九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「死刑大国日本」を考える  文科系

2012年11月06日 21時56分20秒 | 国内政治・経済・社会問題

 昨日の中日新聞に「日本の死刑 EUが問う」という記事が載っていた。EUのほとんどの国が死刑を廃止していて、「G8諸国でも死刑がある国は日米だけ」ともあった。僕は、角田美代子についての30日エントリーでこのように書いた死刑廃止論者。非常に気になる記事だった。
「この事件、読む度に、考え込むほどに人の深淵の深さ、怖さを一つ一つのぞき見ていく気がする。なんというか、青白いだけで全貌も見えない悪魔に、その長い蛇の舌まるごとでもってこの僕の体自身をなめられているような。僕は死刑廃止論者を自認してきたが、この女にだけは本心からその主張を続けていけるという自信をキープできない」

 さて、この新聞記事はドイツ連邦法相や、同司法省刑事局長らの日本批判が主たる内容であって、こんな批判が展開されている。
「死刑は人間の尊厳に反すると考えている。死刑は不可逆的な刑罰であり、誤判があった場合、失われた命を償うことはできない。死刑を支持する被害者や遺族の気持ちも分かるが、刑罰を感情や報復で決めてはならない」
「日本では、死刑制度維持の論拠として『被害者の感情』が挙げられているが、(あるドイツ犯罪被害者団体)同会長は、『死刑は報復感情を一時的に満たしても、問題解決にはならず、痛みを除いてはくれないことを家族はやがて知る』と訴えた」
「ドイツが死刑を廃止して犯罪が増えたというデータもない」
「人の命という重要な課題であるのに、(日本に)議論がないのはおかしい。賛否があることは理解しているが、重要なのは議論だ」

 さて、僕は日本の今の死刑制度そのものが、以下の意味でおかしいと思う。以下は多分、上のEUの方々と同じ理念なのだと愚考している。
 近代国家の存立根拠は、基本的人権を持ったかけがえのない人間諸個人のはずだ。上でドイツ人が「人間の尊厳」というのも、同じ意味だろう。彼らが主人で国家はいわば彼らが約束し合った契約機関なのであって、その意味では国家とは言わば国民へのサービス機関とも言える。その国家が個人の命を奪うというのは、原理的にいえば本末転倒しているのである。こういう制度にはよほどの存立理由がなければならないはずだ。そんな死刑を、今の日本は裁判員という素人に決めさせて、彼らの決定で国家が死刑執行をするという形を取っている。昨今は意識して犯罪被害者の声ばかりをマスコミにもぞくぞくと登場させているし、死刑がまるで仇討ち同然と、非常に軽いものになっていないか。

 また、こういうように死刑が軽いものになっているということは、何か国家を個人の上に置くもののようなそういう観念を国民に日々植え付けているとの疑念もぬぐえないのである。死刑制度が「オカミ」を補強している側面があるということだ。これも「日本的」であると言える。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする