放送大学の不思議(リンクの使い方を覚えたので、うれしくて、うれしくて、最近多用しています)で「5名の枠が空いているのに、履修不可の通知をもらった」と述べましたが、これは生涯学習の神の配慮に基づくものだというのがはっきりわかりました。(ちなみに、私は真宗大谷派です)
なんと、その面接授業の日(6/18)は学位授与機構の小論文の試験日。履修がOKなら、どちらか諦めなければならない、「凄く不幸な状況」に追い込まれることが判明した。
にもかかわらず、同じ科目が別の無理のない日程で組み込まれており、その科目を履修すれば認定心理士の準備も18年度第1期に可能となる。
常々、努力をしている人には、神の見えざる手の配慮がなされると言いつづけているが、こんな奇跡的な配慮は、滅多にない(感謝!)。
「思い続ければ実現する」という人が多いのも、この見えざる手の配慮を言っているにすぎない。奈良では不便だった産能大学も、転勤で歩いてでもいける距離に転居することとなったし、本当に、信じられないようなことが現実に起こるものです。
今晩は、生涯学習の神に手を合わせて感謝の言葉を述べることとしよう。
なんと、その面接授業の日(6/18)は学位授与機構の小論文の試験日。履修がOKなら、どちらか諦めなければならない、「凄く不幸な状況」に追い込まれることが判明した。
にもかかわらず、同じ科目が別の無理のない日程で組み込まれており、その科目を履修すれば認定心理士の準備も18年度第1期に可能となる。
常々、努力をしている人には、神の見えざる手の配慮がなされると言いつづけているが、こんな奇跡的な配慮は、滅多にない(感謝!)。
「思い続ければ実現する」という人が多いのも、この見えざる手の配慮を言っているにすぎない。奈良では不便だった産能大学も、転勤で歩いてでもいける距離に転居することとなったし、本当に、信じられないようなことが現実に起こるものです。
今晩は、生涯学習の神に手を合わせて感謝の言葉を述べることとしよう。