クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

8月を迎え、「戦争」について語る

2022年07月30日 | みなさまにお願い

 8月がやってまいります
昨年の今頃は、一年遅れの東京オリンピックが開催されていました 無観客開催ではあったものの、テレビの前に座り、日頃、あまり馴染みのない競技も含めて、熱戦の一つ一つを丁寧に観戦するのは、とても有意義でした あの頃、私はほぼ毎日、朝、国立競技場周辺にウォーキングに出かけました 警備のため、全国から集まった警察官、数多のボランティアの人達が、早朝から慌ただしく競技場の周りでそれぞれのお仕事をされている様子を見ると、清々しい気持ちになりました 一つの大事業を成功させるための大勢の裏方・・・あらためて、すごいことだな、と実感したものでした。「お・も・て・な・し」のフレーズが流行語にもなった、東京開催誘致の頃には、全く想像もしていなかったであろう世界の状況。何よりも、東京都の思惑は無残にも木っ端みじんとなった大会ではありましたが、それでも「特別な大会」として、人々の記憶には残った いえ、残っていて欲しい と思うと東京オリンピックでした。

 一昨年の8月は、とにかく「コロナ、コロナ」で毎日が明け暮れていましたねえ・・・何でもかんでも中止でしたし、閉鎖、というところもたくさんありました
 そして、今年2022年の8月。終息に向かっていくのか?という期待を大きく裏切り、第7波の真っただ中という状況 しかし、良くも悪くもですが、私達のコロナに向ける感覚が少しずつ違ってきて、今年の夏はこの2年とは違うものになりそうです

 2月に始まったロシアのウクライナ侵攻。すでに半年になろうとしています・・・長引くのでは?という予想の中、毎日、少なくとも1回以上は目にするウクライナの情勢。破壊された町中、悲嘆にくれる人々、ミサイルや戦車等の映像。私が小学生の頃、毎日目にしていたベトナム戦争の時と同じです
 そういう映像を見るのに慣れていった?麻痺していった?(適切な表現が見つかりません)ものの、私は何度もそういう悲惨な状況の夢も見たものでした。
 どうしてベトナム戦争が始まったのか?ということを完全な形で理解するには至ってはいませんでしたが、それでも、サイゴン陥落の日のテレビ映像は忘れることが出来ません。「これで、戦争は終わる」ということだけがうれしく、テレビの前に座り、一人で泣いたのを今でもよく覚えています。

 8月6日、8月9日の広島、長崎の原爆投下の日。8月15日の終戦の日。8月に入ると、いろいろと太平洋戦争関連の番組やニュースが流れることでしょう 決して好ましいことではありませんが、今年は、ウクライナ情勢のこともあり、子ども達にとっても「戦争」は遠く遠く感じるものではなくなっていることと思います どんなことであっても「知る」ということに「幼すぎる」ということはない、と私は考えています
 「知る」からこそ「感じ」「考える」チャンスとなります。感じ、考えれば、自分なりに「思う事」は出てくる。それこそが「学びである」と思うのです。知らなければ「0」ですからね 「0」と「1」の間には、大きな大きな差がある
 どうぞ、この8月を「夏休みの遊びの時期」というだけではなく、「知って、考えるチャンス」としても使ってくださいね

 もしお時間があれば、こちらにも目を通してみてください。「戦争について、話しましょう!」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生き物を愛する心

2022年07月20日 | みなさまにお願い

 今日の朝、日吉駅から中央の通りを歩いていると、何人かの人が立ち止まり、車道を眺めていました
私も気になり、目を車道のほうに向けると、一羽のカラスが車道の真ん中をぴょんぴょん・・・という感じで歩いているのです。
  カラスであれハトであれ、スズメであれ、人の暮らしの身近にいる鳥達は、常に「飛んでいる」様子を見るわけではなく、確かに道を歩いて何かをついばんでいる、ということはよくあります。特に、町中では少々嫌われ者のカラスは、ゴミ収集車が来る前に積み上げられたゴミ袋を荒らしている姿は都会では定番
 ではあるのですが・・・どうも、今朝のカラスは少し様子が違って見える
すると、一人のおばあさんがひとり言のようにつぶやくのを耳にしました。「あの子、両方の羽がないのよね。誰かがいたずらで、飛ぶために必要な羽の部分を切ってしまったらしいの。あの子は、飛べないから、いつもああして歩いて移動するしかないのよ。ほんと、かわそうに・・・」
 驚きました おばあさんが言う「飛ぶために必要な羽の部分がない」ということが、どういうことなのか?そんなことになっても生きていられるのか?ということは、正直、私にはわかりませんでしたが、気になって5分ほど眺めていましたが、車が近づいても飛び立つことはなく、急いでぴょんぴょんと移動。確かに、飛べないのだ、ということはわかりました。

 生き物にいたずらをする心理・・・間違いなく、精神が、心が歪んでいるのでしょう けれど、昔から、多くの文学作品に、愛玩動物を傷つけたり、蝶々などを無残な方法で殺す、という主人公は登場します。それも、決してそういう作品の数は少なくはないように思います
 ということは・・・人は誰でも、心の底に、そういう残酷な行為をする可能性のある「卵」のようなものを持っているのでしょうか???
 むー・・・なぞです。私にはわかりません。
 ただ、「残酷な行為」とは違いますが、幼い頃の記憶や、幼い頃からのすりこみで、生き物に対する思いが違ってくるようには思うのですよね

 私は人生で一度も、犬や猫という愛玩動物を飼ったことがありません。そして、極端に犬や猫を「怖がった」母から、「犬は怖いものだ」「ネコも怖いものだ」と教えられてきたため、小さな頃から、道でお散歩中の犬に会った時にも、わざわざ回れ右をして引きかえしたり、敢えて曲がったり、後ろを向いて通りすぎるのを待ったり…そんな極端なことをしたものでした。なので、テレビでどんなに可愛い犬や猫の様子を観ても、「かわいい」という感情は湧いてきませんでした。
 そんな私の人生を変えたのが・・・NY州のホームステイ先にいた「カーリー(Curly)」という名前のフレンチプードルでした。また、発音しにくいのです・・・正確に発音しないと、彼は私の方を振り向きもしませんでした。まあ、仕方はないですよね。間違った名前を呼ばれて、振り向く生き物はいないでしょう。
 彼は、毎日、嫌でもいるわけ、ですから 毎朝、階段を登ってきて、私の部屋に入り、ベッドに飛び乗り、私を起こす 1週間も経てば、私が起きるまで、舐める(ぎゃ~~~~~~~~
 そりゃあ、最初の2,3日は朝から晩まで、彼が動くたびに首輪にこすれて軽やかな音をたてる、彼の首に付いたプレートの音が近づいてくるたびに、身体も心も硬直しました、はっはっは
 初めて、犬を「かわいい」と思いましたねえ ただ、私とワンちゃんとのコミュニケーションは「sit!」であり、「No!No!Stay!」でしたので、日本ではまだ、どう接して良いのか?はよくわかりませんでした
 ただね、カーリーは、小さなフレンチプードルだったため、大きな犬はまだまだ「怖い」まま。

 とうとう、私がまともにすべての犬に関われるようになったのは、私が50歳になった時。カーリーとの出会いから、30年以上も経ってからのことです。
 50の手習いで始めたトライアスロン。そのチームメイトのお家にお呼ばれをしました 私達夫婦と大の仲良しになったご夫婦の家をピンポーン・・・中から「どうぞ~、入って入って~」の声。私がカチャンとドアを開けると~~~~~~~~
 ジャジャジャジャーンいきなり、毛むくじゃらの足が、私の両肩に
そのご夫妻のお家に、大きな大きなワンちゃんが2匹も一緒に暮らしている、ということを、私は聞いていなかったのです。私に飛びついてきたのは「チクワ」という名前のゴールデンリトリバーでした。私は一瞬、本当に失神したと思います。本当に。ただ、ここでそんなことになっては大ごとだ何事もなかったように、笑顔でリビングに入って行かなくちゃいけないという使命感?責任感?のほうが強く働き、失神は一瞬で終わり、ぶっ倒れることなく、「笑顔で」リビングへ
 それからの人生は、「チクワ」と「アワビ(ラブラドールリトリバー)」のお陰で、大型犬とも仲良しに

 親の責任は大きいですね。もちろん、母を責める気持ちはありません。幼い頃、近所の犬に追いかけられ、挙句の果てに噛まれて怪我をした、という母の怖い経験は、決して忘れることはできなかったのでしょうからね。
 ただ、子どもを育てていく上では、すべての生き物に「愛情を持っている」ことが、とっても大事になると思います。そういう思いは、自ずと生き物を大切にする、という行動につながっていくでしょう

 カラスの羽を切った人・・・どんな人生を送ってきたのでしょう・・・気の毒だな、と思い、悲しくなります

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

簡単な節電のお話

2022年07月10日 | ためになるお話し

 今日は簡単にできる「節電」のお話をいたしましょう
世の中は、8日の悲しい出来事でわさわさ・・・としています。なんでこんなことになったのか?なぜ、日本でこんなことが起きてしまったのか?何度考えても、考えても合点がいきません
 私自身も心のザワザワがなかなか治まりませんが、とにかく日本人として、しっかりと歩いていくこと、生きていくことが故人への供養になると信じて、どんなことも一生懸命に考え、真剣に毎日を過ごしたいです。

 さて、その「簡単にできる節電」です。
みなさんは、お手洗いの便座の温度設定を「off」にしていますか?
 汗を流して帰宅し、すぐにリビングのエアコンのリモコンを握りピッとしているにも関わらず、まさかトイレの便座はあたたかいまま・・・なんてことはないですよね???

 トイレ先進国、日本です
今では、大都市のショッピングモールのお手洗でも、大抵がウォシュレットの機能がついています。ウォシュレット機能がなかったとしても、便座が冷たいまま、ということはほとんどありません
 でもね、それはどういうことかと言えば、日本中、どこもかしこも、便座を温めるために「電気を使っている」ということなのです。そういう理解はありましたか?
 便座は、だーれもトイレを使っていない時でも、エネルギーを使い、温められている・・・ということなのです。
 私の夫はCCSに関わる仕事をしています。(これに関しては、お時間のある時、この2つのトピックスもご覧になってみてくださいね 

こんなこと、ご存知ですか?

雑学「CCS」のご紹介

 以前、夫の同僚のオーストラリア人が出張で東京にやってきた時、しみじみと言っていたものです。「日本中のトイレの便座、温度を少し下げたり、必要のないところの便座をオフにしたら、すごーい節電になるよねえ
 私はこの言葉を聞き、唸ってしまいました・・・確かに

 みんなで節電をしましょう 地球人としての自覚を持って、必要のないところの電気を消したり、いない部屋のエアコンを消したり、誰も見ていないテレビを消したり・・・節電の「意識」さえ持てば、簡単に出来ること、です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする