今日の出来事

一生懸命に毎日を生きる子どもの姿。そして、そんな子ども達に寄り添う、先生たちの思いを綴ります。

のめりこむ

2022年10月08日 | 今日の出来事
「ご飯できたよ」
母の声。

数分後。
「ごーはーん!!」
イラついた母の声。

「よしのり!!!」
母キレる。

んー?
あ、ご飯か。


保育園にいると、昔の自分を思い出します。
たぶん多くの大人が経験していること。

耳はちゃんと機能してるはず。
寝ていても耳は聞こえてるはず。
でも、声が届かない。

大人は集中力がありそうに見える。
子どもは注意散漫に見える。
子どもはちょこまか、って言われる。


幼児クラスの保育室は、喧噪であふれていました。
帰る子、ブロックで作った武器で遊んでいる子たち。そして…

保育室から出ようとする私と、それを阻止する子たち。
私を含めたこれが一番うるさい。
毎度すみません。

そんな賑わいのすぐ近くで、その子は絵を描いていました。
白い紙に覆いかぶさるように。


時には一緒になって取っ組み合っている子。
目の前の騒動には目もくれず、絵を描いています。
動いているのは手と、合わせて動く毛先だけ。
手を伸ばせば届く距離なのに、壁一枚挟んでいるかと思うほど別世界。

花柄のスカートをはいた女の子の絵を描いていますが、すごいのはその画力。
今は細かい花柄を一つ一つ描いている途中。
描きあがっている顔は、目の描き込みがすごい。
手は胸の前でピース。

「ねぇ、〇〇ちゃん」
集中しているところ申し訳ないけど、聞かずにはいられませんでした。

声をかけられることを予想していなかった顔。
豆鉄砲を食らった鳩さながらに、キョトンとしています。

「ねぇ〇〇ちゃん」
もう一度声をかけなおして、
「どうやってそのピース描いてるの?」

「え?」
「ピース描いたの」
「いや、そうじゃなくて、どうやって描いたの?」
「…」
困らせてしまった…

「先生が描く時はさ、左手でピース作って、それ見ながら描くわけ」
「〇〇ちゃんもそうやってるの?」
「ううん」
(どういうこと?)
「だってピースはこうだもん」

何枚も、何枚も、絵を描いている子の答えでした。
イメージが頭にあるから、何も見なくてもかけるの。


子どもは集中力がなさそうに見える。だけど。
呼んでも呼んでも返事をしないほど。
おしっこ出ちゃうほど続けちゃう。
お腹空いてるのも忘れちゃう。

こやって集中できる子は、頭一つ抜きん出ます。
繰り返したことは、必ず武器になる。
作ったご飯を食べてくれないと、親としては困るんでしょうけど。

肝心なことは意欲

2022年10月04日 | 今日の出来事
「ねぇ先生!それなに⁉」
夕方、帰りの会を終えた子ども達が数名、駆け寄ってきました。

部屋の隅で準備をしていた私は、たちどころに子どもたちに囲まれます。
呼ぶ手間が省けた…(笑)

私の目の前にはタブレット。
「えーっと…ぱんだ組は…じゃぁ〇〇ちゃんから」
まだ説明もしていませんが、呼ばれた子は当たり前のように私の膝に座る。


今月の下旬は運動会。
保育園でも1,2を争うほど大きな行事です。
保護者に配布するプログラムを作っていた私は、可能な限り子どもの参加を考えていました。

タブレットを開いていたのは、5歳児クラスの子たちに絵や文字を描いて欲しかったから。
パソコンで作っているプログラムに、子ども達の絵や文字を取り込もうという算段です。

保育におけるデジタルの扱いについて、賛否が分かれるのは当然のこと。
どちらかというと抵抗の方が強い。
これはある意味では本質です。

子ども達は、生活そのものが学びです。
行き詰まって初めて成長のフラグが立つ。
失敗だらけの幼少期は、大人になって失敗をしないための助走期間。

連綿と続いてきた、デジタル技術に頼らない保育。
それは子どもの身の丈に、ちょうど良い失敗体験を与えてくれます。
それは私も疑いません。

しかし、あらゆるものを子どもの目から隠すことはできません。
そして子どもたちは突出した才能を持っています。
楽しそうなものを見つけ出す才能を。


画面の上でペンを動かすたびに線が、色が重なっていく様子は、
子どもたちの探求心を少なからず刺激したようです。

そしてその習得の速さ。
私がして見せた操作は、しばらくすると子ども達自身のものになっていました。

子どもたちは、保育園に通うほど幼い子ども達は、身体を動かさなければいけません。
全身を使わなければ、脳は働きません。

けれど、何よりも肝心なのは意欲。
楽しくなければ、学びも、そして継続もありません。


プログラム作りに参加した5歳児クラスの8名。
保育園最後の運動会で見せる姿はきっと、眩しいはずです。

生き物と暮らすということ

2022年10月01日 | 今日の出来事
私が休日に行く広い公園。
遊具エリアから、目と鼻の先に位置する、遊歩道が交わる場所。
遊具エリアから外れたといっても、走り回る子ども達で賑わうこともあります。
早朝、その場所を歩きながら、いつものようにある光景を思い出しました。

2年ほど前。
犬を連れて歩いていると、目の前には子どもが何人も集まっていました。
輪になってその中心を見ているから、何かが”いる”のは分かる。

近づいて”それ”がアゲハ蝶の幼虫であることが分かりました。

いずみ保育園ではおなじみの腹ペコアオムシです。
毎年、子ども達の温かい視線を集めます。
今年も、何頭もの成虫を広い空へ還しました。

公園にいたそのアオムシは、絶命の瞬間を迎えようとしていました。
子ども達に石を投げられて体を半分失ったアオムシは、それでもゆっくりと地面を這っていました。

石を投げていた子ども達。
善とか悪とか、そういうことではありません。
いずみ保育園の子も、アオムシには易々と触れません。
仕方ありません。


今年は、アゲハ蝶が旅立つ様子を保護者会で視聴してもらいました。
だからかも。
だからいつもより鮮明に、死にかけたアオムシを思い出したのかもしれません。

映像の中で、いずみ保育園の子ども達は、声援を送っていました。
みんな、「がんばれー!」と。
揃った声が上昇気流を生むんじゃないかというくらい。

”一寸の虫にも五分の魂”

難しい言葉は教えていません。
しかし、生き物の成長を見届ける優しい気持ちは、言葉を覚えるよりも遥かに。

涼しくなってきましたが、まだもう少し。
子ども達の応援する声が聴けそうです。