杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

天上の葦

2022年10月10日 | 
太田愛(著)角川文庫

(上巻)
白昼、老人が渋谷のスクランブル交差点で何もない空を指さして絶命した。正光秀雄96歳。死の間際、正光はあの空に何を見ていたのか。それを突き止めれば一千万円の報酬を支払う。興信所を営む鑓水と修司のもとに不可解な依頼が舞い込む。そして老人が死んだ同じ日、ひとりの公安警察官が忽然と姿を消した。その捜索を極秘裏に命じられる停職中の刑事・相馬。廃屋に残された夥しい血痕、老人のポケットから見つかった大手テレビ局社長の名刺、遠い過去から届いた一枚の葉書、そして闇の中の孔雀……。二つの事件がひとつに結ばれた先には、社会を一変させる犯罪が仕組まれていた!? 鑓水、修司、相馬の三人が最大の謎に挑む。感動のクライムサスペンス巨編!

(下巻)
失踪した公安警察官を追って、鑓水、修司、相馬の三人が辿り着いたのは瀬戸内海の離島だった。山頂に高射砲台跡の残る因習の島。そこでは、渋谷で老人が絶命した瞬間から、誰もが思いもよらないかたちで大きな歯車が回り始めていた。誰が敵で誰が味方なのか。あの日、この島で何が起こったのか。穏やかな島の営みの裏に隠された巧妙なトリックを暴いた時、あまりに痛ましい真実の扉が開かれる。―君は君で、僕は僕で、最善を尽くさなければならない。
すべての思いを引き受け、鑓水たちは力を尽くして巨大な敵に立ち向かう


鑓水、相馬、修司シリーズの第三弾は、上下巻で千ページを超える長編小説ですが、読み始めたら止まらず一気に読ませてしまうスピード感がありました。読み進めるほどに今の社会に潜む得体のしれない不穏な空気を感じ不安感が増していき、息苦しくなりました。
今作では鑓水の過去についても明かされています。
 
タイトルの「天上の葦」は、上巻冒頭で引用されたウィリアム・ブレイクの『無垢の歌』の序文からとられているようです。
下巻の後の解説で町山智浩氏が書かれているように、ブレイクが子どもたちの代弁者として、どんな子どもたちも自由に楽しく笑えるようにとの願いを籠めた詩を引用することで作者自身の願いを重ねて表しているように思えました。

例によって鑓水・修司と相馬が別々の案件に巻き込まれ、やがて繋がった一つの事件として姿を現わしていきます。
別軸で登場する「男」の正体が公安の前島の部下のどちらなのかも初めは伏せられていますが、下巻に入るあたりから察せられます。

正光と山波の接点、二人が行動を起こした理由、白狐は誰なのか・・・次々と浮かぶ謎に翻弄される3人ですが、曳舟島が舞台となる下巻ではそこに戦時中に軍部が取った情報操作の生々しい描写が加わり、あたかも戦争中の言論統制の検証のような様相を呈してきます。

曳舟島では、元校長の喜重 ・寺の住職の松林・島の有力者である勝利の3人の老人が3人と深く関わってきて、白狐の正体と山波の消息を追う様子が描かれます。漁師の豊治や、広斗という青年や島の女たちとの会話から推理していく様も読みごたえがありました。山波と3人が島を脱出するエピソードもハラハラさせられます。老人たちに対する半田の態度に島の人たちが憤って鑓水たちの味方になり逃亡を手助けする様は痛快です。

詳細な資料に基づいた記述は、小説がフィクションであるとわかっていても真に迫っています。非戦闘員である民間人の命を守るために疎開が行われたと思っていたのが、全く別の目的を持った軍部の政策だったとか、軍需の手を休めないために働き手となる婦女子を都市に封じ込めていたとか、憲兵や言論の自由を奪う隣組制度(密告制度ですね)などなど・・・これらは決して過去の出来事ではなくて、現実に起こりつつある再びの危険な兆候をはらんでいるのではと思うと背筋が寒くなってきます。

登場する新興宗教団体『ネオ・コモンズ』の事件自体も許しがたい犯罪ですが、それを利用してメディアと大衆に影響力を持つ一人の男を破滅させようとする為政者の思惑に、怒りを通り越してただただ呆れ憐みを覚えます。そんな奴におもねり保身や出世を欲する輩も軽蔑しますが、恐ろしいのは自分の行為こそが正義であり国益になると信じて疑わない半田のような存在です。また、友人を見捨てることになるとわかっていて我が身可愛さ、保身のために観て見ぬ振りをしようとした兵藤のような男も、世の中には当たり前に存在しています。
ただし、兵藤は土壇場で鑓水たちに協力をしていて、事件が落ち着いた後もTV局に戻らず日本を離れたのは、彼なりのけじめだったのだろうと感じました。尤も、一度は裏切った「友」への罪悪感に耐えられなかったのかもとも思いましたが。

東京に戻った鑓水たちは、不当逮捕された立住を救い真実を世間に暴くためにネットを利用します。大手メディアは既に保身に走っていて使えないあたりがまさに現実の写し鏡のようで噓寒く感じます。公安が片っ端から証拠となる動画を削除して行ったり、立住本人だけでなく家族までバッシングを受ける様子も現実を捉えていると言えるのでは。それでも骨のあるフリーライターらの手を借りて彼らは徐々に態勢を整えていきます。

国内のメディアではなく、外国の記者たちの発信で事態が動き出すというのも皮肉な話ですが、その成功の裏で半田から執拗な暴力を受けてしまう鑓水。しかし転んでもただで起きないのが彼の凄いところで、公安に派閥争いすら利用して事を収めてしまうんですね。何とも食えない男です。

このシリーズは、かなりの頻度で危険な目に遭いながらも、どこか飄々としている鑓水と呆れながらも心配している修司に、真面目な相馬の心の突っ込みが時々入るので、緊張感の中に思わず笑ってしまうユーモアがあります。

筆者はメディアの情報が政治によって捻じ曲げられていく現状を憂い、今書かないと手遅れになるかもしれないと語っています。
戦中派はかなりの高齢になり、鬼籍に入っている人も大多数の今、戦争が市井の人々にもたらす恐怖について肌身で感じることはありません。
今春起こったロシアのウクライナ侵攻も日本人にとってはまだまだ対岸の火事であり、北朝鮮から飛んでくるミサイルすら「またか」という感覚になってきています。そういう「慣れ」が感覚を徐々に麻痺させているのかも。

正光が言い続けてきた「闘えるのは火が小さいなうちだけで、やがて点として置かれた火が繋がり、風が起こってさらに火を煽り、大火となればもはやなす術はない。もう誰にもどうすることもできないのです」は彼が戦争で体験したからこその悔恨であり、二度と繰り返してはならないという思いが彼を突き動かしました。そして彼の意を汲んだ山波や鑓水たちや曳舟島の長老たちはもちろんのこと、鑓水に今回の依頼をした黒幕である元与党の重鎮で因縁の相手の磯辺ですら、同じ思いを持って臨んだのではないかと思います。

正光が指さした渋谷の空の謎は解けます。敗戦後に東横百貨店の屋上にできた子供用の遊覧ロープウェイから聞こえてきた子どもたちの明るい声に、正光と白狐はその自由に話し笑う光景を二度と再び奪うことがあってはならないと思ったのです。そして死を前にした正光はその決意を白狐に託したのでした。

こんな話をフィクションとして楽しむだけの平和な日常がこれからも続いて欲しいと心から思います。
この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アンチャーテッド | トップ | 僕はイエス様が嫌い »
最新の画像もっと見る

」カテゴリの最新記事