窓の外はNY(ニューヨーク)なのです。なう。
まだ着いたばかりで、
お腹減ったどー、
なんか食わせろー、って歩いているのですが......
なんだか、ケッコウ色々なことに追われていて。
数日前まではLA(ロスアンゼルス)にいたのですが、
そのままココまで飛ぶことになり。
バタバタのピョンピョコピョンで。
世界随一のパワーを持つ都市の空気も、
もう一つ味わえていないよーな......という感じで。
しかし、クレイジーさが目につく街です。
東京もかなりクレイジーな街だと思いますが、
アメリカ最大の都市というのは、やっぱり、
それとはまた違ったクレイジーさがある様に思います。
よく語られるのは人種の坩堝(ルツボ)。
そこから生まれる様々な摩擦と混沌のエネルギー。
「混沌」とは時に創造の源泉であって。
全てのものは混沌から生まれたりするワケでして。
しかし、
この街にはそんな混沌としたエナジーを更に独特にしている空気感があって......
それが、この街に住む人々のただならぬ「成功欲」と「失望感」......
なのかなぁ......と。
そんなものが合わさるとギラギラとした熱が出てきて。
そんな熱は少しばかり空間、磁場、時間を捻じ曲げていて。
そんなことをまとめて言おうとすると「狂気」「クレイジー」
なんてことになるなのかなぁ......
なんて。
個人的にはそんな感覚を抱く街であったりします。
そのクレイジーさというのは、時折、ポン!と、
寂寥感に変わったりもするのでしょうし。
それがまたこの街の醍醐味なのかもしれません。
今回、この地で詰めた仕事も、
プラン上の売上金額を見たら......結構なクレージーさで。
まとめあげたチームメンバーの間でも、
フッ......とした瞬間にちょっとした不安を抱く!?ような額。
アメリカとかこんな街でビジネスを描いたりすると、
その波動を少なからず受けた感覚になってしまうのでしょうか。
でも、こんな国や街で描く「絵」であれば、
ソレはソレなりのクレイジーさもないと。ね。やっぱり。
面白くないってなもんで。(^^)
創造的な仕事には、
常に、
絶対的に、
クレイジーさが必要ではないかと、
僕はいつも思うのです。
狂気なるものをいつも意識もしているのです。
そんな意識や言動に対しては、
至極真っ当な方々からは、
至極真っ当な物差しでもって、
時に「バカ!」とか「アホ!」とか。
「キ○ガイ!」とか。
「あいつはちょっとおかしい!」とか。
「距離をおこう」とか。
そーいう印象を抱かれたり、対応されたりとかもするのですが。
まぁ、僕ちんの場合、
そんなことにはもう何十年と慣れっこなもので。
ええ。ええ。( ̄ー ̄)
アーティストとかであれば、
このスタンスも美しく、評価もされますし、普通なのですけど。
一般的なビジネスラインで、となると......
それはやっぱり、
それなりの変人扱いを受けたりなんかもして。
プロデュースや作詞などをする時のマインドと、
組織マネジメントをする時のマインドとはマッタク違う......
ということも僕の中で確かなことで。
それらが一人の人間の中で共存していたりすると、
忙しくなったり、心の余裕がなくなったり。
そんな時には無意識に思考の混濁を起こしてしまう状態に
陥ったりもします。
それ故の失敗も沢山経験して来ていますが、
ソレはソレで僕のような小さな、
ヒヨヒヨとした田舎者的人間にとっては
なかなかにタフな人生を突きつけて来やがるのでございます。
この街で思い出すのは、
敬愛する先輩の「KR」さんから、
このビジネス世界に入った直後に言われた言葉。
「俺たちって馬鹿じゃん。
そーだろ。
俺も。お前も。
だからこんな仕事してるし。
でもオマエさ、タダのバカになるなよ。
いいか。
タダのバカじゃダメなんだよ。俺らは......」
それは以前「新価値創造」という記事でも記していた言葉ではありますが、
また改めて、
偉大な言葉だなぁ、と。
偉大な先輩だったなぁ、と。
このクレイジーな街で久々に、また、そう思うのです。
我々は、
あまりに「ちゃらんぽらん」ではありますが、
生き馬の目を抜く世界に生きる人間でございます。
あまりに「馬鹿者」ではありますが、
ただの馬鹿にならぬよう、
日々頑張っている次第でございます。
この街は自分の中にある欲望と失望とに向き合える街なのだと思います。
それが心地よかろうが、悪かろうが......
ちゃんと炙り出して見せてくれる街なのではないか......
と思います。
まだ着いたばかりで、
お腹減ったどー、
なんか食わせろー、って歩いているのですが......
なんだか、ケッコウ色々なことに追われていて。
数日前まではLA(ロスアンゼルス)にいたのですが、
そのままココまで飛ぶことになり。
バタバタのピョンピョコピョンで。
世界随一のパワーを持つ都市の空気も、
もう一つ味わえていないよーな......という感じで。
しかし、クレイジーさが目につく街です。
東京もかなりクレイジーな街だと思いますが、
アメリカ最大の都市というのは、やっぱり、
それとはまた違ったクレイジーさがある様に思います。
よく語られるのは人種の坩堝(ルツボ)。
そこから生まれる様々な摩擦と混沌のエネルギー。
「混沌」とは時に創造の源泉であって。
全てのものは混沌から生まれたりするワケでして。
しかし、
この街にはそんな混沌としたエナジーを更に独特にしている空気感があって......
それが、この街に住む人々のただならぬ「成功欲」と「失望感」......
なのかなぁ......と。
そんなものが合わさるとギラギラとした熱が出てきて。
そんな熱は少しばかり空間、磁場、時間を捻じ曲げていて。
そんなことをまとめて言おうとすると「狂気」「クレイジー」
なんてことになるなのかなぁ......
なんて。
個人的にはそんな感覚を抱く街であったりします。
そのクレイジーさというのは、時折、ポン!と、
寂寥感に変わったりもするのでしょうし。
それがまたこの街の醍醐味なのかもしれません。
今回、この地で詰めた仕事も、
プラン上の売上金額を見たら......結構なクレージーさで。
まとめあげたチームメンバーの間でも、
フッ......とした瞬間にちょっとした不安を抱く!?ような額。
アメリカとかこんな街でビジネスを描いたりすると、
その波動を少なからず受けた感覚になってしまうのでしょうか。
でも、こんな国や街で描く「絵」であれば、
ソレはソレなりのクレイジーさもないと。ね。やっぱり。
面白くないってなもんで。(^^)
創造的な仕事には、
常に、
絶対的に、
クレイジーさが必要ではないかと、
僕はいつも思うのです。
狂気なるものをいつも意識もしているのです。
そんな意識や言動に対しては、
至極真っ当な方々からは、
至極真っ当な物差しでもって、
時に「バカ!」とか「アホ!」とか。
「キ○ガイ!」とか。
「あいつはちょっとおかしい!」とか。
「距離をおこう」とか。
そーいう印象を抱かれたり、対応されたりとかもするのですが。
まぁ、僕ちんの場合、
そんなことにはもう何十年と慣れっこなもので。
ええ。ええ。( ̄ー ̄)
アーティストとかであれば、
このスタンスも美しく、評価もされますし、普通なのですけど。
一般的なビジネスラインで、となると......
それはやっぱり、
それなりの変人扱いを受けたりなんかもして。
プロデュースや作詞などをする時のマインドと、
組織マネジメントをする時のマインドとはマッタク違う......
ということも僕の中で確かなことで。
それらが一人の人間の中で共存していたりすると、
忙しくなったり、心の余裕がなくなったり。
そんな時には無意識に思考の混濁を起こしてしまう状態に
陥ったりもします。
それ故の失敗も沢山経験して来ていますが、
ソレはソレで僕のような小さな、
ヒヨヒヨとした田舎者的人間にとっては
なかなかにタフな人生を突きつけて来やがるのでございます。
この街で思い出すのは、
敬愛する先輩の「KR」さんから、
このビジネス世界に入った直後に言われた言葉。
「俺たちって馬鹿じゃん。
そーだろ。
俺も。お前も。
だからこんな仕事してるし。
でもオマエさ、タダのバカになるなよ。
いいか。
タダのバカじゃダメなんだよ。俺らは......」
それは以前「新価値創造」という記事でも記していた言葉ではありますが、
また改めて、
偉大な言葉だなぁ、と。
偉大な先輩だったなぁ、と。
このクレイジーな街で久々に、また、そう思うのです。
我々は、
あまりに「ちゃらんぽらん」ではありますが、
生き馬の目を抜く世界に生きる人間でございます。
あまりに「馬鹿者」ではありますが、
ただの馬鹿にならぬよう、
日々頑張っている次第でございます。
この街は自分の中にある欲望と失望とに向き合える街なのだと思います。
それが心地よかろうが、悪かろうが......
ちゃんと炙り出して見せてくれる街なのではないか......
と思います。
月だけはうちの田舎と変わらないね。
雲の写真もみてみたいですね。
お気をつけて。
NYの大切なところに立ったらさ、、、また!?
日輪で出迎えて来れたんだよね(^_^)感激したよ。