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随筆 「全体主義的感性」   文科系

2016年10月15日 18時23分39秒 | 文芸作品
 高校時代のある友人と昨日偶然会った時に、孫の教育で悩んでいるらしく、こんな話が出た。同時にそこにいた同期生の一人が教員だったから出た話なのだ。
「近ごろの学校教育はどうなっているのかな。どうも戦後の米国流個人主義が日本人を駄目にしているように感ずる。教育勅語を読んでみたけど、結構いーことが書いてあるよね」
 話はそこからどうも、個人に義務や道徳を強調し、教え込む必要というような話に移っていった。「なんだか、安倍首相と同じだなー」、そう僕は考え込んでいた。
 そうなのだ、社会に不正や不道徳が多くなると、誰かが上からタガを締めるべきというよくある発想なのである。誰が、どのようにタガを・・という視点が不十分なら当然、旧ソ連や北のような全体主義に繋がりかねない発想でもある。社会に不正、不道徳が増えた現実的な原因をきちんと問うていないから心がまず問題になり、ただタガがゆるんだから締め直せという安易な発想が出てくるとも言えるだろう。こういう人は、日本がまだ世界一安全な先進大国だという点や、よってこういう社会悪傾向が世界的なものだということも観えていない訳である。

 さて次に、こういう考え方の人が国と国との関係を考える時には、社会ダーウィニズムに陥りやすいものと僕は色々体験してきた積もりだ。個人同様世界も角突き合わせるように乱れているが、国と国との紛争を調整する国連機関を改めて無視するような動きも増えたりして自然に戦争を想定することになり、国防こそ国の最大事という発想も強調されるのである。

 さて、ここが大事な所なのだが、上の2点のように考える人はほぼ必ず政治的には右の考え方を持つことになると僕は体験してきたつもりだ。つまり僕のような左の人がこういう人に他のどんな現実的政治論議を持ちかけても何の共通項もなくただ平行線に終わると。言い換えればこういうこと。一端上記2点のような相手の土俵に入っていかなければ、他のどんな「現実的」話もすれ違うだけと、上記2点のような話だけが両者の討論になり得るとここの10年で体験したつもりである。増えた個人の悪や不道徳が個人の心の中から生まれると観るなら上から心を変えるしかないのだし、国と国との間ではそういう調整機関は無力なのだから社会悪が多い時代には戦争を覚悟しなければならないと、そうなる理屈だろう。社会悪と、「国同士の悪=いざこざ、戦争」とかがまた、「性悪説的な似たもの同士」である所がまた味噌なのでもあろう。

 この二つ(心のタガと、社会ダーウィニズム的感性)は、いずれもそれぞれの問題、その原因を現実の中に問うて、現実を変えるという道が見えなくなる発想なのでもあると思う。それどころか、現実は悪、心がそれに抗していかねばならないという感じ方、「思想」と述べても良いかも知れない。いずれも、全体主義に結びつく考え方、「思想」だという自覚はないようだが、僕は結びつくと考えている。ヒトラーも東條も、それぞれ優秀な民族が乱れた世界、人類を鍛え直すという思想、意気込みを国民に徹底したと記憶する。そのためにこそこの戦争を聖戦として行うという決意表明、宣伝とともに。ちなみに、あの時代も今もその現実世界は同じこういったものだ。世界恐慌から、弱肉強食競争へ。強食が子供のような弱肉を蹴倒していくのだから、普通の人々は生きるためにどんどん道徳など構っていられなくなっていく。こういう現実的状況が社会悪の主因と観るのか、人の心に何かが新たに起こったことが第一だと観るのか。この分かれ道によって、双方の会話が非常に成り立ちにくくされている時代だと観る。
コメント (10)
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