クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

マスク生活で思う事

2020年05月30日 | 教室の近況報告

 私に「マスクをする」という習慣はありませんでした。
その理由のひとつには、子どもの頃からあまり風邪を引かなかった、ということも大きいと思います。なので、咳をしたり、くしゃみをしたりして、人に風邪をうつしてしまうかもしれないから、マスクをしなければいけないという気遣いの必要を感じた経験がとても少なかったのです。
 毎日しっかりマスクをする習慣がついた今だから、こわごわカミングアウトするのですが・・・そんな個人的な理由があったため、どんなに受験前の時期だからとは言え、「予防のために」とマスクをしたままで教室に入ってこられると、ちょびっと気持ちが萎える?そんな思いがありました ごめんなさい
 風邪を引いてしまい(ママは猛省をしているわけです・・・お気持ち、痛いほどわかりました)、他の方にうつしては大変だから・・・
 これほどがんばってきたのだから、この大事な時期に風邪をうつされては悲しすぎる・・・ と親子でマスクをされていた方々。
 どちらの思いも当然の事。本当に理解できます 今ではすっかり慣れてはしまいましたが、こんなに「むさくるしいもの」をつけて、顔の大部分を隠し、息苦しく感じることに我慢をされていたのですから、私が「ちょびっと気分が萎える」なんて、とんでもない言いがかりでした 本当に申し訳ありません

 でも、毎日、これからも「マスク」が暮らしの一部になった今だからこそ、敢えてお話をしたいと思いました。
 私が「マスク」で気分が萎えた理由は・・・表情が見えなくなるから、なのでした
目は口程に物を言う、と言います。確かにそうです。ただ、一対一ではなく、数人が集まっている場所では、なかなか一人一人の目を見て話すわけにはいきません。となると、私はパパやママのお顔全体、つまり「表情」を見て話すことになります。
 目の動きが見えなければ、次に一番よく見えるのが口元と頬、です。この部分は、気分によって自然と動きます。それが、人の「表情」となります。
 フッと気持ちが和んだ ドキッとした ちょっとムッとした すべて、この口元と頬の動きが如実に表します

 ところが・・・
マスクは、完全にこの口元と頬を隠してしまう。となると、その人の表情が全く外に見えなくなってしまうのです

 「ソーシャル・ディスタンス」これからの必須ですね。人とは距離をとり、出来る限り話をしない。黙々と・・・です。
 ただ、表情さえ見えなくなった今、家庭から一歩外に出たら、人と距離をとって黙々とという生活が、「人の心と心の距離」になってしまうことが、私は心配で、そして悲しくてなりません・・・
 確かに、無駄なおしゃべりはご法度ですね。このご時世では、本当に周りの人を不愉快にさせてしまいますから
 でも、パパ、ママにお願いです
マスクで表情が見えなくなってしまう生活だからこそ、無駄ではない「言葉」は大切にし、必ず小声で良いから発するように、と子ども達に教えていただけないでしょうか?
 「ありがとうございます」「どうぞ、お先に」「すみません」
 そして、こういう世の中になってしまったからこそ、伝えるべき時には、しっかりと自分の思いを言葉で表現することの大切さを、実践して欲しいのです

 人と距離をとり、マスクで表情の見えない人達が黙って行動する・・・「言霊」の消えた世界で、人の心はどうなっていくのか??? 隣の人は、無症状の感染者かもしれない、濃厚接触者かもしれない、などとハラハラしながら町中での時間を過ごし、表情も硬く暮らす生活。仕方のない事とは言え、これでは、子ども達の心は育たず、私達の心も荒んでいきます
 「言葉」は「心」です。だからこそ、流暢な話し方ではなくとも、そこに心があれば、必ず相手に伝わる・・・そうですよね。
 こんな世界になったからこそ、たとえ親子、兄弟姉妹、夫婦であっても、相手を思う気持ちを持って、言葉を、心を、大切に生活をしたいです

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子どもとの時間、イラッ!

2020年05月20日 | 教室の近況報告

 自粛生活も、あと10日間でしょうか・・・
でも、もう「人混みの中で平気」な自分に戻れない気がします 最近は、前から歩いてくるマスクをしたオバサン二人がおしゃべりに興じているだけでドキドキし、すれ違う時に、無意識のうちに息を止めたりしてしまう自分がいて・・・信じられません
 私は決して神経質なタイプではありません。お恥ずかしながら、衛生観念の強い家庭環境だったとは思えません。親のせいにするものどうかとは思いますが、「消毒」とか「除菌」とか、あまり頓着したことがなく・・・汚いことが平気というわけではありませんよ それでも、子育て中も「人並の感覚」だったと思います。
 長男が1歳になるまでは、柏の社宅暮らしだったので、同じ社宅で子育てをされている方の中には、ものすご~くこだわって「消毒」をされている方もあり、そういう方のお家で息子を一緒に遊ばせると、とっても気を遣いました
 そんな私!なのに、最近は「三密」を想像しただけでドキドキ、です 私でさえそうなのですから、自粛が解除されても、たぶん、多くの人が「完璧に元の暮らしに戻りたいと願っている」とは思えません。
 テーブルの間隔が狭いレストラン これからは、どんなに評判が良くても、行く気は半減しそうですし(そもそも、そういうお店は、今後は配置をお考えになるのでしょうね)、人気店で店内が混雑するお店は避けたいと思う・・・ あんなに食に興味のある私だったのに、外食することが心配になっています この感覚にはリハビリが必要なのでしょうね。

 さて。
毎日来る日も来る日も子どもと一緒の空間で過ごし、三食の支度をして、三食を共にする・・・という生活。すでに1ケ月以上も、そういう暮らしをされているであろうみなさんのことを考え、手を合わせる思いです えらい 頭が下がります
 もし、すでに気が狂いそうだ、と思っていらしたとしても、決して私は嫌な顔はしませんよ。むしろ、本当に本当にお疲れ様です、と最大級の労いをします
 私も、かつてはみなさんと同じ「子どもと一緒に暮らす母親」の立場でしたから。大飯喰らいの変人に近い息子と、小食で少し扱いにくい娘との毎日は、決して毎日が「平和でハッピー」と感じていたわけではありません 舌打ちとため息の連続でした。
 11年前、息子が大病をし、最高の医療と天の神様に命を助けていただいて以来、私の考え方、物事の捉え方、人生観は一変し、子ども達に対しても「本当に良い母」にはなったとは思いますが、それまでの私は反省と後悔の連続でした、はっはっは。

 そして今、私は思うのですよ・・・
母として、親として、本当に怒り心頭に達する時は、その怒りを爆発させても良いのだ、と。ただ、そんな時にも、爆発をさせる前に、大きく呼吸をして「1,2,3,4,5」くらい、カウントする時間は置いた方が良いかな
 それでも怒りが1ミリも1グラムも治まらなかったら、爆発をさせる そして、30分?1時間後に、爆発させてしまったた自分を悔いたのならば、その時には爆発させた相手に「あの時はごめんねえ~」と素直に詫びる この時の後味の悪さって、本当に情けないほど辛いので、少しでも自分の気持ちを和ませるように、敢えて好きなコーヒーを飲むとか、紅茶を入れるとか、ビールをプシュッと開けるとか お花を買って、飾るのも良いですよ 一人で部屋にこもり、ジュエリーを着けて、眺めるのも良効果あり、です

 我慢を重ねるとね、無意識の間に「あなた達、知らないわよね・・・でも、私はいつもあなた達のために我慢をしているのよ・・・」のような感覚が生まれてしまい、家族の中で「自分だけが我慢をしている、エライ」という気持ちになり、いびつな、変な人になっていってしまいます そう、反省と自画自賛を繰り返す人に・・・ね。

 でも、最後に一つ。
あのね、思春期になった子どもを相手にぶつけた爆発の時間は、それほど嫌な思い出にはなりませんが、小学生の我が子を相手に爆発した記憶は、正直、いや~な思い出になっていくのは事実です フッした時に思い出すのですよ、その時のことを。その時の自分の感覚、熱くなった顔、震えるような手・・・ そして、何よりもその時の息子や娘の表情・・・ 何年経っても、その時のことを思い出してしまうと、ぎゅーっと顔が歪んで、泣けてきてしまいます。そう、「フッと」思い出してしまうもの、です・・・
 
 子どもって、宝ですね。子ども達と過ごした時間は、宝物です
私の娘が「コーヒー屋さん」で働いていることをご存知の方は少なくはありませんね いち早く営業を自粛したお店が、to goだけで営業を開始したり、地方や郊外ではテーブルの配置を変えてオープンしたり。その様子を外から見ていただけなのに、なぜか急に、理不尽に叱った私の前に立ち、ぽろぽろと涙を流していた娘を思い出し、なんてバカなこと、かわいそうなことをしたんだろうと、泣けたりするわけです 20数年前に戻れもしないのに。いやいや、母親の気持ちとは、本当に難解で厄介です。

 雨が上がりましたねえ。お花でも買いに行きますか・・・

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年長児クラスへの課題

2020年05月10日 | 教室の近況報告

 緊急事態宣言は、やはりGWが終わってもそのままになりました。
4月に入り、首都圏や主要都市で外出の自粛要請が始まった頃には、GW明けまでなんて1ケ月もある そんなに長くテレワークや外出を控えるなんて、信じられない・・・と感じていたのに、実際に感染者が増え、医療崩壊に関するニュースがひっきりなしに流れると、以前の暮らしをすることは恐ろしくて出来ない 平気で元の暮らしには戻れないという気持ちが大きくなってきています。
 新型コロナウイルスの第一波が終わった世界、その後の日常を「ニューノーマル」と呼ぶのだそうです。このニューノーマルの世界が、これから少しずつ、好むと好まざるとに関わらずスタートしていきます。私達はそれを受け入れ、その中でも「気持ちよく」暮らしていく術を見つけなくてはなりませんね
 私の持論、「負からは負しか生まれない」「マイナスのスパイラル」。文句を言ったところで、何も変わることがないのであれば、能動的にニューノーマルで、新しい気づきを喜び、小さな幸せを紡ぐ暮らしをしていきましょう

 教室は、3月下旬からお休みです。
6月には再開を・・・と考えていますが、それまでは、週に1度、多い時には2度、親子で出来る課題を送っています
 ちなみに、先週の課題は、小学生から大人まで楽しめるもの、だと思いますので、みなさんにもご紹介しましょう

 課題は「あ、い、う」の音から始まる国を見つけ、それを地球儀上で探してもらう、というものでした。そして、ここから先は、自由に発想を広げてもらう・・・というもの。
 これは、大人でも楽しめると思いますよ。大人であれば、地球儀で探す前に、その国のことで知っていることを話したり、首都や都市名を発表する、というのも良いのではありませんか?
 子どもと一緒にする時には、その年齢に合わせて「公用語」とか「通貨」とか、楽しみはいくつでもあるように思います。
 年長児へのその週の課題は「あ、い、う」だけでしたが、当然「え、お、か・・・」と。遊びとして続けていってもらえればいいなあ、と思いました

 「あ」は、アメリカ合衆国。これならば、言えることはたくさん、ですね。でもね、高校生に「アメリカの首都はどこ?」と聞いて、あっさりと「ワシントンD.C」と答えられるかどうか、なかなか厳しい時代なのかもしれません・・・勉強をしない子、しなくても何とか生きていけると考えている子もいる時代ですからねえ でも・・・まさに「ニューノーマル」の時代になると、少し違ってくるかもしれませんね・・・

 私が、この課題を私一人の時間に楽しんだ時、敢えて「よく知っている国」を避けてやってみました。まずは手始めに「アルゼンチン」。首都はブエノスアイレス、公用語はスペイン語。通貨は・・・ペソ、かな?他は・・・アルゼンチンタンゴや、大草原のパンパ、なんてね。私は地理が大好きだったので、この手のことは比較的得意なのです。なので、この時はまだセーフでした。
 でも、「アフガニスタン」「アルメニア」「アゼルバイジャン」と国名は浮かびましたが・・・ソ連のアフガニスタン侵攻が浮かんだだけで、あとは浮かびません。いやいや、グーグルのお世話になりました こういう遊びはワクワクです。(主人を誘いましたが、のってきてくれませんでした 理系でも、楽しんでくださる方もおいでになることを信じています

 そう言えば。
数か月前、久しぶりに息子に会った時、「きっと、お母さんは好きなんじゃないかな」と言って、勧めてくれたスマホのアプリがありました。それは「世界パズル」というアプリです。
 画面の上に国境線だけのある白地図があり、画面の下の方に国の形と国名が書かれてあります。世界地図やクイックヴァージョン、各方面別等、いろいろとありますが、私はすっかりハマってしまいました 国名が英語表記なので、それを勉強することもできます。何度やっても、どうしても場所を覚えない国が複数あって たった一人も、それらの国の方を知りませんが、やっぱりとても申し訳なく思い、「ごめんなさい〇〇の国の方達。次に出題された時には、必ず、必ずスパッと地図にはめ込めるようにします」とお詫びしています。
 もしご興味があれば、見つけてみてくださいね

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