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愛国心は国民の義務か?   落石

2009年10月28日 14時25分23秒 | Weblog

愛国心は私的な問題である、という風に思っていますが、
それで良いのでしょうか?
三島由紀夫も、愛国心は自発的なものと言っていますから、
それで良いとおもうのですが・・・

今ひとつスッキリしません。
どう考えたらいいのでしょうね?

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10 コメント

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スッキリとはしませんが、あえて言えば (只今)
2009-10-28 17:34:06
 「愛国心」という用語、語感にいまだ偏狭な思い抱くこと免れませんが、「愛国心」を義務と思ったら、その途端に「愛国心」でなくなってしまうのではないでしょうか。そんな気がします。 
 関連することで、佐藤優の含蓄のある言い分を思い出しました。
 「君が代・日の丸は国家のシンポルと思うが故に、法制化には反対! 何故なら、法律で決めたものは、法律で変えられるから」
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追記 (只今)
2009-10-28 17:46:47
 佐藤優の発言は、日の丸・君が代を確固としたい保守派の立場からのものものですが、日の丸・君が代の強制許すまじの側も、かっての流行り言葉で言えば、「別個に進んで共に撃つ」方途も考慮されていいのではないでしょうか。
返信する
 (らくせき)
2009-10-29 08:38:41
日本人が愛国心というと、
世代によって大きく意味が違って
いるんじゃないでしょうか?

過っての愛国心の苦い経験から
羹の懲りて膾を・・
の喩えに似た反応が出てきます。

でも若い人には余り通用しないのでは?

素朴に「国を愛してなぜ?いけないの」
と問われて、どう答えるのか?

公と私のことと、どう関連付けて
話せるのか?

ここが、もやもやしていて悩ましい点です。




返信する
やはりひっかかる (文科系)
2009-10-29 14:05:23
落石さん

貴方の問題提起は、やはり僕には引っかかります。外国の各時代なんかにも当てはめて、ちょっと思考してみます。

ベトナム戦争後のアメリカは愛国心を語れない人が増えたと思う。ソ連建設時はいったん増えてからどんどん減っていき、ロシア復帰時はまた増えて今はまた減ったはず。また、こういう変転の間中、人気が無くなるときの為政者は常に「愛国心」を強調しただろうとも言える。

こういう事実に目を付ける時、僕はこう言いたいわけ。
こういう変転を経ない人が「国を愛してなぜ?いけないの」というのは先ず当たり前、と。ところで、僕が何故「こういう人の愛国心」に従う必要がある? こういう若い人がいると知って、必要な時には配慮するだけというだけのことでしょう。そんなに難しいことではない。
そしてまた、こうも言える。「しょっちゅう出る悪い為政者に一般的愛国心」がねじ曲げられていくことも多かったとね。ヒットラー、スターリン。

こういう変転事実が歴史の常という中で、あなたが提起していると思われる普遍的で、自然な愛国心のようなものが、存在するのかと僕は言いたいわけ。そういう「平時の愛国心」を敢えて力説するのはむしろ危険ではないかとも。要するに、こういう問題はつねにその諸側面を自覚しつつ語らないといけないのではないでしょうかとね。

こうして僕は「悪しき抽象化」の一種ではないかとさえ、言いたいんです。この「愛国」概念の実態は、本物も偽物もなく、ばらばらのはずと。
上で僕は、国を主として「国家」「為政者」「美化的歴史」などに限定して話したかと思います。せめて、最低「国」を、国土、国民、歴史、国家、為政者などと分けて論じて欲しいものですが、それでも難しい問題が生じてくると思いますが。ひっくるめて国という面がどうしても大きいですから。
返信する
コメントありがとう (らくせき)
2009-10-29 16:00:34
こうしてコメントしてもらうと
自分の問題意識がだんだんにハッキリしてきます。

まず、感じたことは、こうした議論は
お隣の中国や韓国ではありえないか、
極めて問題になりにくいテーマだろうな、
ということです。

敗戦によって愛国心が、どのように
為政者に利用されたか、という苦い経験が
あってのことです。
影丸さんのコメントには、それがよく表れています。
しかし、私の問題意識は少しずれています。

そういう「平時の愛国心」を敢えて力説するのはむしろ危険ではないかとも。

この問題意識に近いと思います。
なぜ、キケンなのか?

それは今も昔を復活させたいという
懲りない安倍さんたちがいるからです。

しかし、力説することがキケンということは
半分、相手に負けていることになりそう。

問題は個々のケースではなく、
公教育の場に愛国心を持ち込むことが
憲法上、許されることなのか?
ということにあるようです。

国土、国民、歴史、国家、為政者などと分けて論じて欲しいものですが・・・という
コメントを借用していえば、
教育では、各項目について教えています。

それとは別に、愛国心を教えるのはいかがなものか?
というのが私の疑問です。
ダメなら、なぜダメなのか?
日本の過去の反省から、という主張は
あまり力になっていない。
ならなかった、というのがホントウじゃないでしょうか。

よくない、と言いたい。しかし、なにを根拠に
いえば、日本だけでなく、
中国にも一定の説得力のある考えがつくれるのか?

ということでしょうか?

先生の経験のある方は、この点について
どうお考えか?知りたいと思います。



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追加 (らくせき)
2009-10-29 16:02:43
公教育に愛国心を持ち込むことが
憲法上、ゆるされることなのか?
という問題意識でもあります。

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お詫びと訂正 (らくせき)
2009-10-29 18:55:03
影丸さんのコメントは
只今さんのコメントでした。
お二人とも申しわけありませんでした。

返信する
お応え (文科系)
2009-10-30 14:40:01
らくせきさんへ

『力説することがキケンということは半分、相手に負けていることになりそう』

『公教育に愛国心を持ち込むことが憲法上、ゆるされることなのか? という問題意識でもあります』

韓国や中国は平時じゃないでしょう? 分裂国家二つがそれぞれ相対しあっている。いずれもかなりハリネズミだし、中国の方は民主主義、人権思想がかなり遅れており、全体主義的愛国心が必要そうな体制だ。
これらと日本とを同列に置いた愛国心を探しだし、力説しようというのを僕はキケンと語ったんです。悪しき抽象とも。極端に言うと以下。
ネアンデルタール人と現世人類とを同列に置いて人間とはを論じること。ここに、現代先進国にとっても大事な何かがあると語られているのでもあるよう。その「思いこみ」はどこから出るのでしょう。しかも、この抽象物、対象の本質があらかじめ与えられているわけではないのは自明でもあるのに。

よって後者の質問にも当然、僕はこう応えますね。ただ不必要と。
そして愛国心について僕が最も重要と思うことは、上に書いたようにこういうことです。
『そういう「平時の愛国心」を敢えて力説するのはむしろ危険ではないかとも。要するに、こういう問題はつねにその諸側面を自覚しつつ語らないといけないのではないでしょうかとね』


友達のような語り口で書いてしまいました。失礼。
返信する
というと、 (らくせき)
2009-10-30 15:35:46
憲法に違反するということでしょうか?

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お応え (文科系)
2009-10-30 20:34:34
これに応える能力が今の僕にはありません。法的判断って専門性が必要だと思いますが、そういう専門性を身につけようという関心がない問題設定でもあります。失礼。
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