泳げるには泳げましたが、中学1年生の臨海学校の2キロ遠泳のための「平泳ぎ」しか出来ず、クロールは習ったこともありませんでした
 母自身が自転車に乗れないということもあって、私は「危ないから」という理由で自転車に乗ったことがなく・・・
 ということで、2008年、50歳を迎えた私は、トレーナーについて「自転車の練習」と「クロールの練習」を始め、早々と2009年の石垣島トライアスロンにエントリー。1年半かけて体重を18キロ落としながら、練習に励みました。そして、2009年の石垣島トライアスロンで完走。この北海道のレースに続きました。せっかくですので、調子に乗って、どんどん、その時の写真をアップしましょう

 これは、1500メーターのスイムを終えて、湖から上がってきたところです。大雪山の雪解け水で、水温はとっても低かったのですが、海水ではないので、しょっぱくないことと、波がないため、湖面が太陽の光を受けてキラキラと輝き、すっかり「スイミングハイ」になった私は、上がった時も「まだ泳げそうだ 何て気持ちよく泳げたんだろう」という気分でした。手を後ろに持っていっているのは、自転車のところに移動をしながら、ウェットスーツを脱ぎ始めようとしているのですよね。いっちょまえに、少しでもタイムを縮めようなーんて思ってるわけです。

 バイクのコースは地獄でした
湖畔を延々と下り・・・今度は下った坂を延々と登る、というコース。それを3往復で40キロ。自転車が苦手な私にとって、下りでスピードが出るのは怖ろしく、登りはギアーチェンジが上手く出来ず、脚力も不足しているので、歩いた方が速そうという始末。3回目、坂を下りきったところでチェーンが外れ、泣けてきました 照りつける太陽、うるさいほどの蝉の声。私はあまりにも遅いので、まわりにもう人はいません。この時点で棄権することを考えました。
 でもね、ボランティアの方達に声をかけていただき、大会関係者の方々に励まされ・・・最後の坂を上り始めました。目の前にバーンを広がる大雪山系の旭岳。真っ青な空にそびえる大きな山。この雄大な景色だけを頼りに登り続けて、やっとバイクを終えてランへ
 このヨレヨレの姿こそが、その「気力」だけでラン10キロをスタートさせた私 幸い、ランのコースは平坦でしたが、あまりにも辛く、もう旭岳の雄姿も目には入ってこない・・・

 そして、最終走者としてゴール なにせ、もう私以外の選手達はすべてゴールをしているわけですからね。スイムやバイクで途中棄権をした人もたくさんいましたが、そういう人達はもうそこにはいませんし、私はランの最後の3キロほどは、完全な一人旅で、大会のアナウンスの方はすっかりお暇になっていて・・・ 私がゴールをする1キロ前あたりからは、何度も何度も「最終ランナーは、まもなく、まもなくゴールに見えてくるでしょうか。・・・最終ランナーは、横浜市から参加の南坊まどかさん、51歳。南坊さん、がんばれ!南坊さん、がんばって」を繰り返してくださっていました。でもね、1キロって、そんなに「すぐ」ではないのですよ
 
 写真の左は、早々とゴールを果たした同じチームの友人。ある私立の女子校の名物校長先生です この校長先生はね、私が石垣島大会で初完走を果たした時も、一緒に号泣してくれました 彼女は、今もトライアスロンを続けています 右側は、私の主人です。二人が、最後の200メーターを励ましながら伴走してくれて、最後は手をつないでゴール。
 この2週間後、「ありがとう、旭岳」というコラムの登場人物として、名前と仕事までしっかりと北海道新聞に載ってしまいました、ははは

 この日から、11年。
今でもキラキラと輝いていた忠別湖の湖面、私が息継ぎをするために右腕を上げる時のジャッという音、キーンと冷たい水、バイクが下り坂をスピードを上げて下る音、怖ろしいという感覚、蝉時雨、旭岳の雄姿、アナウンスの声、足が十分に上がらず、時々地面をこする足の音・・・思い出せます
 この次の年、私は山形県のみなと酒田トライアスロンおしんレースに出場し、それを人生で最後のトライアスロンのレースとしました。あんなに一生懸命にしていた練習をすることもなくなりました。私が大事にしていた自転車は、コーチを通して、ジュニアのオリンピックの育成選手にもらってもらいました。そして、私の体重は大いに成長を遂げましたよ

 もし、長いお盆休みで時間を持て余していらして、少しトライアスロンのことに興味を持たれたのであれば、下の3つのブログをご紹介します。
 1番と2番は、この忠別湖のトライアスロンと石垣島トライアスロンに関して「当時の私が書いた」ブログです。
 3番目は、トライアスロン関連ではありますが、「親の感性」という観点で、石垣島のレースでご一緒したチーム仲間、「年長児を持つパパ」のことについて書いたブログです。

忠別湖のレース

https://blog.goo.ne.jp/manners_2005/e/bb9528fc0a3c0afa556d91e07bea360a

石垣島のレース

https://blog.goo.ne.jp/manners_2005/e/607f5b33ced56c59d150bae325228d13

親の感性

https://blog.goo.ne.jp/manners_2005/e/7a1be1bbfbe138edffbe5dc6f6c22336

 

 

 

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