クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

祈る、ということ

2024年01月30日 | 楽しいお話し

 前回のブログ。たくさんの方々に読んでいただけたこと、本当に本当にうれしく思います 心より感謝です 久しぶりにあんなに長い文章を書き、何度も書き直したり、手を入れたりして、アップし終わった時にはしばし、放心状態でした でもね、あれを書き上げ、とうとう「お教室を終えたんだな…」と思いました。みなさんにお礼を申し上げるまでは、やっぱりまだ「クラスがなくなっただけ」「教室を片付けただけ」の気分でしたので。
 長い長い文章をお読みくださり、本当にありがとうございました

 さて。
年が明けて約1ケ月。さまざまな「試験のシーズン」が始まりました
 1月13日、14日は、大学入学共通テスト。一部の私立中学では、この日から入試がスタートしました。27日、28日には、歯科医師の国家試験。
 2月1日は、首都圏の多くの私立中学の試験日。ここから1週間は、どこかで必ず試験があります。医師の国家試験もこの期間中です。
 2月中は、私立、公立共に高校、大学の受験も始まりますし、理学療法士や薬剤師、放射線技師等々の医療系の試験も目白押しです。3月には、国立大学の後期試験もありますね。
 まさに今年、上記の「試験」に臨まれるマナーズの卒業生達もたーくさん、です

 私は毎年、この時期は「祈る毎日」です。
「ああ、今日は〇〇くん、〇〇ちゃんの試験日だ。がんばれ」と手を合わせることもあれば、特定の誰かではなくとも、「今年は、△△くんや△△ちゃんの学年は~~受験の年だな…」と考え、仏壇の前で祈ることもあります。
 この「祈る」という行為。
宗教によって、かなり意味の違ってくるもの、だと思いますので、正確な解釈ということは横に置き、あくまでも「私の思い」によってお話をさせてください。
 私が非常に「験(げん)を担ぐ」タイプであることはみなさん、すでにご承知のことでしょう。その一番顕著なものが「受験期に入る頃になると、赤色のものを身に付ける」ということ。「生徒さん達もそのご家族も、そして私も、みな人事を尽くすので、どうぞお守り、お導きください」という思いの表現として、赤色のものを身に付けます。
 これは「祈りか?」と問われると、私は「違う」と思っています これは「願掛け」的な、「お願い」ですね。なぜならば、報いを求めているから。「〇〇するので、△△を成就させてください」というのは「願い事」です。

 それに対し、「祈り」とは、もっと尊い?とでも言うのでしょうか…

 私はね、「気」というものを強く信じています
人が「他のために祈る」「他のために思いを込める」その時、人からは「大きな大きな目に見えないパワー」が発せられると信じているのです。そのパワーを「気」というふうに私は考えています。
 この「気を込める行為」を、私は「祈り」だと理解しています

 前回の20日にアップしたブログにも少し書きましたが、2009年の12月に、息子は心臓の大動脈弁の弁置換手術をしました。その手術自体は、決して危険な手術ではありません(こういう書き方には語弊があるのも承知の上で)80代の方もする手術ですからね。
 ただ、息子の場合には、体調が悪いことをひた隠しにし、ひどい息切れや動悸等があっても私達両親には言わず、半年以上もその状態を放置した… 高校時代、自分では気づいていなかった愚かさによって失ったものを払拭するために、大学でのクラブでの責任ある立場を全うしたいという思いを優先し、その結果、重篤な心不全の状態になっていました。初診時には、すでにそういう状況だったので、彼の心臓を手術中は止めて、人工心肺に切り替えての手術をする、という状況自体が彼にとって危険、と説明されていたのです。
 そんな状況下、マナーズの卒業生の大勢の方から応援のメッセージ、お見舞いのメッセージを頂戴し、私は本当に勇気づけられました。今でも、当時のことを思い出すだけで泣けてきます…

 その時、ある学年が、千羽鶴を折ってくださいました。その千羽鶴は、マナーズの卒業生だけではなく、あるカトリック校の1学年に広がり、千羽という数になったのです。
 マナーズの卒業生が教室でお友達に声をかけて、クラス全員で休み時間に鶴を折っていると、担任の先生が「どうして鶴を折っているの?」とたずねられ… 事情を知った担任会が、その学年全員で、ホームルームの時間を使って千羽鶴に取り組むことになった、ということでした。
 これもすごいお話でしょう?久しぶりにお話しますが…
でもね、出来上がった千羽の鶴を束にまとめるのも大変な作業です。それは、マナーズの卒業生のママ達がしてくださり、そして、それを終えた時、私にご連絡が来て、私は菊名駅の改札前まで取りに行かせていただきました。
 説明が長くなりましたが… 私と夫が菊名駅改札前で待っていると(改札は、2階でした)、卒業生のパパとママ、そして、卒業生が大きな袋を持ち、階段を駆け上がってこられました。
 その時の3人の姿。
3人の姿からは、仏像の後ろ側にある光や火を表す「光背(こうはい)」が付いているように見えました。慌てて駆け上がってこられているのに、スローモーションのように見えました。
 その時の私には確かに見えた3人の姿が発する「光背(こうはい)」のようなパワー それが「気」なのだと思っています…

 そうです。「祈り」とは、人の心から発せられる「気」となり、必ず相手に、天に、届くもの… 天とは、それぞれの人が持っている絶対的な存在?でしょうか。神様だったり、仏様だったり、帰依している信仰があれば、そこで語られる絶対のもの、かな。
 それがあの時以降、私が信じて疑わない強い思い、です 
だから、私は願掛けや「お守り」というものを信じ、「お願いします叶えてください」という「欲、中心的なこと?!」もしつつ、祈るという私の信じる「尊い行為」もするのです。

 「この人、何言ってんの」「頭、おかしいんじゃない」と思われましたか?良いのですよ、そう思われても。決して気分を害したり、腹を立てたりはしません。おかしいのかもしれませんからね 20日に書いた「ジュエリー・マナーズについて」の中でも、ジュエリーが発する不思議なパワーについて触れたでしょう?この「祈りの話し」も「ジュエリーのパワー」に関しても、奇しくも私が体験から得た摩訶不思議な経験です。
 だから、私は信じています。
 けれど、「」「」と思われる方がいても、決して不思議ではありません。どうぞ笑い話として読んでくださいね

 ただね、人はみな、いつか?どんな時か?はわかりませんが、「人事を尽くして天命を待ちたい」と願う時や、願うことが出てくる…と思うのです。
 そんな時には、私は必ずご一緒に祈ります 私には、大きなパワーはありませんが、ご一緒に祈ることは出来ますから。
 1月、2月、3月、この時期は毎日、祈ります。マナーズの卒業生達が「人事を尽くし、天命を待つとき」のために。
 まずは、2月1日、中学受験生がんばれ

 

 


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