田舎へ行ってご/見てご!

二地域居住(田舎暮らし)、花・写真、古民家めぐり、旅、日々のあれこれなど。

懐かしくて、癒される「丸型ポスト」

2019年05月30日 | 気になる物(乗物・建造物・構造物:巨木など)

昔懐かしい昭和レトロな「丸型ポスト」。

ほとんど見かけなくなりましたが、まだまだひっそりと活躍しています。

古い物(昭和レトロ)好きな私としては放っておけません。

伊豆の国市:韮山反射炉の丸型ポスト('180602撮影)

明治34(1901)年に火事に強い鉄製の赤色丸型ポストが考案されると「赤くて丸い」ポストの時代が始まり、昭和24(1949)年の郵便差出箱1号(丸型)を最後に丸い形のポストは終わり、それ以降は大量の郵便物の差し出しや取り集め作業のスピードアップに対応し角型になりました。製造は昭和44年まで。

高さ135cm、直径40cmの大きさがあり、下の根石と呼ばれる部分は高さ20cm、直径60cmです。総重量:約400kg

郵便ポストは正式名称を「郵便差出箱」と言い、いわゆる丸型ポストには「郵便差出箱1号(丸型)」という名称があります。しかし収容力が少ないことから、次第に「角型のポスト」に切り替えられていき、現在では全国に約五千数百本(全ポスト約18万本の約3%程度)を残すのみとなっています。

丸型ポストと言えば色は「朱色」ですが、ポストの位置を分かり易くするためでした。

全国には色々な色の丸型ポストが存在します。

先ずは、「朱色のポスト」。我孫子市内では1基だけ、市役所本庁舎の玄関脇にあります。(’190203)


柏市内には手賀郵便局の前に「朱色の丸型ポスト」が1基だけあります。('190203)


こちらは非常に珍しい「LETTERポスト」で全国に3本のみ。本来「POST」と表記されるべき場所に、「LETTER」と書かれています。

1948年に試作された丸型ポストの原型で「LETTERポスト」の現役は、当博物館と長野県塩尻市「贄川(にえかわ)郵便局」、香川県善通寺市「善通寺郵便局」です。丸型ポストの修繕・保存活動に取り組む「丸型ポスト写真家」の庄司さんと元白井郵便局長の若林さんより、

「白井そろばん博物館」に設置したいとの要請により設置したそうです。('190131)

余談ですが、手前の像は「二宮金次郎」が本でなく、「そろばん」をしてる姿になっています。

こちらは幸せを呼ぶ「黄色い丸型ポスト」。習志野郵便局駐車場の入口脇に「角型ポスト(10号)」と並んでいます。(’150501設置)('190131)

平成27年5月に全国8本目、関東では初めて黄色いポストが設置されました。ここで投函すると何か良いことがおきるかも?

次に「白い丸型ポスト」。白井郵便局にあります。地域活性化の一助になればと、平成25年3月14日のホワイトデーに設置されたとのこと。白いポストは 全国で銚子市「犬吠埼灯台」前の一基とここだけとか?('190131)

最後が「青い丸型ポスト」。九十九里町の「海の駅 九十九里」にあります。町おこしや観光をPRしようと平成28年1月24日に設置('190217)

郵便差出箱特4号(速達専用)も青色ですが、角型(全国に39本のみ)です。丸型では全国でこちらのみです。隣には九十九里町へ訪れた方に幸せが続きますようにと願いを込めた「幸せの鐘」もありました。新たな恋人の聖地にあるかも。

青いポストの貯金箱も「海の駅」で販売されていました。(990円)

なお、今回の丸型ポストの色は「赤(朱色)、黄、青、白」ですが、全国には「抹茶色(西尾市)、ブロンズ色(弥彦村)、金色(名古屋市)、桃色(松江市)、黒(島田市)」などがあります。

このような丸型ポストは文化・歴史遺産として末永く保存してほしいですね。

<追録>

かみさんと四国旅行に行った際、道の駅「小豆島オリーブ公園」で見かけた「幸せのオリーブ色の丸型ポスト」('190516撮影)

<追録:'231115>

桜の模様が施された「ピンクの丸型ポスト」:麻賀多神社となり('231114)

佐倉市内には朱色のポストは14基もあるそうです。
 


四国周遊の旅:4/4(徳島県編)

2019年05月30日 | 日本っていいなぁ。(旅の思い出)

最後の徳島県に入りました。(高松自動車道志度I.C~神戸淡路鳴門自動車道鳴門北I.C)

鳴門の「観潮船のりば」に14:00頃到着。(ここまで通算644km)

ここで大失態。カメラをアスファルトの上に落としてしまい故障。ここからはスマホで撮影することに。

また、渦潮の見頃は夕方とのこと。また、夕方になっても強風で渦に近づけない場合があるとのこと。

仕方なく、大鳴門橋遊歩道「渦の道」から眼下45mの鳴門海峡を見ることにしました。

強風が吹き抜ける中、450m先の展望室(大鳴門橋の桁空間)まで海の上を散歩。

遊歩道の両サイドは橋への風圧を軽減するため、網構造(フェンス)になっていて、強風の影響をもろに受けます。

渦が見れなくても、ガラスの床から見る鳴門海峡は迫力がありました。来た遊歩道を戻り、時間潰しに⑨道の駅「第九の里」に。

 

夕方、ホテルにチェックイン。夕飯を買いに徳島駅前へ。これが結構遠く、散々店を探しましたが良い所が無く断念。

コンビニでオールフリーと夕食を購入してホテルに戻りました。(歩数:17,000歩)

翌日(19日)「観潮船」乗り場に向かう途中、サーフィンを少し見学。

きっぷ売場に渦潮の見頃時間が表示されています。料金は1800円、何でも高い!

大型観潮船 わんだーなると」11:00の便を見送って、ベストタイムの11:40の便に乗船 

写真では判りにくいですがかなり迫力ある渦潮。周りの人の声にも圧倒されます。(動画をUPできると臨場感が伝わると思いますが、出来ないので残念)大きな渦は直径20mにもなるそうです。

所要時間は約30分。あっという間でした。

 

財布も軽くなってきたので「すき家」で昼食。レンタカーのガソリンを満タン返却するため、空港近くのGSに。

トヨタ「アクア」はハイブリッドなので燃費が良く、ガソリンは全行程で32.79L(4,506円)でした。

徳島阿波おどり空港」を15分遅れで16:55に離陸。羽田空港からの高速バスも渋滞なく、18:45頃帰宅できました。

 

今回は、7泊8日という長旅でしたが、大変楽しく過ごすことができ、城など興味深く見学することができました。

四万十川、室戸岬、内子、大歩危・小歩危、祖谷狭、かずら橋、今治、金比羅山など、まだまだ訪れたい所が沢山残っています。

もう一度、行きたい四国旅!

 

【まとめ】

①総走行距離:728.2km(燃費:22.2km/L)

②城めぐり:現存天守4城(高知、宇和島、松山、丸亀)+2城(大洲、高松)

③道の駅めぐり:9カ所

④古い建造物など:萬翠荘、道後温泉本館、臥龍山荘、旧山内家下屋敷長屋展示館、おおず煉瓦館、思ひ出倉庫

⑤名所:牧野植物園、栗林公園、桂浜、竹林寺、エンジェルロード、寒霞渓、鳴門のうず潮、渦の道

⑤美味いもの:讃岐うどん(2店)、鯛めし、カツオの刺身・タタキ、伊予柑ソフト、タコのまくらのご飯、ハマチづけ丼など

 

 

 


四国周遊の旅:3/4(香川県編)

2019年05月30日 | 日本っていいなぁ。(旅の思い出)

この日(16日)は「松山市」(午前7:30頃)から「丸亀市」に向かい、「丸亀城」に。約130kmの移動。

途中、高松自動車道豊浜S.Aで休憩。善通寺I.Cを出て、「丸亀城」の駐車場に到着(午前9:40頃)(ここまで通算426km)

 四国現存天守4つ目(最後)の「丸亀城」(国指定重要文化財)。城跡の全域は国の「史跡」に指定されており「亀山公園」となっている。

標高66mの亀山(かめやま)に築かれた「平山城」。別名「亀山城」、「蓬莱城」ともいう。

旧藩主居館の表門だった「玄関先御門」「御殿表門」とも呼ばれ、江戸時代初期に建てられた。城の門としては珍しい薬医門形式。

城内側の櫓門「大手一の門」。(国指定重要文化財)

 

一旦、「大手一の門」を通り、「大手二の門」。(国指定重要文化財)から出て天守(中央上)を望む。

堀端の高麗門「大手二の門」は、1,670年頃完成。内堀内の20.5haが国指定史跡。

 

「観光案内所」 ここで漸く「日本100名城に行こう」公式スタンプ帳を購入。

伝統的工芸品『丸亀うちわ』。あーちゃんが購入したもの。

建物内では、うちわの販売や実演を行っており、製作体験ができる「うちわ工房 竹」もあります。

「見返り坂」大手門から山上に向かう傾斜が急な山道。この先は更に急傾斜の坂です。

 

丸亀市内と瀬戸内海。右奥に薄ぼんやりと見える橋は「瀬戸大橋

讃岐富士(飯野山)」の姿が美しく見えます。標高422m

急勾配で高さのある石垣。「石の城」と形容されるその名の通り、石垣の名城として全国的に有名。

「天守」(木造3層3階、高さ15m。1階北側には、石落や狭間がある。1660年に完成)

 

日本一小さな現存木造天守の最上階。

日本一(総高)の高石垣(総高:山麓から山頂まで4重に重ねられ、合わせると60m)

(※単体で日本一高い石垣は「大阪城」で33mもあるそうです)

昨年、10月8~9日、城の南西部に位置する石垣が広範囲にわたって崩落。老朽化や9月末の台風24号の影響とみられる。

元の美しい石垣を一日でも早く見せられるよう復旧工事に取り組んでいるそうです。

地元の人が行く店として教えて頂いた手打ちうどんの店「龍(たつ)

丸亀名物「骨付鶏」(一鶴が発祥店)も食べたかったのですが、先ずは讃岐うどんから。

店内は広々としており、メニューも豊富。地元の工事関係者の人が大勢来ていました。

観光客風なのは我々だけでした。

 私が注文した「わかめぶっかけ(小):500円」と「おでん:100円/本)」わかめだらけでうどんが見えない。

うどんの本場に来たので「セルフ・前払い」の店に行こうと思いましたが面倒なので止めました。

 

一般道で「高松港フェリーターミナル」に向かい、途中(通算436km)給油。19L(2600円)しか減っていませんでした。

 

この後、いよいよ「小豆島(土庄町、小豆島町)」へ。

小豆島は、素麺、醤油、佃煮、胡麻油、オリーブなどの生産が盛んであり、いずれも日本有数の生産地です。古代には「あずきしま」と呼ばれ、その後中世までは「しょうずしま」と呼ばれたそうです。

面積は瀬戸内海では「淡路島」に次いで2番目。人口は減少の一途をたどり、3万人弱(船でしか渡れない離島としては日本国内で最大の人口)。

高松港から13:40発の「小豆島行フェリー」に乗船し、

14:40に「土庄港(とのしょうこう)」に到着。

 先ずは、「エンジェルロード(天使の散歩道)」へ。「観光案内所・売店」の前にある「天使のポスト

エンジェルロード」は1日2回、干潮時に海の中から現れる砂の道。大切な人と手をつないで渡ると、砂州の真ん中で天使が舞い降りてきて、願いを叶えてくれると言われているロマンティックな場所。「恋人の聖地」として知られています。我々夫婦は景色だけを堪能。

渡る手前の「弁天島」を登ると恋人の聖地「約束の丘展望台」。ここから見た「エンジェルロード

正面に見える島は「中余島」と言って個人が所有する島で立入禁止。奥にさらに2つの島(小余島・大余島)があり、弁天島と合わせた総称として「余島(よしま)」と呼ばれることもあります。

「エンジェルロード(右側)」を背景に「幸せの鐘」を鳴らすそうだ。

道の駅に行く途中、夜用に「ビールテースト飲料」を調達しようと探していたらセブン(島内に6店舗もあるらしい)があり、オールフリーをゲット。(どこのホテルでも自販機にはノンアルビールはありませんでした)

 

⑦道の駅「小豆島オリーブ公園」。紛らわしいのですが手前に1字違いの「小豆島オリーブ園」(R436号沿い)があります。

小豆島は日本のオリーブ発祥の地。まだ花は蕾。開花期は5月下旬~6月上旬、実は9月~12月頃です。

 

瀬戸内海を見下ろす小高い丘に広がる園内。手前が「野外ステージ」、その先が「内浦湾」。正面に見える半島が「田浦半島」で「二十四の瞳映画村」「岬の分教場」があります。

 

幸せのオリーブ色の「丸型ポスト」公園越しに内海湾を眺望できる場所に設置されています。

 

エーゲ海を思わせる「ギリシャ風車」どこを切り取っても絶景。奥は「四国山地」。

ハーブショップ「コリコ」 この建物は2014年春に公開された「魔女の宅急便」実写版映画で「グーチョキパン」として使用されたロケセットをこのガーデンに移築。この庭園は130余りのハーブが楽しめます。

「昭和天皇御手播きのオリーブ」 瀬戸内海を見下ろす小高い丘に広がる園内には、約2000本のオリーブの木や130種類以上のハーブが栽培されています。

今宵の宿「リゾートホテルオリビアン小豆島」。展望温泉大浴場からの景色も最高でした。

ホテルがある場所は夕日の名所で16haの広大な敷地。5月16日18:30頃の夕日。

 

翌日(17日)、朝食後、「寒霞渓(かんかけい)」へ。

 ついついとりすぎ、食べ過ぎてしまう。

ホテルから20分弱で「寒霞渓」に到着。

1300万年以上前の火山活動で形成され、約200万年に亘って浸食された渓谷だそうです。

日本三大渓谷美のひとつに数えられる日本屈指の渓谷「寒霞渓(かんかけい)」の絶景。

 

ロープウェイはたった5分(片道)の乗車ですが、往復で1760円。景色は最高ですが料金は高い!

「寒霞渓」山頂駅(標高612m)から下って来た先にあった「内海ダム(寒霞渓湖)」(堤頂長:423m)

あーちゃんが「中山千枚田」を見たいとのリクエスト。

標高150mから250mの斜面に約750枚の棚田が広がる。今は田植えの季節。初夏から秋が見学のベストシーズン。

棚田を見学させて頂くにはイノシシ除けのこの柵を開けて出入り。

中山農村歌舞伎舞台」(国指定重要有形民俗文化財)茅葺き、寄棟づくり。

 

昼飯は古民家カフェ「※タコのまくら」で。(※蛸の枕:タコノマクラ科に属するウニの一種)

店内はオーナーがリフォームしたそうです。

島の野菜を使った今日のごはん。プレートには11種類のおかずが乗っています。(税込み1,100円+※シリアルコーヒーセット(+200円))

ご飯は、たかきび入りの黒米ごはん。(※シリアルコーヒー:穀物を焙煎したノンカフェインの飲み物)

樹齢千年のオリーブ大樹」(2011年スペインン・アンダルシア地方から小豆島へ運搬・移植)

 

土庄港からこのフェリーで高松港(サンポート高松)に戻りました。

 

五つ目のお城は「高松城(別名:玉藻城)」。駐車場は無料ですが、入園は200円。

現在は「高松市立玉藻公園」として一般開放されており、現在は2万4千坪、往時の城域は約20万坪、比べると1/8ほどの広さです。

良櫓(うしとらやぐら)(旧太鼓櫓跡)

披雲閣(ひうんかく)

月見櫓・水手御門・渡櫓

「水門」この城は堀が瀬戸内海と繋がっているので海水100%。潮の干潮による水位調節のため水門が設けられている。

真鯛(写真)の多くは、JR高松駅前の海水池で稚魚から育ったものを放流しているそうです。ここは「エサやり場所」になっているので鯛が集まってくるようだ。。(エサ:100円、くじ付き)

内堀の先、正面が水門。

内堀から見た「天守閣跡

 

鞘橋(さやばし)」。本丸と二の丸を結んでいる唯一の連絡橋。奥中央に見えるのが「高松シンボルタワー

堀の先にある白い屋根は「琴電高松築港駅」

「もう一度、「讃岐うどん」を食べたい」とホテルから少し離れているが夕食は「うどん本陣 山田家本店」に。

夜まで営業しているうどん店は少ない。そんな中、20:00まで営業しており、800坪の広大な敷地の古民家で営業しているとのことなので俄然興味が湧き行ってみることに。

本館は築130年の旧家で登録有形文化財。

「本館」右に見える煙突は「源氏正宗醸造元」と書かれている

「釜ぶっかけ定食(冷)」(1200円)「てんぷらに押し寿司、醤油まめ」が付く。

 

翌日(17日)、日の出から開園している「栗林公園」に。高松市に来たら外せない施設(ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで「わざわざ旅行する価値のある」を意味する三つ星として紹介された大名庭園)

この日は5:30開園。券売所の人に本当に5:30から開園しているか確かめたら、5:00には来て準備し、間違いなく5:30に開園しているとのこと。(入園料:410円)

私達は入った「栗林公園北口」(JR高松駅から車で約7分)。「栗林公園(特別名勝)」は228年間、松平家の下屋敷として使用され、明治8年に県立公園として一般公開。

商工奨励館

二つ星の「掬月亭」①

 

掬月亭」②

芙蓉峰」から「円月橋」を望む。栗林公園と言えばこの景色と言うくらい有名な場所

四国四県の土産物が売っている「高松シンボルタワー」に行き、追加の土産を購入し、宅急便で自宅に送付。

昼、⑧道の駅「源平の里むれ」(ここまで通算580Km)に到着。

道の駅内にある「海鮮食堂 じゃこ」。小鉢や丼、刺身など約50種類のメニューがあるそうです。

この日の昼は「ハマチづけ丼(831円)」と野菜サラダを頂く。

道の駅を13:00前に出発し、最後の徳島県(鳴門市)に。

 

 

 

 

 

 

 


侵入者?退治!

2019年05月30日 | 昭和の杜で田舎暮らし

今年は4月5日~4月27日にかけて、5回筍を収穫しました。

友人夫妻や義妹夫妻などが「筍掘り隊」としてやってきました。

どこの家も連日「タケノコづくし」になってしまったのでは?

撮影(H31.4.15)

今年は裏年なのであまり期待していませんでしたが、相当な量の筍が収穫できました。

撮影(H31.4.15)

大量に採れるのはありがたいのですが、こんな侵入者は歓迎できません。

5月6日、ふと見ると廊下の床を支える束の脇から筍が出ているではないか。やばい!

即座に伐採。そのまま気が付かなかったらどうなっていたでしょうか?

この日から四国旅行などで行くことが出来ず、5/25~26、18日ぶりに行くことが出来ました。

さぞかし、真竹の筍がニョキニョキ出ているものと思っていましたが、昨年「テングス病」になったためか、ほとんど出ていませんでした。

雑草や落ち葉は想像通りでした。

 

翌日(7日)、新しい店(食事処)を開拓しようと目当ての店に行ったら定休日。確認もせず行くなんて・・・・。

 

仕方なく近くの店「お食事処 さと」(茂原市)に入ったら当たり」でした。

ランチのメニューは黒板どおりですが、席はゆったりしていて落ち着ける店でした。

私は「さと定食(刺身と焼き魚)」、あーちゃんは「焼き魚定食」を注文。

サバの焼き魚は大きく、ボリューム満点で食べきれませんでした。ごはんやみそ汁の美味い店は最高です。


四国周遊の旅:2/4(愛媛県編)

2019年05月29日 | 日本っていいなぁ。(旅の思い出)

 14日(火)昼前、愛媛県(鬼北町)に入る。

先ずは全国で唯一、自治体名に「鬼」の文字が入っている愛媛県鬼北町の④道の駅「日吉夢産地」に。

巨大な美人鬼の母子像。「柚鬼媛(ゆきひめ)」と名付けられた像は、高さ約5m。人気撮影スポットになっているそうです。

次に⑤道の駅「森の三角ぼうし(鬼北町)」

こちらにも金棒片手に注連縄(しめなわ)のついた岩の上に座り込む赤鬼の大きな像が。柚鬼媛と夫婦でしょうか?

漸く、宇和島市に入り、郷土料理・大衆割烹「ほづみ亭」で昼食。「宇和島城」の直ぐ近く。

鯛めし」、「じゃこ天」は宇和島の名物なので、宇和島に行ったら絶対に食べようと思っていました。

宇和島には、他に「ふくめん」「鯛そうめん」「さつま」「太刀魚の巻焼き」などの名物があります。

 「鯛めし:1100円」、「じゃこ天:500円」。「鯛めし御膳」は2200円ですが、普通の「鯛めし」で十分です。

 新鮮な鯛を卵入りの醤油だれに漬け、あつあつのご飯にかけます。

 

いよいよ「宇和島城」へ。現存天守12城の一つです。

藩老桑折(こおり)氏武家屋敷長屋門」(市指定文化財)が城山北東側の登城口になっており、ここから山の斜面を登ります。

 

基本的な城構えは藤堂高虎時代のものですが、伊達家(十万石)により修築されています。

現在、堀は全て埋められ、三之丸をはじめ総郭部分約28万㎡は失われてしまいました。

現存12天守の1つで国指定重要文化財。。高さは15.72m(3重3階総塗籠(そうぬりごめ)式、層塔型の天守)。

瓦と木部上部の家紋は「九曜紋」、木部下部の家紋は「堅三引両紋」。伊達家の家紋。

迫力のある墨絵が展示されていました。作者は墨絵アーチストの「茂本ヒデキチ」さん(愛媛県松山市生まれ)です。

 

この階段、分度器で計ったら約60度ありました。

 天守台から「宇和島市街地」「宇和海」(リアス式海岸)を望む。

鬼瓦の「九曜紋」の家紋

苔むした石垣と天守。

小さいながらも御殿建築の意匠が随所に見られ、非常に格式を重んじた造りになっています。

入場料:200円、現存12天守「城カード」:200円

 

続いて、松山自動車道経由大洲自動車道で「大洲肱南I.C」を出て「臥龍山荘」へ

途中、⑥道の駅「どんぶり館」へ立ち寄る。

臥龍山荘」は、肱川(ひじかわ)随一の景勝地「臥龍淵」に臨む別荘(約3,000坪)

 明治時代に建築された数寄屋造りで、国指定重要文化財(臥龍院、不老庵、文庫)

山荘入り口の黒門。自然との共生を重んじた見事な日本建築と庭園。 

豪商「河内(こうち)寅次郎」が、10年の構想と4年の歳月を費やして明治40年に完成

主屋「臥龍院」 随所に、今では入手出来ない銘木が使われ、名工の技が光ります。

建築家の黒川紀章から桂離宮に勝るとも劣らない傑作と評され、2011年には「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」の一つ星を獲得

 「清吹(せいすい)の間」 別名「夏の部屋」で高天井、欄間の透かし(水玉・菊水・花筏(はないかだ))の工夫、書院窓の外側は修学院離宮の手摺同様の時雨高欄。全面神棚

「清吹の間」と「壱是(いっし)の間」の境の「菊水の欄間」

「霞月(かげつ)の間」素朴と清楚表現の部屋。違い棚は京都大徳寺玉林院の霞床席参考。

壁の一部(左上)を塗り残し、荒れた農家の風情を表し、侘び寂びの表現がされています。

縁側廊下には仙台松の一枚板が使用されていますが、こちら側は仙台松の一枚板にあえて溝が引いてあります。

「蝙蝠(こうもり)の引手」は薄暮を。襖もあえて鼠色で薄暮を表現。

「壱是(いっし)の間」。格調の高い書院座敷。桂離宮の様式を全体に取り入れ、畳下は能舞台とし、床下には音響調和の備前壺が12個並ぶ。

苔むした庭

臥龍淵」を眼下に見る崖の上に懸り造りに建てられた数寄屋造りの「不老庵(ふろうあん)」

 

「臥龍淵」を真下に見て肱川の絶景を臨めます。

この山荘の名物のひとつに、槇の生木を「捨て柱」としている。上に伸びないで横に成長している。

 建築様式は「懸造り」。船内を見たてた天井の網代張りに川面からの月明かりがほんのりと天井を照らす。

 

 

続いて、市民会館前に駐車し、3つ目の城「大洲城」に。

複合連結式4層4階の天守閣(左)が特徴

2004年、 主に市民の寄付等により復元

天守の内部

 天守から見た「肱川

裏側に周ってみました。

大洲まちの駅「あさもや」。こちらに駐車してまち中を散策。

おはなはん通り」NHK連続テレビ小説「おはなはん」(1966〜 67年の平均視聴率は45.8%、最高視聴率は56.4%)のロケ地

おはなはん通り休憩所の中に飾ってあった「おはなはん」(樫山文江)の写真

ポコペン横丁」の「思い出倉庫」の内部。

昭和レトロなものが溢れんばかりに飾ってあります。

おおず赤煉瓦館」明治34年、大洲商業銀行として建築。3棟の建物で構成。

大洲市から松山市へ移動。途中、「伊予野田P.A」から見た「伊予灘」など。(ここまで通算276.4km)

 この日は道後温泉の「道後プリンスホテル」に宿泊。

全部で7泊しましたが「和室」はここだけ。

基本、夕食は付いていませんが、この日はグレードアップしたので1泊2食付き。

風呂あがりに蛇口をひねると無料で飲めるオレンジジュース。

部屋の窓から遠く「松山城」が見える。「道後温泉」は周りがビルだらけ。

翌日(15日)の午前は「道後温泉」街を散歩。

道後温泉駅前の「放生園」にある「坊っちゃんカラクリ時計」が丁度動き出しました。

 

道後温泉駅

 「坊ちゃん列車

道後温泉本館

「道後温泉本館」全景。今年の1月から7年間予定されている工事期間中も、道後温泉本館で入浴することができる。

右側は日本で唯一の皇室専用浴室である「又新殿(ゆうしんでん)」の入り口

道後温泉中興の祖「伊佐庭如矢(いさにわゆきや)」の像

道後温泉別館「飛鳥乃湯泉

昼飯はこちらでうなぎ入り「焼きおにぎり」と「たまご焼き」を購入(300円)。本当はうな重(3700円)が食べたい!

 

車に戻り、ガイドの方に教えていただいた愛媛県庁近くの安めのコインパーキングへ。徒歩で「萬翠荘」へ。

「坂の上の雲ミュージアム」から見た「萬翠荘」。取り敢えず木陰で昼飯を。

”松山城の麓の緑の森の中に佇む邸宅”という意味だそうです。観覧料:300円

旧松山藩主の子孫にあたる久松伯爵が別邸として建築(大正11年・1922年)した大正浪漫の建造物。

踊り場のステンドグラス・波の上の帆船(木内真太郎作)

内装材は南洋から取り寄せた堅いチーク材で、すべての手摺に彫刻が施されている。

昭和天皇が『萬翠荘』を訪れた時に、お食事をされたと言われるお部屋

愛媛県で最も古い鉄筋コンクリート造り。ネオルネッサンスと呼ばれる格調高い様式。左右非対称。

 

萬翠荘」を後にして、ホテルに車と荷物を預け、歩いて「松山城」へ。

4つ目の城は、現存12天守の「松山城」(国指定重要文化財)

 「松山城」の城山8合目付近までリフトかロープウェイで行けます。景色が良く見えるようリフトにしました。

(※総合券:ロープウェイ・リフト往復券+天守の観覧券がセットで1,020円)

右側が「筒井門」、左側が隠門(かくれもん)」

きっぷ売場付近から見上げた「天守」(中央)、左側は「小天守」(復興建造物)。

「小天守(こてんしゅ)」から見た「天守(三重三階地下一階の層塔型天守)」

「天守」からの眺め。素晴らしい景観です。

手前が「一ノ門」、左奥が「二ノ門」

「天守の内部」。何故か天井板があり、畳を敷ける構造になっている。床の間も設えられ、襖を入れるための敷居まである。

「天守」から見た松山市街(道後温泉方向)

帰りもリフトを選択。爽やかな風が心地よく、景色も素晴らしい。

歩き疲れて、喉が渇いたのでロープウェイ街の珈琲豆挽売り専門店「進和」で休憩。アイスコーヒーがなんと150円とリーズナブル。

他店では500円位していました。この日は歩数は約15,000歩

松山市の路面電車(市内線)は「伊予鉄道」が運行。伊予柑をイメージしてオレンジ色の車体が多いのかも?

16日(木)、朝食後、「丸亀城」(香川県丸亀市)に向け出発。(ここまで通算291.8km)ちょっと食べ過ぎかも?

香川県編に続く(別ページで)