クラブ・マナーズニュース

マナーズを巣立たれたみなさま、縁者のみなさまとつながっていたい!そんな私が月3回「0」の付く日にブログをアップします!

みなさまにご報告を

2020年11月30日 | その他

 じつは、11月13日、母が亡くなりました。
 今、こうしてあらためて「母について」をお知らせすることが良いのか悪いのか?

「何のために、人の死の報告をするの?」と理解に苦しまれる方もいらっしゃるかもしれません。人の死について、深く知ることは決して心地よいこととは言えず、不愉快にさせてしまうかもしれません。そんな時には、どうぞこの回はスルーしてください。  
 ただ、私の目指す「まどか先生」とは、幼児教室マナーズで、受験のお手伝いをする存在としてだけではなく、少なからず縁のあった方々と「時間や空間、思いを共有」し、「私を通して感じたり、考えたりすることのできる存在」でありたい、と考えています。こういう思いが、クラスの後の講評の時間やメールや、この「クラブマナーズ・ニュース」というブログで、私の身のまわりで起こる様々なことを開示し、お伝えする所以です。

 母は今年の3月の下旬、緊急事態宣言が東京や大阪に発令される2週間前、滑り込むように、父が晩年を過ごした介護施設に入居しました。母のたっての希望でした。   
 実家はそのままにつつ、生活の拠点を介護施設に移す、という形をとるため、私は半月をかけて、せっせと家具やカーテンを選び、介護施設の母の部屋を「母好みの部屋」にするために大阪に通いました。 
 父が亡くなって4年になりますが、介護施設には父が存命当時より勤務をされていたスタッフも多く、母はとてもとても大切にしていただきました。
 私は毎日、朝と夜に母とメールをしていたのですが、介護施設への入居後、母のメールには毎回のように、「私は幸せ。みんな、本当によくしてくださる。」「三度三度、上げ膳据え膳で、何でも美味しい。」「もうあなたは何も心配しなくて良いですよ!」「私は楽しく暮らしています!」を繰り返し書いてきていました。メールでの「コピー・ペースト」というようなワザは出来ない母ですから、メールに書かれた言葉は、まさに母の心からの言葉だと感じ、私も大変うれしく思いました。

 緊急事態宣言が解除となり、やっと私が帰省をしたのが6月。引っ越しの後は、4月13日、母の89歳のお誕生日に合わせて次の帰省を予定していたものの、それも叶わず。でも、約3ケ月ぶりに会う母は大変元気そうで、「私は革靴派だから、スニーカーはちょっとね…」と、ずっと履くことを拒否していたスニーカーも履き始め、施設の長い廊下を散歩するのを日課にしているとか、今まで通りNHKのテレビ体操は欠かさない、とか、自慢げに話してくれていました。 
 ただ、翌月7月に帰省をした時には「東京も大阪もコロナが大変だから、8月に帰ってくるのは控えなさい。願書の添削も始まるような時期に、あなたに何かあったら大変。9月10月にあなたの体調が優れないなんてことになったら、私は年長さんのご家庭にお詫びのしようがない。」と強く私の帰省を拒みました。それでも何となく落ち着かず、心配な私が密かにお盆に帰省を予定し、施設の方にその旨伝えていると、母は口を滑らせてしまったスタッフから私の「秘密の予定」を聞き「8月は来たらダメ!ダメっていったらダメよ!」と、電話をしてきて念を押す始末。そんな微笑ましい経緯があり、私は帰省を9月に変更し、いつものメールと電話で会話を楽しんでいました。

 ところが、8月の下旬になった頃、ケアマネージャーさんからお電話があり、信じがたい話を聞かされたのです。
「ここ数日、お母様は今まで普通に出来ていた行動が出来なくなったり、頭が混乱して、上手く考えられない、とおっしゃるようになっています。急遽、MRIの手配をしたので、その結果が出たら聞きにいらしてください。」と。青天の霹靂、でした。
 母が出来ないと言っている行為は、決して難しいことではなく、極々日常の「手を洗う」などの行為でした。
 まだ8月とは言え、慌てて帰省をし、ドクターとお話をしたところ、脳の広範囲で血流の滞りが見られる、とのことでした。
 それからの約2ケ月は、まさに「キツネにつままれたような」状況でした。最初に表れたのは、自分では思うようにスムーズに歩いたり、動いたりできなくなった、こと。そして、非常にしっかりと話している時と、ぼんやりしている時との差が大きくなり、気分に斑が出てきたこと、でした。
 あらためて書きますが、3月に入居した母は、杖も使わず普通に歩き、タワーマンションのカードキーや少々ややこしいエントランスやエレベーターを使いこなす「かなり若く見えるおばあさん」でした。何も患ってはおらず、入居のための介護保険申請では、介護資格となる「要支援」や「要介護」をもらうのも難しいのではないか、と言われるほどのピンシャンした人でした。
 母の変化は、入居から「わずか5ケ月」のこと。私には、何が起こっているのか?何がどうなっているのか?飲み込めませんでした。

 父と母は、私が小学校2年生の頃に、起業。裸一貫からのスタートで、それ以来、母は約50年間、84歳まで仕事を続けました。当然、最後の10年間は、会社を継いでくれた従弟の温情あってのことではありますが、私の記憶の中の母は、祖母や叔父や叔母達と一緒の大家族の主婦として、いつもいつも独楽ねずみのように家事をこなしていた母。そして、何よりも私が輝いていると感じ、誇りに思っていた母は、父と共に興した会社で仕事をしている母、でした。 
 そんな母は、父がなくなり、父の介護をも含めたすべてのことからやっと解放され、悠々自適になった時、私が想像したような、ハッピーな様子には見えませんでした。ある意味、生き甲斐を無くし、抜け殻のようでもあった?!私は、密かにそう感じ、不安でした。

 そんな母の空虚感を埋めるべく、昨年までの私は、たくさんの旅行を企画しました。 
 昔家族3人でテント生活をした「剣沢の星がきれいだった!」と懐かしく話すのを聞くと、マウナケアでの星空観察を。
 お父さんが元気なうちに、古代都市や遺跡巡りは出来なかった、と残念がっていると、イタリアの古都歩き、アテネの遺跡巡り、エーゲ海の島散策を。
 長い飛行機は疲れるようになってきた、と聞けば、香港でのグルメ三昧、昔家族で行った賢島のホテルでのゆったり時間…と、次から次へと計画を経てて、実行。
 でもね、介護施設で母は、各旅行の私の手作りアルバムをスタッフに見せながら、「どの旅行もとっても楽しかったんやけどね、まあ、よー歩いて歩いて、とにかくどんどん歩いて… 大変やったんよー。ちょっと足が疲れたなあ、なんて夜に言おうもんなら、娘がパッと湿布薬を出してくれるんよ。ほんなら、やっぱり明日もがんばらんとなあ、となるわけよ、はっはっは!」と大笑いしながら語っていたのだそうです。
 私がその話を聞いたのは、お葬式を終えて、母の介護施設の部屋を片付けに行った時でした。主がいなくなった、ガランとした部屋で、私は泣けてきました。「お母さん、ホンマはしんどかったんやねえ、ちっとも気づいていなくって… 本当にごめんねえ…」
 人はみな、毎月帰省をし、母のために旅行を計画し、手の込んだアルバムを作る私のことを「親孝行な娘」とほめてくれました。いえいえ、と言いながらも、やっぱり私は悪い気はしませんでしたもの。
でも、実際には、母こそが私にとっての「娘孝行の母」だったのです。私のために必死に、80歳をゆうに越えた老体に鞭を打ち、娘の期待に応えてくれる!文句を言わずに黙々をダイヤモンドヘッドに登っていく母の後ろ姿を思い浮かべました。母は86歳でした。言葉を失いました…

 9月も半ばになると、急激に母の食欲は落ちていきました。それでも、10月、私が頻繁に帰省をする度に、大好きだったステーキやとんかつ、天ぷらの話を頻繁にして、コロナ騒ぎが終わったら、全部また食べに行こう!と話しました。 
 11月の第1週に帰省をした時、ダメもと、と思って母の介護施設の部屋で薄切りのステーキを焼いたのです。すると、母はそれを二口、美味しそうに食べてくれて「やっぱりお肉は美味しいねえ。阪急で買ったん?高島屋?これは神戸牛?松阪牛?」とよく話し、「まだあるんでしょう?残りはあなたのお愉しみやよ!」と冗談まで言って、満足な様子でした。食事の途中で入ってこられたスタッフに「イイ匂いに釣られたでしょう?娘にお肉を焼いてもらったんよ。美味しかったわー!気の毒なみなさんは、匂いだけやわ。」と満面の笑顔。その食事が、母の食べた固形物の最後の食事となりました。以降はジェル状の高カロリー食品での栄養摂取のみ、となり、その翌日からは発熱もみられるようになりました。介護施設では、普通、この状況になると点滴をして、栄養を強制的に採っていただくようにするのですが、とのご提案でしたが、母は『延命にあたるような医療行為はすべて拒否をします』という強い意思を、健康な時に私に伝えていたので、抗生剤は服用のみ。そのうちに、水分を採ることも難しくなっていきました。

 父の主治医でもあった訪問介護のドクターのお話では、母の場合は、非常にゆっくりと進行する脳梗塞的な兆候があったところに、コロナ禍にあって外出が制限され、運動機能が著しく低下していくことにより、脳の活性化が停滞してしまったこと。良くも悪くも緊張感のある一人暮らしの生活が、介護施設入居により、大きな安心感のもと、依存、依頼ができる暮らしとなり、深く思考をする機会が減少したこと。これらが複合的に急速な心身の衰えとなっていったのだろう、との所見でした。 
 もし、コロナの蔓延が無ければ… 母はお気に入りとなったスニーカーを履いて、介護施設の目の前の公園を散歩したでしょう。それをとても楽しみにしていましたから。タクシーを呼んでもらって長年行きつけの美容院に行っていたでしょうし、ご自慢のネイルも欠かさなかったでしょうね… 私は今まで通り毎月帰省をし、私の帰省中、母は梅田の家に戻り、一緒に出かけ、外食をする… そういう「当たり前」と思っていた暮らしが続いていたのだろうな、と思うとやっぱり残念です。

 母は、あっという間に、呆気なく、逝ってしまいました。しかし、父のように長患いすることもなく、ずっと「ここで暮らせて良かった!毎日、本当に幸せ!」と、言い続けた8カ月間。
 コロナ禍にあっても、何も暮らしの心配をする必要なく、安心して毎日を送れたこと。介護施設の方々にも愛されて、本当によくしていただき、毎日、いつもの笑顔で、人生の最後の時期を過ごせたことに、私は感謝の思いでいっぱいです。 

 人が亡くなる、ということは、本人もまわりも、大変エネルギーの必要なこと、です。当然と言えば当然、ですね。人が生まれて、数十年間、様々な出来事を経験し、まわりの人々に影響を与え続けた… その人の時間が終わる、止まる、ということですから。

 母は、午前3時30分に息を引き取り、私はその母が逝く様を看取りました。冷静に、非常に冷静に、母に声をかけ、その過程を見守りました。病院での臨終とは違い、何の機械音もないその時間です。その夜、聞こえていたのは、母の呼吸音だけでした。 
 その前夜、亡くなる夜と、ほぼ同じような状況にあって、主人は私に「一緒に梅田の家に戻ろう。お母さんには付き添わずに…」と勧めてくれました。その時、主人はこのように話してくれました。
 「人には尊厳がある。高齢になると、多少、幼児返り的なところがあって、自分ではもう身体も自由に動きが取れなくなった時にこそ、その尊厳は守られないといけない、と思う。親だからこそ、我が子に見せたくない、ってこと、あるんじゃないかな。諸々、大変なことをお任せするために介護施設のようなプロ集団の施設があって、そこにお願いをしてるわけでしょう。君が娘としての使命感で、暗い部屋の中、お母さんの側にいて、辛く、悲しい思いをしなくてもいいんじゃないかな?」と。
 主人はまさに1年前、同じ介護施設の一室で、私と同じように主人の母に付き添い、義母を看取りました。その時の義母の様子について、後々、しっかりと聞きましたが「その時、主人は何を感じたのか?」に関しては、聞くことはありませんでした。
 けれど、主人のこの重い言葉で、1年前、主人が義母を看取った夜、同じ介護施設の一室で、どんなことを思い、感じ、義母との時間を過ごしたのか?何を感じていたのか?それがひしひしと伝わりました。
 そして、私は母が亡くなる前日の夜は、主人の勧めてくれる通り、主人と娘と一緒に、3人で実家に戻りました。
 その翌日の夜は、私は母に付き添いました。責任感や使命感からではなく。そして、母を看取りました。

 長い私の駄文にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
「クラブマナーズ・ニュース」にアップする話題ではなかったかもしれません。でも、毎回、このブログを読んでくださっている私にとって大切な方々には、どうしてもきちんとお伝えしたい、と考え、敢えてアップします。
 次回は、ハッピーな内容にすることをお約束します

 

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またまたジュエリーのご案内

2020年11月21日 | 楽しいお話し

 慌ててパソコンの前に座っても、後の祭り、ですね
時計は12時をまわってしまい、すでに21日になっています 1日、アップが遅れました。そして、またまたジュエリーフェアのご案内 「なんか、今年って、やたらとジュエリーフェアが多くない?」と思われるでしょうか? むー・・・毎年、こんなものかとは思うのですが、私も「多いかな」と感じるのはぜでしょうね。
 案外、フェアの回数は例年と同じくらい、だと思うのですよ。例年も新春、春の保税展、夏に一度、秋の保税展、ガレリアフェスタ、クリスマス頃の1回、と、数えてみればそんなもの。確かに、今年は「夏の保税展」という特別展があったので、1回多いかも・・・
 コロナが本格的に全国に拡がってからは、世の中には暗いニュースばかり。いつも鬱々として、ワーッと羽を伸ばしたいと思いながらも、気持ちのどこかに「浮かれるのは罪だ」のような気分があるのかもしれませんね
 6月、7月は、間引き運行をしていたにも関わらず、東海道新幹線に乗っている人はまばら、でした。東京駅も品川駅も、新大阪駅も、新幹線の構内はガラガラでね。でも、8月になるとビジネス客が増えてきて、Go toトラベルが始まって以降は、急に乗客が増えました時に目立つのは、比較的年齢層の高いご夫婦での旅行姿です。多くの方々がカジュアルなリュックを背負って、手にはお土産のたくさん入った袋を持たれている・・・ 私のような帰省客はほとんどいないかもしれません。先週は、満席ではありませんが、左右どちらの席にも、必ず一人は座っている、という状態でした。

 そうそう、本題のジュエリーフェアです。
大人は「パソコン一つあれば、どこでも仕事が出来る」という人が多く、旅行先でもパソコンを開く覚悟で行けば、いつでもgo toを使って旅行も可能ですが、子どもがいると学校がありますからね。なかなか、沈んだ気分をパーっと発散させるチャンスは難しいかも・・・
 そんな時の気分転換にお役立てくださいね

 『 ガレリア スペシャル 』 
開催日 : 11月28日(土)午後3時 ~ 午後6時

      11月29日(日)午前10時30分 ~ 午後6時

会場  : 「ガレリア UCHIHARA」本社ビル B2ホール 港区六本木7-2-7

 ご都合がつけば、ご一報くださいね。私はしっかりと宝石達に囲まれて、気分転換、パワーアップをいたしま~す

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新年度が始まります

2020年11月10日 | 教室の近況報告

 秋が深まってきましたね
紅葉が、町中でも一気に進んできたように思います。私の大好きな番組「チコちゃん」で得た知識。「紅葉は、木からのリストラのようなもの」というメカニズムを聞いて、かなり「紅葉を美しい」と思う気持ちが冷めました、はっはっは。
 落葉樹は、木自身を健全に保つため、しっかりと光合成を行わなくなってしまった葉っぱを落とし、自分を守る・・・というのです。紅葉は、葉っぱの弱り切った姿なのだ、とか むー・・・今朝もそのことを思い出し、リビングから見える紅葉の木々達に、密かに「お疲れ様でした春から、あなたの姿に癒されました。青々と茂る様子に、どれほど勢いと力を感じ、その美しさに感動してきたことか。本当にありがとう」と声をかけました。

 さて。
今週末、14日から2021年度のクラスをスタートします。
 コロナ禍にあり、いろいろな面ですっかり世界観が変わってしまったように思います たぶん、もう元の感覚には戻らないのではないか?という気がしています。世界観が変わるということは、価値観が変わるということにもつながります。
 情勢や状況をしっかりと見極め、心でも感じながら、新しい一年を地道に進んでいきたい、と思っています。みなさまからの応援を受け止め、私の力にかえてがんばります

 今日、このブログを書くために、このサイトを立ち上げると「このブログ開設から 3689日 です」とありました。びっくりしました ちょうど10年になる、ということですね。
 この「クラブマナーズ・ニュース」を開設した年、マナーズを巣立たれたお子様達は、すでに高校1年生になられている、ということですね。
 いつのまにか、小学校受験は「古(いにしえ)の思い出」となり、こんなブログがあったことも、マナーズの卒業生家庭が「クラブマナーズの一員」であることも忘れていかれるのだと思います。ちょっと、いや、かなり寂しいですねえ・・・ でも、それは私の我がままで、毎年、新しいご家庭が受験を終え、巣立っていかれ、このブログを読んでくださる方がおいでになるのですものね

 2021年度もしっかりとがんばります どうぞ、よろしくお願いいたします

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パワーを必要とする時期

2020年11月01日 | その他

 12時を過ぎ・・・11月1日になってしまいました
お約束の日を、2日も遅れて、今、パソコンに向かっています 自分で言ってしまうと身も蓋もありませんが、この時期なのでお許しいただきましょう

 赤いネイル、赤いお洋服、大きめのジュエリー。この時期の定番です。ここのところ、リングもピアスも大きめで華やかなものを選び、ジュエリーパワーを十分にもらいながら日々を送っています
 ご存知の通り、10月の受験期は、秋の保税展の時期と重なります。もちろん、今年もそうでした。そして、30日、今年の保税展も終了しました。次の保税展は、年が明け、だんだんと春の近づいてくる3月。とは言え、来年の春の保税展はどうなるでしょうか・・・
 もし、世界の、とりわけヨーロッパのコロナが、年明けから落ち着いてきたとしたら、きっとストップしていたジュエリーの世界が動き出します。
 すべて中止や延期、細々としたリモートでの開催となっていたジュエリーショーが、3月あたりから一気に開催されるようになるのでは?と思われます。もしそうなれば、本来、冬の時期に開催されるジュエリーショーで「借りてくる段取り」をし、3月開催の「春の保税展」は開催は難しくなってしまいます・・・むー、どうなるでしょうねえ

 今までも何度も書いているかもしれませんが、パワフルでありたい秋の私は、秋の保税展を大事に思っています。かなり無理をしても、会場に足を運び、あまたのジュエリーからエネルギーをもらいたい 今年もそうでした。今年はね、コロナのこともあり、いつもの年以上に、この世界からのジュエリーに出会うチャンスを待ちわびました。
 この秋には、初めて足を運んでくださる方がおいでになりました 「今まで、全くジュエリーには縁がありません。あまり興味も持たなかったし、欲しいとも思ったこともありません。ただ、何度も話されたり、書かれたりする宝石の話を知っていくうちに、『身を飾るジュエリーではなく、自分にエネルギーをもたらすパワーストーン』として、興味を持つようになりました。きっと、自分を励ましたり、慰めたり、いさめたりする強力なアイテムになるのではないか、と思ったのです」これが、初めて来てくださる理由でした。
 内原の展示会は、大抵、他のお客様達とご一緒になることは少ないですが、今年は特にコロナのこともあり、会場をひとりじめ状態
 「ダイヤモンドって、どんなところで産出されるのですか?」「色のついたダイヤと、普通のダイヤとは、何が違うのですか?」「この宝石は何ですか?」「希・少・石?!って、何ですか?」etc.etc.
 数多のジュエリーを眺めて、手に取って、鏡に映していくうちに、次から次へと湧いてくる疑問、質問。それに、とってもわかりやすく、丁寧に説明をしてくださる内原の方々・・・私も、ノートをとる勢いで脳ミソを回転させました
 とてもとても喜んでくださり、私も本当にうれしく、内原の方々も興味を持っていただけて何よりだったと感謝してくださり、まさにウィンウィンの時間でした 
 「来月のフェアにも来たいです」とエネルギーを満タンにして、帰っていかれました。(11月のフェアについては、あとで)

 そして、一昨日は、私の親族が来てくれました。ところが、です・・・
「今日はね、長くぶら下がるようなタイプのピアスが欲しいの。」彼女が会場を説明を受けてまわっている間、私も他のところから数点、彼女が言う「ぶら下がるデザインのピアス」を見つけてきました
 たっぷり時間をかけて見て回った後、テーブルにつき、あらためてピックアップしたピアスをつけてみて、彼女が一言、「むー、これが好きこれが欲しいでも、予算オーバーだからダメ・・・じゃあ、あなたが見つけてきてくれたこれ・・・うんうん、確かに良いわねえ。何?~~~だって?ふーん。まっ、じゃあ、これでいいか。これで良いことにする。予算内だしね。」
 私はね、彼女が手に持ったピアスが気の毒になりました 「まっ、これでいいか。これで良いことにする。」なんて言われて、手を打たれてこの人の元に行くのは、あまりにかわいそうです。そう、その素晴らしいピアスに失礼極まりない
 私は「飛びつくほど欲しい、と思うものがなかったら、止めた方が良いよ 本当に欲しいものが見つかるまでは、アクセサリーで探せば?今日、無理に決めなくても、来月は、保税展じゃないフェアが2日間あるから。日本の素晴らしい工房も出展が決まっているし、そこでまた楽しみながら探す方が良いと思うよ。宝石とは出会いだからさ。」と話しました。
 さすがに「手を打たれて、あなたのものに行くジュエリーは気の毒だ」とは、ズバリ言いはしませんでしたが・・・

 数日前、目をキラキラさせて、会場を見てまわり、心底満足してくださった方とご一緒した後だったので、よけいにギャップを感じ、私自身が興ざめしたのかもしれません 
 ジュエリーは、何億年もかけて大地が育んだ奇跡の鉱物です。その鉱物が数多の技術と、たくさんの人を介してジュエリーとなります そのジュエリーに深い愛情と愛着を持つ人の手に渡ってこそ、一層大きく、強いパワーを発し始める・・・そんな気がしてなりません

 11月のジュエリーフェア「ガレリアスペシャル」は・・・11月28日(土)と11月29日(日)。会場は、今回と同じく、「ガレリア  UCHIHARA」の地下2階のホールです。
 土曜日は、午後3時から6時まで。日曜日は、午前10時半から午後6時まで、私は会場にまいります
 パンフレットは、次回のクラブマナーズ・ニュースでアップしましょうね。
さあ、午前2時前になりました 寝ることにします。
 明日起きたら、大ぶりの赤いリング、ピアス、ネックレスをつけることにします

 

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