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幕が上がる

2015年03月21日 | 邦画(15年)
 『幕が上がる』をTOHOシネマズ渋谷で見てきました。

(1)一昨年見た邦画の中でベストと思えるドキュメンタリー映画『演劇1,2』の主役の平田オリザ氏が書いた小説の実写化というので、映画館に行ってきました。

 本作(注1)は、「ももいろクローバーZ」(注2)のメンバーが、高校演劇部の部長や部員に扮して、美術の吉岡先生(黒木華)の指導のもと、全国大会を目指して頑張るという作品です。

 映画の舞台はまず10月、使い終わった舞台装置や台本などを、学校のそばの河原でドラム缶に入れて燃やしている高2の女子生徒・高橋さおり百田夏菜子)の姿が映しだされます。



 そこに仲間のユッコ玉井詩織)や、がるる高城れに)が。



 それに顧問の溝口先生(ムロツヨシ)が集まってきて、皆がその作業を手伝います。
 中の一人が「終わったね」と言うと、別の生徒が「私たちの1年が唐突に終わった」と応じ、でも先生は、「負けたと思ってはいかん。しょうがない、色々見方があるんだから」と言います(注3)。
 さらに、生徒が「次の部長はさおりで良い」と言うと、先生も「部長は高橋、お前しかいない。頑張れよ」と応じます。

 次いで、さおりの「高校演劇は厳しい。1年にたったの1回、夏から準備してきて秋に1回だけ」というナレーションが入って(注4)、さおりたちの演劇部は次に向けて動き出します(注5)。
 果たして彼らは、地区大会等を超え全国大会まで出場できるでしょうか、………?

 平田オリザ氏が関係しなければ、お定まりのアイドル映画ということでわざわざ映画館に足を運びませんでしたが、実際に見てみると、黒木華のさすが本職と思わせる演技力や、ももクロのメンバー各自の頑張りによって、アイドルたちが単に画面をキャーキャー走り回るのではない、まずまずの作品に仕上がっています。

(2)平田オリザ氏による原作と比べてみると(注6)、原作の高校は北関東にある男女共学の学校で、演劇部にも男子生徒がいるのですが、本作の高校は静岡県立で、演劇部には女子生徒しかおりません(県立高校なら男女共学でしょうから、女子の多い高校ということなのでしょうか?)。
 そのためでしょう、原作ではプロローグから描かれる男子生徒との恋愛関係(注7)は、本作では全く登場しません。
 こうするのも、原作で重点が置かれている演劇の方に焦点を当てるためかと思えるのですが、ただ、本作では、原作の骨格をなしていると思われる平田オリザ氏の独自の演劇理論は背景に引っ込んでしまっています。
 勿論、原作と同じように部長のさおりが書いた『銀河鉄道の夜』を引っさげて(注8)、映画の演劇部も地区大会に臨みます。とはいえ、映画では、肝心の稽古の様子が十分に描かれないままに(注9)、地区大会やブロック大会での上演の模様が描かれています。

 とは言うものの、本作では、ももクロのメンバーがそれぞれ思いっきり登場人物にぶつかって演じ切ることが主眼でしょうし、その熱気を画面から十分に観客は感じ取ることができますから、演劇理論の方はどうでもいいことでしょう。

 なお、見たばかりの『ソロモンの偽証(前編・事件)』では、中学生が学校内裁判を行う様子を描く作品ですが、裁判も演劇と類似しているのではないかという感じがしますし(裁判では、裁判官、検事などの役割を各自が演じているのでしょうから)、そうであるなら『ソロモンの偽証』も高校生の物語にする方がスッキリするのでは、とも思いました。

(3)渡まち子氏は、「青春映画なのに、恋愛要素をバッサリと切り捨てたのも潔いというものだ。気迫あふれる、演劇部副顧問・吉岡先生役の黒木華のメリハリの効いた演技が特にいい。アイドル映画とバカにしてはいけない。この作品、なかなかの拾い物だ」として65点を付けています。



(注1)原作は、平田オリザ著『幕が上がる』(講談社文庫)。
 監督は、『踊る大捜査線 The Final―新たなる希望』の本広克行
 脚本は、『桐島、部活やめるってよ』の喜安浩平

 なお、平田オリザ氏自身の脚本による舞台版が5月に上演される予定となっています(この記事)。演出は、映画と同じ本広克行で、出演はももクロ他。

(注2)ももクロは、映画『悪夢ちゃん』で、中島みゆき作詞・作曲の「泣いてもいいよ」を歌っていました。同作に関する拙エントリの「注3」をご覧ください。

(注3)さおりたちが2年生の年の10月に開催された地区大会では、彼女たちの演劇部は上位3位までに食い込めず優良賞どまりで、その上の県大会には行けませんでした。

(注4)高校演劇の場合、10月に地区大会、11月に県大会、次いでブロック大会が行われ、全国大会は翌年度の8月に開催されるようです(劇場用パンフレット掲載の「STORY」より)。ただし、このサイトの記事によれば、ブロック大会は、11月から翌年の1月の間に行われています。

(注5)富士ヶ丘高校の演劇部には、部長のさおり、副部長のユッコ、それにがるるがいますが、その他に、転校生の中西有安杏果)や2年生の明美佐々木彩夏)もいます。



 なお、映画では、原作の孝史先輩の代わりに杉田先輩(秋月成美)が登場するのですが、なぜか彼女のことは、それを演じる秋月成美を含めて劇場用パンフレットには何の記載もありません。

(注6)原作と本作の違いは、本文で書き記したもののほかにもイロイロあります。
 例えば、本作では、4月の新歓オリエンテーションで『ロメオとジュリエット』をやって全然受けなかった様子が描かれているところ、原作では、ガルルのダンスとわび助による『ワーニャ伯父さん』の朗読とを組み合わせたものを上演して、会場から拍手をもらっています。
 また、原作では、宮沢賢治の詩『告別』が吉岡先生からさおりへの手紙の中で引用されているのに対し、本作では国語の滝田先生(志賀廣太郎)の授業の中で使われています。そうすることによって、その詩の持つ意味合いがかなり違ってしまいます(ちなみに、この詩は映画『モンスターズクラブ』でも取り上げられました)。
 さらに、滝田先生は谷川俊太郎氏の『二十億光年の孤独』を授業で読みますが、原作では、その詩についての先生の言葉が大きなヒントになってさおりは『銀河鉄道の夜』のラストシーンを修正して県大会に臨むのですが、本作ではそのようになっておりません。

 でも、映画は原作とは別物ですから、様々な違いがあっても当然で、そのこと自体は問題ではないと思います。

(注7)原作のプロローグでは、3年生の孝史先輩(台本を書いて演出もする)にユッコが告る話が書かれています(ただ、次の「一、新生演劇部」では、ユッコは孝史先輩に振られてしまい、むしろ彼はさおりの方に好意を抱いていることが書かれています)。
 また、エピローグでは、さおりと後輩のわび助との仲を皆にいじられる様子が書かれたりしています。
 共学の高校ですから「コイバナ」はいくつもあるのでしょうが、原作でも、中心的な部分では「コイバナ」はほとんど展開されていませんから、本作のような取り扱い方も頷けるところです。

(注8)高校演劇の場合は既存の戯曲(専門の劇作家など大人が書いたもの)を使うのではないか、高校生が戯曲を自作して上演してもうまくいくのだろうか、と思いましたが、原作の吉岡先生は、「誰でもよく知っている話で、それこそ『ロミ・ジュリ』とかね、そういう話を元にして、モチーフとかをパロディにして、あとを全部、あて書きで書いていくの」、「このやり方の強みは、中核になるよく知られている物語があるから、観客にはあんまり物語を説明しなくてもいいこと。あとは、みんながアイデアを考えてきて、それを高橋さんがまとめていきます」と言うのです(文庫版P.97~P.98)。なるほど、これならうまくいく可能性があるのでは、と思いました。

 なお、原作では、さおりが吉岡先生に「『銀河鉄道の夜』にしようと思います」とのメールをいきなり送信するところが描かれますが(文庫版P.135)、本作では、国語の滝田先生が、授業で宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』を使うシーンが描かれます。こうした方が、観客としてはスムーズに受け入れることができるでしょう。

(注9)原作の次の場面などは、平田オリザ氏の面目躍如といった感じではないでしょうか(最初に触れた『演劇1、2』の中で、平田オリザ氏は、「台詞と台詞の間、0.3秒長くして」とか、「あと1歩奥に入って」、「こういうグラデーションで」などといった感じでダメ出しを行います」)?
 「ジョバンニの方にふり返って、カンパネルラが微笑みかけてクルミを鳴らす。ふり返るタイミングが少し早いように思えた。「カンパネルラ、少しふり返るタイミングを遅らせて」………「汽笛、もっと早いタイミングで。カチカチの二度目の終わりくらいに」」(文庫版P.208)。

 尤も、「momocloTV」の『ももクロ初夢ほぼ24時間SP “一富士二タカさんはなすび♡”』で流された「劇中劇銀河鉄道の夜 02.28」(本広克行監督によって編集された特別映像で、舞台で上演された「銀河鉄道の夜」と、その稽古の模様が交互に映しだされます)で見ると、実際にはかなり原作に近いところまでやっているのだなと分かります(その映像は、こちらで見ることができます)。ただ、編集の段階でそれらの映像はかなりカットされて本作が出来上がっています。



★★★☆☆☆



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