日々の気付き

自分への提言

妙なる仕事

2020年06月01日 12時29分18秒 | 日記
 「既に1個人が抱えている『現れ(出来事)に対する解釈』を、別物に取り換えるように促すこと」が、他人を啓発し、導く、最終的な目的ではありますが、現実の社会を見ると、より粗雑に物事を見るように、他人をそそのかしている人が、いかに多い事か・・・。
 より精妙に、「物事の表れ」を解釈することが出来れば、それにより、個人は進歩した事になります―この「進歩の定義」は、宗教家でも科学者でも、共通して認める所でしょう。
 そうすると、他人を導こうとする人は、何かを隠したり、相手の意思を踏みにじって何かを強行したり、逆に、徹頭徹尾の恭順を示すことでは、1歩の進歩をも、相手に与えられないでしょう。
 他人が、物事の白黒にこだわり、殊更に、1方を善と見なして、押し付けてくる場合、私たちはどのように対処すれば良いのでしょうか?
 おそらく、その善は、粗雑であるが故に、完全なる誤りでありましょう―行為その物ではなく、その思想の全体が・・・。
 いかなる「真理」といえども、その命題を構成する概念の全ては、抽象的な物に限定されるはずです―と言うのも、具体的な概念は、1時的な類型に過ぎず、普遍的ではなく、幻想と言うより無いからです。
 「特定の行為を強要する思想」の全ては、誤解以外の何物でもない、という事を、私たちは理解する必要があります。
 他人に無理を強いることなく、「行為の選択に関しては、無限のバリエーションの『良きこと』が存在する」事を、暗に、示唆し、念じ、伝心し続けることが、(相手を啓発する為に)私たちに出来る唯1の作業なのです。
 兄弟が7度過ちを犯したなら、7度許してやりなさい―福音書
 完全なる罪などという物は、この世に存在せず、ただ、本人の思想の変更が、要求されるのみです―特定の行為を罪と見なそうという意欲その物が、(粗雑さという)あらゆる「罪」の始まりであるのです。