シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 外国一人旅なれの歌手自立人生
寒いフランス
雨が降り 傘が必要
山登りでは 運動靴と 手袋が必要
ピクニックでは カジュアルな服装
立派なフランスレストランでは 品格の服装
その場と その状況で
旅行さ中では 少ない洋服を着回しするので
ちょっと ファッション選びに 飽きてしまいます。
今回は 三枚のズボン 三枚のブラウス 二枚のジャケット
二枚のセーター 下着や類靴下も 最小限。
一番 重さとカサがあるのが 舞台ドレスです。
NHKホールで 着た 真っ赤なお引きずり スリット入り衣装は
ナタリーさんの希望で 持参しました。
裾周りに 五円玉と五十円玉の 重しを縫い込んであり
動きは美しいけれど とても 重いので
ナタリーさんが 日本に帰るとき 持ってきてくださるそうです。
14センチヒールと 運動靴も 運んでもらうつもりです。
ボージョレワインは 私の口には今一つ 合わないし好みでないので
日本へは 持ち帰らない事にしました。
手の届かない程の値段の良質で味が奥深いワインに慣れ過ぎて
舌が 贅沢になりすぎました。
日本では 日本酒と ロイヤルサルートが 一番安心な味です。
今 フランスでは 日本酒とフランス料理のコラボレーションが
流行りです。
寿司屋さんは 中国人経営のチェーン展開が凄いので
きっと 世界中どこの街でも 容易に食べられます。
すし とか さしみ という言葉は 皆理解しています。
ナタリーさんのご子息たちは 日本食では すし 焼き鳥 天ぷら とんかつ しゃぶしゃぶ
が好きだそうです。
ナタリーさんの長女さんは 南仏のスポーツ施設会社で
すでに働いているので まだ 私も出会ったことがありません。
23歳だそうです。
リオンはグルメの街ですが
お土産にしたいものが 無くて・・・
困っています。
特産のドラジェは とんでもなくカラフルな色素で 恐ろしい色。
赤に近い ピンク色のプラリネのタルトなどは
甘くて強烈で 日本人には 美味しく感じないかも・・・
ハムもソーセージもム皆しょっぱい。
パリで お土産は選ぶことにします。
いま ほとんど バッゲージを詰め終わりました。
早めに寝て 明日は 街を散歩してから
お腹を空かせて 濃厚グルメ風 朝食バイキングを
食べるつもりでいます。
食は文化ですから
外国での 好奇心は
美術館 や史跡 音楽 風土気候の中で
いかに 何を食べて育ったか・・ということで
その民族の 雰囲気も変化してゆくのだなぁー
と 感じます。
ルームサービスで 大きなコーヒーを運んでもらい
暖かいものが 飲めました。
ルームサービスは夜10時まで レストランが空いている時間だけですが
10時半に セーフで 運んでいただけました。
煙草は
窓から 首を突き出して 吸っています。
なので 一時間に一本位。
首を外に出して いるだけで強烈に寒いです。
明日のショートステイアパートメントは パリ5区です。
20日 大島さん宅に 御呼ばれしていて
21日は長南さんが 今回のピアニストバゾり夫妻と 私を
レストランにムお誘いくださいました。
皆さんに 良くしていただけて 私は ラッキーなお一人様。
寂しさも つまらなさも感じず
自由と孤独の火山の中で
次の爆発まで じわじわ マグマを育てて
また爆発できるように
文化芸術の肥やしを身に入れ続け
文化的フランス語シャンソン と西洋音楽の重鎮たちに
背中を押していただき
私の一度の人生を エンジョイしたいです。
喜びは いつも 苦しみの後にやってくる・・・
やはり 音楽を続けることは 苦しい修行に変わりないですが
歓喜のマグマも 体内で 育てつづけているので
食べて 飲んで 着て 住むという あらゆる人生街道の
質を高め深めいくことが
今後の私の 音楽性の 目的終着駅のように感じます。
美に対して厳しいフランス人に
美しいと言われる 声 発音 音楽性 ドレス ヘアースタイル ボディライン 所作
動き 踊り 立ち姿 維持・・・修行を
あと 何年間 続けられるか 毎度の舞台の後 突然恐怖感が襲ってきます。
加齢は 経験済みという 体験があり有難いけれど
加齢は 誰にでも訪れる自然の摂理なので
それを 怖がるよりも 好奇心もって 挑戦するしかないのでしょう。
英知と 本能と 感を駆使して 記憶力と 体力 脚力維持を 模索します。
駄目になったときは お許しください。