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随筆  “全体主義的感性”    文科系

2018年01月21日 13時01分36秒 | 文芸作品
 高校時代のある友人と昨日偶然会った時に、孫の教育で悩んでいるらしく、こんな話がいきなり堰を切ったように出された。同時にそこにいた同期女性の一人が小中教員だったからなのだ。
「近ごろの学校教育はどうなっているのかな。どうも戦後の米国流個人主義が日本人を駄目にしているように感じる。教育勅語を読んでみたけど、結構いーこと書いてあるよね」
 話はそこからどうも、個人に義務や道徳を強調し、教え込む必要というような話に移っていった。〈なんだか、安倍首相と同じだなー〉、僕は憂鬱になってしまった。
 そうなのだ、社会に不公正、不幸、不道徳が多くなると、誰かが上からタガを締めるべきというよくある発想なのである。誰が、どのようにタガを……が不十分なら当然、旧ソ連や北のような全体主義的「秩序」に繋がる発想でもある。人の内面が荒れる現実的な原因をきちんと問うていない場合にすぐに「心」が原因になって、ただ心を締め直せという安易な発想が出てくるとも言える。こういう人は、日本がまだ世界一安全な先進大国に辛うじて留まっているという点や、よってこういう世界的な社会悪傾向には世界的な原因があろうとも、観ようとはしていないのである。原因を日本国内だけに求めている口調がその証拠になる。そこで一計を案じた僕のある質問から、こんな討論になった。
「世界も荒れてるから、当分戦争は無くせないよね?」
「なに、君は戦争は無くせると思っているのか?」
「当然そうだよ。無くせない理由がない。『絶対に』ね」
「戦争は絶対になくならんよ。夫婦ゲンカもなくならんようにね。動物だってそうだし」
「やっぱりそう語ったね。ならば言うが、動物や人間夫婦の争いと、村八分なんかが全部同じ原因で起こるという意味で、これらの背後に同じ本質を想定するのは馬鹿げている。そういう考え方は、既に誤りとされた社会ダーウィニズムと言うんだよ」
「君は絶対にと言ったね? 絶対の真理なんて語ることこそ、馬鹿げている!」
 そんな言葉を捨て台詞に吐き出して顔も真っ赤にした彼、向こうへ行ってしまわれた。ご自分も「戦争は絶対に無くならん」と語られたのは、お忘れらしい。僕もそうなのだが、こういうお方も短気なのである。
 さて僕のこの論法は、十年やって来たブログの数々の論争体験から学んだもの。個人同様タガが必要に見える国にも自然に戦争が想定され易い時代というものがあって、国同士の生存競争こそ国家社会の最大事と主張する人々が増えてくる訳だ。
 さて、ここが大事な所なのだが、「上からタガを締めろ」とか「国家の最大事は戦争、軍備である」と感じ、考える人はほぼ必ず政治的には右の方と僕は体験してきた。つまり僕のような左の人がこういう人に他のどんな現実的政治論議を持ちかけても何の共通項もなくただ平行線に終わる、と。言い換えればこういうこと。いったん上記二点のような相手の土俵に入ってこれ自身を決着付けておかなければ、他のどんな「現実的」反論もすれ違うだけと体験してきたのである。個人の悪や不道徳などがなによりもまず個人の心の中から生まれると観るなら上から心を変えるしかないのだし、そんな時代の国と国との間では国連のような調整機関は無力と観て戦争を覚悟しなければならない理屈だろう。
 この二つ(心のタガと、社会ダーウィニズム的感性)は、いずれもそれぞれの問題、その原因を現実の中に問うて、現実を変えるという道が見えなくなる考え方なのだ。それどころか、現実は悪、心がそれに抗していかねばならないという感じ方、「思想」と述べても良いかも知れない。いずれも、全体主義に結びつく考え方だという自覚は皆無なのであるが、僕は結びつくと考えている。ヒトラーも東條も、それぞれ優秀な民族が乱れた世界、人類を鍛え直すという意気込みを国民に徹底したと記憶する。そのためにこそこの戦争を聖戦として行うという決意表明、大量宣伝とともに。
 ちなみに、あの時代も今もその現実世界は同じこういったものと観ている。二九年の世界恐慌から、弱肉強食競争へ。強食から見たら子供のような弱肉を容易に蹴倒していける世界になって、普通の人々は生きるためにどんどん道徳など構っていられなくなっていく。今の強食がまた、普通の日本マスコミは報じないのだが、桁外れである。アメリカ金融の一年のボーナスを例に取ってみよう。二〇〇六年の投資銀行ゴールドマンの優秀従業員五〇名は一人最低一七億円もらった。二〇〇八年全米社長報酬トップ・モトローラ社長は、一億四四〇万ドル(約百億円」)のボーナスを貰った。これで驚いてはいけない。二〇一一年に出たある経済書の中には、こんな記述さえある。
『今でも、米国でよく槍玉に挙げられるのは、雑誌の個人報酬ランキングのナンバーワンあるいはナンバーツーになるウォルト・ディズニー社社長のアイズナー(数年前に、ストック・オプションも含めて五億七五〇〇万ドルという記録的な額を得た)……』(ロナルド・ドーア著、中公新書「金融が乗っ取る世界経済 二一世紀の憂鬱」P一四七)。

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7 コメント

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時代というモノ (らくせき)
2018-01-22 09:37:51
少しでも、これを超えた目を持つのは
年寄りの特権かも。
文科系さんは十分齢をとっている。



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年寄りの功罪 (Unknown)
2018-01-22 11:50:23
 弱肉強食の思想は高度成長時から徐々に醸成されてきて、80年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」でピークに至った。
 その後転落に転じたあとも、弱肉強食思想だけはさらに増殖し、今日の格差社会を生み出した。
 ところで、いわゆる戦後民主主義と言われた時代の価値観を、こうした弱肉強食思想にオセロゲームのようにひっくり返してきたのは、団塊の世代を始めとする今の老人たちではないのか。その結果が今日であることをどう思っているのだろうか。
 その反省を交えない一般論は空疎な客観主義としか思えない。生活者ではない評論家の視線。冷たい!
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評論家で、悪いですか? (文科系)
2018-01-22 20:07:10
 評論家で、悪いですか? この場合の文意からすれば、「評論家」の反対は「(政治的)実践」。貴方の言うこの実践って、なんでしょう? 安倍の実践もありますし、トランプのもある。別の一例ですが、僕は共産党の幹部勧める「実践」も嫌いですね。一般党員には素晴らしい人が多いと見てきましたが。
 
 ただしここで一言。僕は普通は、名なしさんには応えません。自分の言葉を、全ての名無しさんとの間で、誰が書いたのか分からないように、ぼかす卑怯な人だから、応える義務など生じないと考えています。それでも、こちらが応えたい時には応えますが。
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繰り返します。 (Unknown)
2018-01-22 21:06:09
反省を交えない一般論は空疎な客観主義としか思えない。生活者ではない評論家の視線。冷たい!
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反省? (文科系)
2018-01-23 10:12:33
 あなたが正しい反省など全くないのだ。それで他人にこれを要求する笑止! その証拠がこれである。
『いわゆる戦後民主主義と言われた時代の価値観を、こうした弱肉強食思想にオセロゲームのようにひっくり返してきたのは、団塊の世代を始めとする今の老人たちではないのか』
 世界で一番質も量も高い日本の働く人々がすっかり零落したのは、1990年代後半から。その原因は主として国内の事にあるのではない。米英流金融グローバリゼーションと、これを受け容れた政治にある。このすべてを日本団塊世代に負わせるような論理は、ただ笑止。それとも、「これと挌闘している」と観て、安倍に暖かくとでも仰るのか? とすればこそやっと、我々が「外部からの冷笑者」に見えるかも知れない。

 こういう論理こそ、いつか来た道。主として世界政治と大本営との責任を、「1億総懺悔」と「反省」したようなもの。もちろん国民にも責任はあるのだが、そっちが主たるものではないのは明らかだ。
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 (らくせき)
2018-01-23 10:38:02
いわゆる戦後民主主義と言われた時代の価値観を、こうした弱肉強食思想にオセロゲームのようにひっくり返してきたのは、団塊の世代を始めとする今の老人たちではないのか。
その結果が今日であることをどう思っているのだろうか。

この考えは正しいのかな?ひっくり返してきたのだろうか?
もともと格差を生みだす要素があったのでは?
そうだとすれば・・・
だれの責任ということではなく、それに気づかなかった全員の責任じゃない?
世代論では問題のポイントを見誤るのかも。

とりえず老人たちを悪者にしても、解決にはならないような気がするけれど・・・



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Unknown (Unknown)
2018-01-23 18:40:14
凄く簡単に、「文ちゃん得意の「上から目線」が、間違いと、トラブルのもと」だと思うけどね。
・・ヒトラーも、マルクスも、レーニンもさ。
「年上だから、偉い」とか、思っていない?
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