勉強法の本を読んだら、自分の勉強法ってなんだろうと思うようになった。
実際、何度も、勉強法について書いてきたので、同じことの繰り返しとなるが、おいおい、書いていくこととしたい。
とりあえず、毎度言っているが、勉強法の最も大切な原則がある。
それは、勉強しなければ始まらないということだ。多くの人々が、勉強法に書かれた本、あるいは名を変えて「勉強術」やら「学習法」やら書かれた本を読むところまではいきつく。
だから、その手の本が売れるわけで、需要がなければ供給があるわけがないのだ。
しかし、そのうち、大多数の人が、その手の本を読むことで「達成感」を得てしまう。何の学習もしていないのに、「読書1冊」の達成に浸ってしまい、いかにも、明日からの自分は、今までとは違う自分になってしまったように感じてしまう。
あるいは、ちょっとはやってみる奇特な読者もいるだろう。しかし、実際の学習法にトライした人も、3日坊主で勉強法を中断してしまう。
なぜ、書かれた勉強法は着手されず、あるいは、続かないのだろう?
理由は簡単。自分の勉強法ではないからだ。書いている人は時間を有効的に使っている人、あるいは資格や、難関校を合格したような「学習のプロ」である。そんな人と同じ生活サイクルを送る事は素人にはムリ。あるいは、ノートをキレイにとれだの、スキマ時間を活かせだの、飲み会に行くのは3回誘われて1回だの、まあ、難しいことを書き綴る。
その通りなのだが、実際、仕事が5時に終わって、6時に家に帰れるサラリーマンがどれほどいるのか。そして、帰宅後、風呂に入って、食事をして、毎日3時間、4時間と学習に投下できるサラリーマンが存在するのだろうか?
厳しい計画や余裕のないプランは、いずれ破綻する。そういうものなのだ。あるいは、時間にこだわるあまり、学修の内容がおろそかになる。本末転倒ってやつだ。
では、どうすればいいのか?
そう、とりあえず、学習をすすめること。最初は徒手空拳でいいから、何か、興味のあることを始めるのが先決である。本当なら、最初から「資格を目指せ!」「学校に入学しろ」と言いたいところなのだが、学習への取り組みマインドが枯渇している状況で、そんな重い話をしても仕方ないだろう。
1週間断食している人に、すぐ「ビフテキを喰え!」と言えば、余計に体を悪くするのと同じで、学習を何年もやっていない体に、重たい勉強はきつすぎる。断食後、まず「重湯」や「お粥」をすするのと同じように、軽目の「読書」や「数回程度で完結する通信教育」等からスタートすることをお薦めしたい。
焦って、何十万円もする通信教育や、専門学校に入学しても、本当に学習できる体制を、自分の方で準備していないと、いずれ、「挫折」という言葉で終わってしまうだろう。
しかし、何かしら始めないと、学習というものは始まらない。始まらないところに、成果や実績というものはついてこない。
だから、最近、勉強してないな~と思っていて、勉強しなければいけないかな~と思っているなら、今日から、なんでもいいからスタートしてみよう。図書館でもいいし、書店にいくことでもいい。興味のある通信教育の講座をひとつ申し込むことでもいい。
学習をしなければゼロ。でも、少しでも学習すれば何かしらのプラス。そのプラスαこそが、今までの自分と違う、新しい自分への積み重ねとなるのだから。
実際、何度も、勉強法について書いてきたので、同じことの繰り返しとなるが、おいおい、書いていくこととしたい。
とりあえず、毎度言っているが、勉強法の最も大切な原則がある。
それは、勉強しなければ始まらないということだ。多くの人々が、勉強法に書かれた本、あるいは名を変えて「勉強術」やら「学習法」やら書かれた本を読むところまではいきつく。
だから、その手の本が売れるわけで、需要がなければ供給があるわけがないのだ。
しかし、そのうち、大多数の人が、その手の本を読むことで「達成感」を得てしまう。何の学習もしていないのに、「読書1冊」の達成に浸ってしまい、いかにも、明日からの自分は、今までとは違う自分になってしまったように感じてしまう。
あるいは、ちょっとはやってみる奇特な読者もいるだろう。しかし、実際の学習法にトライした人も、3日坊主で勉強法を中断してしまう。
なぜ、書かれた勉強法は着手されず、あるいは、続かないのだろう?
理由は簡単。自分の勉強法ではないからだ。書いている人は時間を有効的に使っている人、あるいは資格や、難関校を合格したような「学習のプロ」である。そんな人と同じ生活サイクルを送る事は素人にはムリ。あるいは、ノートをキレイにとれだの、スキマ時間を活かせだの、飲み会に行くのは3回誘われて1回だの、まあ、難しいことを書き綴る。
その通りなのだが、実際、仕事が5時に終わって、6時に家に帰れるサラリーマンがどれほどいるのか。そして、帰宅後、風呂に入って、食事をして、毎日3時間、4時間と学習に投下できるサラリーマンが存在するのだろうか?
厳しい計画や余裕のないプランは、いずれ破綻する。そういうものなのだ。あるいは、時間にこだわるあまり、学修の内容がおろそかになる。本末転倒ってやつだ。
では、どうすればいいのか?
そう、とりあえず、学習をすすめること。最初は徒手空拳でいいから、何か、興味のあることを始めるのが先決である。本当なら、最初から「資格を目指せ!」「学校に入学しろ」と言いたいところなのだが、学習への取り組みマインドが枯渇している状況で、そんな重い話をしても仕方ないだろう。
1週間断食している人に、すぐ「ビフテキを喰え!」と言えば、余計に体を悪くするのと同じで、学習を何年もやっていない体に、重たい勉強はきつすぎる。断食後、まず「重湯」や「お粥」をすするのと同じように、軽目の「読書」や「数回程度で完結する通信教育」等からスタートすることをお薦めしたい。
焦って、何十万円もする通信教育や、専門学校に入学しても、本当に学習できる体制を、自分の方で準備していないと、いずれ、「挫折」という言葉で終わってしまうだろう。
しかし、何かしら始めないと、学習というものは始まらない。始まらないところに、成果や実績というものはついてこない。
だから、最近、勉強してないな~と思っていて、勉強しなければいけないかな~と思っているなら、今日から、なんでもいいからスタートしてみよう。図書館でもいいし、書店にいくことでもいい。興味のある通信教育の講座をひとつ申し込むことでもいい。
学習をしなければゼロ。でも、少しでも学習すれば何かしらのプラス。そのプラスαこそが、今までの自分と違う、新しい自分への積み重ねとなるのだから。
実務界と学界に身をおく私であっても、実務界での勉強と学界の勉強では、明らかに方法が違います。
> その手の本を読むことで「達成感」を得てしまう
> 自分の勉強法ではないからだ
これぞ言い得て妙!!
自分に合った、そして自分が学ぼうとする事柄に合った方法を見つけ、それを実践しすることが、大事なんだと思います。
そんな私は、今の大学院に進学して以降、それまでとは勉強法がガラッと変わりました。
今日の今日まで、「学習ゼロ」の人が、いきなりトップギアに入れて学習できるはずがない。
まずは、慣らし運転のごとく、少しずつ学習する習慣をつけていくのが必要だと思っています。