シャンソン歌手リリ・レイLILI LEY 音楽家の 習慣
始めて ピアノを 弾いた時
右手と 左手は 別々に 習いました。
まずは ド レ ミの位置から
そして
比較的 従順だった私は 三歳でも
多少は 自宅練習したみたいで
目黒の先生のお宅まで 毎週一度
誰かが 送り迎えしてくれていたらしいです。
小学生になる頃
先生が変わり
国立音大のピアノ科の講師の 怖い女性の先生が
毎週自宅にいらしてくださるようになり
母も妹も 習いました。
なので 妹と私は連弾曲も 習いました。
いまでも 妹と その先生の話をします。
とても厳しくて
怖くて 笑みのひとつもなく
専門的で 楽しい思いなど無くて
先生がみえる日が嫌だったけれど
お蔭で この年まで ピアノ弾けるね・・・と
妹も
自分の所属する中学の校歌とか
合唱とかの伴奏者をするように
頼まれて
それなりに 弾いているらしいから
子供の時の ちょつと忍耐の音楽稽古が
便利に
今頃 役立つらしいです。
私が
歌を 個人レッスンで
習いだしたのは中学一年生からですが
その頃は 専門的というより
お楽しみ程度。
まさか 藝大に受験するとは 思っていないでした。
専門的に 高校一年生の時 インターナショナルな
コロラトゥーラ ソプラノの
勝本先生が ウィーンから 帰国早々の
頃
ご自宅に通い 教えて頂いた時
気絶するほど 呼吸が苦しくて
本格的発声とかを 知りましたけれど
きちんと 身体を使って歌う事が
地獄の苦しみでした。
今や
歌を習い始めて50年を経て
歌う事は 全身全霊 本能の快楽なので
あー 続けて良かった・・・・と
感謝の気持ちです。
というわけで
音楽を通して経験して 私の考え方は
音楽家の考え方です。
つまり 簡単なことなど無い
要領よくは いかない。
何事も
出来るようになるまでには 労力 準備
稽古 学習 継続することが 大切で
そして
とてつもない 長い年数 大量の時間
投資の金額が 必要かということが
理解できました。
簡単に身に着くことなど無くて
身に着いたと思っているうちは
何もついていない。
なので
お裁縫も ジャズピアノも とりあえず
焦らず こつこつ 続けることが大切で
長い年数が 掛かるけれど
喜びは 遠く先で 待っていてくれる・・・
希望があります。
要領よく 習得できるものなど 皆無と
思って 呑気に構えています。
昨日の お裁縫では
生まれて初めて
袖を付ける 経験をしました。
シルクの布は ずるずる滑り
幾度 仮縫いしても しつけしても
上手く 合わなくて
ミシンで 袖付けを縫い合わせるまでの準備に
緊張しまくり・・・一時間も
しつけを 縫ったり ほどいたり
準備万全にして
いざ 本縫い ミシンで縫う時は
精神統一
舞台の上に居る時みたいに 緊張して
超真剣に 縫いました。
多分 舞台の上では ニコニコ顔ですが
裁縫の時は 怖い顔していると思います。
溜息。
ミシンで 肩の丸い部分を ゆっくりゆっくり
縫い終えて
出来上がりは 結構きれい。
「先生 ひきつらないで 肩のところ 綺麗に
仕上がりましたー
お蔭様で 人生で 生まれて初めて シルクのブラウス
肩と 袖つけ 経験できました」と
満面顔で 心からお礼が言えました。
嬉しかったわーー
出来ない事 やったことの無い事
当たり前でないこと
そういう事が 刺激になり
歓喜につながるのも 音楽家気質の感性です。
特に
面倒な繰り返し事を 目的無く無心で続けるのが
音楽家人生なので
毎日の 小さい積み重ねの中で
少しは進歩しているのかなぁーと
その進化には 気が付かなくても
長い とてつもなく長い継続した年月
の後には
いつのまにか 実力が付いていて
それこそ
じっくり 煮詰めた味の様に
人生価値があると感じるのです。
裁縫人生 まだ 三年くらいじゃ
幼稚園卒業できるかどうか・・・
ジャズピアノも 後10年位 たたないと
音楽家の端くれにも 入れない。
桃栗三年 柿八年 音楽永年
なかなか 実りませんが
そこには 希望があります。
始めて ピアノを 弾いた時
右手と 左手は 別々に 習いました。
まずは ド レ ミの位置から
そして
比較的 従順だった私は 三歳でも
多少は 自宅練習したみたいで
目黒の先生のお宅まで 毎週一度
誰かが 送り迎えしてくれていたらしいです。
小学生になる頃
先生が変わり
国立音大のピアノ科の講師の 怖い女性の先生が
毎週自宅にいらしてくださるようになり
母も妹も 習いました。
なので 妹と私は連弾曲も 習いました。
いまでも 妹と その先生の話をします。
とても厳しくて
怖くて 笑みのひとつもなく
専門的で 楽しい思いなど無くて
先生がみえる日が嫌だったけれど
お蔭で この年まで ピアノ弾けるね・・・と
妹も
自分の所属する中学の校歌とか
合唱とかの伴奏者をするように
頼まれて
それなりに 弾いているらしいから
子供の時の ちょつと忍耐の音楽稽古が
便利に
今頃 役立つらしいです。
私が
歌を 個人レッスンで
習いだしたのは中学一年生からですが
その頃は 専門的というより
お楽しみ程度。
まさか 藝大に受験するとは 思っていないでした。
専門的に 高校一年生の時 インターナショナルな
コロラトゥーラ ソプラノの
勝本先生が ウィーンから 帰国早々の
頃
ご自宅に通い 教えて頂いた時
気絶するほど 呼吸が苦しくて
本格的発声とかを 知りましたけれど
きちんと 身体を使って歌う事が
地獄の苦しみでした。
今や
歌を習い始めて50年を経て
歌う事は 全身全霊 本能の快楽なので
あー 続けて良かった・・・・と
感謝の気持ちです。
というわけで
音楽を通して経験して 私の考え方は
音楽家の考え方です。
つまり 簡単なことなど無い
要領よくは いかない。
何事も
出来るようになるまでには 労力 準備
稽古 学習 継続することが 大切で
そして
とてつもない 長い年数 大量の時間
投資の金額が 必要かということが
理解できました。
簡単に身に着くことなど無くて
身に着いたと思っているうちは
何もついていない。
なので
お裁縫も ジャズピアノも とりあえず
焦らず こつこつ 続けることが大切で
長い年数が 掛かるけれど
喜びは 遠く先で 待っていてくれる・・・
希望があります。
要領よく 習得できるものなど 皆無と
思って 呑気に構えています。
昨日の お裁縫では
生まれて初めて
袖を付ける 経験をしました。
シルクの布は ずるずる滑り
幾度 仮縫いしても しつけしても
上手く 合わなくて
ミシンで 袖付けを縫い合わせるまでの準備に
緊張しまくり・・・一時間も
しつけを 縫ったり ほどいたり
準備万全にして
いざ 本縫い ミシンで縫う時は
精神統一
舞台の上に居る時みたいに 緊張して
超真剣に 縫いました。
多分 舞台の上では ニコニコ顔ですが
裁縫の時は 怖い顔していると思います。
溜息。
ミシンで 肩の丸い部分を ゆっくりゆっくり
縫い終えて
出来上がりは 結構きれい。
「先生 ひきつらないで 肩のところ 綺麗に
仕上がりましたー
お蔭様で 人生で 生まれて初めて シルクのブラウス
肩と 袖つけ 経験できました」と
満面顔で 心からお礼が言えました。
嬉しかったわーー
出来ない事 やったことの無い事
当たり前でないこと
そういう事が 刺激になり
歓喜につながるのも 音楽家気質の感性です。
特に
面倒な繰り返し事を 目的無く無心で続けるのが
音楽家人生なので
毎日の 小さい積み重ねの中で
少しは進歩しているのかなぁーと
その進化には 気が付かなくても
長い とてつもなく長い継続した年月
の後には
いつのまにか 実力が付いていて
それこそ
じっくり 煮詰めた味の様に
人生価値があると感じるのです。
裁縫人生 まだ 三年くらいじゃ
幼稚園卒業できるかどうか・・・
ジャズピアノも 後10年位 たたないと
音楽家の端くれにも 入れない。
桃栗三年 柿八年 音楽永年
なかなか 実りませんが
そこには 希望があります。