クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

ちょっと楽しいお話を

2020年04月30日 | 楽しいお話し

 教室も、ずっとお休みです。GW明けまでの休講、としていますが、果たしてその後に始められるのか?始めても良いのか?むー・・・どう考えても難しそうです・・・ 
 このご時世です。しかたのないことですが、気持ちが重くなる話題ばかりで、心が固くなった?いつも緊張状態?のような気がしています
 こんな時期に不謹慎、と思われる方も中にはおいでになるでしょうが、こんな時だから気持ちだけでもハッピーになり、少しだけも緊張感を解きたいと思い、今日は私の得意な?大好きな!宝石にまつわるいろんなお話をしてみましょう お嫌な方は、今回はパスしてくださいね。

 まずは「アメジスト」の神話から。
神話なので、いろいろ語られ方が違います あれ?私の聞いた話とは違うなあ、と思われる場合もあると思います。そんな時には「どれも正しい」ので、お許しくださいね
 アメジストは、紫色の宝石です。日本では「紫水晶」と呼ばれ、昔から愛されてきた宝石なので、ご存知の方は多いと思います。
 そのアメジストのギリシャ神話です。
バッカス、お酒の神様として有名ですが、じつはこのバッカスは「豊穣の神様」で、好き放題の勝手者 ある時「素敵だあ~」と思った女神に冷たくあしらわれ、腹を立てたバッカスは、自分の前を通る者をヒョウに食わせてしまおーと、とんでもないことを考えます。ちょうどその時、バッカスの前を通りかかろうとした美しい少女「アメジスト」。まあ、これは大変と思った月の女神アルテミスが、アメジストちゃんを「石」に変えてしまったのです。
目の前で、美しい少女が石になってしまったのを見たバッカスは、自分の愚かさを反省し、その石に葡萄酒をかけますじゃぼじゃぼじゃぼ・・・ すると、その石は美しい紫色の宝石になった、というお話。
アメジストちゃん、元に戻ったわけではないので、ちっともめでたしめでたしではないじゃないか、と思われると思いますが、結構、神話にはそういうことが少なくありません

 このアメジストという宝石は、鉱物学で言えば「水晶」です。「クォーツ」も同じ意味です。じつは、水晶にはいろいろな色があります。しかし、その中でも紫色の「アメジスト」と黄色の「シトリン」にだけ、特別の名称が与えられているのは、産出量が他の色に比べて少ない事や、抜きに出て美しいことが理由です 
 ちなみに、「シトリン」は日本では「黄水晶」と呼ばれてきましたが、シトリンという名前の由来はシトロン、柑橘系、の意味です。

 これは余談ですが・・・
日本では、宝石を見ると、すぐに「この石は何ですか?」とたずねられる方がほとんどです。それを良いとか悪いとは言っているわけではありません私もその一人、ですからね。
 でも、その石の美しさやデザインそのものを「なんてステキ~」と感じる以前に、「この石は何なのか?」を確認しないと、その価値を認められない?というのは、いかにも残念に思います
 こういう思考は、きっと日本人が和装から洋装に替わった頃、それほど多くの種類の宝石が入って来ていなかった、ということがその理由なのではないか、と私は考えています。
 赤い宝石ならば「ルビー」緑の宝石ならば「エメラルド」青の宝石ならば「サファイア」でないと、良い宝石ではない???という感覚は根強いです・・・ でも、ルビー、エメラルド、サファイア、そしてダイヤモンド以外にも、山ほど、本当に山ほど美しい宝石は存在していますし、ヨーロッパでは、身に付けるジュエリーとしては「デザイン性の高さ」が何よりも重要視されています

 少し明るい気分になっていただけましたか?
3日に一度、お買い物に行く日に、私はメガネをかけて、マスクをして・・・そして、少し大きめのピアスをつけます メガネとマスクでほとんど顔は見えませんが、マスクの横にキランっと光るピアスが、ちょっとだけですが気分を明るくしてくれます
 

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負の連鎖はやめませんか?

2020年04月20日 | その他

 娘が小学校5年生の時の担任の先生が、保護者会のたびに、浮かぬ顔でご報告くださったこと・・・「この教室の中には、ピンク色の粒々がないのです」
 ティーンエイジャー期に入ったばかりの娘達は、「わけわかんない 何なの?ピンクのつぶつぶって。先生の言うこと、意味不明」と、不満気に繰り返していました。
 家庭では、たった一人の我が娘の扱いに手を焼いているのに、40人近い子ども達に向かう先生の毎日は、どれほど神経をすり減らすものであったか?あれからすでに20年が経過しようとしている今でも、想像しただけで感謝の思いでいっぱいになります。 
 ピンク色の粒々。
私は言い得て妙なこの言葉が、とても好きです そう、極々平易に言ってしまうと、たぶん「和やかな空気」となるのだと思いますが、私達保護者と同様に、ご自身も2人のお嬢さんの母親であった担任の先生が表現されたこの「ピンクの粒々」。
 その一粒一粒に「やさしさ」「やわらかさ」「思いやり」「愛情」「許し」「祈り」etc.etc. そういう人の「プラスの心」から自然と生まれる、人を包んでくれる幸せなオーラが詰まっている・・・そんなふうに感じました。

 テレビを点けると「マスクが小さい」「10万円では少ない」「対応が遅い」「~は出来ない」などなど、負の言葉ばかりが報道されているように思います。確かに、不織布のマスクに慣れた現代人にとって、アベノマスクは小さいです。突然に当然だと感じていた日常が奪われ、生活に困窮する人が大勢生まれました。ベストのタイミングですべてが施行されているかと問われれば、そうではないでしょうが、きっと別のタイミングであったら、また「対応が早すぎる」という声も出たのでしょう。出来ないと、それは難しい、それでは理不尽だ、と思うことだらけです。
でも、マイナスからはマイナスしか生まれない 負の連鎖、負のスパイラルです。

 もし、「マスクは小さいけれど、使ってみれば、違った良さも見つかるかもね。」「10万円では不十分だけれど、0と比べればありがたい。」「対応は遅かったけれど、効果は出ているね。」「~出来ないとは思うけれど、やってみよう。その心意気だよな。」そんなふうに考えれば、きっと「自分の心」が違ってくる 私はそう思います。
 最近では、ヨーロッパの映像が流れなくなりましたが、外出出来ない住民達が、マンションのベランダで音楽のアンサンブルをしている・・・とか、医療関係者への拍手を時間を決めて皆で実践する・・・とか、実際にベランダでセッションをするしないという論点ではなく、少なくともあの音楽を聴いた住人達は、わずかかもしれませんが心が和んだはず (日本であれば、『あの音楽がうるさい!』と不満を漏らしている住人の取材をするのではないかな、なんて考えました・・・

 学校に行けず、友達に会えない子ども達はストレスをためている。事実ですね。でも、どこもかしこも「ストレス」を取り上げる。
 せめて「クラブ・マナーズ」のご家庭では、ピンクの粒々に思いを馳せ、マイナスの連鎖を生まない言葉かけ、状況をつくりませんか?作って欲しいです
 

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萎縮がなくなると・・・

2020年04月10日 | ためになるお話し

 桜もそろそろ葉桜になりつつあります
この時期、私がとっても嬉しいのは、あちこちで、いろいろな年齢のマナーズの卒業生達が「自分の桜」を愛でているのだなあ・・・と想像することです
 実際にメールを頂戴することも少なくありません。「今年も息子(娘)の桜が咲きました」とか「今年も親子で一緒に眺めています」とか。
 お子様達に「私のことを忘れないで欲しい」と願うことはあまりありません。もちろん、覚えていてもらえるのは本当に幸せなことですが、幼い頃の記憶とは、よほど強烈なものではない限り、成長と共に薄れていくものですからね。
 ただ、私が「人として、とても大切なこと」として語った諸々の「ひとしずく」「エッセンス」は、記憶や、心のどこかに種として残り、成長の過程でいろんな影響を与え、育ってくれれば嬉しいなあ、と思っています
 先日、あるお母様からメールと2枚の写真が送られてきました。中学の入学式は延期になったものの、せっかくだからと、満開の桜の下で真新しいお制服姿で撮られた1枚の写真。12歳になったその子は、照れくさそうにVサインをして、はにかんだ笑顔で映っていました。
 そして、もう1枚の写真は、同じ満開の桜の下で、小学校のお制服を着て、Vサインをする満面の笑顔の写真でした
 泣けました・・・お母様は、わざわざ、6年前と同じポーズで、同じ「Kくんの桜の下」で写真を撮って送ってくださったのでした。きっとKくんは、ママの注文に閉口したはず お母様に、Kくんに、感謝、感謝です。そして、あちこちで「○○くん、〇〇ちゃんの桜」を愛ででくださったみなさま、本当にありがとうございます
 今年は開花の後、気温がそれほど上がらなかったために、3週間も花が散りません。「お花見も出来ないのに、今年は長い間咲いていて、何だか恨めしい事だよねえ」などと思わず、日本人思いの桜花は、せめて私が長く咲くことで、人々の心を和ませましょう、と思ってくれていると思いましょうね

 さて。
少し長くなりますが、ご報告と私が感じた貴重なことを・・・ 母が希望通りに、亡き父が最後の2年間を過ごした介護施設に入居した、とお伝えしましたね。あの転居の日からそろそろ3週間になります。
 母と私は、時々の電話のほかに、毎日、朝と夜に短いメール(安否確認?のような習慣です)をしているのですが、そのメールの内容や、電話での会話が、転居後のこの3週間で大きく大きく違ってきたことに、ひたすら驚いています
 母の明るい声、母の笑い声、母から積極的に話題が提供されること、母が人の名前を言う(書く)ようになったこと、などなど。
 「あのね、毎日の三食三食が待ち遠しくてねえ
 「外出は自粛して欲しいってことやから、お花見のお散歩はでけへんねんけど、部屋から前の公園の桜がよ―見えんねんそのきれいなこと、きれいなこと
 「今日はな、寺田さんと田上さんが来てくれはって、部屋をこっきりお掃除してくれはったんよー
 何てことのない会話に思われるでしょうが、ここ半年、母は私の言うことに対して「そうやね、そうします」「はい、わかりました」「誰やったか・・・名前はわかれへんけど・・・言うてました」「冷蔵庫の何から食べれば良かったんかなあ・・・わかれへんなってしまって・・・」こんな返答しか戻ってこなかったのです
 ああ、すっかり老化が進んで、ボケが始まってきたなあ・・・と感じていたのです。話す時のボキャブラリーも極端に減り、何度も何度も繰り返して説明しても、最後には「えーっと・・・今言われたことって、〇〇しろってことやよね。」と言い、その〇〇はとてもトンチンカン。繰り返した説明は、全く理解できていなかったことを露呈して、という具合でした。

 今回のことから私が気づいたこと。
それは・・・人は、不安でいっぱいいっぱいになったり、ガミガミと言われて(言っている側に悪意がなく、ガミガミだとは思わず、懇切丁寧に繰り返している、と感じていたとしても)理解不能になっていたら、表情が乏しくなり、笑顔が消え、言葉数が少なくなり、自分の言葉では話せなくなる、ということ。
 こういうことは、相手が子どもでも、大人でも、高齢者でも、同じことだと思います
 私は、母に一生懸命に関わってきました 毎月の帰省のたびに、いろいろなことを分かり易く説明し、繰り返し、繰り返し伝え、確認を求めました。
 でもね、そういう私の姿勢こそが、母を「追いつめていた」のだなあ、と猛省です 仕方のなかったこととは言え、きっと母は、とても辛かったのでしょう。自分で何度も「なんか私、アホになってきてみたいで悲しいわ・・・」と言っていましたからね。そんな言葉を聞いた時、私も悲しく、また、一生懸命に関わっている結果がこれなどと、どっと疲労が増してしまう・・・そんな繰り返しでした。

 人を萎縮させてはいけません。たとえ、そこに悪意がなかったとしても、萎縮させる、結果的に追い詰めてしまうことは、罪なことであり、双方にとって何のハッピーもありません
 どうぞみなさん、誰が相手であっても、私のような愚行をしないでくださいね

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