クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

2022年のごあいさつ

2022年12月20日 | 教室の近況報告

 今年もあと10日です。
忘れずに、飽きずに、このブログを読み続けてくださっているみなさま、今年も1年間、本当にありがとうございました
 みなさまのお気持ちが、私の大きな支えです。本当です
こんなことを書くと、「えええええ???」と笑ってくださる方もおいでになることと思いますが・・・やっぱり歳をとりました。
 私のお気に入りの一人用のリクライニングソファに座ると、すぐに居眠りをしてしまう・・・いざっ!っと、撮りためているNHKの「BS世界のドキュメンタリー」を観ましょう!と座ったのに、ふっと気づけば番組が終わってる まどかさ~ん、寝るためにそこに座ったんじゃないでしょう と、一人で不機嫌になったりして。
 こんなこともありました。9月のある夜、身を清めて「いざっ、願書の添削を!」とパソコンの前に座ったのに、モニター上には「rrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrrr・・・」の文字が延々、20ページ以上も続いている いろいろと文章を考えているうちに、不本意にも居眠りをしてしまった・・・「ら、り、る、れ、ろ」どれかの文字を打つ途中に、睡魔に襲われた・・・睡魔と戦わずして眠りに落ちた
 「r」を削除しながら、自分に腹を立てるというよりも、情けなくて、申し訳なくて・・・です。もう1度シャワーを浴び直して、やり直し。昔はそんなことはなかったのに、今は夜になるとすぐに眠くなって。
 ハッハッハと笑い飛ばしてください 
歳が明けて、次にみなさまにこのブログを書く1月10日には、私も65歳になります。気持ちはいつも前向き、いつもやる気満々 その姿勢に変わりはありません。学びは楽しいし、今まで以上に、いろいろなことに目が向くようになりました。これは、両親が私に残してくれた財産です。
 今年も、その姿勢を貫き、1年間、まどか先生として毎日を大切に過ごしてきました。そう出来たことは、マナーズを巣立たれても、いつまでも私のことを忘れず、応援してくださっているみなさまのお心のお陰です。深く、深く感謝いたします 本当にありがとうございました。
 人の「気」というものは、必ず届くもの。みなさまもよくご存知の私の持論です。その思いは、年々、強くなります。

 今年も私は、家の中をクリスマスの諸々で飾りました
昔は、毎年、クリスマス近くの週末にはたくさんのお客様をお招きして、ワイワイとクリスマスを楽しんだものです。クリスマスの飾り付けは、そんなお客様をお招きするための楽しみという理由もありましたが、実際には「私の楽しみ」なのです。母は他界してしまいましたが、クリスマスやお正月、桃の節句や端午の節句、七夕、お月見、その他諸々・・・季節が変わるたび、母が家のあちこちに飾っていたいろいろな飾り物。私はそんな母が大好きでしたし、そういう家庭で育ったことをとても幸せに思っていました。「心の豊かさ」とでも言うのでしょうか もちろん、食卓も同じでした。
 子どもの頃は「蕗(ふき)の煮物」など、好きになれるものではありません。けれど、母は蕗を食卓に出すたびに、「まどかちゃん、春が来たんよー。八百屋さんに行ったら、青々とした葉っぱの、長くて立派な蕗を見つけたん。春やね。ちょっとにごーて(苦くて)美味しいとは思えんかもしれんけど、春が来たんやなって感じながら、季節の神さんに感謝してな」と話してくれたことを思い出します。

 昨年の今頃は、私は大阪の実家の片付けに奔走していた時期でした
片付けながらも、あまりの量の多さに一つ一つを懐かしんで片付けるだけの心の余裕なく、「躊躇せずに片付けろ、捨てろ。すべてを東京に持ち帰るわけにはいかないのだから」と常に言い聞かせながら片付けました。何度も大阪市の粗大ごみの申し込みをし、マンションの1階まで、台車をお借りして山ほどのゴミ袋を運んだし、最後の最後は業者に依頼して、本当にトラック1台分、物を処分しました
 でもね、母が長年集めた「季節の飾り物」の多くは持ち帰り、今シーズンからは私が飾っています。中には私も同じものを買っていることもあり、そういうものはメルカリさんも重宝しましたよ、ふふふ。

 「どんな環境で、どんな親の元に育つか?」もちろん、反面教師ということもあるでしょう。「子どもの頃のうちの〇〇が嫌だったから、私は絶対にああいうことはしないのです!」というように。ただ、プラスマイナスどちらであっても、本当に育った環境や、親の行い、親の後ろ姿は子どもに大きく影響するものだ・・・と、60歳も半ばになって、あらためて実感します。
 
 今日はせっかくなので、ちょびっとだけ、今の我が家を見ていただけますか?
他にも玄関やお手洗い、等々、あちこちクリスマスクリスマスしていますが、ご紹介するときりがありません

 次の「12月30日」は、クラブマナーズ・ニュースはお休みです。
次にブログでお目にかかる時には、もう2023年ですね。どうぞ、素敵なクリスマス、年末年始をお過ごしくださいね 
 最後になりましたが、今年が喪中のご家庭もおありでしょう。ご親族のご冥福を心よりお祈りいたします。
 本当に1年間、ありがとうございました

       

 

   

 

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日本人ってすばらしい!

2022年12月11日 | その他

 本当にごめんなさい 最近は、一日ずつアップが遅れます
昔、友人に言われたことがあります。彼女は歯科医。大の仲良しで、私の考え方や生き方に大きな影響を与える「ひと言」を言ったり、ピシャリと辛辣な苦言も呈してくれる人でね・・・
 その彼女が私に言ったことがあるのです。
「あなたは知らない人、親しくない人との約束では、必ず10分以上、約束の時間よりも早く着く。どうしてかって?『私はこんなふうに、きちんと振る舞える立派な人間です』と認識してもらいたいから。でもさあ、親しい人との約束では、微妙に遅れることがあるよね。15分とか30分とか、そういう単位の遅れならば、きっと『何らかの事情』があるのだと思うけれど、あなたの場合は違うよね。遅れる時間は3分とか4分とか・・・これってさあ、間違いなく『あなたがギリギリまで自分のことをしていた』ってこと、だよね?要するに、あなたは約束をした人、約束をしたことよりも、自分のことを重視したってことだよ この人ならば私を笑って許してくれるだろう、って思ってる・・・それって、無意識なのかもしれないけれど、その相手を一番ないがしろにしてることにだよ それをわかってるのかな?」
 私はこの彼女の言葉を聞いた時、音もなくシュッと切り倒された気がしたのでした なぜならば、彼女の言葉は、ズバリっ、的を射ていたからです

 ・・・ということで。
ブログのアップが1日遅れるのも、結局、同じことですね・・・ 本当にすみません。

 正確に言えば、まだワールドカップは終わってはいません やっとベスト4が出揃い、これからが準決勝ですから。でも、日本選手団も帰国して数日が過ぎ、私のようなにわかサッカーファンの興奮も治まってきました。
 そんな中で、いろいろと報道されるワールドカップでの「JAPAN」。
あらためて「日本人とは、どういうアイデンティティを持っているのか?」ということを、客観的に知ることが出来たそんなふうに思います。
 何と言ってもサッカーでは素人なので、詳しいことはわかりませんが・・・とても強く感じたのは、例えば、フランスのエムバペ選手、ブラジルのネイマール選手、アルゼンチンのメッシ選手のように、個の力が突出した選手がいないからか、日本の選手団は「和を以て貴しとなす」という諺がピタリとくるように、それぞれの力を1つにし、協力、協調しあって大きな力になるそんな強さのように思いました。
 そして、それはサポーター達にも通じるところがあり、全員が一丸となって会場の片付けをするその行動は「日本人として」の行動だったのですよね。

 時代は昭和から平成へ、そして、令和に・・・どんどん日本人の暮らしの中でも、「個」が大切にされることが一般的になってきています。そんな変化の中にあって、やはり今回のワールドカップで見えた日本人の姿は、「個」ではなく「和合の精神」だったように思えてなりません。
 それをして、日本古来の美徳だと言ってしまうと、きっと語弊があるのだろうとは思いますが、ロッカールームの折り鶴も、森保監督のスタンドに向かって深々と一礼する姿も、謙虚に行動する良さ、のように思えるのは私が歳をとったから、ですかね・・・

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「英語について、あらためて感じたこと

2022年12月01日 | ためになるお話し

 11月も終わりました 今日からは12月、師走です。1日、アップが遅れたこと、お詫びいたしますごめんなさい
 ここ数年、師走に入ってからしか紅葉が盛りにならない… 妙な具合だ…と感じていましたが、今年は10月に冬のような気温になったことがあったから、なのでしょうね。ちゃんと11月の間に、町中でも紅葉が見ごろになりました クリスマスイルミネーションと紅葉が同居するのも変な感じですもの

 さて。
昨日は明るいうちにクラブマナーズ・ニュースの更新をと考えていたのですが、ブログを書いている時に急に夫からのお呼び出し。バタバタと支度をして出かけ、アップできませんでした。
 というのも・・・今日から夫が携わっている仕事の会議が始まるのに、夫の部下がコロナの濃厚接触者に 自宅療養となり、会議にも当然出席出来ない。続々と成田に到着する海外からのお客様のアテンドも出来ない
 そこで、私がピンチヒッターとなり、夕食会に出席することになりました まあ私としては、美味しいものが食べられる恩恵にあずかり、感謝すれど文句はなし
 
 昨夜、夕食をご一緒したのは「アメリカ人」「中国人」「アラブ首長国連邦人」。夫から頻繁に名前は聞くものの、まだ一度もお目にかかったことのない方々ばかりでしたが、実際にお目にかかり、多岐にわたる話題で盛り上がっていると、お国柄も含め、それぞれの方々の持ち味が見えて、本当に楽しい時間でした
 結婚前の私は、短期の交換留学や派遣、父の仕事のサポート、国際ボランティアの関係で、アメリカに行くことが多く、頻繁に耳にする英語は「アメリカ人の英語」でした。
 私自身、高校1年から通った英会話の学校も日系二世のアメリカ人が経営する学校だったので、学んだ英語も「米語」。そういうことにはあまり気づいていなかったものの、結婚後、主人の仕事の関係でお目にかかるイギリス人、オーストラリア人とお話をする度、「あなたの英語はアメリカの英語だね」と言われ、そんなに瞬時にわかるものなんだなあ・・・などと、苦笑をしたものでした
 英語は「ネイティブスピーカーから習うべし」とよく言われます。昨今、小学校や中学の英会話の授業も「アメリカ人教師」とか「カナダ人教師」等の注釈がついていることもしばしば。確かに、英語を「母国語」とする国の人から習う方が、より意味深い、ということはわかります
 でも、アメリカ人の英語とカナダ人の英語も微妙に違うし、アメリカ人とイギリス人の英語は本当に違います オーストラリア人、ニュージーランド人と話すと、大きく発音が違うことはすぐにわかる(でも、日本人が真似するような「Good day を グッ ダイ」とは発音しませんよねえ・・・)なので、同じネイティブスピーカーでも、どの国の人なのか?によって、大きく違ってくるものです。まさに、私が「あなたの英語は、アメリカ英語だ」と言われるように。

 でもね、昨夜もアメリカ人、中国人、アラブ首長国連邦人とお話ししていて思ったことは、『とにかく言語としての英語を使い、会話ができ、コミュニケーションがとれて、相手と楽しい時間が過ごせること、分かり合えることが大事』ということ 発音がどうのこうの、ネイティブがどうのこうの、の問題などは些細な事です。
 昨夜、このことを改めて痛感したのですが、私としては、この「究極の思い」に到達した大きな機会、転機がありました。それは2017年、母とギリシャ旅行をした時のこと。私は大阪まで母を迎えに行き、母の旅行の支度をして、関空からエミレーツ航空利用でアテネまで飛びました 国際的に評判の良いエミレーツに乗ることも、旅行の一つの大きな楽しみでした 
 関空からDubai行きの機内に乗り込み、私は衝撃を受けたのです。高齢の母を伴っていたため、入れ代わり立ち代わり、CAさんが声をかけに来てくださったのですが、そのCAさん達の国際性の高さ 私の認識の低さに由来もしているのですが、名札が示すCAさん達の国籍の多さにびっくり(関空ーDubai便でも、日本人CAは極わずかでした)JALに乗っていると、当たり前ですが、日本人以外のCAに会うことは滅多にありません。それは、アメリカの航空会社でも同じこと。アリタリアでは、ほぼ全員がイタリア人のCA、ルフトハンザではドイツ人。KLMではオランダ人。ところが、エミレーツでは、トランジットのDubaiのラウンジでも同じように、働いている人達は「いろいろ」で、共通語は英語。
 そして、ここからが言いたいことの1番大きな事な訳ですが・・・
英語が共通語ではあっても、インド系の人が話す英語、アラビア系の人が話す英語等々、それぞれに「独特の発音や話し方」があります。
 昔から、日本人は「カタカナ英語を話す」などと、日本人自身が揶揄することは少なくありませんでしたが、ここでは「それの何が悪い」という感覚です。「母国語じゃない言葉を、世界の共通語として話しているのです」という英語は、それぞれの国の人達が話す言葉からの訛りがあって当然。

 要するに「まるでネイティブのように英語を話せる」ということが、日本人のある意味での「あこがれ」ではあっても、それが世界共通の価値観では全くないこと。
 世界語である英語である以上、どんな言語の訛りのある英語でも、きちんと聞きとれ、理解できる耳と頭が必要だ、ということですよね 「あの人の英語は、ネイティブな英語じゃないから、(ネイティブな英語を話す)私にはわかりませんでした」では、お話にならない、という現実を、日本人はもっともっと深く、広く知る必要がある、と思ったのでした。

 でもね、やっぱり私は「まずは母国語を大事にし、美しく正しい日本語を暮らしの中から習得し、日本人としてのしっかりとしたアイデンティティを持った日本人として育つこと」が何より大事だ、と考えていることに変わりはありません ふふふ。
 こんなことを考えながらベッドに入ったら、私が19歳の時、テキサス州で開催された国際キャンプに派遣された時、フランス人、スイス人、ガボン人の仲間が毎朝、満面の笑顔で「アロー、マドキャ!アーワーユー?」と声をかけてくれていたことを急に思い出しました。「H」を発音しないフランス語の彼らの英語は、いつも「H」なし英語で、私は「マドカ」ではなく「マドキャ」と呼ばれました。あれから40数年。彼らはステキなオジサンになっているでしょうね

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