
ベルギー映画『少年と自転車』を渋谷のル・シネマで見ました。
(1)本作は、文部科学省選定(少年向き)等とされていて躊躇はしましたが、評判が良さそうなので映画館に行ってみました。
物語の主人公は、もうすぐ12歳となるシリル。

彼は、一緒に暮らしていた父親によって突然保護施設に預け入れられたため周囲となじめず、あるとき密かに自分たちのいたアパートに戻って、父親と愛用の自転車を捜そうとします(注1)。
ですが、シリルを探しに来た学校の先生達に見つかり、アパート内にある診療所に逃げ込みます。そこにも、シリルを追ってきた先生達が現れたため、彼は、受診に来ていた女性サマンサ(セシル・ドゥ・フランス)にしがみついてしまいます(注2)。
そして、愛用の自転車がどんなに大切なものなのかを先生達に訴えます。そこで、シリルに事態を飲み込ませるために、先生達は彼を元の家に連れて行きますが、そこは完全な空き室となっていて、父親はおろか自転車さえも見当たりません。
暫くして、サマンサが彼の自転車をもって保護施設に現れます。診療所で彼女にしがみついてきたシリルの話をそばで聞いていて、探したところ見つかったというわけですが、シリルは、その際、サマンサに週末だけ里親になってくれるように頼み込み、承諾してもらいます。
それから、シリルはサマンサと一緒になって父親(ジェレミー・レニエ)を探し回り(注3)、とうとうレストラン「アカシア」で働いているところを見つけ出します。ですが、彼は、「自分には面倒見切れない、もう来ないでくれ。電話もしない」とシリルに告げ、奥に引っ込んでしまいます。
それで酷く落ち込んだシリルは、今度は、町の不良仲間に引き入れられて事件を起こす羽目になってしまいます(注4)。そして、……。
上映時間が87分と短いために、説明し切れていない部分があるものの(注5)、親に見捨てられた少年が、子供のいない女性との関係を通じて次第に立ち直っていく様子がなかなか上手く描き出されているのではないかと思いました。
サマンサ役のセシル・ドゥ・フランスは、『ヒア アフター』でマット・デイモンの相手役として印象的でしたが、本作においても、どんな仕打ちをされてもあくまでシリルを守るという母親以上の女性を確かな演技で演じています。
また、シリルの父親役のジェレミー・レニエは、『ロルナの祈り』や『しあわせの雨傘』(長男ローラン役)でお馴染みのところ、本作における陰のある役柄をうまく演じています。

(2)本作は、両親から見放されてしまい頼れる者がいなくなってしまった小学生くらいの幼い子供が、なんとかして頼れる者を見出そうとする映画だと思われます。
通常の場合なら、子供にとって両親は何の理由もなしに頼れる存在ですが、それを欠くと一体誰を頼ったらいいのでしょう。昔だったら、両親の親類縁者というところながら、核家族化が進んでいる国では、そんなに簡単にはいかないでしょう。
シリルが最初に選んだのがサマンサ。
でも、実際にどういう人間なのか直ちにはわかりませんし、サマンサの部屋をのぞくと男性がベットで一緒に寝ていました。
そこで、次にシリルが選んだのが、不良少年仲間のリーダーの青年ウェス。

家にまで案内され何かと面倒を見てくれ、さらには寝たきりの祖母に優しくふるまっているその姿を見て、シリルはすっかり信頼を寄せてしまいます。
サマンサは、シリルがウェスと付き合っていることを知って、夜間シリルが家を抜け出さないように閉じ込めますが、事件の夜、ウェスとの約束の時間を守ろうと、シリルはサマンサの腕を傷つけてまで家を抜け出てしまいます。
しかしながら、シリルはウェスからも見放されてしまいます。にもかかわらず、サマンサはしっかりと自分を受け入れてくれるのを見て、シリルは遂にサマンサに全幅の信頼を寄せるようになります。

なお、本作のように少年が事件を引き起こしてしまう映画として、最近のものとしては、デンマーク映画『未来を生きる君たちへ』において、本作のシリルとほぼ同じくらいの年格好と推測されるクリスチャンとエリアスが、粗暴な男の車を爆破してしまうという事件を引き起こします。
この映画にしても本作においても、少年たちが犯した犯罪行為はテロ事件であったり強盗傷害事件であったりするものの、おそらく刑事罰が適用されない年齢以下とされているためでしょうが、厳しい罰を受けることなく通常の生活を取り戻している感じです(注6)。
(3)渡まち子氏は、「育児放棄された少年と彼に関わる大人たちを描く「少年と自転車」。少年が里親と自転車で川辺を走る場面が素晴らしい」として70点をつけています。
また、土屋好生氏は、「怒りと悲しみにうちひしがれた少年の鬱屈した内面に肉薄する。感傷を排し事実のみを積み上げるリアリズム演出で」とし、「常に子供に向き合い時に並走する親の志こそ親子関係の要諦であることが、確かな手ごたえを持って伝わってくる」と述べています。
(注1)シリルの父親は、行き先の住所も電話番号もシリルに告げずに、1ヶ月ほど前、元のアパートから姿を消してしまいます。
彼は、失業し妻に逃げられて、その間、自分の母親にシリルの世話をしてもらっていたところ、その母親が亡くなってしまったために、シリルを施設に預けざるを得なくなった感じです。加えて、父親がレストランで職を得た近くの町では、自宅に女がいましたから、その関係でもシリルを引き取ることはできなかったのでしょう。
(注2)というところから、サマンサは、同じアパートに住んでいて、もしかしたらシリルの顔くらいは知っていたのかもしれません。
なお、サマンサは、町で美容室を営んでいます。
(注3)劇場用パンフレットには、自分の自転車を売る張り紙がガソリンスタンドに貼ってあり、それで新しい住所がわかった、と書いてあります。
(それで、父親の自分に対する態度の一端をシリルは知るようになるというわけですが、映画では、シリルはあくまでも「自転車は盗まれたんだ」と言い張っていたように思われます)
ただ、クマネズミの見たところでは、ガソリンスタンドに貼ってあった張り紙には、「BMB bike」とあり、それは父親が使っていたオートバイのことではないかと思いました。
というのも、ガソリンスタンドの店員に、シリルが父親の特徴を言うとすぐに分かって、張り紙のことを教えてもらったことからすれば、父親は給油でたびたびこのガソリンスタンドを利用していたのではないかと推測されるからですが。
それに、シリルの乗っていた自転車は売られていて、それをサマンサが買い戻したにしても、張り紙をして売るほど大した製品でもなさそうにも見えますし。
(この点は、DVDがレンタルされるようになったら確かめてみたいと思います)
(注4)不良仲間のリーダーの青年ウェスが、シリルの歓心を買うべく、パンクした自転車の修理代を持ったり、家でゲームをやらせたりします。
その挙句、自分になびいてきたことが分かると、一方で、里親を俺に替えないかと言いつつ、他方で、自分が勤める書店の店主を襲う訓練をシリルに施します(ウェスは、町では、薬の密売人とみなされています)。
ウェスは、あくまでも、自分は手をくださぬようにして、逃げてきたシリルが「店主の息子に顔を見られた」と告げると、金をシリルに渡して、「自分は何も知らない。すべてはお前が全部したことだ。俺の名前を出したらお前を殺す」といって立ち去ってしまいます。
シリルは、受け取った金を父親のところに持って行って手渡そうとしますが、父親は受け取らずに、また中に引っ込んでしまいます。
金はそこに投げ出されたまま、シリルは自転車でサマンサの家に戻ります。
(注5)たとえば、サマンサには恋人がいたのですが、あるとき、恋人から、「俺とシリルとどっちを選ぶのか」と問われ、彼女は「シリル」と答えるのですが、その背景は十分に説明されているとは言えないのでは、と思われます。
(注6)本作の場合、襲撃された当事者の一人(書店主の息子)は、謝罪に応じないとされていても、もう一人(書店主)が示談に応じたことから、シリルが直接謝罪し、サマンサが賠償金を支払うことで解決をみます。
ただ、納得しない書店主の息子は、町でシリルを見つけると追いかけ、窮したシリルが木に上ると、下から石を投げつけ、その石に当たったシリルは落下して気絶してしまいます。その後は何事もなかったかのようにサマンサの家に自転車で戻っていきますが、何か悟るところがあったような雰囲気が漂っています。
一方では、自分の犯した行為に対して罰を受けたんだとわかったのかもしれません。
他方で、自分が死んだものとみなして、書店主やその息子が取り繕うとしている様を耳にして、大人の世界の実態が分かってしまったのかもしれません。
★★★★☆
(1)本作は、文部科学省選定(少年向き)等とされていて躊躇はしましたが、評判が良さそうなので映画館に行ってみました。
物語の主人公は、もうすぐ12歳となるシリル。

彼は、一緒に暮らしていた父親によって突然保護施設に預け入れられたため周囲となじめず、あるとき密かに自分たちのいたアパートに戻って、父親と愛用の自転車を捜そうとします(注1)。
ですが、シリルを探しに来た学校の先生達に見つかり、アパート内にある診療所に逃げ込みます。そこにも、シリルを追ってきた先生達が現れたため、彼は、受診に来ていた女性サマンサ(セシル・ドゥ・フランス)にしがみついてしまいます(注2)。
そして、愛用の自転車がどんなに大切なものなのかを先生達に訴えます。そこで、シリルに事態を飲み込ませるために、先生達は彼を元の家に連れて行きますが、そこは完全な空き室となっていて、父親はおろか自転車さえも見当たりません。
暫くして、サマンサが彼の自転車をもって保護施設に現れます。診療所で彼女にしがみついてきたシリルの話をそばで聞いていて、探したところ見つかったというわけですが、シリルは、その際、サマンサに週末だけ里親になってくれるように頼み込み、承諾してもらいます。
それから、シリルはサマンサと一緒になって父親(ジェレミー・レニエ)を探し回り(注3)、とうとうレストラン「アカシア」で働いているところを見つけ出します。ですが、彼は、「自分には面倒見切れない、もう来ないでくれ。電話もしない」とシリルに告げ、奥に引っ込んでしまいます。
それで酷く落ち込んだシリルは、今度は、町の不良仲間に引き入れられて事件を起こす羽目になってしまいます(注4)。そして、……。
上映時間が87分と短いために、説明し切れていない部分があるものの(注5)、親に見捨てられた少年が、子供のいない女性との関係を通じて次第に立ち直っていく様子がなかなか上手く描き出されているのではないかと思いました。
サマンサ役のセシル・ドゥ・フランスは、『ヒア アフター』でマット・デイモンの相手役として印象的でしたが、本作においても、どんな仕打ちをされてもあくまでシリルを守るという母親以上の女性を確かな演技で演じています。
また、シリルの父親役のジェレミー・レニエは、『ロルナの祈り』や『しあわせの雨傘』(長男ローラン役)でお馴染みのところ、本作における陰のある役柄をうまく演じています。

(2)本作は、両親から見放されてしまい頼れる者がいなくなってしまった小学生くらいの幼い子供が、なんとかして頼れる者を見出そうとする映画だと思われます。
通常の場合なら、子供にとって両親は何の理由もなしに頼れる存在ですが、それを欠くと一体誰を頼ったらいいのでしょう。昔だったら、両親の親類縁者というところながら、核家族化が進んでいる国では、そんなに簡単にはいかないでしょう。
シリルが最初に選んだのがサマンサ。
でも、実際にどういう人間なのか直ちにはわかりませんし、サマンサの部屋をのぞくと男性がベットで一緒に寝ていました。
そこで、次にシリルが選んだのが、不良少年仲間のリーダーの青年ウェス。

家にまで案内され何かと面倒を見てくれ、さらには寝たきりの祖母に優しくふるまっているその姿を見て、シリルはすっかり信頼を寄せてしまいます。
サマンサは、シリルがウェスと付き合っていることを知って、夜間シリルが家を抜け出さないように閉じ込めますが、事件の夜、ウェスとの約束の時間を守ろうと、シリルはサマンサの腕を傷つけてまで家を抜け出てしまいます。
しかしながら、シリルはウェスからも見放されてしまいます。にもかかわらず、サマンサはしっかりと自分を受け入れてくれるのを見て、シリルは遂にサマンサに全幅の信頼を寄せるようになります。

なお、本作のように少年が事件を引き起こしてしまう映画として、最近のものとしては、デンマーク映画『未来を生きる君たちへ』において、本作のシリルとほぼ同じくらいの年格好と推測されるクリスチャンとエリアスが、粗暴な男の車を爆破してしまうという事件を引き起こします。
この映画にしても本作においても、少年たちが犯した犯罪行為はテロ事件であったり強盗傷害事件であったりするものの、おそらく刑事罰が適用されない年齢以下とされているためでしょうが、厳しい罰を受けることなく通常の生活を取り戻している感じです(注6)。
(3)渡まち子氏は、「育児放棄された少年と彼に関わる大人たちを描く「少年と自転車」。少年が里親と自転車で川辺を走る場面が素晴らしい」として70点をつけています。
また、土屋好生氏は、「怒りと悲しみにうちひしがれた少年の鬱屈した内面に肉薄する。感傷を排し事実のみを積み上げるリアリズム演出で」とし、「常に子供に向き合い時に並走する親の志こそ親子関係の要諦であることが、確かな手ごたえを持って伝わってくる」と述べています。
(注1)シリルの父親は、行き先の住所も電話番号もシリルに告げずに、1ヶ月ほど前、元のアパートから姿を消してしまいます。
彼は、失業し妻に逃げられて、その間、自分の母親にシリルの世話をしてもらっていたところ、その母親が亡くなってしまったために、シリルを施設に預けざるを得なくなった感じです。加えて、父親がレストランで職を得た近くの町では、自宅に女がいましたから、その関係でもシリルを引き取ることはできなかったのでしょう。
(注2)というところから、サマンサは、同じアパートに住んでいて、もしかしたらシリルの顔くらいは知っていたのかもしれません。
なお、サマンサは、町で美容室を営んでいます。
(注3)劇場用パンフレットには、自分の自転車を売る張り紙がガソリンスタンドに貼ってあり、それで新しい住所がわかった、と書いてあります。
(それで、父親の自分に対する態度の一端をシリルは知るようになるというわけですが、映画では、シリルはあくまでも「自転車は盗まれたんだ」と言い張っていたように思われます)
ただ、クマネズミの見たところでは、ガソリンスタンドに貼ってあった張り紙には、「BMB bike」とあり、それは父親が使っていたオートバイのことではないかと思いました。
というのも、ガソリンスタンドの店員に、シリルが父親の特徴を言うとすぐに分かって、張り紙のことを教えてもらったことからすれば、父親は給油でたびたびこのガソリンスタンドを利用していたのではないかと推測されるからですが。
それに、シリルの乗っていた自転車は売られていて、それをサマンサが買い戻したにしても、張り紙をして売るほど大した製品でもなさそうにも見えますし。
(この点は、DVDがレンタルされるようになったら確かめてみたいと思います)
(注4)不良仲間のリーダーの青年ウェスが、シリルの歓心を買うべく、パンクした自転車の修理代を持ったり、家でゲームをやらせたりします。
その挙句、自分になびいてきたことが分かると、一方で、里親を俺に替えないかと言いつつ、他方で、自分が勤める書店の店主を襲う訓練をシリルに施します(ウェスは、町では、薬の密売人とみなされています)。
ウェスは、あくまでも、自分は手をくださぬようにして、逃げてきたシリルが「店主の息子に顔を見られた」と告げると、金をシリルに渡して、「自分は何も知らない。すべてはお前が全部したことだ。俺の名前を出したらお前を殺す」といって立ち去ってしまいます。
シリルは、受け取った金を父親のところに持って行って手渡そうとしますが、父親は受け取らずに、また中に引っ込んでしまいます。
金はそこに投げ出されたまま、シリルは自転車でサマンサの家に戻ります。
(注5)たとえば、サマンサには恋人がいたのですが、あるとき、恋人から、「俺とシリルとどっちを選ぶのか」と問われ、彼女は「シリル」と答えるのですが、その背景は十分に説明されているとは言えないのでは、と思われます。
(注6)本作の場合、襲撃された当事者の一人(書店主の息子)は、謝罪に応じないとされていても、もう一人(書店主)が示談に応じたことから、シリルが直接謝罪し、サマンサが賠償金を支払うことで解決をみます。
ただ、納得しない書店主の息子は、町でシリルを見つけると追いかけ、窮したシリルが木に上ると、下から石を投げつけ、その石に当たったシリルは落下して気絶してしまいます。その後は何事もなかったかのようにサマンサの家に自転車で戻っていきますが、何か悟るところがあったような雰囲気が漂っています。
一方では、自分の犯した行為に対して罰を受けたんだとわかったのかもしれません。
他方で、自分が死んだものとみなして、書店主やその息子が取り繕うとしている様を耳にして、大人の世界の実態が分かってしまったのかもしれません。
★★★★☆
なかなか考えさせられる作品であり
じわりと沁みる 優しさが
ダルデンヌ兄弟らしい作品でした
「ダルデンヌ兄弟」の他の作品は『ロルナの祈り』しか見てはおりませんが、そこで取り扱われた世界とはまるで違っていますが、本作は本作で、おっしゃるように「なかなか考えさせられる作品」であり、「優しさ」が「じわりと沁みる」作品だなと思いました。
『イゴールの約束』で驚き2作目の『ロゼッタ』までは非常に評価
していたのだがそれ以後はどうも満足度が低い。
どこが悪いと言うこともないのだが1つだけ大きく好みに合わない
のは(それが特徴だから仕方ないが)カメラ移動。
フィクションとしての大げさなドラマではなくドキュメンタリー風に
作りたいのだろうが気になると画面が煩わしくて興ざめする。
ちなみに最近では『ロルナの祈り』がよかったが、もしかしたら
『ロゼッタ』同様主役の女性が気に入ったからかもしれない。
クマネズミは、「日本で公開されたものはすべて封切りで見てい」らっしゃるmilouさんとは違い、『ロヌナの祈り』しか知りませんが、シリル少年の態度が甘すぎるし、それを許してしまうサマンサも甘やかせすぎだとする評がアチコチに散見されるところ、小学生くらいの幼い子供がなんとか頼れる存在を見つけようとするのは十分に分かるという観点から、この作品には高い評点を付けてみました。『ロルナの祈り』とはマッタク違った世界を描いていますが、これはこれで評価出来るのではと思った次第です。
うー、この子供嫌い。
11才としては父親や親への依存度が高すぎる。
子供がお願いした事がかなってしまうダダっこぶりがちょっと気にいらないです。
ます。
クマネズミとしては、11歳と言えばまだ少学5年
生なのだから、「親に対する依存度」が高すぎて
も許されると思ったのですが。
いろいろ事情があるにせよ、子供を放り出してし
まうような父親をむしろ非難すべきではないでしょ
うか?